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「演劇制作・オフィス樹」+「北海道笑ってもいいんでない会」
提 携 公 演



「演劇制作・オフィス樹」特別落語企画 札幌ライブ No.3

「北海道笑ってもいいんでない会」笑い研究会 No.19

テーマ『 落 語 と 漱 石 』


見 聞 読 1  文 無銭


日 時:2000年10月21日(土)
    開場17:30 開演18:05 終演20:45
会 場:札幌市かでる2・7 4階 大会議室
共 催:演劇制作集団「オフィス樹」
共 催:日本笑い学会北海道支部
     「北海道笑ってもいいんでない会」
入場料:秘(?千円)


番 組:落語 転失気     窓輝
    落語 権助魚     窓樹
    落語 お花半七・上下 圓窓
      中入り
レクチャー「落語と漱石」
        講義      圓窓
        朗読      窓輝
    落語 寝床       窓樹 


 この札幌ライブは過去二回オフィス樹の主催で札幌で開かれたオフィス樹 札幌ラ
イブの三回目として開かれましたが、今年は日本笑い学会北海道支部 北海道笑って
もいいんでない会の第19回笑い研究会としても、北海道笑ってもいいんでない会の
中の話芸史研究分科会の担当で開かれました。
 過去二回は”落語と民話”がテーマでしたが、今回は”落語と漱石”というテーマ
で明治文学史にかかわる重大な内容も圓窓師匠に盛り込んでいただきました。
 ただの落語会とは違う(入場料はきちんと頂いています)ところが、圓窓師匠の落
語会です。


 当初のプログラムでは〔圓窓・窓輝〕という親子会でしたが、圓窓師匠が風邪をこ
じらせて体調不十分につき、急遽、窓樹さんを応援としてお供に連れてきました。
 窓樹さんはそのお役目を立派に果たしました。(窓樹さん、見てますか、このペー
ジ?)
 風邪で苦しんでいた圓窓師匠には申し訳ありませんが、今回一番得をしたのは、三
人もの噺家を堪能したお客さんと、大いに実力を売り込んだ窓樹さんではなかったで
しょうか。
 圓窓師匠から「次に真打ちになれるグループにいる、、、」と、紹介がありました
が、お客様は当然のことと納得していました。


 窓輝さんの[転失気]、聞くのは二度目と思いますが、こなれて一段と良くなりま
した。途中で「ブーブー」の言葉が出ましたので「ここで仕込んだのかな? どうす
るのかな」と思っていましたら、オチは別のものが綺麗に用意されていました。
 一つだけ気になりましたのは、時々、袖の楽屋(とは名ばかり、急ごしらえの衝立
の陰)に、ちらちらと目をやるのが目立ちました。
 いつもの寄席と違い、急拵えの高座ですので、勝手が違ったのでしょうか、時間を
気にされていたのでしょうか? それとも、衝立の陰には、一体なにが?(笑)
                (圓窓のかげの声「窓輝に注意しておきます」)
 続いて上がったのが、プログラムには載っていない窓樹さん。
 圓窓師匠がお風邪なのを知っていたうちのカミサンが思わず後ろを振り返って私を
見ました。後で聞くと「圓窓師匠が出ないのか」と思ったとのこと。「金返せ」とで
も言うつもりだったのでしょうか?(笑)
 窓樹さんの[権助魚]はテンポよく、会場を湧かせていました。
 買った網取り魚には、すけそうダラとニンシを入れて、札幌を意識した心憎い演出
と見えましたが、いつもタラとニシンをお使いなのでしょうか?
                  (圓窓のかげの声「いつも使ってますよ」)
「タラが一人ではさびしいから、ニシンを誘って」は納得して笑えました。 


