(注) この物語に登場する人物・団体などはすべて架空のものです。
「今日はまず品詞語尾についてですね」
沢渡さんはふだんは少しずつ敬語なしで話してくれるようになったが、エスペラントを教えてくれるときだけは敬語のままだ。この感じだと来年は後輩にも敬語で教えそうだけど、まあ、教えやすい言葉が一番だな。
「この表を見てみてください。エスペラントはこんなふうに、品詞によって単語の語尾が決まってるんです」
品詞 | 語尾 | 例 (語幹が ĝoj-) | 例 (語幹が lum-) |
---|---|---|---|
動詞・不定形 | -i | ĝoji [ʤóːji] (ヂョーイィ) | lumi [lúːmi] (ル゜ーミ) |
動詞・現在形 | -as | ĝojas … 喜んでいる | lumas … 光っている |
動詞・過去形 | -is | ĝojis … 喜んでいた | lumis … 光っていた |
動詞・未来形 | -os | ĝojos … (未来に) 喜ぶ | lumos … (未来に) 光る |
動詞・仮定形 | -us | ĝojus … (喜べば) | lumus … (光れば) |
動詞・命令形 | -u | ĝoju … 喜べ | lumu … 光れ |
名詞 (固有名詞を除く) | -o | ĝojo … 喜び | lumo … 光 |
形容詞 | -a | ĝoja … うれしい | luma … 明るい |
副詞 (本来副詞を除く) | -e | ĝoje … うれしく | lume … 明るく |
「この、単語の前の部分 (ĝojas なら ĝoj-) を『語幹(ごかん)』って言うんです。後ろの部分 (ĝojas なら -as) は『品詞語尾』って言いますよ」
「ちょっと待って。品詞によって語尾が決まってる? それは、ひょっとして……、形容詞のつづりは全部『a』で終わってるとか、そういう話?」
「うん。形容詞は全部、単語が -a で終わってるし、動詞の現在形なら全部 -as で終わってるとか、決まってますよ」
「へぇ、それはすごいな。『まさに人工言語』って感じの統一感だな」
「うん。すごいよねぇ」
「……って、そこで二人で感心し合わないでよ。そんなの日本語だって、形容詞は全部『い』で終わってるよ。動詞も終止形は全部『うの段』で終わってるからローマ字で書くと語尾がそろうよ」
「あっ、そうか。日本語も語尾が統一されてるんだ。日本語もすごい!!」
「……って、大事なとこはそこじゃないって。エスペラントでは品詞語尾は意味が通じるかぎり自由に付け替えられるってとこが重要なのよ。全部の単語が規則変化で別の形に変えられるってこと。今まで出てきた単語もそうよ」
「つまり……『この単語の形容詞形は何』とかいちいち覚えなくても、語尾を規則的に付け替えるだけでいいってこと?」
「そ、そうなの。わたし、それを言わなきゃならなかったです。語尾を付け替えるだけで品詞を自由に変えられるんです」
「ってことは『knabino (少女)』を動詞・現在形にしたら『knabinas』とか……」
「『意味が通じるかぎり』よ。ま、文法的には間違いじゃないから詩的表現としてはありだと思うけど、ふつうは『少女』の動詞形なんて意味がわかんないよ」
「そうか。意味が通じなきゃ意味ないか」
「品詞の変換が自由って言っても、文の中では文法に合った品詞じゃないとダメですよ」
「『ĝoja』は喜んでる人も形容できるけど、『うれしい出来事』みたいに事柄も形容できる単語よ」
「動詞はそのままで述語になるけど、形容詞には『estas』が必要ってことですね。『Mi estas ĝojas.』とか、述語の動詞が二つになるのも間違いですよ」
「この二つの文みたいに、動詞で言っても形容詞で言っても似たような意味になるってことは結構あるよ。品詞の変換が自由だから、どっちの言い方でも自由にできるって感じね」
「ってことで、実は『Ŝi estas bela. (彼女は美しい)』って文を『Ŝi belas.』って、動詞で言うこともありなのよ」
