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旅とサイクリスト


メーコック川下り

  タートンからチェンライに、スピードボートで川下りが出来ます。
  流域には、多くの少数民族の村があるのですが、写真は、カレン族の住むバンルーミットという村ですが、象使いの住む村としても有名です。

  チェンライ辺りから参加するトレッキングツアーで、エレファントトレッキング・プラス・いかだ下りというのは、たいていここへ来るようです。

  ただ、いかだ下りは、二人だけの時間を持ちたい、という向き以外には、退屈だという話でした。

もちろんバンルーミットにはGHが在るそうですが、周辺の村でも、たのめば泊めてくれるでしょう。




エクスペリエンス

  タートンの南東に、Wawiという村があります。
  この村は国民党の村ですが、周囲に少数民族の村が多く、また山越えの面白そうな道もあるので、行くことにしました。

ツーリストポリスで聞いても、問題ないという話でしたが、途中出会った山猟師は、こちらの挨拶に対し、眼を飛ばしたまま、
「コンディオ?」(ひとりか?)
  と鋭く尋ねてくるし、出会う女性陣は、みな逃げ出すしで、ちょっと気持ちの悪い道中になりました。

  上の写真は、一晩お世話になった、Wawiの警察署前で。

  下の写真は、朝、警察署に、野菜を売りに来たアカ族のおばちゃん達です。

  首に架かる板は、荷かつぎ用の背負子ですが、山道で出会ったときは、首かせに見え、どこか、とんでもない世界に、ワープしてしまったのかなと思いました。




ドイ・メーサロン

  中国国民党の町、メーサロンに通じる道。
  尾根筋をたどりながらの急登が続く。

  せっかくの展望地も、乾期もそろそろ後半に入る2月の初旬では、焼き畑の煙などによる、浮遊塵がただよっているのか、展望はもう一つでした。

  メーサロンに住む中国人は、蒋介石が台湾に落ちる時に後方支援をした、中国国民党第93師団の精鋭という、お話でした。

  またここでとれるお茶は、台湾に渡り、最高級のお茶として、世界中に住む中国人の間で、珍重されているそうです。

  周囲には、アカ族の村がたくさんあり、朝市には、民族衣装を着た彼らが大勢やって来ていました。




ヒンテークを越えて

  クンサー第二の基地があったヒンテークから、さらに西に進むと、ミャンマーとの国境を形成する山並みを背景に、ススキのような草の生い茂る、のどかな道が続きました。

  いきなり草藪の中に気配を感じたので、そちらを見ると、銃を抱えた兵隊が、ぽこんと  座り込んだまま、こっちを見ていました。
  さらに進むとまた兵隊が。
  二月初旬、来てはいけない時期に、来てしまったのかもしれないと思いました。

  ようやくたどり着いたアカ族の住むS村で、村長の家を探していると、若い男がやってきて、
「そんな事は必要ない」
  と言って、彼の家に案内されました。

  その家は、木造、土壁、土間と、まるで中国人の住む家のようでした。
  しかも、この家には、大型バッテリーが幾つもころがり、カラーテレビまで置かれています。
  もっと驚いたのは、日が暮れてから、五百バーツ紙幣の札束を持った男達が大勢やって来て、なにやら談合を始めた事でした。
  しかしその事については、詮索しない方が、よろしいように思いました。
  写真は、ようやく明けた、S村での、ひとこまです。




ゴールデン・トライアングル

  ゴールデントライアングルにあるモニュメント前で。

  何族か解らない、ケバイ服を着た少女達が大勢いましたが、そこへタイ人や白人の団体客が次々とやって来て、彼女たちと記念撮影をしていました。

  一昔前、麻薬地帯として世界に勇名をはせていたところとは、とうてい思えない光景でした。

  しかし、ゴールデントライアングルの、真の中心は、昔も今も、チェンマイだという話です。




チェンセン

  チェンセンの港には、中国からの貨物船が、数隻係留されていました。
  積み荷は、なかなか質の良いリンゴでした。
  それもそのはず、そのリンゴは、青森県が指導をして、苗木まで持ち込んだ「ふじ」なのです。
  雲南でもリンゴを見ましたが、ここチェンセンで見たリンゴには、遠く及びませんでした。
  きっと最高の物が、タイに輸出されているのに違いないですね。




豚の解体作業

  チェンコンの南東に、ラオスとメコン川を、眼下に見下ろす好展望地、プー・チー・ファーがあります。

  そこへ登って行く途中、土手の上にある民家の前で、人だかりがしているのが見えました。

  行ってみると、ヤオ族の人達が、正月用の豚を、解体しているところでした。
  見ていると、腹腔に貯まった血まで、ていねいにすくい取られてゆきます。

  頭と内臓は、道教の祭壇に奉られました。

  食べてゆくように勧められましたが、その日、一体どれだけ登るのか、見当も付いていなかったので、残念ながらあきらめました。



メーホンソン・エリア
タイ東北部

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