川の流れに身をまかせ(第1回)
  ―綾瀬川・芝川の源流へ 2008年1月19日(土)

[1]綾瀬川源流の旅
埼玉県桶川市に端を発して南東に進路を取り、県南東部を下って東京都内に入り、最後は葛飾区で中川に流れ込む一級河川・綾瀬川(あやせがわ)。その名は「汚い川全国ワースト」というありがたくない称号をもらったことで知られている。最近はそれを関西の大和川に譲ったとか譲っていないとか言われるが、それでもワースト上位にいるであろうのは間違いない。いっそ「殿堂入り」でもしたらどうだろうか?
ま、それはどうでもいいとして、今回の旅ではその源流点に行ってみることにした。実は源流点へ行くのは1997年11月、2003年8月以来3度目。なので、位置も風景もしっかり記憶しているのだが、肝心の「写真に収める」という記録を怠っていたので、今はデジカメも持っていることだし、改めて行って写真を撮ることにしたのだ。

最寄りは埼玉新都心交通(ニューシャトル)の終点・内宿(うちじゅく)駅(行政は埼玉県北足立郡伊奈町)である。この電車に乗るのは、上述1997年11月に初めて綾瀬川の源流に行ったときに利用して以来。大宮駅ではかなり乗客が多かった電車内も、次の鉄道博物館駅にて6割が下車。その後も1人また1人と下車して、終点では数える程度になっていた。
旅の始まりの前に、大宮駅で買った米沢名物「牛肉どまん中」をホームのベンチで食す。1000円。大きさはそれほどでもなかったが、深さがあってボリュームもちょうどよかったし、冷めているのに味が染みてて美味かった。にしても、風が吹き込んで寒かった〜。
内宿駅のこじんまりとした売店。埼玉県でも都会から離れたところに来ると、随分田舎の雰囲気だ。左に小さく見えるのはsuicaをかざす機械だが、一応そういうところは世の中から隔絶されていないらしい。
綾瀬川の源流へは、この道をひたすらまっすぐ北進する。左上には上越新幹線の線路。10年ぶりとあって、どれだけかかったかは忘れてしまったが、とにかく行けばいいのだ。この道をただ行くのみ。行けば分かるさ。ありがとー!(なんのこっちゃ)
上の写真にも写っているが、遊歩道ができたようで、加えて建売住宅もできていた。10年前にはなかったと思う。
その遊歩道も建売住宅もなくなり、いよいよ寂れてきた。結局、駅からは20分程度歩いたか。右手に工場のような建物が見えてくると、間もなくちょっとした広さの通りとすれ違い、その脇を溝が流れているのが目に入る。ここを右折すると、源流点に辿りつく。住所でいうと「桶川市大字小針領家」。ここから先は、以下の写真に譲る。
@こんな石碑があります。Aよりわずかに下流の位置。

A上から来る流れと右から来る流れの交わるところが綾瀬川の源流点。 Bその2つの流れが交わるところを拡大すると、こんな感じ。 CAの「右から来る流れ」の先は、こんな感じです。その先は知らん(笑)。
DAの「上から来る流れ」の先は、新幹線の下を越え西進します。 EDのように北へ折れた後は……これも、どうなるか知らん(笑)。 FDの脇にある「備前堤」の看板。でも、それってKのこと? GFの看板の隣にある石碑。奥に新幹線の線路が見えます。
H@より下流に向かい、源流方向に向かって1枚。

Iやがて東へ折れ、埼玉県南東部→東京都へ。まだ旅は始まったばかりだ。 J

Iの反対側。赤堀川にかかる橋。互いに交わることなくお互いの道へ。
K

Fの備前堤は、こ
の写真も含め、2
つの川一帯の堤
を言うみたいだ。

結論を申せば、上記の2つの流れを最後まで辿らないことにはホントの源流は分からない。周辺は畑地が多くて水路も多く引かれているので、辿れば辿るほど迷路状態になりそうである。逆に言えば、その畑地から流れ出た水が集まってできたのが、綾瀬川ということで間違いないだろう。
それともう一つ。源流なのに汚いし臭い。畑地からだけの水ならばそうはならないだろうし、言わずもがな生活排水や工場排水が垂れ流しになっているのが原因であろう。最初からこうであれば、ワーストの名を欲しいままにしているのもどことなく肯けるというものだ。


