Maggie's J‐POP論

その9 いまさら懐かしいおニャン子クラブ

おニャン子クラブというと,今から約20年前に流行った「夕焼けニャンニャン」から出てきた女性アイドル集団。当時はたしか小6から中2だったと思う。今では,某バラエティの女性格づけの番組にレギュラー出演する女優もいれば,はたまた,自身もソロアーティストとして活躍する一方で,超スーパーアイドルsmapのこれまた人気ナンバーワンの妻になった者もいれば,はたまたバラエティのアシスタントや台湾通として活躍する者もいたり……と,ソロになっている何人かの活躍は周知の事実である。たしか,その後も何度か似たような番組ができて,同じく似たような集団が出てきたが,いまだかつてこのおニャン子クラブは越せなかった。もっとも,その“似たような集団”からも,ソロになって芸能人として大成した女性は何人かいますけどね……。
ちなみに,いま活躍しているモーニング娘。はこのおニャン子クラブとは違うものと思っている。というのは,モーニング娘。はあくまでアーティストだからだ。おニャン子は間違いなく素人集団である。「ちょっと可愛い隣の女の子が,ちょっと放課後に芸能活動してまーす」的な位置付けだ。その中から本格的に芸能人としてメシを食おうと努力して生き残っているのが,上述の女性たちであって,対するモーニング娘。は初めからプロのアーティストとしての作法を身に付けさせられている。「ASAYAN」を通して毎回放映された彼女らの奮闘ぶりを見れば,明らかにプロとして花開こうとしている姿が見て取れた。おニャン子は,決して自分らの曲を手売りなんかしなかっただろうし。

……相変わらず話が長いが,そんなおニャン子クラブの楽曲というと,いかにも歌いやすくてアイドルチック。「作詞・秋元康,作曲・後藤次利」が定番で,そのほとんどはお世辞にも上手いとは言えない歌唱力。それでも,たしか全盛の1986年は,オリコンの1位のほとんどを彼女らが占めていたのだ。週代わりにおニャン子かソロで1位をゲット。それも,パッと出てパッと消えていき,年間チャートにはまずもって出てこない……これもまた,『LOVEマシーン』『ハッピーサマーウエディング』などのミリオンヒットを持つモーニング娘。とは大違いだろう。
それでも,たくさんあるおニャン子クラブやソロワークの中には,素晴らしい楽曲がいくつも存在する。おニャン子がオンタイムで活動していたころは,まだ私はCDコンポを持っておらず,カセットを買ったり,はたまた今は誰もやらない「テレビのスピーカー脇にラジカセを置いて,生テープ(死語!)で録音方式 featuring たまに家事の音やチャイムなどの雑音」などで聴いていたと思うが,その後はつくづくCDで買わなかったことを後悔していたものだ。しかも,それらのカセットはすべて実家に置いてきてしまったし,第一このご時世でカセットというのも何だし,あらためてCDを……と思っていたら,軒並み廃盤だったりする。よって,中古品やら最近よく出るアイドルの復刻版を買ったりして,いまコツコツと手に入れてMDに収めている状況だ(このMDも,はっきり言って時代遅れなのかもしれないが……)。

はたまた長くなってしまったが,いよいよ本題。ここでは,私が勝手に「これは名曲!」と思うおニャン子およびソロの曲をつらつらと書いていきたいと思う。

@『KISSはMAGIC』(福永恵規・内海和子)
“恵規”で“さとみ”とは誰も読めんだろ。彼女はキュートなんだけど,たしか彫りが深くてハワイ人だかに間違われて……いかんいかん,曲紹介だ。その6「私が勝手に決めつける『J‐POPベストソング20』」で第10位に入れた名曲である。オリジナルは1986年に出た『PANIC THE WORLD』というアルバム。カセットだと,A面がオリジナル十数曲(表題はこちらに収録),B面が過去のベストが一つになったやつだと思う。
上項でも触れているが,全体を通してアップテンポでラテンな曲であり,それを特徴づけるのは,日本を代表するパーカッショニスト・斉藤ノブ氏演奏によるパーカッションだ。彼だけでなく,クレジットを見てみると,いずれの楽器も日本を代表するミュージシャンが演奏しているのであるが,おニャン子の中でも比較的歌が上手かった(と思われる)2人の歌唱力がその演奏に負けていないおかげで,これだけの名曲に仕上がったのだと思う。
いまカバーするのだったらば,モーニング娘。の石川梨華嬢と藤本美貴嬢,あるいは’ダブルユー”あたりが歌ってもいいだろう。決していま聴いても古臭さは感じないと思われる。もっとも,この二つのユニットとも,原曲の福永・内海より歌唱力が上かもしれないので,年齢的には(当時の福永・内海と)どっこいどっこいか少し下でも,結果的には“大人びた仕上がり”になるのかな。

