(注) この物語に登場する人物・団体などはすべて架空のものです。
俺たちエスペラント部は、文化祭で劇をやることに決めた。セリフが全部エスペラントの劇だ。まだくわしい内容は決めていないが、期末テスト後に文化祭の部屋割りが決まることになっている。
期末テストが終わったのでもうすぐ夏休み……。と言いたいところだが、その前に文化祭の部屋割りが決められることになっている。俺たちエスペラント部は劇をやるということで、教室を希望していた。三人だけの劇だから広い場所はいらないが、どんな場所が取れるのかは重要だ。場所によっては、やれることも変わってくるだろう。
教室を希望していた団体は、まずジャンルや予想される騒音の度合いに応じて、おおまかな配置が決められるようだ。そして、各ジャンル内の配置はくじ引きで決められる。教室を使わないクラスもあるので、空いた分だけほかの団体が使えるわけだ。
くじ引きには代表者が一人行けばいいだけだが、俺たちは三人で向かった。抽選会場の部屋に行くと、……なぜか米原がいた。
「あれっ、なんでここにいるんだ?」
「えっ、あたし、文化祭実行委員だから」
「って、体育祭実行委員じゃなかったのか?」
「ああ、あれは体育祭が終わったら解散」
つまり、行事の実行委員は行事が終わると解散になるということだ。だから、体育祭実行委員から引きつづいて文化祭実行委員になるのは、珍しいことではないらしい。たんに、委員になる人材が少ないということなのかもしれないが。
「じゃあ、くじはだれが……」
やはりここは部の代表者として、美音先輩が引くべきところだろう。みんな、かたずを飲んで見つめる。美音先輩がそっと、くじを引く。
…………。
「やった!! 取れた」
おお!! エスペラント部はなんとか希望していたとおり、ふつうの教室を使えることになった。文化祭は二日間あるが、教室は二日とも通して使えるようだ。
さっそく部室にもどって、上演する劇の検討に入る。
「出演者三人で長い話はむずかしいし、教室を二日間だから、短めのを何回か上演したほうがいいんじゃないかな」
「簡単な話を一日複数回公演って感じですか?」
「うん。それに、ほとんどのお客さんはエスペラントを知らないから、むずかしい話をやってもね」
「じゃあ、言葉がわからなくても流れがわかるような話とか……」
「みんなが知ってるような話だったら、流れがわかるかもしれないですね」
「いいかも。みんなが知ってる簡単な話と言えば……」
「……シンデレラとか?」
うっ……、そっちの方向で来たか。
「シンデレラかぁ……。いいかもしれないけど、この三人で役が割り振れるかな」
「まあ、何をやるにしても、美音先輩が主役をやるってことでいいんじゃないですか。順番から言ったら、沢渡さんが次の役で、俺は端役ってことで」
「ってことは、私がシンデレラで、七海が王子様ってこと?」
「ええっ、わたしが王子様なんですかぁ?」
「……いや、シンデレラの話じゃなくて、『何をやるにしても』って……」
「でも、七海が王子様ってのも、なんか意外でおもしろそう……。七海はどう思う?」
「わたしが王子様……。はい、おもしろいかもしれないですね」
「ええっ、それでいいのか?」
「あっれーっ? さては橋田君が王子様やりたかったのかなーっ?」
「な、なんで俺が……」
「ふふっ、私の相手役をやりたいっていうのなら正直に言っていいよ」
「へ……!?」
「……ここは突っ込むところです」
いきなり、そんな突っ込みを要求されても……。なんでやねーん。
「……じゃあ、あと大きな役は、まま母といじわるなお姉さんか。キャラ的には同じようなもんだし、一人の役にしてしまって、橋田君がやるってのはどう?」
「ええっ!? 俺、女役なんですか?」
「だって、三人だけで役を割り振らなきゃなんないんだし。……それにこれは、演劇部のように演技を見せる劇じゃなくて、エスペラントを見せる劇だから心配いらないよ。朗読のようなものって考えたらできるって」
「うーん。まあ、そういうことならそれでもいいですけど……」
「じゃあ、それで決まりでいい?」
「あと、魔法使いが出てきますよ」
「そうか。出演者が足りない……。でも、魔法使いはシンデレラとしか会話がないから、私以外なら二役で出られるんじゃ……」
