8時45分,八丈島空港到着。天気は曇り空で風も強い。ロビーで本日レンタカーを借りるトヨタレンタカーの男性従業員を見つけて,一路営業所に向かう。乗っている銀のヴィッツが,本日私が乗る車だ。車内で,去る4月に風雨で飛行機が飛ばずにキャンセルしたことを話すと,4月は風雨が強い日が多かったという。そして,先週の頭も荒れ模様だったそうだ。
営業所に着くとおばちゃんが応対してくれる。手続を済ませると,観光地図を渡され,それに丸をつけながら彼女は,淡々と島内の見所やルートを説明してくれる。
島の地理の説明をここですると,八丈島はアイスクリームを食べるときの“木のへら”のような形をしている。細いほうが北で,こっちの中心には八丈富士がある。一方,太いほうが南。東から西に時計の反対回りで向かうと,まず登龍(のぼりょう)峠。そこを超えて末吉(すえよし),中之郷(なかのごう),樫立(かしたて)の順で観光地があり,プラスその中心部に三原山がある。その間のくびれたあたりが島の中心地。東側に三根(みつね),西側に大賀郷(おおかごう)という集落。空港やレンタカー屋はその二つの集落の境目に位置する。私としては,南側を先に東から西に向かって回り,次に北側を西から東に回る,というルートを考えていた。
さて,おばちゃんの説明では島は1周3時間ほどでまわれるそうで,丸をつけてくれた八丈富士,大賀郷の歴史民俗資料館,樫立のやや北にある好眺望の大坂トンネル,中之郷のTEPCO地熱館などを見て,7〜8時間ほどだという。どんな周り方をするのか聞かれたので,予定ルートを話すと,まず最初に走ろうと思っている登龍(のぼりょう)峠の道を指差して,「この道はこっち側から行くと,“いろは坂”の小さいような感じで,結構大変です。下りるときは楽なんですけども――ま,登れるんですけどね――。なので,逆回りにされたほうがいいと思います」と言う。実は,昼飯を樫立にある「いそざきえん」という所で食べるつもりなのだが,逆回りになるとその「いそざきえん」に早く着きすぎてしまう。こういう地元民のアドバイスは聞いておくとベターなのだが,今回は自分のルートを優先させていただくことにする。
ふと,ナンバープレートを見てみると「品川」ナンバー。何だか,不思議な気持ちになる。
9時ちょい前,出発。まもなく三根の市街地に入るが,ちょこっちょこっと商店が見えるくらいで,大したものはない。時間的にも早いからシャッターも閉まっている。
間もなく,登龍峠への道に入る。市街地は有に片道1車線ほどあった道幅は,ギリギリ片道1車線になり,周りは森となる。そして“いろは坂の小さいような感じ”の表現よろしく,勾配は急になり大きく蛇行し始めた。もらった地図では,この辺りは小さく波を打って描かれているが,なるほどよく捉えていると思う。しかも入口の道路情報では「落石の危険性あり」だそうから,何と言うか“雰囲気”が出てきている。ちなみに島内を走るバスは,この峠道だけは通っていない……というか通れまい。
15分ほどして登龍峠に到着。標高312m。ちょいとした駐車スペースから景色を見ると,右に海。天気ならばその向こうに三宅島が見られるそうだが,曇り空で残念ながら何も見えない。で,その左にいま通過した三根集落があり,陸は三根集落に向かってなだらかな下り斜面となっている。その三根の向こうには八丈富士。富士の上は霞かがっている。そして三根集落の左・大賀郷の向こうにも海が見え,その向こうにはボンヤリながら八丈小島を見ることができる。峠の名前の由来は,下からこの峠を見上げると,竜が昇天するように見えることから。こうやって景色を見ていてふと思い浮かんだのが,下世話ながら女性の胸である。八丈富士と三原山という二つの“乳房”があって,三根と大賀郷は“胸の谷間”にあたる位置だ。ふと上を見上げると,飛行機がその“谷間”から飛んでいく。