A『MERRY X'MAS FOR YOU』(河合その子・国生さゆり・城之内早苗・渡辺美奈代・渡辺満里奈)
1986年秋に出た同名タイトルのミニアルバムに収録。5人がそろって歌うこの曲と,各人がソロで1曲ずつ歌って計6曲が収録されていたと思う。いまとなっては何故そうしたのか不思議だが,たしかこれを祖父がLP(これも死語!)でレンタル屋で借りて,それをカセットに録音したと記憶している。CDで借りなかったのも不思議だが,それよりも何よりもなぜ祖父に借りてもらったのだろうか。たしか,店が駅前にあって家から遠くて,でもって高校生未満は親の許可がないと借りられない店と記憶しているが……うーん,今となっては祖父は他界してしまったので,真相は謎である(って,大げさか)。
そして,上述のように当時のCDはすでに廃盤。何度となく巷の中古ショップやレンタル屋で探したものの見つからず。あるいは,ヤフーのオークションに出ていたが,そこまでしてゲットしたいわけでもなく……と思っていたら,これを書いているまさに今日,偶然入った新宿タカシマヤタイムズスクウェアのHMVのオムニバスコーナーで,この曲が入ったコンピレーションCD『アイドル・クリスマス』を発見(そもそもは別の楽曲を探していたのだが)。まだ発売して1カ月ほどのものだが,レンタルを期待せずに購入してしまい,感動のあまりこの項を書くそもそものきっかけになった……なんて,関係のないところでまたも長くなってしまいまして,すいません(笑)。
そう,肝心の曲は「素晴らしい」の一言だ。正統派なスローバラードで飽きが来ない。そして,イントロと締めのアコースティックピアノとフレーズを聴くにつけ,ホントにクリスマスに聞きたい曲って感じがする。サウンドは,そのアコースティックピアノをベースにして結構重厚だし,ヘンな打ちこみとかじゃなくって,ちゃんとしたミュージシャンがバンドになって演奏しているのだろう。楽曲の素晴らしさは,さすがメロディーメーカー・後藤次利氏である。
歌については,やっぱりサビのコーラスがピカイチ。このコーラスを使って確実にアルバムのCMが作れると思う(もしかしたら実際にあったかも)。もっとも1人1人については,元々民謡を歌ったりして歌唱力が折り紙付きだった城之内早苗氏を除くと,まあ“そこそこ”か“それ以下”な歌唱力だと思われるが,5人でそろうと“それなり”に聞こえるから,日本のレコーディング技術って凄い……って,すいません,そんなわけないか。歌唱力の城之内氏,最年長およびソロデビュー一番手の貫禄がある河合氏,元々キーが高くて声にも張りがある国生氏の3人が,歌を引っ張っている印象を受けた。

B『避暑地の森の天使たち』(渡辺満里奈・渡辺美奈代・富川春美)
出所は@に同じ。タイトル通り,軽井沢あたりの避暑地に,大学のテニスサークルで新歓合宿に行った図を想像すると,それなりに曲の情景が浮かんでくる。歌詞はかなりガキっぽいけど,曲がアップテンポなシャッフル系な分,聴いていて少しアーティスティックな感じがしてくる。最後のフェイドアウトしていくところで音が半音上がるのだが,これがこの曲の一番の聴きどころ……というと大げさかな。少なくとも,この曲は間違いなく歌唱力よりもサウンドに耳を傾けるべき類いだとは思う。

C『夏のクリスマス』(おニャン子クラブ)
オリジナルは1985年に出たアルバム『キックオフ』に収録。また『PANIC THE WORLD』のB面にも収録されている。タイトルはクリスマスながら,Aとは対照的に打ちこみを効果的に使ってポップな仕上がりになっている。失礼ながら本人たちの声よりも,バックコーラスが秀逸なのが印象的。そして,この曲もまた,歌唱力よりもサウンドに耳を傾けるべき類いだと思う。

