文珠山~嘉納山~源明山

はじめに

飛石連休の狭間の平日(3/21),休みを取って山に行くことにした.文珠山から嘉納山を通り源明山まで歩こう.7年前に途中までで引返したルートを,今度こそ踏破するのだ.家にあったみかんをふたつ,マカダミアナッツチョコを一箱.温かいお茶しかないのは残念だが,水筒にお茶を詰め準備完了.

文珠堂から文珠山へ

まずは文珠堂を目指す.7年前は自転車だったが,2008年は自動車だ.登山道入り口で昼食用におむすびを3個購入.7年前はポプラだったが,今はセブンイレブン.7年というのは短くはない時間なのだ.

県道106号線を登り文珠堂の駐車場に到着.先客に軽自動車が1台.助手席でオヤジが寝てた.あまり気にせず,文珠堂への階段を上る.この程度の階段は軽々登って・・・と言う予定だったが,上りきってかなり息が切れた.数分ぐらいなのに,これは予想外だ.

文珠堂にはおじさんやおばさんが数人いた.疲れた姿を悟られないように(まだ始まったばかりだ),文珠山を目指して更に上へ.10分後,文珠堂と文珠山の中間地点に到着.この時点で既に汗がダラダラ.フィットネスで歩く10分とは比べ物にならないぐらいきつい.文珠山まではもっと楽に行くはずだったのだが,既に目論見は外れかけ.

登山道の数箇所に謎のプレート発見.近づいてみると,何かと話題の国土交通省道路特定財源で作ったのだろうか.

そんなことを考えてもきついことには変わりなく,歩くこと20分文珠山山頂到着.前回あった展望台はなくなっていて,山頂から少し外れたところにプレハブのようなもを作っていた.大畠瀬戸を眺めつつ昼食.セブンイレブンで買ったおにぎりを取出す.ここで大きな失敗を一つ.3個のお結びの内一つは炒飯のおにぎり.温めていない炒飯はあまりおいしくない.「全品100円なので,通常価格の高いものを買おう」と言う経済的な理由で選んだのは間違いだった.おにぎりを食べ終わり,みかんを一つ食べお茶を飲む.お茶は温かかったが,とてもうまい.

案内板を眺める.嘉納山までは50分,そこから源明山まで更に50分.先へ進もう.

嘉納山へ

展望台を撤去したためなのか,プレハブを建てるためなのかはわからないが,道にくっきりとキャタピラの跡.先日降った雨がキャタピラの跡にたまりぬかるんでいるところもあり,歩きにくい.20分ぐらい歩くと杉林の中に突入.剪定したらしい杉の枝が所々に落ちている.雄花が鈴なりだったので,足で軽くけってみた.花粉が飛散.おー,こんなにはっきりと見えるぐらい大量の花粉が飛ぶのか.しかも1回や2回ぐらい飛ばしたのではなくならない.ひとしきり花粉を飛ばし終わり,先を急ぐ.杉林を抜け,広葉樹林に入る.林の間から瀬戸内海が見えた

嘉納山山頂に到着.先客が3人.おじさん1人とおじさんとおばさんの夫婦.挨拶だけしてあたりの写真を撮る.岩国方面.(多分)四国方面.隣山の嵩山(だけさん).嘉納山からは嵩山と源明山に行くことができる.今日は源明山に向い,嵩山は次の機会としよう.

源明山へ

少し歩くと,嵩山と源明山の分かれ道に到着.さっき嘉納山山頂にいたおじさんとおばさんに追いついた.

おじさん:どっち(嵩山 or 源明山)ですか?
わし:源明山です.
おじさん:私らも源明です.まあ,私らはゆっくり行きますから,お先にどうぞ.

「お先にどうぞ」と言われると先に行かないと気まずい.少し速度を上げて,少し無理して歩く.ところが,なかなか距離は開かない.さほど距離が開かないまま岩屋観音へ向う分かれ道に到着.おじさん達はそのまま源明山に向うようなので,わしは岩屋観音に向う.おじさん達と少し距離をとろう.

前回同様,岩屋観音に向う道は獣道だ.何だか良くわからない実が鈴なり担った木をくぐり,更に道なんだかどうなんだか不安な道を奥へ進む.5分ほど歩くと岩屋観音到着中をのぞいてみる.仏像とはいえ,もう形はわからない.一休みして引返し,源明山へ向う.

前回は,ひざが痛くなり岩屋観音の先で引返した.今回はまだひざは痛くない.源明山まで行けそうだ.道もさほど上下はない.楽観的に考えつつ歩くこと40分.出発して3時間ほど過ぎた辺りからひざが少し痛くなってきた.源明山まで行った後,これまで歩いた道を戻らないといけないのだが,大丈夫だろうか.そんな不安を追い払ってくれるのが,林の切れ目から見える瀬戸内海の風景.大島のしっぽの部分が見える.地図と同じ風景が眼下に広がる.

