Maggie's J‐POP論

その3 オリジナルMDに貴重だったhide
hideというアーティストが亡くなって,早いものでこの5月2日で七回忌になる。ちょうどゴールデンウィークの休みを取れていて,朝ふとテレビをつけたとき流れてきたそのニュースに,私の身体に「え!?……」という衝撃が走ったのをいまでも記憶している。X‐JAPANが解散してすぐ出た『ROCKET DIVE』を聴いたときは,「あいかわらずいい音じゃん」とホッと胸をなでおろしたが,あらためて惜しいアーティストが亡くなったと思う。
彼が亡くなった後,生前録音されたシングルやアルバムに加えて,ベスト版やら,デモテープに音を乗せたものやら,何度となく貴重な“アイテム”がリリースがされてきたが,ついに去年は何も出ることなく1年が過ぎてしまった。
こう書くと,私が熱狂的なX‐JAPANやhide好きかと思われそうだが,私にとってのhideは「オリジナルMDに確実に入れられるアーティスト」だったのだ。黒夢とともに,その貴重なアーティストが1人消えてしまったのが私にとっては惜しいのだ。

もちろん,確実にMDに入れられるからにはクオリティが高いのはともかくとして,何よりも私にとって好みのサウンドでなくてはならない。だいたい,どんなアーティストでも,どっかで1回は「この曲ダメだ」って思ってしまうものである。
しかし,彼が出したシングルは,一度は送られてもまた再録されたものも含めれば,『50%&50%』だけが残念ながらカセットから通算しても入らなかったのみ。『TELL ME』も,厳密にはhideのソロでは入っていないが“with Spread Beaver”での再リリースのときは入れている。すなわち,私にとっては「非常にお世話になった」と同時に「非常に縁があった」アーティストだったのだ。サザンみたいに,長年やっている結果,たくさんの曲がカセットやMDに入っている(もちろん,クオリティもいいのは言うまでもないが)アーティストとは違って,短期間でどの曲も入れられる“高確率”アーティストは,hide以外にはほとんどいないだろう。
そんな中でも名曲と思うのは,『MISERY』(1996)と『Doubt’97』(1998)の2曲である。

『MISERY』は,これでもかってくらいに音は軽いけど,しっかり“ロックしている”印象がある。初めて聴いたときは,何ともつかみどころがない印象を持ったが,最後は「噛めば噛むほど」ならぬ「聴けば聴くほどいい音に感じる」数少ない曲となった。
もう一つの『Doubt’97』は,もともとファーストソロアルバムに入っていたものをリミックスしたもののようだ。こっちは出だしから本編へのつながりが最高。初めは,金属音っぽいリズムの上に“独り言”を乗せながら淡々と進んでいくが,やがて「TRA〜SH!!」という声を殺したような叫びとも掛け声とも取れるヴォイスで一気にヒートアップしていく,そのつながりが絶妙というか,多分に遊び心が満点で好きなのである。もちろん,本編での彼本来の“サイバーロックぶり”も文句ナシだ。
彼の特徴としては,いま書いた“サイバーロック”が最大の持ち味である。同系統のアーティストとして布袋寅泰がいるが,布袋との違いは,男臭さが薄くて“中性的”なことだろう。その辺りが,hideの音からムダな力を取り除いて,ロックでありながらある種のポップさを生み出しているのではないか。
それと,これは他の批評でも指摘されているだろうが,歌詞の前向きさがあるだろう。YOSHIKIが徹底的に後ろ向きな世界であるのに対し,例えばhideの世界での“シンデレラ”は「継母にケリを入れて外に飛び出してしまう」のである(『CELEBRATION』)。それこそ,YOSHIKIがドラムを激しく叩き過ぎて身体が壊れてしまう“儚さ”とは,実に好対照な世界だと言えはしないか。

そろそろ締めよう。ロックでありながら多分にポップだったhide。5年ほど前,いろんなアーティストが彼の名曲を歌って大ヒットしたトリビュートアルバムを私も買ったが,聴いた当時,どれもこれもピンと来るものはなかったと記憶する。やっぱり,あの独特のサウンドは,hideが生まれ変わって再びhideになってくれない限り,永遠に12cmの銀盤の中で懐かしむしかないのである。(おわり)

戻る