(注) この物語に登場する人物・団体などはすべて架空のものです。
俺たちエスペラント部は文化祭で『シンデレラ』の劇をやる予定だ。もちろんセリフは全部エスペラント。沢渡さんが王子様役だったり、俺が女役だったりと、とんでもない配役だけど、練習は順調に進んでいた。
八月後半に入り、美音先輩の補充授業が始まった。夏休み中だが、三年生だけ朝から夕方まで授業があるのだ。それに合わせて俺たちの部活も放課後からになった。美音先輩は朝から登校しているので、夕方、部活に向かうのは沢渡さんと俺の二人だけだ。
二人で電車の時間を合わせていっしょに登校することにした。美音先輩とも時間を合わせたので、俺たちが部室に着いて五分ほどで美音先輩が来る時刻になる。活動時間は前より短くなったが、俺たちは劇の練習をつづけた。
…………。
その数日後。二人で部活に行こうと学校の中に入ると、廊下で知った顔を見かけた。米原だ。
「夏休み中も出てきてるのか」
「うん。実行委員で。そっちは部活? ……二人で?」
「二人なわけないだろう。もちろん先輩もいっしょだぞ」
「うん。三人で文化祭の練習を……」
「そっか。……エスペラント部は劇だっけ? どんな劇?」
「ああ、出演者は少ないけど、それなりの形にはなってるかな。まあ、楽しみにしててくれ。……あっ、俺たちこっちだから」
ちょうど廊下の角が来たので米原と別れて、沢渡さんと部室のほうに向かった。少し行ったところで、後ろから米原の声が聞こえた。
「あっ、久しぶりー。英語部、どんな劇か決まった?」
「うん。シンデレラ!!」と女子の声。
……へっ!? 沢渡さんと俺は思わず足を止め、顔を見合わせた。
もどってみると、さっき別れた米原が、知らない女子と話しながら向こうへと歩いていく。もう会話は聞こえない。
聞こえた内容から考えて、あの女子は英語部の部員。そして、一番重大なことは、英語部も文化祭で『シンデレラ』の劇をやるということだ。
「どうしよう。劇が重なっちゃった」
…………。
部室に美音先輩がやってきてから、さっそくその話をした。
「英語部もシンデレラ!? それ、完全にかぶってるじゃない」
「どうしましょう。今からじゃ別の劇は間に合わないですよ。台本を作るのにもかなり時間かかったし」
「うーん、どうしたら……」
二人とも深刻そうな表情だ。
「でも、同じ劇ってそんなにまずいことなんですか?」
「へっ? だって内容がかぶってるのよ」
「って、別に俺たちがパクったわけでもないし……」
「そりゃあ、そうだけど、同じものをやるなんて言ったら……」
「俺、これがそんなに悪い状況だとは思えないんですけど……。同じ劇ってことは、案外、おもしろそうな競作として注目されるかもしれませんよ。見くらべてみようって思う人で、お客さんが増えるかもしれないし」
「あっ、そっか。橋田くん、すごい!! わたし、重なったらダメだとしか思ってなかった。本当にそうかも」
「たしかに一理はあるね。でも、それは同じぐらいのものが上演できたらの話じゃない? 向こうとは部員数もぜんぜん違うし、今のままじゃこっちが見劣りするだけになるんじゃ……」
「そりゃあ、規模はしょうがないですけど、大事なのは内容じゃないですか。……って、そうか。こっちは内容もたいしたことないな」
「おーい!!」
「じゃあ、何か見ごたえのある場面を追加するとか……」
「見ごたえか……。でも、話を長くしたからって、見ごたえがあることにはならないし……」
「劇に追加できるもの……。何か……」
そんなに都合よく見ごたえのある場面なんて追加できるのだろうか。
「……あっ、歌? そうだ。歌はどうですか?」
「えっ? 歌を流すってこと?」
「歌うんです。わたしたちが。エスペラントで」
「へっ?」
「ええっ。私、歌はあんまり得意じゃ……」
「わたしもへたですよぉ。でも、劇の中で歌を歌ったら……。教室でやる小さな劇でも、きっと見劣りしないですよ」
なるほど。たしかに、そうかもしれない。
教室でやる小さな劇。俺たちには舞台装置も照明もない。衣装なんて学ランに体操服だ。観客のほとんどが知らない言語でやる劇……。だれも注目しないかもしれない。
