4月21日

2023年(金)

モバイルICOCAに上限までチャージするボタンが欲しい.もう一つ.「全ポイントをチャージする」ボタンも欲しい.

2022年(木)

ウクライナへの“千羽鶴”に賛否 寄贈断念も…「無意味」批判の声には疑問

青と黄色の折り鶴を折ることによって、ウクライナの話をしながら、思いを寄せるとか。もし、自分がウクライナにいたら、どうするとか。(話を)広げていくための大切な時間を作る題材となるかなと思う

鶴を折るなとは言ってない.折りたければ折れば良い.ウクライナに送るのはやめろって話だ.送るならロシアだ.嫌がらせなんだから.

祈りに力があると思って、折っている人たちのほうが、この行為を攻撃してくる人たちよりは、平和に近い生き方のように思います

相手の迷惑を考えず,自己満足のためだけに行動する.平和とは程遠いよ.折り鶴を作る折り書を買うお金を,募金箱に入れとけ.

2021年(水)

在宅勤務PCの監視アプリが登場。URL閲覧時間や自動スクリーンショット機能付き

ManicTimeフリー版を入れてる.会社に言われたからじゃなくて,個人的に.何をやっていたのか記録を残すため.何か忙しかったけど仕事が進んでない,そんな時にログを見て何やってたのか確認している.

在宅勤務監視用なんて,売り方が悪いね.

2020年(火)

世界は60年前の言語で動いている。米コロナ失業申請がクラッシュ、COBOLの古兵が大忙し

部下A:……なんてことなの.
上司:どうしたんだ?
部下A:ものすごい数のエラーが発生しています.
上司:原因は何だ?
部下B:見てください.エラーデータの一覧です.こんな仕様聞いていません.
部下A:大変です!このままではサーバがダウンします!
部下B:このエラーデータをどう処理したら良いんだ!誰も仕様が分からない!仕様書がないんだ!
上司:いや.仕様書ならあるぞ.
(部屋の片隅でほこりを被っているメインフレームを見る)
部下B:本気ですか?あれは博物館物ですよ.電源の入れ方だって分からない.Cobolなんて誰も分からない.
(メインフレームの影から姿を現す老プログラマ)
上司:あなた達の力を借りたい.
老プログラマ:若いの.年寄りの昔話に興味はあるかな?
部下A,B:もちろん.
老プログラマ:よし.ロックンロールだ!

バトルシップばりの胸熱なシーンを想像した.

2019年(日)

免許を返納したら,タクシー代が半額になるとか思いきったらどうなんだろうね.

2018年(土)

録画していた「新・木枯し紋次郎」を見る.主題歌が上條恒彦じゃないのか.そして,「木枯し紋次郎」,「続・木枯し紋次郎」,「新・木枯し紋次郎」と続いていたってことを初めて知った.

2017年(金)

会社からの帰り.いつものように母親の運転する車で駅から移動.いつも通る交差点を直進した時,後ろから声が.「はい,そこの運転手さん.その先の駐車場に止まってください」.

えっ,と思って振返ると,赤色灯を点けたパトカー.パニックになる母親.とりあえず駐車場に止まる.

警官:すみませんね.新年度で飲酒運転が多いので停めさせてもらいました.飲酒はされてないですね.
母親:はい.
警官:念のため,免許証確認させてください.

検問ならともかく,後ろからパトカーに停められるとかなりびっくりする.

2016年(木)

忘れていた契約を1件発見.今月末までに締結しないとまずい.急遽見積書をもらい,契約書作成.1時間で稟議まで上げる.最速記録であろう.

2015年(火)

仕事がたてこんでいて,イングレスを行う時間がとれない.ポータルがどんどん取られていく.レベルの高いアイテムの補給も滞り気味.

2014年(月)

山口へ引越中.

2013年(日)

去年からアクションプランも,予算も作らなくて良くなったのだ.一昨年めちゃめちゃ苦労して結果ろくなものが作れなかったことを思うと,まあこれで良かったんだろうなあ.

2012年(土)

大阪へ引越中.

2011年(木)

形だけ作ったアクションプランを提出したが,当然だが練り直し.しかも予算の組替も今日が期限で,週報も出さないといけない.

今日も終電を逃す.