D『真夏の滑走路』(新田恵利)
1986年9月にリリースされたソロアルバム『E‐AREA』に収録。当時カセットでこれを購入。その後,あらためてそのアルバムをCDで手に入れようと思ったが,中古品店には一切ナシ。結局は2002年に出た「マイコレクション」シリーズで出たもので手を打った。ちなみに『E‐AREA』にはユーミンが提供している『ボビーに片思い』という曲があるが,これが同アルバムの中でホントは一番かなと思う。
メロディは全体的に疾走感があって叙情的。特に間奏のサックスは,哀愁があっていかにも夕陽に染まった滑走路を思い浮かばせてくれる。ただ,新田氏の歌唱力が曲についていけていないのが,そこかしこに見えてしまうのが残念。彼女はどっちかというと声は低いほうだと思うし,それをあえて高い音も出せるように仕向けたような構成立てになっているんじゃないかって邪推すらしてしまう。

――以上5曲は,いずれも母体であるおニャン子クラブそのものが活動していたときの作品であるが,ここからはおニャン子クラブ解散後にリリースされた作品を紹介しようと思う。

番外@『ちいさなBreakin'my heart』(渡辺満里奈)
おニャン子クラブが解散したのが,1987年8月31日。それから3カ月後の11月に出たのがこの曲。作詞・作曲は大江千里氏。彼女の曲の中では文句ナシのナンバーワンだろう。ただ,申し訳ないがこれでもう少し彼女に歌唱力があったならなあ…と思ってしまう。アーティスティックでメロディアスなわりには,彼女の歌唱があまりに淡泊で,少しつっけんどんな感じがするからだ。あるいは,彼女もどっちかというと声が低いから,それで高音の伸びが足りなかったとか?
たしか,彼女は当時17歳だったと思うが,もう少し年齢が行ってから歌ってもよかったかもしれない。歌唱力を大人になった声そのものでカバーできるような気がするからだ。あるいは10代でも,例えばいまの松浦亜弥嬢が歌ったら,歌唱力はちゃんとあるし,それでいてしっかり“アヤヤの曲”としても成立するかもしれない。森高千里嬢の『渡良瀬橋』をカバーしてでき上がったのと同じように。
ちなみに,歌詞に出てくる“楡(にれ)”は,この曲で初めてその言葉の存在を知ったが,いまだに意味は,辞書で調べないと分からない。当時の彼女もまた,この言葉の意味なんか分からずに歌っていたのではないかと勝手に想像してしまう。

番外A『恋一夜』(工藤静香)
1988年12月リリース。彼女はおニャン子の中では初めっから別格でしょうね。そもそも,セブンティーンクラブとかで出ていたわけだし(ただし,そのころの彼女のことは一切私には分かりませんが),一応は「うしろ髪ひかれ隊」なんてのにも入っていたけど,そんなのバカらしかったんじゃないの? でもって,おニャン子からのソロデビューの日が,おニャン子そのものの解散の日ってのも,「こいつだったら間違いなくソロとして売れる」という確信めいた期待からなんでしょうね。
私個人としても,上記の5曲とは明らかに一線を異にする曲だし,彼女自身もまたそういう存在だったりするので,こうして番外として設けた次第なのだ。実際,ソロデビューしてから1年後には『MUGO・ん…色っぽい』が大ヒットして,これで紅白に出ちゃったわけだし,それより少し前の『抱いてくれたらいいのに』とか,翌1989年に出たおなじみの大ヒット曲『嵐の素顔』なんて,他に誰が歌えるのかって感じの存在感だ。これほど,おニャン子で最初っからアーティストしていたのは彼女だけだろう。
さて,肝心の『恋一夜』は前作の『MUGO・ん…色っぽい』とは対照的に“陰(影?)”の思いっきりある曲だ。メロディも前作に出たロックテイストをわざと抑えて,少しひずみを出したような印象を持つ。まだ10代だった彼女といえども,最初から大人でありプロとみなして作った曲のような気がした。それを象徴するのが,サビのところの「わからない〜」のフレーズ。音程を取るのが難しいと本人がどっかの番組で言っていたのを記憶している。多分「smap×smap」あたりだったか。(おわり)

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