Maggie's J‐POP論

その7 私的弔辞・2004年春

@hideの7回忌に捧ぐ
今日,2004年5月2日は,ミュージシャン・hideの7回忌でした。「MJP」のその3で,昨年はついに作品のリリースがなくなったと書きましたが,今年はアルバムが出ましたね。
築地本願寺の葬儀でファンがものすごかったことは,テレビで何度か放映されましたが,たしか私の会社での知人も行ったと言っていました。その直後にリリースされたシングル『ピンクスパイダー』がものすごく売れましたが,亡くなり方が亡くなり方だっただけに,詩に何かメッセージがあったと言われもしましたね。
また彼が生前,自分のファンの1人が白血病だったこともあり,ドナー登録をしていたことも有名な話です。不思議なもので,彼が登録したと発表したことで,一気にドナー登録というものが世間に認知された感もあるように思われます。「ドナー休暇」なんてのも,会社によってはあるんでしたっけ? ただし,実際彼が亡くなって,臓器が使われたのかどうかは分かりませんが。

その後,彼の故郷・横須賀に彼のミュージアムが作られましたが,私も一度行ったことがあります。京浜急行の横須賀中央駅から南東に歩くこと30分くらいでしょうか。テキトーに行ったので,実際はもっと近いかもしれませんね。
海岸沿いを走る広い道路の脇に,たしか白い建物でしょうか。それがあって,隣にはバスケットのコートなんかがある広場があります。遠くには郊外型のスーパーが見えたりして――全然ゴミゴミしていなくて,大らかに敷地が取られていました。いかにも米軍基地の町らしいというか,天気がよかったのもあるでしょうけど,カリフォルニアっぽい雰囲気すら感じました。
肝心のミュージアムは,彼の衣装,ギターというスタンダードなものから,成績表なんてのも展示されていました。ただ,あまり成績はよくなかったような……。今日は,さぞ盛況だったのではないでしょうか。別の用事で京浜急行に乗ったので,このまま横須賀まで行こうかと思いましたが,今回はやめました。乗ったのが各駅停車の金沢文庫行きだったのも幸いしたでしょうか(笑)。

ちなみに私が行ったときは,ちょうど若いカップルが結婚式を挙げるところに出くわしました。2人とも20代前半でhideのファン同士ということでした。男性は赤い髪に,赤い革のサイボーグスーツ,背中には黒十字といういでたち。一方の女性も赤いウエディングドレス姿でした。建物の裏側に行くための脇にある通路を一応ヴァージンロードにして,白い即席の壇上もあって神父役もいました。多分,ミュージアムの従業員でしょうけど。
私をはじめ,偶然ミュージアムに来ていた客は,建物の屋上から彼ら2人を見守ることになりました。多分,総勢20人くらいいたでしょう。そのうち別の従業員から「もしよろしければ,テープを投げて祝福してあげてください」と言われて,紙テープをもらいました。で,彼らが退場するとき,ちゃんと我々は一斉にテープを投げてあげました。あれから4年ほど経ちましたが,彼らは今ごろどうしているのでしょうか。(→「MJP」のその3も参照ください)

A尾崎豊の13回忌に捧ぐ
同じ“カリスマ”でいうと,尾崎豊もすごかったですね。彼も今年13回忌。今年はトリビュートとベストアルバムが出て,結構売れているみたいですね。彼の息子と,プロデューサー・須藤晃氏の息子が組んで何か歌っていると聞きました。
亡くなったのが,忘れもしない1992年4月25日。当時大学1年生だった私は,大学のサークルで新入生歓迎パーティーに参加。日付が変わる寸前くらいに家に帰ってきて,何気にテレビをつけたら,ニュースで流れてきたのは……hideの死もビックリしましたが,彼の死もまた衝撃的でした。たしか,肺気腫でしたか。彼が瀕死の状態で発見されたという足立区にある民家は,いつのまにか尾崎ファンの聖地みたいになりましたね。ただ,私はまだ行ったことがありませんが。

彼の実家は,東武東上線の朝霞という話ですが,さらに南の下赤塚に住んでいたと聞いたこともあります。とんねるずの石橋貴明がラジオ「オールナイトニッポン」で,「東武東上線は“ミュージシャンライン”なんだよ。東武練馬が山下達郎さん,下赤塚が尾崎豊くん,そして成増がオレ(笑)」と言っていた記憶があります。たしかまだ尾崎豊が生きていたころだと思うので,平成に入ったか入らなかったあたりでしょうか。ちなみに最後の成増出身者も,真のミュージシャンかどうかは別として(笑),『ガラガラヘビがやってくる』というミリオンヒットを出してしまいましたから,少なくとも“アーティストライン”とは言えるのでしょうね。ちょっと離れて起点の池袋には,柴咲コウという人もいますからね。

尾崎豊については,95年にリリースされた『TEENBEAT BOX』というアルバムを購入しました。その名の通り,10代のときにリリースされた『17歳の地図』『回帰線』『壊れた扉から』の3枚に,シングルバージョンだかライブ収録だかが入ったCDの計4枚組。特別仕様のケースに入っています。
彼も生前にこのことに苦悩したようですが,やっぱり最初のアルバム『17歳の地図』に勝るものはないでしょう。入っているのはいずれも代表曲ばかり。かの宇多田ヒカルも上記トリビュートアルバムでカバーした『I LOVE YOU』は,もともとこのアルバムの収録曲でした。さらにミスチルがカバーして,smapがイメージドラマまで作った『僕が僕であるために』,渋谷の旧東邦生命ビルの歩道橋だかがすっかりイメージスポットになったタイトルチューン『17歳の地図』ももちろんそうです。ここに『卒業』が入っちゃっていたら,後でリリースするアルバムがまったく売れなかったのではないでしょうか。

ちなみに,残念ながら『壊れた扉から』については,好みもあるでしょうけど『Driving All Night』以外は聞きごたえを感じません。ちょうど尾崎もこのアルバムでは難産だったようで,既述の須藤氏が半ば突き放す形でそれでも書かせて,最後の最後に尾崎が持ってきてようやくOKを出したというエピソードもある『Forget‐Me‐Not』も,そんなにいいかなーと思います。何か,出だしがどっかのCMで聴いたことあるような……普通,トリビュートってオリジナルよりも失礼ながら“落ちる”と思うのですが,マッキーが歌っても別に変わり映えしません。「それだけ“スタンダード”なのだ」とも言えるでしょうが,あまりにフツーすぎて,尾崎の“個性”を感じないような気がします。

何だか最後はいっぱしな批評みたいになってしまって,弔辞らしからぬ文章になりましたが,2人とも私は好きです。これだけはたしかに言えます。でも,あれから12年ないし6年も経つんですねぇ。何だか最近,時の経つのが早すぎる……(苦笑)。(おわり)

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