川の流れに身をまかせ(第1回)
  ―伝右川の源流へ 2008年1月22日(火)

埼玉県さいたま市南東部に端を発し、同市内を綾瀬川(第1回参照)に並行するように南東へと進路を取り、川口市と草加市の市境を通って東京都足立区で綾瀬川に流れ込む一級河川・伝右川(でんうがわ)。1628年、新田開発のために井出伝右衛門によって開掘され、その名前を取って「伝右衛門川(でんうえもんがわ)」とも言われる。
この川を知るようになったのは、小学校中学年のころだ。当時、出身地の川口市のお隣・草加市の某スイミングスクールに通っていて、行き帰りの送迎バスでこの川を必ず渡っていたのだ。その他にも、家族旅行などを含めると、何百回と渡ったに違いない。上記のように綾瀬川と並行して流れる地域では、“セット”で渡ったりもしている。
そんな懐かしい思い出のあるこの川も、例外なく市街地を流れる生活河川のため、汚く臭い印象が強い。実際、汚染度も高いようである。綾瀬川同様、この川の源流も10年ほど前に探索したのだが、このときは最後まで辿れなかった。なので、そのリベンジと記録の両方を兼ねて、今回行ってみることにしたのだ。

スタートは埼玉高速鉄道の終点・浦和美園駅。ここからJR大宮駅行きの国際興業バスに乗車し、浦和東高校入口バス停にて下車。バス停から浦和東高校方向に歩くこと10分、国道122号線を渡る陸橋の脇を入っていくと、源流近くとあってか、すでに細くなっている伝右川の流れ(下の@の写真)に出くわした。

@伝右川を下流方向に見る。向こうは国道122号線を渡る陸橋。 A@の反対側。源流方向に向かって右の道をこれより北上していく。 B間もなく、右に綾瀬川を見る形に。2つの川が最も接近する箇所の1つ。 Cその綾瀬川を下流に向かって臨む。向こうに見えるのは国道122号線。 D綾瀬川もこの辺りだと中流域となるのだろうか。自然堤防がいい。
E上が下流方向。川幅は1mもないだろう。もはや、ただのドブ川。 F福山運輸の倉庫を入れて1枚。この川の存在を知る人は何人いるのか。 G倉庫を越えると、畑地に沿って流れる。水は大分少なくなっている。 Hこのように、畑地の間の側溝の水も引き取っているようである。 I
…いや、この感じだとむしろ、生活排水のほうが貴重な水源かも(笑)。
JIのわずか上流。一気に水量が減っている。現実はこんなものだ。 Kビニールハウスもなくなり、再びだだっ広い畑地へ。川は左にあります。 L下流に向かって1枚。奥の壁は、浦和競馬野田トレーニングセンター。 Mこの辺りでまた水量が減ったような感じだ。源流まであと少しか? NMの右下=源流側方向を写す。水は完全に干上がっているようだ。
ONのアップ。今は干上がっていても、耕作期や雨天には水があるのかも。 POから歩くこと数分で、多分ここが地図上の源流部。水はもはやない。 QPを下流に向かってさらに1枚。ここをとりあえず私は源流とみなそう。 RPQの反対側の景色。どこまでも広がる畑地。1月の寒さが身に沁みる。 SRの右奥へ続く道を進むと、このような水路。これもまた綾瀬川に注ぐ。

PQ
の地点は、住所でいうとさいたま市緑区大字上野田になるが、道をはさんで反対側は同市見沼区大字膝子(Rの写真でいうと左上側。Sの場所もそう)となって管轄区が変わる。側溝は見沼区大字膝子側の畑地沿いをまだ北へと続いてはいたが、どこまでが伝右川でどこからがそうでないのかがはっきりしないので、PQを勝手に源流点とみなして、バス通りへ戻ることにした。
話ついでに、上の写真のうちCDの綾瀬川については、川向こうが同市岩槻区大字笹久保新田となる。川が行政管轄の境目になることはごくごくありがちなことであるが、地図を改めて見直すとこの辺りは区域が複雑になっているようだ。さらに古い地図で見直すと、上野田は旧浦和市、膝子は旧大宮市、笹久保新田は旧岩槻市……これはこれで、私的にツボにはまって興味深い。
野田宝永(のだほうえい)バス停より、国際興業バスでJR大宮駅へ。道中では、先日綾瀬川と一緒に源流点を見た芝川(第1回参照)を渡る(下の写真)。これに限らず、他にもたくさんの水路を渡ったり見たりしたが、それらはいずれも、かつて「見沼田んぼ」という湿地帯が開拓されたときにできた史跡だと言えるであろう。(第2回―伝右川の源流へ― おわり)
 バス内から芝川を下流に向かって1枚撮影(さいたま市大宮区天沼町)。


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