「だったら、沢渡さんがやればちょうどいい配分じゃないですか。王子様は最初のほう、出てこないから」
「じゃあ、わたしが……」
ということで、結局、美音先輩がシンデレラ、沢渡さんが王子様と魔法使いの二役、俺がシンデレラの姉をやることに決まった。
どっちかと言えば、沢渡さんがシンデレラで美音先輩が王子様のほうが合っていそうな気もするが、意外性をねらったってとこだな。でも、俺がお姉さん役ってのは意外すぎやしないだろうか。
「で、夏休み中の活動をどうするかだけど」
「えっ、夏休み中も部活やるんですか?」
「って、夏休みに休んだら、文化祭準備はどうすんのよ」
「そうか……」
文化祭……それは弱小文化部にとって、一年のうちもっとも重要な行事。なぜなら、活動実績を見せる場がほぼそこしかないという部が多いからだ。そして文化祭は九月にある。つまり、夏休み中こそが、文化祭準備の最重要期間……ということになるらしい。
「一つ問題があって、三年生は八月後半に補充授業があるんだけど……」
なんでも、学校で受験対策の夏期講習みたいなものをやるらしい。八月後半の二週間、平日毎日、朝から夕方までだそうだ。
「三年生は夏休みが二週間短いって感じなんですね」
「はぁ、大変ですね」
「ということで夏休み中の活動時間は……」
八月前半までは平日朝から夕方まで活動。盆休みをはさんで八月後半は、美音先輩の補充授業が終わるのに合わせて、夕方からの活動と決まった。活動時間の長い八月前半までにどれだけ文化祭準備を進められるかが勝負といったところだ。
…………。
ちなみに、文化祭は部活での出場以外に、クラスでの出場もある。だから、みんながクラスのほうの準備に時間を取られると部活のほうの準備が大変になるだろう。なにせ、俺たちは三人しかいないからだ。
結局、俺のクラスはビデオカメラで映画を作ることになった。忙しい裏方や大きな役からはなんとか逃げて、俺は、ほぼ「その他大勢」と言っていいような端役を取った。これで文化祭準備は部活のほうに専念できそうだな。
そして、夏休みに入った。夏休みにも毎日登校するなんて初めてだが、授業じゃないので気楽なもんだ。それに朝十時ぐらいからと決まったので、ふだんの学校より朝はゆっくりできる。
その初日。行きの電車の中でのこと。時間帯が中途半端なせいか電車はガラガラだ。席に座っていると、ふいに「橋田くん」と声をかけられた。沢渡さんの声だ。
「やっぱりこの電車だった」
「ああ、同じ電車だったか。……ここ空いてるよ」
そんなこと言わなくても、あちこち空いているんだけどな。沢渡さんは「うん、ありがとう」と言って俺のすぐとなりに座ってきた。
「橋田くん、乗ってるかなって思って見てたら……」
……あれっ、沢渡さんは俺より家が遠いから、いま乗ってきたわけじゃないよな。
「ひょっとして、先頭車両から探してきたのか?」
「そ、そこまでしたわけじゃないよぉ」
まあ、朝の超満員の時間帯とは違って、この時間帯は電車の本数も乗客も少ない。同じ部活に行こうとしている者どうしなら会う確率はかなり高いだろう。というわけで、しばらく二人で話していると……。
「あっ、二人ともこの電車だった」
案の定、美音先輩も乗ってきた。
「これじゃあ、部室の集合時間を決めるより、電車を指定したほうがよかったね」
どうやら夏休み中は、行きも三人で通学することになりそうだ。
…………。
部活では、三人で劇の台本を作り始めた。
『シンデレラ』は古くから伝わる昔話のようで、それをまとめた作者によって話の展開がかなり違っているようだ。みんなのよく知っている展開の話は、十七世紀末にペローという人が書いたものらしい。これは現在、エスペラント訳も出ている。
でも、原作そのままでは俺たちの劇の台本にはならない。そもそも原作は台本形式ではないし、俺たちの劇は沢渡さんの二役を入れても登場人物が四人しかいないのだ。ちょっと変更しないと話が合わない部分も出てくる。だから、セリフのエスペラント文は全部、俺たちで作っていかなければならない。
「でも、観客がエスペラントを知らないってことは、間違っててもわからないってことじゃ……」
「ええっ。去年の先輩とかも見にくるんだけど……」
なるほど。へたな文を作るわけにはいかないってことか。
