(注) この物語に登場する人物・団体などはすべて架空のものです。
俺たちエスペラント部は文化祭で『シンデレラ』の劇をやることになった。セリフが全部エスペラントの劇だ。美音先輩がシンデレラ役。沢渡さんが王子様と魔法使いの二役で、俺はなんと、いじわるな姉の役をやる。
八月に入って数日が過ぎた。俺たちエスペラント部では、文化祭でやる劇『シンデレラ』の台本がなんとか完成したところだ。そしてようやく、セリフの発音練習に入った。
一方、俺のクラスでは、文化祭で映画を作ることになっていた。主役級は夏休み中に毎日のように出てきて撮影しているようだ。でも、俺はたいした役じゃないので、撮影は半日で済むことになっていた。今日はその、俺が出る場面の撮影日だ。
その日は朝からクラスの撮影のほうに出かけ、午後からエスペラント部に行くということで、二人にもそう伝えておいた。
俺が出る場面は四月の学校ということで、冬服が必要らしい。冷房の効いた教室で撮影するとは言え、八月に冬服で撮影だなんて……。
その日は冬服の上着 (学ラン) とスボンを持って学校に行った。ズボンまで必要かどうかはわからなかったが、冬服のズボンは夏服とは少し色が違うので念のためだ。暑いので撮影のときだけ冬服に着替えて、撮影が終わるとすぐに脱いだ。撮影は無事に終わり、俺は上着とズボンを手に持って部室に行った。
「あれっ、なんで冬服なんて持ってるの?」
「今日の撮影で使ったんですよ」
「あっ、そっか。映画の衣装……」
「ああ、衣装か……って、そうだ!! 衣装と言えば、私たちの劇の衣装をどうするか決めなきゃ」
「えっ、衣装を着るんですか?」
俺たちがやる『シンデレラ』は、エスペラントの朗読みたいな劇とか言っていた。だから、てっきり制服のままやるのかと思っていたが。
「まあ、立派な衣装は必要ないと思うけど。……ほとんどのお客さんはエスペラントを知らないから、『だれがどの役か』混乱しないぐらいの服は必要かも」
「そっか。この服のまま出たら、言葉がわからないお客さんには、橋田くんが王子様って思われそうですね」
「それはつまり……俺が王子様みたいだという……」
「えへぇ、そんなこと言ってませーん」
「はいはい。それはともかく……衣装は部の予算では落ちないから、みんなの持ってる服でなんとかしなきゃなんないよ。とりあえず橋田君はスカートをはけば、女役って目印にはなるかな」
「ええっ、俺が女装するってことですか!? なんかはめられたような……」
「問題は七海の衣装ね。ズボンをはいただけじゃ男役って目印にはならないよね。……ズボンの女の子になっちゃう」
「そっか。つまり……わたしも、はっきり男装してるってわかる服がいいんですね。でも男装って言っても………………あ!! 橋田くんの冬服」
「えっ、冬服? ……そうか、学ランなら確実に男装だってわかるな。王子様の服としてもありえなくもないか。……ああ、俺のでよければいつでも貸すよ」
「うん、いいかもね。大きさは合うよね? 橋田君のなら入るか」
「じゃあ、合うかどうか、あらかじめ着ておきたいですね」
「じゃあ、せっかく今日ここにあるんだから、今からこの上着とズボン、試してみるか?」
「うん。ありがとう。着てみる」
さて、上着だけならこの場で上から着ればいいだけだろうけど、ズボンもはくとなると……。俺が見ている前で着替えるというのもなんだろうな。体育のときに使う更衣室はここからは遠いし……。
「どこで着替える? ここで着替えるんなら、俺、外に出てようか?」
「ありがとう。じゃあ、ここで着替える」
というわけで、俺は部室の外に出て、沢渡さんが中で着替えることになった。
…………。
部室のとびらの前で待つことしばらく。沢渡さんに呼ばれて部室に入った。
中にいたのは、俺の学ランを着た沢渡さん。……へぇ、沢渡さんの学ラン姿ってのも、なんかいいかも。
「ちょっと大きいけど、だいじょうぶだと思う。変じゃないよね?」
「うん。本番もその服でいけそうだな。……あれっ。でも、沢渡さんは魔法使いもやるんだよな。魔法使いもその服なのか?」
「たしかに魔法使いっぽい服もほしいね。……そうだ。その場面は、暗幕をまとって登場するってのはどう? 頭からすっぽりかぶって顔だけ出す感じ。暗幕はたしか実行委員に言ったら借りられたと思う」