さらに先へ進む。峠というからには最高地点かと思ったら,さらに5分ほどは上り坂となる。やがて先の赤い木の棒が立っていてそこからはずっと下り坂となる。その棒がおそらくは最高地点の印なのだろうが,朽ち果てていて何も読み取れない。この辺りでは,すっかり道も車1台通れるかどうかぐらいの幅。山道らしい山道である。
下りの山道と格闘すること15分,再びゆったり片道1車線の道になると,まず最初の観光地・末吉集落に入る。小さい看板で「尾越の水汲場」と書いてあり,そっちへ左折すると,道はギリギリ車1台が通れるほどの小道になる。そして予想通りのクネクネ感。果たして入る道を誤ってしまったかと思ったら,5分ほどで水汲場に到着する。
その水汲場は,例えれば石のバスタブみたいな感じ。横幅は2mほど,奥行き1m,深さは50cmほどか。上には樹木が茂っていて,水がトロトロと,いくつか小さい筋になって落ちている。中の水は半分ほどで,木の葉やビニール袋が浮いていて,脇には柄の折れたひしゃくが無造作に置かれている。近くの看板に「水質もよく,水量も豊かで現在も使われていながら原型の保存状態もよい」と書かれているが,一体いつごろの話だろう。文化財指定を1976年に受けているが,そのころの話だろうか。少なくとも平成の今では到底そうは思われない。もうさすがに上水道が完備しているだろうし,第一,今も使っていて,こんな汚くするはずもないだろう。
しかも考えてみると,安定した水量が欲しいならば,井戸を掘るほうがベターだろう。南部は湧水が豊富だというし,今の水の筋だけで水汲場として成立するのかすら微妙になってくる。あるいは昔はもっと水が“バスタブ”の中から湧いたり,上から激しく水が流れ出ていたのだろうか。考えれば考えるほど謎だが,最初に水源を発見し,そこから水をひいて水汲場を作ったというのが,一番あり得る話だろう。ちなみに八丈島では,水汲場中心に集落形成がなされていて,この水汲場は考究には貴重な資料だというが,いつ頃作られたのかは,残念ながらガイドブックやインターネットで見る限りは不明である。
再び末吉の集落に戻る。交番や小・中学校,公民館などを見て,「←八丈島灯台」の看板。左折すると小さいスーパーを右に見て,道は右にカーブするが,灯台は左にある狭い道を入る。そのどんづまりに白亜の灯台が見える。車は手前にある施設の駐車場に停めて灯台に向かうが,人はまったくいない。景色は……ま,海が見えるねって感じだ。
車を西に進めて10分,名古(なご)の展望台に着く。看板もテキトーに作った感じのもので,駐車場も広さはあるがジャリのスペース。雑草も生え放題。コンクリートで線が引いてあるとかいうことは,一切ない。そのくせに一歩入口に入ると,左に「大人200円」とある。なんと入場料を取りやがるのだ。ボッタクリと思ってしまったが,ふと「200円でボッタクリもないか」と思い直す。しかし,管理人室みたいな小屋には人はいない。そのまま中に入ると民家があり,開け放たれたドアの向こうに女性が1人座っている。こっちは見ていない。このまま黙って入ろうとしていたら,いきなりその女性が出てきて「いらっしゃいませ」。奥のほうまで見る所があるようで,また焼酎の無料サービスもあるとのこと。
民家と直結している粗末な土産屋の前から,下にちょこっと降りる階段があり,そこを降りると下に港,右に鬱蒼とした緑の断崖。その中に一筋の滝も流れている。港は洞輪沢(ほらわざわ)港。さっき八丈島灯台に行くときに分かれた右へのカーブをそのまま行くと,この辺りに出る。近くには温泉もあるようだ。滝は名古の滝。ガイドブックにも載っている景色――もちろん見る価値はあるが,これで200円を取られるのはやはり腑に落ちない。それにしてもあの女性は,まさかこの200円の積み重ねだけで暮らしているわけでもあるまい――旦那さんがいて働いているだろうから――し,小遣い稼ぎみたいなものだろう。言っちゃあ何だが,ここよりも美しくてかつ無料で見られる景色はいくらでもある。ったく,「おいしい」を通り越して,いささか「理不尽」な商売だと思う。