というわけで、この台本作りでかなり時間を食いそうだ。でも、最初は暗号のように思えていたエスペラント文も、わかってくるとおもしろくなってきた。
「じゃあ、そろそろお弁当にする?」
「そういえば、もうお昼ですね」
部活は朝から夕方まであるので、途中で昼食を食べる。俺たちの高校では、昼食を学校の食堂で済ませるやつはわりと少数派で、たいがいは弁当持ちだ。エスペラント部の三人も例外ではない。こんなせまい部屋で三人でいっしょに弁当を食べるなんて、なんとなく恥ずかしいけど。
昼。部室内の温度がどんどん上がっていっているような気がする。今までは夕方からの部活だったが、夏休み中は昼間の活動だ。昼間の部室がこんなに暑いとは……。もちろん、この部屋に冷房などはない。
「うー、暑ーい!!」
「この部屋はせまいから熱気がこもってる感じですね」
たしかにここは、部屋の外よりも中のほうが暑い。きっとせまい部屋に三人が密集しているせいだな。
「前の部室は冷暖房付きだったのに、なんでここは……」
……っていうか、前の部室はそんないい部屋だったのか。
「もう、暑いからこのブラウスも脱いじゃおうかなー」
わざわざ俺のほうを見ながら言う。俺をからかっているのが丸わかりだ。
「はい、はい。俺は止めませんよ」
「むー」
「でも、美音先輩は『暑い』と言いながら熱いお茶を飲むんですね」
美音先輩はタオルで汗をふきながら熱いお茶を飲んでいる。
「うん。私、お茶は熱いほうが好き」
「そうか。美音先輩は暑いのが好きだったんですね。さっきから『暑ーい』と言ってたのは、暑くて快感のあまり声を出してた……と」
「ちょっ……それじゃ私が変態みたいじゃない!!」
まあそれは冗談としても、汗をかきながら熱いお茶を飲んでいるなんて、見ているだけで暑そうだ。
「そうだ。明日、うちの扇風機を持ってきましょうか。机の上に置くような小さいのだったら使ってないのがあるから……」
「それは助かるー」
翌日、沢渡さんが扇風機を持ってきて、ようやくしのげるようになった。夏の間、部室に置いたままでもいいそうだ。卓上扇風機だが、テーブルの上に置くとせまいので、奥の戸棚の上に置いた。扇風機から来る風はなんとなくいいにおいのような気がした。
…………。
毎日暑い日がつづく。夏休み中の活動日の夕方。そろそろ終わろうかと話していると、外で雨が降り出した。
「ええっ、うそ……。今日は降らないって思ってたのに」
「ああっ、俺、傘(かさ)持ってきてない」
「えっ、二人とも傘持ってないんですか? ……じゃあ、わたしの傘しかないんですね」
「おお、さすが七海、用意がいい。それでこそ私の王子様」
「あはは。傘を持ってるだけで王子様なんですかぁ」
「いや、王子様なのは劇の役で……」
そして沢渡さんが、かばんの底から傘を取り出すと……。それは極端に小さな折りたたみ傘だった。
「うっ、小さっ!! この小さいのに三人は入らないよな。……ああ、俺、これぐらいの雨なら走って帰るから、二人で使ったらいいよ」
「……あ、でも、夕立ならすぐやむかも。しばらく待ってみようよ」
「そうそう。『俺はぬれていく』なんて、格好付けちゃダメよ」
三人でしばらく待っていると、雨は余計にひどくなってきた。もう、ぬれていくと言える雨量じゃない。雷がなっていないところをみると、夕立というよりは本格的に降り出したのだろうか。
夏休み中なので、ほかに傘を持っている知り合いを探しても、なかなか見つからないだろう。そもそも、この部室の周辺はほとんど人が来ない場所だ。もうこうなったら、三人で一本の傘を使うしかない。
かばんを持った状態ではどう考えてもこの傘に三人は入れない。どうせ明日も部活はあるんだし、かばんは置いていくか。
「かばん置いていくのはいいけど、電車の定期とか置いてっちゃ、また取りにくることになるよ」
「それはポケットに入ってるからだいじょうぶですよ」
「お弁当箱も持って帰らないと」
「あっ、そうか」
全員、最低限の荷物だけにしたが、この傘に三人が入るのは小さすぎる。校舎の軒下で傘の入り方を検討した。……まず三人が横に並んでみた。
「完全にはみ出してるね。……これ、縦に並んだほうが入るんじゃない? 人間は横幅より前後の厚みのほうが短いから」
「そうか。横長の人間を丸い傘の中に並べるんだから……」