それでも、俺たちが教室で歌を歌えば……。
いや、そんな場所で演じる小さな劇だからこそ、その歌は注目を浴びるかもしれない。大きな舞台なら、歌があっても、ある意味ふつうの状況だ。教室でやる小さな劇だからこそ……。
でも、はっきり言って俺も歌はへただ。教室で歌うなんて……。
「美音先輩! 橋田くん!」
沢渡さんが俺の目を見つめる。澄んだきれいな目だ。……そうだよな。たしかに、この見劣りする状況を打破するためには、それがいい方法なのかもしれないな。
「やるか!!」
「やろう。そうと決まったら急がなきゃ。文化祭までもう一か月もないよ」
…………。
俺たちがやるエスペラント劇『シンデレラ』。その中で歌を歌う。もちろん、今から全部をミュージカルにするなんてのは時間的に無理だ。実際のところ、挿入歌として一、二曲歌えればいいなといったところだろう。
「じゃあ、どこに歌を入れるかだけど……」
「舞踏会はせっかく三人そろうんだから、ここで三人で歌いたいですよね」
「やっぱり入れるとしたらそこだろうな。あと、最後の場面だな。その二曲だけでも形になりそうだ」
それぞれの場面に合う既存のエスペラント歌詞の歌なんて、うまく見つけられるかどうかもわからない。探す手間も考えたら作ったほうが早いだろう。結局、既存の曲に合わせて、俺たちでエスペラント詩を作詞して付けることにした。
八月も後半に入ってから急に決まった追加要素。三年生の美音先輩には補充授業があるから活動は夕方からしかできない。本番は九月の後半にあるとは言え、時間的な余裕はぜんぜんなかった。そして、歌詞やパート割りが完成したころには夏休みも残り一日になっていた。
基本的には、歌の最初のほうを三人で歌い、やがて、シンデレラと王子様二人の歌になるという展開だ。三人ともソロパートがあるという挑戦的なパート割りになった。だいじょうぶなのか。
…………。
明日は夏休み最後の日。そしてようやく明日から歌の練習の開始だ。帰りの電車で美音先輩が電車を降りたあと、いつものように沢渡さんと二人になった。
「あ、明日の歌の練習、俺たちだけでも朝からやらないか。その……文化祭までもう時間がないから……」
もちろん美音先輩は、明日も補充授業があって夕方からしか参加できない。つまりこれは、沢渡さんに「朝から夕方まで部室で二人っきりでいよう」と言っているようなものだ。どんな返事が返ってくるかドキドキして待つ。
「うん。私もそれがいいと思ってた」
やった!! ……その夜は、翌日のことを考えるとなかなか寝つけなかった。
翌朝。沢渡さんと電車で待ち合わせて、いっしょに登校する。三年生の補充授業が始まったあとの時間帯にしたので、駅から学校までの小道にはもうだれも登校している人がいなかった。だれもいない二人っきりの道を歩いて学校に着いた。
二人でいつもの部室に入る。この部室の周囲はほとんどだれも立ち寄らない場所だ。あたりは、しんと静まり返っていて、ほかの生徒の声もまったく聞こえてこない。入り口のとびらを閉める音がいつもより大きく響いた。
これから夕方まで、このだれも来ない部屋で二人っきり……。
「え、ええっと、ま、まずはお茶を……」
「そ、そうだな……って、今日のお茶当番って美音先輩だったんじゃ……。いいよ、俺がやるよ」
俺が湯わかしポットに手をかけようとすると、ちょうど沢渡さんも手をかけていて、思いっきり沢渡さんの手を握ってしまった。
「あ、……ごめん」
「う、ううん……」
一瞬、目が合ったが、気まずくて視線を落としてしまう。……しばしの沈黙。
「……じゃあ、二人でやろう?」
「えっ!? …………何を」
「お茶を……入れるの」
「あ、ああ……」
二人とも会話がぎこちない。お茶を入れるなんて、一人でできる作業をわざわざ二人でやる必要なんてまったくないのだが……。
…………。
「じゃあ、舞踏会の歌、最初の部分からいっしょに……」
「うん」
二人で歌の練習を始める。沢渡さんの澄んだ歌声。これはある意味、二人だけでカラオケに行ったような状況かもしれない。でも、いつもの部室で歌を歌うというのも変な感じだ。