ちょっと前から膝が痛い.ちょっと休んで持ってきたチョコを口に入れる.が,チョコの味がしない.なんか全然甘くない.まあいい,気にしないように歩いていこう.と思っていたら,上下がきつくなる.登りよりも下りが膝にはきつい.気にしない気にしない.気にしたらますます痛くなって歩けなくなるぞ.

歩くこと20分.源明山まで後300m地点まで到着.その標識の側に小さい石碑らしいものを見つける.近寄ってみる.隣の木札には「慶応二年六月十六日 四境之役源明峠戦供養(この先が読めない)」.裏には「平成(ここから先は読めない)」とあるので,木札だけ新しく建てたようだ.石碑からは何も読めない.実は,源明山を目指したのは,四境戦争の石碑があると何かで見たから.それがこれなのだろうか.とりあえず,源明山頂上を目指そう

10分ほど歩いて山頂に到着.岩屋観音で別れたおじさんとおばさんが一足先に到着していた.

おじさん:ゆっくりでしたね.
わし:ええ,岩屋観音を回っていました.
おじさん:ああ,そうですか.私らはここから山を下りてタクシーで文珠堂まで帰ります.もう歳ですから,歩いては帰れんですわ.

「カメラを持っていれば写真撮りましょうか」と言ってくれたが,自分の写った写真は撮るつもりがなかったので,遠慮した.今思えば,(いる・いらないは別にして)写真を撮ってもらい,そのお返しで二人の写真を撮ればよかったのかなと思う.

山頂にあったのが,四境の役大島口戦跡碑.多分こっちだろう.字は佐藤栄作か.なんか,佐藤栄作では「時の権力者に媚を売っている地元(田舎者)」の姿が生々しくて,嫌な感じ.伊藤博文や山縣有朋位時間が経っていたら,売った媚も少しは枯れていた気がする.

山を下る

いい天気なので山頂で横になってしばらく休んで,帰ることにする,来た道を戻らないといけないので.あまり時間はない.来た道を戻って山を下る.どんどん下る.まだ下る.あれ,こんなに下ったか?そろそろ登りがあったはずと思うのだが,そんな感じはなく道は下り続けている.道の横にしいたけを見つけて確信した.道を間違えた.来るときにはしいたけはなかった.それにしても,どこで間違えたんだろう.

ここで選択肢は二つ.

  • 源明山まで引返して,文珠山へ続く道を探す.
  • このまま山を下りて,文珠山までタクシーで戻る.

この時点でかなり膝が痛くなっていたので,源明山へ引返す(再び上り坂を登る)のは諦める.山を下りてタクシーを呼ぼう.奇しくも源明山で分かれたおじさん達と同じことになってしまった.

10分ほど下ると舗装した道路に出た.しかし,すぐに舗装はなくなった.轍があるから民家が近くにあるはずだ.そう思いながら先に進む.更に進むこと10分,広い道路に合流.ようし,後は目印になるもの(学校か店か)を見つけてタクシーに来てもらおう.膝はかなり痛いが,もう少しだ.

いくつか民家が見えてきた.が,人の気配がない.よく見ると,雨戸が閉まっている.空き家らしい.あたりを見渡しても家はあるが人がいない.とりあえず,下っている方向に歩き続ける.最悪海には出られるはずだ.海に向えば人がいる.

歩いていると,100m位向こうの畠の中に人がいた.この距離で叫ぶのも変だ.下手したら不審者.諦めて更に歩く.舗装した道路を歩いているのにこれだけ膝が痛いということは,あのまま山道を歩いて戻るのはかなり無理があったのかもしれない.道を間違えたのは良かったことなのかもしれない.などと,自分に言い聞かせ更に先へ進む.

人なんかいなくて良いから,タクシーを呼ぶ目印がほしい.そう思いながら歩いていると,神社発見.ここでタクシーを呼ぼう.境内に入ってみたが,ここにも人がいない.神社の名前はわかったが,住所がわからない.大まかな場所ぐらいわかれば何とかなりそうだが,無人の神社の名前だけでタクシーを呼ぶのはさすがに無理か.先へ進もう.

屋代ダム

更に歩くこと40分.屋代ダムにたどり着いた.文珠山へ向っていたら着いているような気もする時間だ.まあいい,ここなら目印になるだろう.わかりやすいように事務所の前まで移動してタクシー会社の電話番号をiモードで調べる.携帯持って来ててよかった.公衆電話なんて全然見当たらない.

わし:タクシーを1台お願いします.
受付:ありがとうございます.どちらですか?
わし:屋代ダムの事務所の前にいます.
受付:わかりました.

やった.通じた.屋代ダムで通じなかったら,説明する術はなかった.

しばらく待つとタクシー到着.乗込んだわしに運転手さんが一言.

事務所って無人ですよね.どうしたんですか.

わしを見つけた運転手さんが怪訝そうな顔をした理由がわかった.無人のはずのダム事務所からタクシーの依頼が来たら,それは怪しいよな.ここまでの経緯を説明して文珠堂へ向ってもらった.2000円ぐらいかかって文珠堂到着.もっと近いと思っていたが,結構距離があった.

右膝が痛くて車の運転が怖いが,無事帰宅.