2010年(水)

夕方から東京へ移動.新年度の挨拶のため,明日・明後日と客先を回る予定.そして,人事考課の面接.新幹線の中で人事考課の資料を作る.新大阪以東で無線LANが使えるので,アクセスポイントを眺めてみた.DoCoMoやSoftBankに混じって見つけた“Free Public WiFi”の文字.なんだか怪しい.つないではいけないのだろうなあ.

2009年(火)

消費者庁新設.自民党が次の選挙に勝てば,そのまま野田聖子が留任しそうだし,民主党が勝てば(多分連立を組む)社民党がほしがりそうなポスト.どっちになっても期待できん.できることと言えば,モンスター消費者をたきつけることぐらいだろうか.

今日の体重:77.0kg.

2008年(月)

「昨日民主くんを見た」と会社で何人かに話してみた.反応は「は?何ですかそれ」.全然知名度ないよ.せんとくんの方がはるかに知名度があった.

「せんとくん」の恋人として新キャラクタ「るいすちゃん」と言うのを作ったらどうだろう.

今日の体重:81.2kg.

2007年(土)

昼飯を食べようと,近くの店に行った.閉まっている.今日は夜のみの営業と張り紙がしてあった.しょうがない,少し歩いて沖縄料理を食べよう.と思ったが,ここも閉まっている.前回も閉まっていた,どうやらつぶれたらしい.では,ラーメンにしようと,また少し歩いた.が,今度は店がない.店があった場所は駐車場になっていた.

今日の体重:80.6kg.

2006年(金)

急遽徳島へ出張.徳島はこれまで行ったことはないが,昨日のうちにJRおでかけネットで経路を調べて切符は手配済み.この通り電車に乗っていけば問題ないはずだ.

まず岡山まで新幹線.その後,マリンライナーに乗換え.混み具合がわからなかったので指定席を取ったが,自由席でも十分座れそう.マリンライナーには網棚がなく荷物の置き場所がない.ちょっと困る.

瀬戸大橋を渡る.指定席は2階立て車両の1階で,しかも席は通路側.あまり見晴らしは良くなかった.

高松到着.特急うずしおに乗換え.高松駅は発着音が「瀬戸の花嫁」だ.車両はディーゼル.岩徳線に乗って以来のディーゼル.特急のはずだが,あまり速くはない.

11:53徳島駅到着.打合せは13:00からなので,昼飯を探す.ホームにカレー屋があったが,徳島まで来てカレーというのも芸がない.駅を出て周りを探索.「徳島ラーメン」と銘打ったラーメン屋が数件.聞いたことはないが名物なのだろうか.

ラーメンは見送ってうどんを食べる.よく考えるとうどんは香川て徳島ではないような気もする.

13:00から17:00まで打合せ.その後晩飯を食べる.「徳島ラーメン」は徳島の名産品らしい.こってりしすぎていて好き嫌いが分かれるらしい.

22:00頃徳島駅付近をうろうろしていると,絵に書いたようなコギャルが数人たむろしていた.徳島にはまだ生き残っているようだ.

駅の側のアーケード街ポッポ街を往復.時間が時間だけに開いている店は少ない.マンガ専門の書店があったりメイド喫茶があったりと普通の商店街とは少し違う雰囲気を感じつつホテルへ移動.

2005年(木)

「中国が反日デモを繰返すのなら,中国へ進出した企業は全部引き上げてしまえばいい」.経済が相互補完的な性質を持っていることを理解できない幼稚な意見だ.進出しているほうが無条件に偉いという一方的な関係はありえない.

もし,中国に進出している全日本企業が引き上げたとしよう.そこで働いている中国人は働き口がなくなって困る.しかし,中国からの輸入品を国内に販売していた会社も売るものがなくなる.したがってそこで働いている日本人も働き口がなくなる.

そして,日本企業が引き上げた後でも,中国から農水産物の輸入が続くと思うのは日本人の甘えであろう.中国からの農水産物の輸入が止まると,日本の食卓から消える食べ物が発生する.したがって,日本人は働き口と食べ物がなくなる.

日本企業が中国以外の国に生産拠点を移すには,数年から数十年のの時間がかかるだろう.建物を作るだけでなく従業員の教育もしないといけない.中国に日本以外の国が生産拠点を作るにはどれぐらいの時間がかかるだろうか.撤退した日本企業が教育済みの従業員がいて,後はハードウェアを作れば日本企業のいない中国市場に進出できる.撤退した日本企業に,中国市場への参入の可能性はない.