「舞踏会の場面って踊りも入れたほうがいいのかな?」
「そ、そっか……。そうかも」
「でも、舞踏会の踊りってどういうのだろ?」
「とりあえず手を取り合って……とかかなぁ」
二人ともこういうダンスのようなものは経験がなくてよくわからない。
「ちょっとやってみるか?」
「うん」
テーブルを部屋のすみに寄せて、空いたところで二人で両手を取り合ってみた。歌いながら、少し歩き回ってみる。
王子様といじわるな姉がこんなことをするのはおかしい? いや、今はそんなことはどっちでもいいことじゃないだろうか。
そんなに動き回ったわけでもないのに、心臓は激しく脈打っている。まだちゃんと歌も歌えていないような、エスペラント歌詞の歌だ。そんな段階で二人で動きながら歌うなんて、まともな歌にはならなかった。
「や、やっぱり、歌もまだちゃんと歌えてないときに動きもってのは、むずかしいな」
「うん。……じゃあ、まずは歌だけを練習をしよう?」
「そうだな」
二人で歌の練習を再開した。もちろん、ずっと歌っていたら声がかれるので、お茶の時間をはさみながらだ。
…………。
二人っきりの時間はあっという間だった。夕方、美音先輩がやってきた。
「あれっ、今日は二人で早く来て練習してたんだ」
「えっ、なんでそれを……」
「やっぱり……。簡単な推理よ。私がお茶当番なのにもうお茶ガラがある。それにこの部屋の空気は、二人が五分ほど前に来たって感じじゃないし」
うっ……するどすぎる。二人だけの部活動は、一瞬で美音先輩に見破られた。
「隠すことはないよ。別に二人で変なことしてたわけじゃなくて、歌の練習をしてたんでしょ?」
「はい」
って言うか、変なことって……。
…………。
夏休みが終わった。すぐに、劇の詳細を実行委員に届け出て、やはり英語部と劇がかぶっていたことが明らかになった。向こうがあわてたか、眼中になかったかはわからない。どっちにしろ、俺たちは俺たちでできることをやるだけだ。
「ポスターをどうするかも考えなきゃね。立て看板とかは作ってる時間がないと思うけど、手書きのポスターなら何枚か作れると思う」
ポスターの張り出しは、人気のある場所は登録制で、それ以外の場所は文化祭前日の昼休みから早い者勝ちで張れるのだそうだ。
「じゃあ、めだつところに張らないと。廊下はみんな張るだろうし……」
「あっ、階段の『段』のところに張ったら……」
「えっ、床は禁止場所になってるよ。みんなが踏んだら汚くなるし」
「えっと、階段の踏むところじゃなくて、階段の下から見て正面に見える部分……」
「ああ、段の垂直部分か。そういや、駅の階段とかで、そこに広告があるのがあるな。じゃあ、階段下から見たら大きなポスターに見えるような、何段かまとめたのを作ったら」
「いいね。その階段広告と、あと、壁に小さいのを何枚かって感じかな? ほかに、張るところってある?」
「めだつところ……。そうだ。トイレの便器の前はどうですか? 標語っぽくして、『よく出たか・すっきりしたら・シンデレラ …… エスペラント部』と」
「はぁ!?」
「すみません。却下ですね」
…………。
その後も劇の練習、歌の練習、ポスター作成など大忙しの毎日で、なんとかギリギリの状態で文化祭前日を迎えた。
この日は授業が午前中だけで、午後から文化祭の準備に入る。昼休みのポスター張りも大変だったが、放課後もクラスのほうの準備は適当に切り上げて、エスペラント部の設営に向かった。
俺たちが使う教室には前に教壇があるが、これはせますぎて舞台代わりにはならない。だから、段差なしの床の上で演じることにした。教室は前後に分けることも考えたが、観客の入りやすさを考えて縦に分けることにした。窓側が舞台で、廊下側が観客席だ。窓のカーテンはぴっちり閉めておいて、そのカーテンを背に、廊下のほうを向いて演じる形になる。
教室の奥のすみには暗幕で囲んだだけの簡単な楽屋を作った。これは荷物置き場と着替え場所を兼ねている。……って、なんで湯わかしポットやお茶っ葉まで持ってきてるんだ?