さらに奥に進むと小さいソテツ林になり,向こうに木のデッキが見えるが,その前に右に木と竹でできた小屋。高さと奥行きは2m,横幅は3〜4mほどか。その中にはヤギ1頭。これも200円の中に入っているのだろうか。で,デッキからは……林が邪魔で海がいまいちよく見えない。遠くにさっきの白亜の八丈島灯台が見えるが,これではさして見る価値はない。
再び土産屋の前に戻ると,入口に石でてきたようなポット。これが飲み放題の焼酎だ。島酒の「情ヶ嶋」というもの。おちょこで一杯だけ口にするが,味はよく分からない。焼酎はあまり好きじゃないし,何しろ車だから,これ一杯にとどめて出発する。客は最後まで私1人だった。
車をさらに進める。道は山の中に再び入り,海とはしばしお別れ。ここ3日くらい,普段6時45分起きのところ,朝5時前後に目が覚めてそれ以降寝付けない状況。しかも今日に限っては,前日22時に寝たのに,夜中の2時に目が覚めて,それ以来ウツラウツラという有様。加えてさっきの「情ヶ嶋」の一杯で,かなりどーでもいい気分になってきた。
10分ほどして「→TEPCO八丈島地熱館」の看板。んでもって,上り坂をしばらく進むことになる。周囲はマーガレットだろうか,白と黄色の花がキレイに植えられている。その花道を少し進んで,道が左にカーブするあたりで,「←TEPCO八丈島地熱館」の看板。そのまま行くと発電所の入口。白い煙が立っていて,遠くに巨大な白の3枚羽の風車。果たして入口を間違えたのかと来た道を戻って,先ほどの「←TEPCO八丈島地熱館」の看板に戻る。
まっすぐには,急で狭い山道が伸びている。で,左にカーブする道との間に同じような小道がもう1本ある。看板はこの小道の後ろに立っている。ということは,この小道に入るものなのだろうか。苦労して少し入るが,どうもこれも違う。前には野良作業をしているおじいさんが怪訝そうな顔をしているので,あわてて方向転換。再びさっきの発電所に向かうと,何のことはなく,地熱館はその発電所の敷地内にあった。こんなおバカも「情ヶ嶋」と寝不足のせいだろうか。
さっそく中に入る。“TEPCO”の名の通り,ここは東京電力のれっきとした発電所。資料館では風力発電と地力発電の仕組みが分かる。理科好きにはおすすめスポットだろう。入口で,黒地に緑で八丈島の形が入った直径3cmほどの小さい記念プレートをもらうが,「地下の圧力を体感」という体験コーナーでは,このプレートを引き出しみたいな箱に入れ,目の前のレバーを引くと,「プシュー」と音を立ててプレス機みたいな機械が下に向かって動く。で,さっきの引き出しからプレートを取り出すと,摩訶不思議,緑の島の部分が,ちゃんと八丈富士と三原山の辺りはふくらんで,地形そのままに隆起して出てくる――ま,それだけなのだが。
もらったパンフレットによれば,さっきの風車は高さが44mで,3枚の羽(ブレードという)は長さ20.15m。こじんまりとした発電所には不釣り合いなくらいバカでかい――なんて,いまいちな評価をここまでしてしまったが,今パンフレットを見てわかったことは,ここは我が国で最初に風力発電の営業運転を開始した由緒正しき場所ということ。もう一つ白い煙を立てているのも,これまた東電初の地熱発電所とのこと。ド素人のこんな評価を東電の人が見たら,さぞ私の家だけ,夏の暑い時期に停電にしてしまいたくなるのではないか。
外は心なしか硫黄臭い。ガイドブックで見たら,北にそびえる三原山の中腹に硫黄山という山があって,その名の通り硫黄が地表に露出しているそうだ。風の強さも手伝って,臭いがここまで流れて来ているのだろう。ちなみに,三原山も死火山である。
