世界中を歩いてきましたが、メキシコはいろいろな意味で忘れられない土地になりました。
旅行とちがい、そこに住んだという経験が何よりも印象に残ります。知り合った人々の一人ひとりの顔が今でも心に残っています。
そして何よりも強烈な想いは、現地で突然の病気になり心臓手術を受けたことです。
担当の医者は、僕の患者の中で君が一番若いね、と言って笑いました。
生きて帰れただけで、みなさんに感謝感謝です。
旅行作家としての十数年の間、色々なことがありました。
南米では人ごみの中でスリに遭い、その犯人の腕をつかみ、すごい人だかりの中で警官に引き渡したり。
夜中タクシーで帰る途中、テロ警戒中の軍隊に疑われ、頭に銃を突きつけられ縮みあがったり。
アジアでは、こともあろうに警官ふたりにピストルで脅され、小銭を盗られたり。
ちょつとした行き違いで降りたばかりのタクシーに轢き殺されそうになったり。
ヨーロッパでは、五つ星ホテルのフロント係と、約束していた料金のことで取っ組み合いの喧嘩になったり。
アフリカでは、組織的な窃盗団のアジトまで連れて行かれ、身ぐるみ剥がされそうになったり。
アンデスの雪山の上空で、乗っていた飛行機のエンジンが急に止まり、大パニックになったり。
インドで罹った赤痢で、一週間熱にうなされたり。
アジアのジンマシンだらけの猛烈な食中毒など。
これらすべて幸いなことに大事には至りませんでした。
しかし、メキシコでの心筋梗塞では危なかったのです。
手術は少しも怖くはなかったのですが、その後の数ヶ月が、死ぬ思いをしました。
手術痕からの激痛と、ヘモグロビンの急低下で体中が酸素不足、しかもメキシコは高地なので、酸素濃度が元々薄いのです。
激痛と息苦しさで、眠ることさえ出来ず、どんどん細って行きました。もちろん歩くことなど出来るはずもありません。危ない目にはたくさん遭いましたが、この時ばかりは、もう日本には帰れないと、真剣に思いました。
しかし、神様はいるものです。それを聞きつけたMさんの奥様が日系の方々に輸血を申し入れてくれました。4人分ほどの量がいると医者から聞いて、早朝から採血して下さったそうです。
血液病院に救急車で運ばれ、採りたての新鮮な血液が輸血されました。
輸血には6時間がかかったのですが、2〜3時間経ったころ、ガタガタと震えていた身体に、少しですが暖かさが戻ってきました。
輸血が終わるころには、ポカポカとほてり出しました。そして驚いたことに、終わった直後に歩くことが出来たのです。
体中に失われたエネルギーが戻ってきたのです。
新鮮な血液を提供していただいた方のうち、Mさんの奥様とお二人の方が輸血室の前で待っていてくれました。
男が涙を見せていいのは、親の死に目だけだ、という江戸っ子の見栄を、小さい時から教えられていたので、母親が逝った時も涙は見せませんでした。
しかし、お二人の顔を見た途端、頬をあつい涙がとめどなく流れ落ちていくのを感じました。死の淵からの生還を実感したのと、言葉にはならない感謝の気持ちからだったのでしょう。
人間どこへ行っても、一人では生きては行けません。その時以来、誰かのお世話になりながら生きているのだと、つくづく思いました。
そんな訳で、メキシコは忘れられない土地になりました。
最後に、入院中たびたびお見舞いに来てくれた、アパートの雑用係で、気立ての良い若いエミリオへ。
その後、不治の病に罹り故郷オアハカに戻り、惜しくも亡くなったと聞きました。あんなに元気だったのに、とても信じられません。本当に残念です。
君の温かい心と、あの優しい笑顔に、もう逢えないかと思うと胸が痛みます。どうか天国に召されますように、心からご冥福をお祈りいたします。
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