 次に圓窓師匠、風邪のお詫びから始まりましたが、風邪を思わせない、さすがは貫
禄の高座。お花の親戚が(『肥後の熊本』と言うのを)札幌に引っ越して(?)お客
へのサービスも忘れません。
[お花半七]の上を語り終えたところで、中入りに入らずに、圓窓師匠はそのまま高
座に座ったまま。
 圓窓師匠から、「[お花半七]、別名を[宮戸川]、しかし、ほとんどは上の部分
しか演じられず、何故に[宮戸川]かがわからない。今の噺の上では『宮戸川』のみ
の字も出てきません」と解説があった。
 続いて「その謎解きのために、[お花半七]の下をかいつまんで、」と、下が始ま
ったが、そこは圓窓師匠、かいつままずに、ほとんどそのままお演りになったように
お見受けしました。


[お花半七]の下、ネタ本では読みましたが、生で聞いたことがあるのか否か、記憶
に定かでありません。本当は下座から音が入るのでしょうが、用意できませんでした。
 上も下も演りようによっては、どぎつくなるところがあると思いますが、圓窓師匠
はさらりと上品にこなしていました。
 そして、オチ、「夢は小僧の使い(五臓のつかれ)」では全くわかりづらい所を、
夢からさめてお花の身を案ずる半七の心情が実によく描かれたすばらしいオチに変わ
っていました。(圓窓のかげの声「[愛宕山]の落ちを拝借したのです」)
[宮戸川]に投げ込まれるというおどろおどろした噺が、お花と半七の夫婦愛に彩ら
れた清々しい素敵な噺に生まれ変わっていました。
 オチ一つでかくも変わるものですね、[お花半七]を象徴するオチでした。
 ここで中入りと思っていましたら、圓窓師匠はまだ高座に座ったまま。
「中入り後、今の[お花半七]をもとに、レクチャーをします。忘れないでください」
 と予告をしてから高座を下りるではありませんか。


 レクチャー”漱石と落語”。この題名でどのような話になるのかは、一切わかりま
せんでした。そして[宮戸川]との関連は果たして?
 窓輝さんの朗読をまじえて笑涯楽習が始まります。
[宮戸川]の上で良く出てくる「木曽殿と背中合わせの寒さかな」の句がまず槍玉、
もとい、題材に上がりました。(笑)
 この句は、円朝の作品もに出てくることなどが紹介され、本来の句の意味と別に使
われていることの説明がありました。HP「だくだく」でも紹介されてます。
 ついで、お待ちかね[宮戸川]、そして「漱石」との関連、[宮戸川]の「背中合
わせ」の状況が「三四郎」の冒頭に出てくることのお話が続きます。
 三四郎は同宿を頼まれて、やむを得ず背中合わせに寝た女性の名前を宿帳に「お花」
と書きました。落語好きの漱石の頭の中に[宮戸川]があったであろうことは十分推
測出来るとの説明に全員うなずく。
 ここで終わらないのが圓窓師匠の圓窓師匠たるゆえんです。
三四郎=半七の謎解きが始まります。
「三に四を足したらいくつでしょうか? 七ですね。それだけではありません、サイ
コロの目、偶数は丁。では、三と四を足した奇数の呼び方は? 半ですね」
 見事「半七」の出来上がり。
 三四郎の冒頭部分を窓輝さんが朗読。
 慣れない朗読お疲れさまでした。打ち上げの時に、窓樹さんも「やらされたことが
ありますが、ありゃ大変で」と。


 最後は窓樹さんの[寝床]をたっぷりと聞かせていただきました。
 時間が少し押し気味でしたが、ピッタリと納めていただきまして、有り難うござい
ました。一つのブレもないしっかりとした高座でした。お馴染みの噺、皆さん心ゆく
まで味わっていました。いますぐ真打ちになっておかしくない実力です。
「窓樹大いに売り込む」の巻でした。(笑)