「わぁ、いいと思います」
「実行委員に言えばいいなら、話は早そうだな。……でも、王子様は冬服で、魔法使いは暗幕? それって、暑くないか」
「だいじょうぶ。わたし、がんばる」
うーむ。がんばり屋なのは、沢渡さんのいいところだと思うが、そんなところでがんばられても……。
…………。
「でも、みんな衣装を着るってことは、美音先輩の衣装は、途中で着替えることになるんですよね」
「あっ、そうだ。舞踏会に行けない服と、舞踏会の服だ」
「そうか。舞踏会に行けない服か……。中途半端な服じゃわかりにくいし、体操服とか?」
「へ!? ……まあ、それは確実に舞踏会に行けない服ですね」
そうか。俺たちの劇にとって衣装は、だれがどの役をやっているかの目印にすぎない。それを考えると、中途半端な衣装よりも体操服のほうが、舞踏会に行けない目印としては有効なのかもしれないな。
「魔法で服を変えるときは、七海がかぶってる暗幕の中で着替えるってのはどう? 舞踏会の衣装は七海が暗幕の中に隠し持っておいて、魔法をかけるとき、七海が私を暗幕で包み込む」
「わぁ、おもしろいと思います」
つまり二人で同じ暗幕の中に入って、舞台上でモゾモゾと着替えるわけか。それ、観客から見たら、変な妄想がふくらみそうだけどな。
「早く着替える練習もしとかなきゃね。舞踏会の衣装は、体操服の上から着られるものを探さないと」
「じゃあ、残った問題は橋田君の衣装ね。スカートは持ってる?」
「持ってるわけないじゃないですか」
「あの……。だったら、もしわたしのでよかったら……」
「ええっ!? 俺が沢渡さんのスカートをはくってことか?」
「ほかに借りる当てがあるんならいいんだけど……」
どうやら、俺が女装するのはもう避けられないらしい。
「でも、七海のは入らないんじゃない? 七海、結構細いよ」
そうか。どうしよう。どうせ女装しなきゃならないのなら……。
……って、なんだそりゃ。せっかく沢渡さんが貸してくれるって言ってくれたのだ。答えは決まっているだろう。
「じゃあ、俺も、入るかどうか試してみればいいですね。……あっ、沢渡さん。さっきはいてたスカート貸してくれないか? 俺もいま、はいてみるよ」
「ええっ!? いま、このスカートを? え、えっと…………い、いいよ」
あれっ、スカートを貸してくれるって話だったのに、この反応は……。
ああっ、そうか!! あれは家にあるスカートを貸してくれるって話だったのか。いま脱いだばかりのスカートを貸してくれというのは、まずかったか。
……などと考えているうちに、沢渡さんはちょっと恥ずかしそうに俺にスカートを手渡した。渡されたスカートはまだほのかに温かかった。その瞬間、とんでもないものを借りてしまったような気がした。
…………。
俺が着替えるために今度は二人が部屋の外に出ていき、俺が部屋に一人で残された。
俺の手の中には、ついさっきまで沢渡さんがはいていた夏服のスカート。夏の間ずっと沢渡さんがはいていたものだ。部室では見慣れていたものなのに、自分の手の中にあると、とたんに場違いなものになってしまう。
おそるおそる広げてみた。スカートの内側をめくって見ただけで、見てはいけないものを見てしまったかのような気分だ。さっきはああ言ったがこれをはくのか……。思わず、つばを飲みこんだ。……と、とりあえず今まではいていたズボンを脱ごう。
……っていうか、このスカートってどっちが前なんだよ。スカートのはき方なんてわからないって。このファスナーが前……なわけないな。ズボンじゃないんだし。
ひだを広げてみたり、下からのぞき込んだりしても、どっちが前かよくわからない。というか、ズボンを脱いだ状態で、女の子のスカートの中を調べている姿はどう考えても変態だ。
ん!? なんだ、これ? ポケットか。
スカートに内ポケットが付いていた。ポケットの中に手を突っ込んでみて向きを確認する。ポケットがこっち向きに付いているってことは、これが左で、こっちが前ってことだ。ようやく方向がわかった。
その瞬間、いま自分が手を突っ込んでいる場所は、沢渡さんのスカートの中だと気が付いた。なんかとんでもないことをしている気分になる。
…………。
なんとかスカートに足を突っ込んだ。とびらの向こうから沢渡さんの「どう?」という声が聞こえてくる。