2004年(水)

3月末で会社を辞めた元社員の家から,会社へ電話がかかってきた.わしが直接対応したわけではないので良く分からないが,本人を呼んでほしいらしい.どうやら,家族には話していなかったようだ.毎日弁当持って会社へ行く振りをしていたのだろうか.

2003年(月)

茨城の井戸から砒素を検出.旧日本軍が埋めた毒ガスの一部ではないかと言う説もあるらしい.もしそうなら,大変だ.日本には大量破壊兵器が残っているということだ.早く処分しないとアメリカ軍から爆撃されるぞ.

2002年(日)

何か新しい法案が出てくるたびに有権者が繰り返す言葉「良くわからない」.はっきり言っとこう.政治家や官僚が「良くわからない法案」を作る最大の理由は,その「良くわからない法案」に有権者が賛成するからだ.

「今の与党の出した法案は良くわからない.だから野党に投票する」わけでもなく,「良くわからないけど与党に入れる」あるいは「良くわからないから棄権する」という有権者が多数である限り,政治家も官僚も「良くわかる法案」なんて作りはしない.

政治が良く分からない最大の理由は,有権者が理解しようとする努力を放棄しているからだ.政治家や官僚に対して「理解できないからわかるように説明しろ」という権利を有権者は持っている.それを行使する場が選挙だ.

「理解できないから否」ではなく「理解できないから是」としてしまう有権者にわかりやすい説明など不要だ.ましてや「理解できないから棄権=理解できないから全面賛成」などという行動をしておいて,「政治家が勝手なことをやって,私達一般庶民(反吐が出る言葉だぜ)は被害者です」などと言うやつは下の下だ.そんな有権者にわかりやすい説明なんて無用だ.

2001年(土)

雨で出かけられないので,「山崎裕司 ISO9000'sが会社をつぶす 日刊建設通信新聞社 1,500円(税抜き)」を読む.新書版で全225ページ.文体も平易なので,そんなに時間をかけなくても読める.

数年前のことだ.当時いたシステム開発会社の私のいた部門がISO9000の取得をしようとしていた.基礎知識をつけようと,秋葉原の書泉ブックタワーで数冊まとめて買ったISO関連の本の中の1冊.買った本のほとんどは処分したが,これは処分しなかったようだ.ダンボールの中から出てきた.

当時,会社からもISO9000に関する資料や説明はあったが,私の中では釈然としないものがあった.時間もなかったので,大急ぎで斜め読みした記憶しかないが,この本のおかげで,会社からの説明を聞いて持った疑問は間違いではないことがわかった.実は建設会社へのISO9000の導入に関する本だが,建設会社とシステム開発会社,分野は違えどISO9000に関して落ち込む間違いは同じということのようだ.

当時のことを愚痴っぽく振り返ると・・・.

ISO9000の話を聞いて,まず思った疑問は,量が膨大で形骸化し誰も使っていない開発標準の焼き直しになるのではないかということだった.もしそうなら,そんなものには何の価値もない.当時の開発標準は,用紙のフォーマットを大量に決めているだけで,「いつ,誰が,何を根拠に,どんな内容を,どの書類に書くのか.書くとどんな良い事があるのか」については全く考慮していなかった.

事実,ISO9000取得プロジェクトチームの考え方は「現行開発標準でISO9000の基準はほぼ満たしている.若干の手直しで取れるはず」と言うものだった.事実,どこかで見たことのある,そしていつの間にか使わなくなった開発標準と良く似た新資料が回ってきた.

休日出勤までさせられて,開発標準もどきの資料の説明を受け,いいかげん腹が立った.そこで,当時の上司にこの辺りについて意見を言い,質問を書き,プロジェクトチームに確認してくれるように,あるいは質問の時間をくれるように頼んだ.回答は「プロジェクトチームは忙しいだろうから,質問は控えたほうが良い」ということだった.

そして,ISO9000をめでたく取得.私の中でのISO9000の評価は暴落した.

この本の主旨は「ISO9000取得の意義はシステム作りにある.コツはシステム作りと文書作りを分けること」だと思う.至言である.