黒板には、エスペラントについて簡単に説明した紙を張っておいた。これは興味を持った人が読んでくれればいいって感じだ。あとは、いすをならべて観客席を作って、ようやく設営完了。三人だけだったので大変だったが、なんとか下校時刻までに終わらせることができた。
文化祭当日になった。これから二日間の文化祭が始まる。
俺たちの高校の文化祭には、入場券や招待券のようなものはない。一般の人がいきなり来て、だれでも入れるようになっているのだ。プログラムは事前に学校の公式サイトで公開されているので、出し物の時間割りから模擬店の配置までネットで調べられる。そのおかげか、毎年来場者はかなり多い。
問題は、そのうち俺たちの部を見てくれる人がどれぐらいいるかだが……。
…………。
いよいよ一回目の公演。三人で呼び込みをして、お客さんを席に誘導。でも、最初のお客さんは五人もいなかった。美音先輩が軽く前説をしたあと、俺たちのシンデレラの劇が始まる。お客さんは少ないが緊張する。
俺たちが歌を歌いだすと、廊下のお客さんが次々と教室をのぞきこんできた。やはりこの場面は注目を浴びるようだ。でも、三人とも舞台に上がっている場面なので、案内係がいない。まあ、次の公演時刻は入り口に張り出してあるので、いま気になってのぞきこんだ人たちも次回見にきてくれたらいいが……。
劇の最後は三人でお客さんにあいさつだ。大きな失敗もなく第一回目の公演が終わった。
「うまくできたじゃない? 次の回もこの調子でやろう?」
「うう……、緊張しましたぁ。なんか汗びっしょりです」
「やっぱりお客さんがいるとぜんぜん違うな」
一日複数回公演なので、一つの公演が終わったらお客さんを退出させ、休憩をはさんで次の公演という流れになる。
公演時刻の予定表は入り口に張り出しているので、休憩中にずっと案内係が留守番しておく必要はない。教室を閉めて三人でほかを見て回ったり、各自のクラスのほうに顔を出したりもした。
…………。
次の公演の始まりだ。今度はお客さんがかなり増えていた。米原も見にきたようだ。
「おお、見にきてくれたか」
「べ、別に橋田を見にきたわけじゃないって。……受付の手が空いたから、実行委員として視察しとこうかなと」
仕事の手が空いたから見にきたというのを視察というのだろうか。いや、見にきてくれた理由はなんでもいいんだが。……そして、その公演終了後。
「三人だけの劇って、どんなのかと思ってたけど、すごく良かった!!」
「そんなに素直にほめられると照れるけどな」
「本当に良かったって。……あっ、写真一枚いい? そのスカートをたくし上げた感じで」
って、なんの写真を撮る気だよ。
…………。
俺たちの劇は意外と評判になっているようで、二日目になると席が全部埋まるようになった。同じ学校の生徒も多いが、一般のお客さんでエスペラントを話す人も結構見にきていた。学校内では部員以外ほぼ知らないような言語だったので、話せる人がこんなに来るなんて、ちょっとびっくりだ。……そうか。意外といるんだな。