次は黄八丈だ――と,だしぬけに書いてしまったが,絹織物である。地熱館から元の道に戻って西に少し進むと,中之郷集落。飲食店や食料品店もある少し大きな集落だが,そこをさらに通過すると,右に樹木の中で大きなバスが停まっている駐車場を発見。人も結構いて中に入ってみると「黄八丈め由工房」という工房。先日行った奄美の大島紬村が思いのほか面白かった(「奄美の旅」第4回参照)ので,その勢いを借りて入ってみたのだ。ちなみに,見かけたバスは島内を走る観光バス。豪華さとはかけ離れた,そっけない送迎バスのようなバスだ。初めはこのバスを利用しようと思っていたが,いろいろと見たいものを見られるのでレンタカーに切り替えた。観光バスにはそれほど客は乗っていなかったようだ。
さて,中に入ると土産コーナーと,その向こうで女性が数人,機織機の前で作業をしている。こっちは機械が10台ほどあろうか,結構大きなスペースである。しかしここにはガイドの説明はない。観光スペースというよりは,かなり「工房」というコンセプトに限定している。ふと,土産コーナーでネクタイの値段をちらっと見たら1万2000円とあった。眠気で他のものをしっかり見られなかったが,価値としては大島紬とどっこいどっこいというところだろう。機織機のあるスペースには上がっていけるみたいで,上がって説明を受けている観光客もいる。
その他では,工房に併設された家にはガーデニングがなされていて,いろいろと花が咲き乱れている。自らの花の知識が乏しいのが哀しいが,見る人が見ればすごいものなのだろう。素人の私にも色鮮やかに映る。そう言えば工房にいるスタッフはみな女性だったと思う。そんな彼女らならではのセンスだろう。そしてその脇にはプレハブの作業場みたいなのがあり,中をのぞくと桶の中で液体がグツグツ言っている。近くの桶には黒っぽい液体が入っていたから,染色用の煎汁を作る部屋だ。
黄八丈とは,名前の通り黄色が主体で,そこに「樺色」と言われる明るい茶色,プラス黒と白の計4色で格子柄に織られた物だ。製法を書いていこうと思うが,ここでは紙幅(?)と気力の都合で,黄八丈のみに触れていくことにする。
製法としては,「奄美の旅・第4回」に書いた大島紬と同じような要領。煎液を作ってそこに絹糸を漬け込み,その後別の液体等に漬けて化学反応を起こさせると色が変色する。この化学反応による変色を「媒染」というが,文章で3色それぞれの糸の作り方を全部書いていくと気が狂いそうなので,以下のように簡単にまとめてみた。
煎汁の素(それに漬ける回数)
媒染(その回数)
黄色 コブナグサ(野草)(十数回) ツバキとサカキの灰汁(1回)
樺色 タブノキ(樹皮)(十数回) 囲炉裏(雑木)の灰汁(2回)
黒色 椎の木(樹皮)(十数回) 泥田の鉄分(5回)
織り方はこっちも手織のみ。縦糸と横糸とを一本おきに交差させるもっとも基本的な「平織」か,組織り点が斜めの方向に連続して,斜線状をなす織り方の「綾織」で織られていく。一反の長さは島の名前の通り「八丈」で,今の長さで24m。黄色い織物で八丈の長さだから「黄八丈」というわけだ。ベースの黄色には,江戸時代は「不浄を除く魔よけの色」として医者が重宝したというエピソードもある。
最後に「め由」という名前。この工房で現役で活躍する黄八丈職人・山下八百子氏という女性のお姉さんの名前。お姉さんも職人(故人だったと思う)。八百子氏は東京都の無形文化財技術保持者になっている。島内に残っている3軒の織元のうちの,貴重な1件なのである。
「め由工房」を後にして,さらに西に進むと樫立集落。時間は10時55分。ここ樫立にある「いそざきえん」は11時の開店。微妙な時間だが,どこかもう一つ見るところはないかと探していると,「服部屋敷跡」というのが近くにあったので入ってみたが,屋敷跡というよりは土産屋か工房なのかよく分からない施設だったので,とっとと出る。ガイドブックには「入園料350円」と書いてあったが,何も取られなかった。金を取られるエリアまで入っていかなかったのだろうか。