「入ることは入ったんだけど、ホックは留まらないし、ファスナーも途中までしか上がらない。ちゃんと留まってないから、動き回るとずり落ちそうだよ……」
とびらの向こう側に向かって話しかける。うーん、沢渡さんの体って、こんなのが留まるぐらい細いんだな……。俺も別に太っているわけじゃないが、思いっきり腹を引っ込めてもまったく留まりそうにもない。
「ふふっ、やっぱり。ぴったりでしたって言われたほうがびっくりするよ」
とびらの向こう側からの声だ。
「上からベルトでしめてみたらどうかな?」
そうか。さっきまで俺がはいていたズボンのベルトがあった。しかし、よく見ると、このスカートにはベルトを通す穴がない。どうしようかと思ったが、スカートを腰よりも高い位置まで引っ張り上げてから、腰の位置で上からしばるようにベルトをしめた。
これでもシャツを外に出せば、横のファスナーが開いたままな部分も隠れるだろう。しかし、かなり腰の上まで上げてはいたせいで、足がひざ上まで丸見えだ。スースーして頼りないし、なんか恥ずかしい……。
「……なんとか、はけたけど」
「じゃあ、入るよ」
美音先輩が部室に入ってきた。沢渡さんも後ろから入ってくる。
「うっ!! …………」
「そこで絶句しないでください」
「……や、やっぱり、ひざ上のミニってのは、役の衣装にしては短すぎるかもね」
「そ、そうですねぇ。……じゃあ、わたし、明日、私服のスカートで長めのをいくつか持ってきます」
「じゃあ、いろいろ、はかせてみて、どれがいいか試してみようよ」
「……って、俺は着せ替え人形ですか!!」
「あっ、そうだ。一枚いい?」
「……って、いつの間にカメラ構えてんですか」
…………。
「じゃあ、服はもう元にもどす? それとも、今日はその服で練習してみる?」
俺は沢渡さんと顔を見合わせる。
「どうしよう……。この服にも慣れておいたほうがいいかな?」
「それもそうか」
しかし、お互いに服を交換して着ているっていうのは、なんか妙な気分だな。
「服の感じをつかむためだったら、今日は立って練習してみる?」
今までは発音練習だけだったから、いすに座って、台本を見ながら読む練習をしていた。本番は立って演じるという話だから、そういう練習も必要だろう。
テーブルを部屋のすみに寄せて、空いた部分で三人で立って練習することにした。沢渡さんが冬服なので、もちろん扇風機は最強にかけている。暑い部屋では水分補給がたいせつということで、お茶の時間をはさみながらの練習だ。
…………。
その練習の途中で少し休憩。沢渡さんと俺は部屋の両端のいすにわかれて座った。さっき移動させたので間にテーブルはない。
「あ、あのぉ。橋田くん。その……」
「え、何?」
沢渡さんがなぜか恥ずかしそうに目をそらせている。なんだろう? すると美音先輩が俺のほうを見て……。
「ああっ!! ちょ……ちょっと、橋田君。足閉じて!!」
「えっ、何? なんですか?」
なんの話だかさっぱりわからない。
「だから、パンツ見えてるって!! ……もう。ひざ上のスカートをはいてるのに足開いて座るなんて」
「えっ……ああっ!!」
ぜんぜん気が付かなかった。えっ、……ってことは、二人に思いっ切りパンツを見られた!? うわぁ!!
「ううっ……。スカートなんてはいたことなかったから……」
「まあ、そりゃそうか。……ふふっ、これからミニスカートをはくときは気を付けないとね」
「そんな機会ありませんって!!」
…………。
その後も一通り劇の練習をしてから、服を元にもどした。
「ふぅ。やっぱり、この部屋で冬服はちょっと暑かったかな」
もどってきた俺の制服は、少し女の子っぽいにおいがした。
…………。
翌日、沢渡さんが私服のスカートをいくつか持ってきて、俺の前に並べた。
「どれでもはいてみて」
いや、どれでもって、言われても……。
「わぁ、これ、かわいいんじゃない?」
どうせ俺がはくんだから、どれがかわいいかはどうでもいいんじゃないだろうか。
そして今日も、俺が着替えるために二人が部屋の外に出ていって、俺だけが部室に残された。
……って、どれをはけばいいんだよ。……ん!? あっ、これ、かわいいな……って、かわいいかどうかはどうでもいいって!!