元エスペラント部員の卒業生も何人か見にきていた。もちろん、俺にとっては知らない女性だ。俺を見て「男の子が入ったの?」とか驚いている。本当に俺が入るまでは女子部員だけの部だったんだな。……お菓子とお茶っ葉の差し入れをくれた。たぶんすごくいい人たちだ。
…………。
そんな、ある公演終了後に、どこかで見覚えのある女の子が俺に声をかけてきた。
「あのー……。私のこと覚えてますか?」
あれっ、この子は……。
「たしか、七夕かざりの前で会った……」
「はい。覚えてくれてたんですね」
そう。期末テスト前に七夕かざりの前で会った中学生だ。たしか、うちの高校を志望しているとか言っていた。
「あのあと、私の短冊のとなりに『新入部員希望』って短冊をつるしたの、先輩ですよね。たしか先輩が言ってた部の名前だったから、『ええっ、私あて?』って思って……」
「ああ、あれか……」
そう言えば俺、この子に「エスペラント部に入部するといい」とか言ったんだっけ。でも、『新入部員希望!! エスペラント部』って短冊をつるしたのは美音先輩だ。状況から言って俺がやったと思うのは無理もないだろうが。
「あれから毎日、短冊を見にいって、先輩の言ってたエスペラント部って何をする部だろうって、ずっと気になってたんです。……だから、今日見にきました。今の劇、すごくよかったです。私、今の劇を見て、本当にこの部に入ってみたいなって……」
それを聞いて、美音先輩と沢渡さんが寄ってくる。
「えっ、入部希望者? ……って中学生?」
「はい。中三です。来年、この高校を受けたいと思ってます」
「わぁ、受験がんばってね」
「あ、ありがとうございます。……王子様、かっこよかったです」
「えっ、そんなこと……。あ、ありがとう」
それから、俺たち三人で教室の外まで見送って、最後に沢渡さんが両手で握手をして別れた。
「来年、絶対会おうね」
「はい、待っててください。私、本当に今日、見にきてよかった……」
沢渡さんの応援に感激したのか声をふるわせる。もちろん、来年のことはまだわからないが、本当に入部してくれたらいいな……。
…………。
最終公演は立ち見が大勢出るぐらいになっていた。そして、その最終公演が終わったあと。
お客さんが退出していく中、黒板に張ってあるエスペラントの説明の紙を読んでいる人がいる。うちの高校の制服を着た女子だ。
「あっ、ゆっくり読んでて……って、あれっ? たしか昨日も……」
そうだ。この子はたしか、昨日もこうやってこれを読んでいた。ってことは、同じ劇を二回見て、このエスペラントの説明の紙もまた読んでいる?
「は、はい。昨日見てちょっと興味がわいて……」
美音先輩が寄ってくる。
「いま部活は何かやってるの?」
「部活は入ってないです。入学したときは、どこか入ろうって思ってたんですけど、半年もたってしまったから今からじゃ……」
ああ、時期を逃すと途中からは入りづらいというのは、俺も経験があるからわかる。
「つまり、今は帰宅部だけど部活には興味がある。そしてエスペラントにも興味を感じた」
「はい、ちょっと……」
「ちょっ、橋田君!! さっき先輩にもらったお菓子を持ってきて!!」
おいおい、お菓子でつる気か?