まあ、腹が出ているやつがいるとこの理屈は成り立たないのだろうが、幸い俺たちは三人ともそんな体型ではない。さっそく、傘を持っている沢渡さんの前に美音先輩、後ろに俺が並んでみた。
「傘の高さは……これぐらいかな」
沢渡さんは俺の身長に合わせて傘を持った手を高く挙げている。どう考えても、一番背が低い沢渡さんが傘を持つのは無理があるだろう。
「傘は俺が持つよ。そんなに手を挙げたままじゃ疲れるだろ?」
「そっか。……そうだ。橋田くんが真ん中で持っててくれたら、うまく収まるかも。傘は真ん中が一番天井が高いから、背が高い人は真ん中がいいよ」
「なるほど」
まあ、俺と美音先輩はそんなに身長差はないけど、いちおう三人では俺が一番高いもんな。……というわけで、沢渡さんと交替して俺が傘を持ち、前に美音先輩、後ろに沢渡さんが並んだ。
「これでいい? じゃあ、出発!!」
少し雨の外に出てみる。
「後ろ、ちゃんと入ってる? 背中、ぬれたりしてない?」
「ありがとう。な、なんとか……」
「離れたらぬれるから、しっかりくっついてきて」
「うん」
沢渡さんが後ろから俺の背中にくっついてきた。背中が温かい。
「傘、もっと後ろで持ったほうがいい?」
「わぁ、私がぬれるって。……橋田君、もっと私にくっついてきて。密着してないと三人は入らないよ。……ほら、何、照れてんのよ。……いいから」
ええっと、いいのかな……。後ろから美音先輩にぴったり密着してみた。美音先輩の少しぬれた髪からは、ちょっと甘酸っぱいような、いいにおいがする。
「……そ、そんな感じ。これで三人ともぬれないと思う」
「……な、なんか電車ごっこみたいですね」
「恥ずかしいこと言わないで!!」
「てっ。……美音先輩、いきなり首振らないでください。いま美音先輩のポニーテールでビンタされましたよ」
「ええっ!? ポニーテールでビンタ? そんなマニアックな……。ええっと、こう?」
「……って、だれがやってくれと言いました」
「もう、二人とも何やってるんですか。……わたし、前がぜんぜん見えてないから、前の二人はちゃんと見ててくださいね」
「いや、俺もいま、目の前がポニーテールなんだ」
「何それ? ……でも、だったら七海が前のほうがいいかも。二人とも前が見えてないってのは危ないよ。私が後ろに行こうか?」
「おお、それなら俺がポニーテールに攻撃されることもない」
「攻撃って……」
順序を入れ換え、沢渡さんが先頭。俺が真ん中で、後ろが美音先輩になった。美音先輩が後ろから俺に密着してくる。うっ……。背中に何か弾力のあるものが二つ当たって……。ま、まさか後ろからもこんな攻撃手段があろうとは……。ぐはっ。
…………。
「あ、沢渡さん……。俺もくっついていい?」
「うん」
後ろから沢渡さんにくっつくと、沢渡さんはちょっとビクッとして……。
「そ、そ、それじゃあ、出発しますよ」
歩き出そうとしたら、二人の足がもつれて、倒れかけた。
「ご、ごめん」
「う、うん」
そうか。密集しているから、三人がそろえて足を出さないと歩きにくいんだ。
「せーの」……俺たち三人は足並みをそろえて歩き出した。はさまれて歩く俺。少し歩いただけなのにドキドキが止まらない。
…………。
でも、三人で駅前通りまで出ると雨が上がってきた。そして、駅に着くころには、もう傘はいらなかった。
「うーん。もうちょっと待ってたら、やんでたな。……ぬれなかったか?」
「うん、だいじょうぶ。こういうのもおもしろかったよ」
「……って、あっ!! そうか。俺が一番後ろに立って、前の二人に向けて傘を持てばよかったんだ。ごめん、俺が一番ぬれないとこを取ってしまってた。もっとよく考えてたらよかった……」
「うーん、でも……。橋田くんが後ろで傘を持ってたら、たぶん、わたしたちをぬらさないようにして、自分だけぬれてたんじゃないかな……。やっぱりこれでよかったと思う……」
「ええっ、俺、そんないいやつじゃないって。……あれっ!? まさか、最初からそれを考えて、俺を真ん中にって言ってたのか? 俺をぬらさないように……」
「えー、わたし、そんないいやつじゃないって」
「……って、あんたたち、なに、二人でいいやつごっこやってんのよ!!」
(つづく)
次回は第11課「不定詞・命令文」の予定です。お楽しみに。