…………。
「こんなんでどう?」
「わぁ。それ、私が一番好きなスカート」
「えっ。……あっ、ごめん。知らなかったから」
「えっ? あっ、そういうことじゃなくて。……橋田くんもそれを選んだんだって思って」
「ああ、そういうことか。……なんとなくだけど、俺もこれがいいなって思ったよ」
そうか。はかれたくないなら、もともと持ってこないよな。
「昨日はひざが出てて変だったけど、それだと意外と似合うね」
「スカートが似合うとか言われても、うれしくないです」
「でも、下がスカートなのに上がそのままってのは……」
「そうだ。わたしのリボン。……これ、付けてみて」
沢渡さんが制服の赤いリボンをはずして俺に手渡した。
「えっ、これを付けるのか!? ……って、これ、どうやって付けるんだ?」
「そうか。付けたことないとわかんないか」
「えっと、まずここを首の周りに回すの」
「えっ、こう?」
「あっ、ううん、こう回して……。ここで調節したほうが……」
沢渡さんが俺の首の周りに手を回す。ちょ、ちょっと……顔が近い。
「で、ここで長さを調節して……あれっ、調節が……う、うーん」
な、なんか、俺の首筋に息が当たってます。ど、どうすればいいんですか。
「……あっ、できた。……で、あとはここで留めて、これで……」
……俺の視線を感じたのか、沢渡さんがふと俺の顔を見て至近距離で目が合った。
「ひゃっ!! ……あっ、こ、こうやって留めるの」
あわてて俺から離れた沢渡さんは、うつむいてそう言った。
「あ、ああ……。ありがとう。…………あ、そうだ。俺のほうも今日、冬服持ってきたけど、今日も着替えて練習するか? 暑かったら、ブラウスを脱いでから、じかに着てもいいと思うけど」
「うん。ありがとう」
今度は俺が部屋の外に出て、沢渡さんが部屋の中で着替えた。
…………。
美音先輩はまだ舞踏会の衣装を探しているところだそうで、今日のところは衣装はない。まあ、昨日話が出たばかりだから、一日でそんな衣装も見つからないだろう。
「あっ、そうだ。私、シンデレラだから髪下ろしたほうがいいよね。髪だけでも下ろしてやってみるよ」
そう言うと、美音先輩はポニーテールにくくっていた髪束を解いた。長い髪がぱさっと広がる。
「へぇ……。美音先輩、そんなに髪が長かったんですね」
「ん? ほれ直した?」
「ええっと。こういうときは、なんて突っ込んだらいいんですか?」
…………。
「まあ、それはともかく。七海も王子様なら髪上げたほうがいいんじゃない? 私が髪やってあげようか?」
「えっ、美音先輩がですか? えへぇ、なんか照れます」
そして、美音先輩が沢渡さんの髪をとかし始めた。
それを横目で見ながら待っている俺。……ほどなく沢渡さんの髪が仕上がった。
「ど、どう?」
「うーん。なんか新鮮」
「じゃあ、今日は動きも付けて、通して練習してみようか」
どうやら朗読劇ではなく、ふつうの劇になったようだ。今日もテーブルを部屋のすみに移動させて、空いた領域でやることにした。
…………。
いじわるな姉 (俺) がシンデレラ (美音先輩) をこき使う場面から始まり、通し練習は進む。次は舞踏会の準備をする場面だ。
原作にある場面だが、舞踏会準備のためにシンデレラが姉の髪をとかすことになる。姉はさんざん悪態をつくが、やさしいシンデレラは姉の髪をきれいに整えるという展開になっている。
「えっ、まさかこの場面って、本当に髪をとかすんですか?」
「そのつもりだけど?」
それって、美音先輩が俺の髪をとかすってことじゃないか。なんだ、その状況は。
「そ、それはちょっと恥ずかしいような……」
「今さらそんなことは言わない。さぁ、座って」
俺がしぶしぶ、いすに座ろうとすると。
「あっ、待って。……スカートでいすに座るときは、おしりの部分をこう整えてから、こうやって座る。じゃないと、ここがしわになるから」
そうか。ズボンと違って、布がひらひらしているから、そのまま座ったら、その部分をしりで敷いてしまうんだ。……ってことは。
「ああっ!! ごめん。昨日は何も考えずに座ってた」
「あっ、ううん。だいじょうぶ」
そうだった。いま俺がはいているのは、沢渡さんが一番気に入っている大事なスカートだったんだよな。
…………。
俺がいすに座ると、美音先輩が俺の髪をとかしはじめた。さっき沢渡さんが「照れます」と言っていたのがよくわかった。たしかにこれは照れるって。でも、なんとなく気持ちいい。
最初はブラシでとかしていたようだが、次に美音先輩は指で俺の頭をなではじめた。
「な、何をしてるんですか?」
この場面に出番のない沢渡さんは、なんか複雑そうな顔でこちらの様子を見ている。
「こっちのことはいいから、セリフ、セリフ」
ああ、セリフか。「あんたが舞踏会に行ったとしたら、みんなの笑いものになるでしょうね」ってな感じのセリフだ。前にやった仮定法だな。なんか、このお姉さんがツンデレに思えてくる。本気でシンデレラをきらっているのなら、自分の髪を触らせたりはしないよな。
セリフを言い終わったあと、俺の髪を触ってみると……。
「ああっ、髪、くくってる!!」
頭の両側に二つ、ピョコンとくくられた髪があった。
「俺の髪で遊ばないでくださいよぉ」
「遊んでなんてないって。やさしいシンデレラがお姉様の髪をきれいに整えたって場面なんだから」
ううっ、なんで俺がこんな格好に……。
(つづく)
次回は第13課「間接話法と従属節」の予定です。お楽しみに。