「じゃあ、わたしはお茶を……」
「そ、そんな、お構いなく……」
「だいじょうぶ。だいじょうぶだから心配しないで」
何がだいじょうぶなんだか。……でもまあ、お茶とお菓子を出して、部の活動内容を話したら、本当に興味を持ってくれたようだ。今日のところはこれで別れて、次の放課後から部活に来てくれることになった。待望の一年生の新入部員だ。
…………。
こうして、二日間の文化祭は大成功で終わった。
「じゃあ、私、実行委員に終了報告を出しにいってくるよ。これが部長としての最後の仕事になるかもしれないし……。二人は部室で待ってて」
部長としての最後の仕事……。そうだった。文化祭が終わると、美音先輩は部を引退するのだった。
いつもの部室に沢渡さんと二人でもどってきた。
「……文化祭、終わったね」
「ああ、大成功って感じだな」
「でも、文化祭が終わったら美音先輩は……」
「そうだな。でも、美音先輩のことを考えたら、引き止められることじゃないし……。さびしくなるな」
「うん……。美音先輩が辞めたら部長は……。わたし、やっぱりまだ部長になる自信なんてないよ」
「そうか……」
沢渡さんができないのなら俺が部長をやるしかない。もう、その心づもりはできていた。
「……わたし、美音先輩のようにはできないし。この文化祭だって、わたしが引っ張っていくのだったらできなかっただろうし……」
「それはちょっと違うんじゃ……」
「えっ……」
「この文化祭は三人みんなで成功させたんだよ。だれか一人が引っ張っていったんじゃない。それに、歌を歌おうって言ってくれたのは沢渡さんじゃないか。美音先輩も俺も最初は乗り気じゃなかったのに、沢渡さんが言ってくれたから……」
「わたしが……?」
「うん。部長って別に全部を一人でやる人じゃないと思うけどな」
「一人じゃない……」
「うん」
俺がそう言うと、沢渡さんはちょっと何かを考えるような表情をしたあと、ゆっくりと次の言葉を切り出した。
「もし……」
「ん?」
「もし、わたしが部長になったとしたら……、橋田くんはわたしといっしょに……」
「……沢渡さん。いま言った『もし』っていうのは、仮定法なのか?」
「えっ。……仮定法?」
沢渡さんはまたちょっと考えるような表情をしたあと、今度ははっきりと答えた。
「ううん。仮定法じゃない。実現の可能性がある未来!!」
「だったら俺の答えは決まってる。沢渡さんが部長なら、俺は副部長になる。いっしょにやろう。一人だけの部長じゃない」
「ありがとう。橋田くんがいっしょなら……わたし、部長、やってみる!!」
「ああ。来年は新入部員をいっぱい入れて、あの元の部室を取りもどせるぐらいにならなきゃな」
「うん、いっしょにがんばろう!! ……でも、わたし……今のこの部室も結構好きになれたかも。だって、ここは……」
そう言って沢渡さんは、そっと俺のほうを見上げ、すこし照れたように目を伏せた。
「ここは……橋田くんが来てからいっしょに過ごした部室だから」
「沢渡さん……。俺……」
…………。
……。
「お待たせ」
美音先輩がもどってきた。
「あ、ごめん。いいとこだった?」
「な、何言ってるんですか。何もないですよ」
「そ、そうですよぉ」
「二人ともあやしい……」
「……そ、それより、念願の新入部員が入りましたね」
「何、そのへたな話題のそらし方? ……ま、いいか。今後は橋田君にも後輩の指導をやってもらわないとね。もちろん、私がとなりでちゃんと補足するから心配はいらないよ」
「あれっ? ……じゃあ、美音先輩、部は辞めないことにしたんですか?」
「えっ? 私、部を辞めるなんて言った?」
「文化祭が終わったら……って」
「ああ。あれは部長をゆずるって言っただけで、部を辞めるなんて言ったことはないけど……。三年生は九月末までに部長をゆずるのが通例だからね」
「へ?」
「ひょっとして引退してもう来なくなると思ってた?」
「いや、そ、そんなわけじゃ……」
俺は思わず、沢渡さんと顔を見合わせた。
つまり、美音先輩は部長を引退するだけで、部には残るってことか。それって、対外的な代表が変わるだけで、部の中の状況は変わらないってことじゃ……。
でも、考えてみれば、俺はまだ後輩を指導できる段階にはなっていない。来年、沢渡さんと二人で部を引っ張っていこうと思ったら、まだまだ美音先輩に教えてもらうことが多いだろう。美音先輩が残ってくれるのは、ありがたいことだ。
…………。
次の放課後からは、沢渡さんが部長になり、新入部員を入れた四人での部活動が始まる。これからも楽しい部活の日々。沢渡さんが俺にほほえみかけてきた。
(おわり)
俺たちの戦いはこれからだ!! ……じゃなくて、ここまで読んでくださって、どうもありがとうございました。