「で、名詞・代名詞を修飾するときは形容詞形 (-a)。それ以外 (動詞や形容詞や副詞) を修飾するときは副詞形 (-e) を使いますよ」
「そうか。この二つは語尾だけの違いになるんだな。語幹部分は同じだ」
「あれっ。それじゃあ、代名詞の『mi (私)』の品詞語尾って『i』?」
「それは……。さっきの表に載ってない品詞には品詞語尾はないから、語幹だけで単語になってるんです。その『i』も語幹の一部なんですよ」
「でも、語幹だけの単語でも品詞語尾を付けて『語幹+品詞語尾』の形にできるんですよ。たとえば『mi (私)』は語幹だけだから、形容詞の品詞語尾 -a を付けたら、『語幹+品詞語尾』になって……」
「『mia (私の)』……所有形容詞か!! これは形容詞形だったんだ」
「ってことで、『形容詞は単語が -a で終わってる』ってのはたんなる結果なのよ。その本質は『形容詞にするには語幹に -a を付ける』ってことよ。『複数形にするには -j を付ける』ってのと同じように考えたらいいよ」
「……つまり、単語じゃなくて、語幹のほうが基本の形って考える?」
「うん。エスペラントではそう考えたほうがいいと思う。代名詞に品詞語尾がないのは、代名詞形なんて必要ないからよ。品詞語尾は、語尾を統一するのが目的じゃなくて、規則的に品詞を変えたいってのが目的だからね」
「ところで、さっきの表の一番上にあった『動詞・不定形』って何?」
「……実はエスペラントでは、動詞は不定形が原形 (基本形) なんです。だから辞書には、現在形じゃなくて不定形で載ってるんですよ」
「えっ、現在形と原形が違う?」
「うん。えっと……」
「ほら、英語でも、現在形は『am / are / is』だけど、原形は『be』ってのがあるよね」
「そうか。じゃあ、前に出てきた『estas (〜である)』も現在形だから、原形は『esti』か。こっちが基本形なんだな」
「うん。辞書には『esti』で載ってるんです。じゃあ、これから動詞を紹介するときは、辞書に合わせて不定形 (品詞語尾が -i の形) で言いますね」
「さっきの表に書いてあった『仮定形』とか『本来副詞』とかはもうちょっと先に進んでからやるよ」
「じゃあここで、合成語の仕組みについてもやっておこう」
「はい。じゃあ、この二つの単語を使って説明しますね」
「これから新しい単語を紹介するときは、語幹を濃いめに、品詞語尾を薄めに色を付けておくよ。もちろん、これ以降も『frue』で副詞形の『早く』って意味になるとか、品詞の変換は自由よ」
「『合成語』は、それぞれの単語の語幹どうしをくっつけて、それに新しい品詞語尾を付けた形なんです」
「図で書いたほうがわかりやすいですね。……これ以上意味が分解できないような語幹を『語根(ごこん)』って言って、これがくっつくんです」
「つまり、『fru-』や『maten-』が語根。『frumatene』の語幹は、この二つの語根からできてるよ」
「つまり、語根が一つ以上つながって語幹になって、それに品詞語尾が付いて単語って構造か」
「うん。これ、『frua』と『mateno』って単語を先に知ってたら、初めて『frumatene』って単語を見ても、すぐ意味がわかると思いますよ」
「えっ、そんなもん?」
「じゃあ、たとえば……。『belknabino』……これは何かと何かの合成になってるけど、どんな意味だと思う?」
「えっ、そんな単語出てきてな……あれっ? ……『bela knabino (美しい少女)』……美少女?」
「ほら、初めて見る単語なのに意味がわかった。まあ、こんな感覚よ」
「おおっ?」
「エスペラントの単語は、たとえば『学校』って単語でさえ『学ぶ+場所』の合成になってるとか、とにかく合成語が多いのよ。でも合成語が多いってことは、少ない語根を覚えただけで多くの単語を覚えたことになるってことよ」
「『fervoje』で『鉄道で』とか、さらに品詞変換できるよ」
「ああ、そういう仕組みなんですね。意味の組み合わせでできてるのか」
「合成語にパッと気が付けるようになるには、単語を覚えるときに語根の形を覚えるようにするといいみたいです。『frua = 早い』じゃなくて『fru』の形を覚えとくんですね」