さて,いよいよ「いそざきえん」だ。路地を1本入ったところにある。敷地側と道路をはさんだ反対側に駐車場があって,すでに車が数台停まっている。その脇で女性が数人野良仕事をしているが,店の従業員なのだろうか。
建物はというと,家が2棟あり,左にはどう考えても民家のような建物。そして右には,木造の古めかしい建物に,増築したと思しきキレイな木造の建物。敷地内はガーデニングされていて,入口にガジュマルの木がそびえる。そのたもとに看板があり,極太のごっつい書体で「いそざきえん」の文字。南国の大らかさが漂ってくる。
さっそく建物に近づくと,木造の建物がどうやら食堂のようだ。何の細工もされていない,拾ってきたままのような木に囲われたドアから中に入ると,敷居の高い廊下と狭っ苦しい玄関。部屋は障子で閉ざされている。左側を見るとキッチンのようで,仕込みなのだろうか,人が何か作業をしている。だが,こっちの気配には一向に気がつかない。再び外に出てしばらく眺めていたら,野良仕事をしていたと思しき女性が1人,こっちに向かってくる。声をかけると,「どうぞ」といって部屋に招き入れてくれる。
この「いそざきえん」は,島の名物・御赦免料理を食べさせてくれる店だ。来たからには,当然狙いはそれである。御赦免料理は,この八丈島に流刑で流されてきた人たちが刑を解かれたとき,島の人たちがそれを祝って振舞ったのがルーツ。ガイドブックで予習していたのだが,島の名産のくさや,あしたば,海苔などに加えて,刺身盛や麦雑炊がつく,写真で見ると色鮮やかでボリューム満点な料理のようだ。果たして1人で食べきれるかどうか。
中は10畳ほどの畳の部屋が二つあるが,人はだれもいない。あの駐車場の車は女性たちのだったのか。少し拍子抜けしてしまう。さっき声をかけた女性が持ってきたメニューを見ると,それは年季の入った茶色いしわしわの和紙。「黒潮料理」というのが1500円であるが,女性は開口一番,「お1人だと『黒潮料理』のみとなってしまうのですが」と言ってきた。メニューを見ると,御赦免料理は2人以上の注文と書いてある。値段は5000円〜。この「〜」というやつ,いろんなオプションが可能ということか。ちなみに,「黒潮料理」に刺身盛か魚の塩釜がつく2500円の「寿料理」,さらにその両方がつく3500円の「ショメ料理」も,2人以上から。御赦免料理というのは,要するにベースとなる黒潮料理にいろんなオプションをつけまくって豪華絢爛にしまくった総称を差すようだ。あとサイドオーダーに,同じく島名物の「島寿司」があるけど,これも予約制。選択肢はほぼなく,「黒潮料理」を注文することに。
中には至る所にサインが飾られている。といっても,ほとんどが知らない人ばかり。唯一分かったのは水野晴郎くらい。中をウロウロすると,テーブルは全部で八つ(四つ×2部屋)。うち一つは長方形の皿ですでに煮物らしき料理が置かれている。予約の客がいるのだろうか。建物自体もかなり年季が入っている。そういった建物の古めかしさも,この店での食事に趣を添える。
10分ほどして,料理が出てくる。小鉢に入ったのはあしたばのおひたしとあしたばこんにゃく。前者はごま和えで,パッと見はほうれん草と変わりない。後者は酢味噌和え。いずれも青臭さと独特の苦みがあって,好き嫌いが分かれるだろう。プラス小皿に,岩海苔ととさか海苔。前者は言わずと知れたやつ。後者はとさかのように赤い海苔。こっちはまあ普通の海苔や海草といったところだ。