 打ち上げは、圓窓師匠は大事をとってホテルでお休み。窓樹さんと窓輝さんにお疲
れの所をお出で頂きました。お付き合いいただきまして、有り難うございました。
 すっかり人気者になった窓樹さん、来年の真打ちのあかつきには、「また札幌で高
座を」という話で盛り上がっていました。
 その責任者の名前はしっかりと覚えていますから、真打ちになったときに住所氏名
連絡先を窓樹さんにお教えします。後ろ幕の一枚でも、たっぷりのご祝儀でも、じゃ
んじゃんとねだってやって下さい。(笑)
 窓樹さん、このページ、ちゃんと読んでますか?(しつこい)


 窓輝さんは最初正座のまま、「弁当を途中で片付けられちゃった」と言う割にはあ
まり箸が動かない。せっかく師匠がいない(笑)という機会なのに遠慮をなさったの
か、焼きそばとおにぎりセット(おにぎり3個)以外は、ウニもイカ刺しもあまり召
し上がらなかったように思います。
 来年、窓樹さんの真打ち昇進の時には窓樹さんに蟹、窓輝さんにお肉を用意してお
きます。圓窓師匠には、、、(カニ→ニク→?)
                      (圓窓のかげの声「風邪薬でも」)





見 聞 読 2  文 圓窓


 ロビーで皆さんにお礼の挨拶をしていましたら、妙齢な女性があたしに近付き、”
漱石と半七”のことでいい意見を言ってくださったのです。
 つまり、あたしは、漱石の「三四郎」という名前から、落語の「半七」という名前
を割り出したのです。
 3+4=7 しかも、博打では奇数だから、半、と。
 しかし、それは、圓窓サイドからの見方でしかなく、本来、漱石は小説を書くに当
たって、落語の「半七」という名前から、「三四郎」という名前を作り出して、小説
の主人公の名前としてだけでなく、タイトルにまで使用したはずです。
 あたしはそのことを素通りしてました。漱石サイドに立つべきなんです。
 その妙齢な女性はそのことをあたしに言ってくれたんです。「「半七」から、「三
四郎」を割り出しましょう」と。
 「「半七」だから、七を半分にしましょう。二等分にすると、「3.5」「3.5」
。さんてんご郎、これじゃ名前にならない。
 一歩譲って、三五郎、にすると色っぽさに欠けて、まるでヤクザ者になってしまう。
 ですから、漱石もそれに気付いて、二等分ではなく、7をアバウトの二つに分けた
(半分に)のです。3と4に。
 「半七」の「七」を「二つにわけた(半分に)」て、「三四郎」。
 漱石もそう考えたに違いありません」


 てなことを、ロビーであたしに言ってくれたんです。
 その場では深く理解する思考力のなかったあたしは、時間が経つに従って、この説
に興奮してきた。
 「この説のほうが漱石に切迫している!」
 

 無銭さん。その妙齢なる女性を捜してください。
 お礼をしなければなりませんので、、、、。
 可愛い丸顔で二十代と見ましたが、、、、、。
 この説は漱石研究家も誰一人気付いていないことです。
 この説を知ってんのは、その妙齢なる女性とあたしと、このHP「だくだく」を読
んだ人々だけでしょう。





見 聞 読 3  文 北大落研の某OG


 ひさしぶりにプロの噺を聞きました。
 圓窓さん、ちょっと体調が悪かったみたいですが、話しているうちに、のってきて、
自分の世界に入ったなぁと思われました。
 若いお弟子さんは元気でうまいけど、やはり、師匠の域に達するまでは、まだまだ
時間がかかりそうですね。
 圓窓さん、実にいい味出していましたね。年を取るのも悪くないなぁと・・・しみ
じみ思いました。
 廊下で、圓窓さんに「よかったですぅ」と声をかけたんですよ。


(( 圓窓のかげの声 ))
「いい客質に助けられました。
 あのぅ、、、『年を取るのも悪くないなぁ』とのことですが、やはり、あたしは年
寄ってますか。(笑)
 それがいいと言ってくれるのならば、あたしもその気になって、頑張ります。
 そう言ってくださる女性だけを集めて、決起グループを(笑)」