[2]芝川源流の旅 
綾瀬川と同様埼玉県桶川市に端を発し、こちらはほぼ真南へ進路を取って同県川口市にて荒川に注ぐ一級河川・芝川(しばかわ)。綾瀬川と比べると、地元出身とあってより身近な川である。川口市内では川幅も大きく、存在はピカイチ。同市内の天神橋付近では新たに作った芝川放水路にその幅を譲り、本路は再びその幅を狭めて荒川に向かう。その本路は都市河川の例外に漏れず、流れが澱んで汚染や臭いがひどかったが、最近では河川をきれいにするプロジェクトチームの取り組みにより、徐々にではあるようだがきれいになりつつあるようだ。
さて、話を戻すと、その芝川の源流は大きく2つあるという。一つは綾瀬川と同じ桶川市小針領家。もう一つは同市末広。前者は地図で見ると綾瀬川の近くにあるようなので、綾瀬川の源流探索後に小針領家の源流点へ向かい、次に末広の源流点へ。そして最後に2つの流れが交わる上尾市本町の一本杉橋に向かうことにした。たしか、1997年あたりに観に行った記憶があるが、多分末広のそれだけでしかも最後までたどり着けなかったと思うので、この機会に完全記録してしまおうという魂胆だ。
なお、説明については便宜上、一本杉橋→桶川市末広→同市小針領家の順とさせていただいた。

(1)上尾市本町一本杉橋での合流

@桶川市末広から来る左の流れ、同市小針領家から来る右の流れが合流。 A@の合流点を一本杉橋より撮影。右の流れは人工的に狭められている。 BAの逆側すなわち下流方面を撮影。


C

末広からの流れを
辿って、一本杉橋
より少し上流へ。

D

Cよりさらに上流
へ。上尾東団地の
西側の橋より暗渠
となっている。

(2)桶川市末広の源流点へ

@上の(1)Dの続き。バス通りにかかる扇橋より北上スタート。
Aのぞき込むと、源流部の川の流れはこんなにも細い。

B扇橋の北側。川沿いを行けないので大通り経由でCのまなび橋へ。 Cまなび橋から南側を見る。ここが末広側開渠部分の最後。
Dまなび橋の北側(Cの反対側)はこのような暗渠。以後、これを北上。
EDの蓋の上を歩いていくと、右に折れる感じである。
FEより右に折れてもまだ暗渠は続いている。
G住宅街を出て畑地の中へ。はて、どこまで続くのやら。
H畑地の中から辿ってきた方向を臨んで1枚。
I再び住宅街に近づくと、いよいよ終わりそうな予感。
J終着点のこの物体は、ひょっとして井戸跡? 今は蓋されてます。 K井戸の脇のごみ置き場。多分暗渠は続くんだろうけど、ここで探索終了。 L扇橋よりも南にある橋で1枚。


MそのLの橋から川をのぞきこんで1枚撮影。

N看板もむなしく、どこまで行っても汚く臭う芝川探索でした(笑)。

(3)桶川市小針領家の源流点へ

@地図上の最後の位置はBだが、綾瀬川側から来たら、より上流に出た。 A@の反対側。ごみ置き場の下を流れる。

B@にあるように、ここが地図上の最後の流れ。下流に向かって写す。 CBの反対側。すなわち、@Aより下流でBよりも上流。

DBよりもう少し下流へ。この辺りでは農業排水役も担っているのか。 Eさらに下流へ。水道管橋がかかっていた。上流に向かって1枚。 FEの反対側。下流に向かって1枚。終点は上記(1)Aの右の流れだ。 G

実は@よりも上流
と思われる暗渠。
辿れた最後は、梨
畑の中にあった。

一応、2つともその大元を辿っていったが、橋の欄干にはっきりと「芝川」と明記してあったのは、(2)の末広側の流れであった。(3)のほうはもっと下流を辿っていれば違ったのかもしれないが、2つとも同じ名前を明記してあると混乱を来すのは容易に予想できるので、あるいは(2)こそがホントの芝川の源流と言えるのかなと思った次第だ。

芝川も綾瀬川も、生活排水が垂れ流しっぽくなっていて、源流であっても汚く臭かった。元々は田畑の水を捨てる水路で、どっちみち排水路的な運命があったのだろうとはいえ、そこに人々の生活が加わった結果、どっかで「汚いものはより汚くなる」的な運命を背負わされた都市河川。こんな川ほど哀しく空しいものはなく、きれいにするなんて至極難しいことなのだろう。人の人生と同じく「元通りにきれいさっぱり昔に戻る」なんてことはどだい無理なことなんだろうが、それならばせめて「これ以上汚さないようにするには、どうすればよいか」という視点で各人ができることを取り組んでいき、かつそれを未来永劫続けていくしかないのであろう。自分を生かしてくれる自然界へのせめてものささやかな恩返しとして。(第1回―綾瀬川・芝川の源流へ― おわり)


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