そして,長方形の皿に乗っているのは5種類。さといもの煮物――これはそのまま。きんぽ――さつまいもを自然乾燥させて小豆を炊き込んだ島流のきんとん。これもまあ芋と豆を合わせたもの。かみなり大根――大根をひと干しし,かみなり切りにして乾燥する。それを煮込んだものだが,女性ははっきり「きりぼし大根」と言っていた。その通りの味だ。ムロアジの煮付け――これは直径数cmの小さな塊で,ご想像通りの味だ。はば海苔――幅が広いから。味はこぶに似ている。
刺身――メダイとキハダマグロだと言っていたが,そういう魚の刺身である。私のは普通の刺身皿だが,ちなみに予約料理につく刺身盛りは,もっと大皿に色鮮やかに盛られてくる。赤いハイビスカスが飾られていて南国ムードたっぷりである。
麦雑炊――丸麦,さといも,細かくしたあしたば,海苔,椎茸などが入った味噌ベースの雑炊。12〜13cmの土鍋に入って出される。3杯くらいはよそれるヴォリューム。しかし味はほのかな塩味といった感じ。色が少しベージュに濁っているから味噌なのかなと分かるくらい。でもこれが一番美味かった。八丈こうこう――たくわんの2年漬け。単体では凄くしょっぱい。雑炊と一緒に食べるとちょうどいい。
ちなみに,予習に使ったガイドブックでも,ここ「いそざきえん」が取り上げられている(あと三根にある「梁山泊」という店も)。ここでは御赦免料理の紹介で,カツオの酒盗やクサヤ,オクラ,貝の焼物など,まったく違った料理が説明されているが,この差は一体何なのだろうか。店によって御赦免料理が違うとも思えないし。
話を戻す。ちょうど私が食事をしていると,老夫婦が入ってきた。予約はしていない。彼らは「寿料理」を結局注文したが,ちょい上品な感じの奥さんのほうが,しきりに「島寿司」がないのか聞いていた。そのたびに店の女性は「予約でしか……」と言ってくる。老夫婦としては,何とか1人前だけでも出させたかったのだろうが,それは叶わなかった。
すると,今度は何と11人のお客。どうやら運転手みたいな男性1人が,代表で来ているようだ。よく,テレビの暴力団関係者インタビューとかで,プライバシーを隠すためなのか怖いイメージ付けなのか,わざと声が低くドスが利いた感じになっているのがあるが,まさにあんな感じの声で,いろいろと注文を投げかけてくる。障子が閉まったままなので,なおさら迫力が出ている。いわく「いま『ふれあいの湯』(注・店の近くにある公衆浴場)にいるんだけど,あと30分くらいで連れて来るから。それまでに…えーと……麦雑炊5人前と,あと島寿司6人前ほど……」「島寿司は予約でないとできないんです」「あ,何人前くらいなら作れます?」すると,何と「まあ……5人前くらいならば何とか……」と言ってきた。障子が閉まっていたので男性の姿は最後まで見なかったが,ドスの利いた声に屈したのだろうか。男性は注文をしてとっとと出て行ってしまったが,そのあと厨房から男主人なのだろうか,「出て行かれちゃったら,注文どうやって聞くんだよ!」と,明らかにキレた口調の声が聞こえてきた。
すると,さっき島寿司をゲットし損なった老夫婦の奥さんのほうも,「なんだ。あったんじゃない……」とつぶやいた。このあとこの畳の部屋で何が繰り広げられるか分からない。修羅場にならぬうちにとっとと出ることに。会計をしようと障子を開けるが,誰の応答もない。厨房に人気はあるが,声をかけても反応してくれない。もうこうなったらこのままただ食いで出てしまおうかと,ドアを完全に開けて外で待っていると,やはり野良仕事をしていたと思われる別の女性がこっちに向かってきた。声をかけると,彼女は厨房に声を掛けてくれて,さっき一番最初に声をかけた女性が出てきた。ったく,のんびりしているのか,あるいはさっきの11人分の注文にバタついているのか分からないが,最後まで私は放ったらかしみたいな感じだった。でも,「老夫婦vs運転手vs店」の結末や,いかに?(後編につづく)
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