「そうか。合成語には、単語じゃなくて語根の形で埋め込まれてるからだ」
「なんでさっき、新しい単語を紹介するときに語幹 (語根) を濃いめに、品詞語尾を薄めに色を付けておいたかわかった? 語根の形を覚えやすいようにってことよ」
「でも、語根をつなげたときに、子音が連続しすぎて発音しにくくなることもありえるよね。その場合は、間に母音 (名詞語尾『o』とか) を入れてつなげてもいいことになってるよ」
「ふつう、子音二連続なら母音は入れないけど、四連続になるなら入れるかな。三連続は入れても入れなくてもいいぐらいね」
「じゃあ、今日の最後は数の表し方です。数は『数詞』っていう品詞を使って表しますよ。これも品詞語尾がなくて語幹 (語根) だけの単語です」
「『unu』だけ母音が二つあって長いってことで、号令とかでは『un'』(ウン) って略すこともあるよ。あと、『cent』の発音は間違えないでね。『c』はサ行じゃないよ」
「数詞は『du knabinoj (二人の少女)』とか、そのままで名詞を修飾できるんですよ。でも形容詞と違って、数詞は複数形 (-j 付き) にはならないです」
「ふーん。……でもまあ、数まで複数形になったら『二の単数形ってなんだよ』って話になるよな?」
「あれっ、それもそっか」
「二ケタ以上の数は一ケタずつ単語を区切って、そのままくっつけるだけなんですよ。これも一種の合成語ですね」
「もちろんくっつけたものは一つの単語になるから、その後ろから二番目の母音にアクセントね」
「へぇ、日本語と同じ順番にくっつけるだけなんだな」
「うん。でも、千以上の数は三ケタ区切りで言うんです。『千』がいくつって感じですね」
「じゃあ、『35,041』ってコンマで区切れば読みやすいってことか」
「あっ、数字の三ケタ区切りは、コンマじゃなくて空白で区切るほうがいいみたいです。『35,041』じゃなくて『35 041』ですね」
「えっ、なんで?」
「コンマだとまぎらわしいみたいです。えっと……」
「うん。実は、三ケタごとコンマで区切って小数点にピリオドを使うっていうのは、英語圏を中心とした習慣みたいよ。ほかの国では逆に、三ケタごとピリオドで区切って小数点がコンマってとこが多いようなの。これがまぎらわしいから、国際的には『区切りたければ空白区切りで』って話になってるみたいね」
「つまり、『2,718』と『2.718』が、『二千七百十八』と『二点七一八』なのか、その逆の意味なのかがバラバラなのよ」
「ええっ? それって、国によって書き方が違ったのか」
「うん。世界は広いってことかな。案外、英語の習慣を世界の習慣だと思い込んでることっていろいろあるのかもね」
「……でも、小数点は空白にするわけにいかないのが問題ですよね。エスペラントでは、小数点にはコンマを使うことのほうが多いみたいです」
「これ、小数点なのか。うーむ、世界は広い……か」
「日本でも『コンマ一秒』って言い方もするよね。あれよ」
「じゃあ、数の言い方を勉強したから…………トランプしようか?」
「へ!?」
俺が驚いている間に、美音先輩は部室のすみに置いてあった箱の中からトランプを取り出した。あれは引っ越しのときに俺が最後に運んだ箱……ってことは、このトランプは部の備品か。
「ちょっと人数が少ないけど、大富豪から始める?」
「はい、やりましょう」
「ちょっと待って。いきなりトランプって、何?」
「数を言う練習よ。カードを出されたらその数字をエスペラントで言うの」
「ああ、そういう話……」
こうして、部室でトランプが始まった。
「……部活中にトランプとかって、よくやってたんですか?」
「べ、別にトランプがやりたくてやってるんじゃないのよ。数の言い方の練習よ。こういうのは、考えずにすばやく言えるようにならなきゃね」
「はい。くりかえし練習することはたいせつだって、美音先輩いつも言ってましたもんね」
くりかえし練習か……。でも、それって結局、部活中にいつもトランプをしてたってことだよな。美音先輩のその言葉は、マジメに解釈していいものなのか?
(つづく)
次回は第4課「目的語」の予定です。お楽しみに。