Maggie's J‐POP論
その26 サザンオールスターズ「来年以降無期限活動停止」に思う


2008年5月19日、国民的人気バンド・サザンオールスターズ(以降「サザン」とするの来年以降の無期限活動停止が発表された。発表の1週間ほど前、東京スポーツが「サザン解散」を1面記事で取り上げて話題になり、それを事務所が「困惑している」としながらも肯定も否定もせず、「改めて正式発表する」とした結果が無期限活動停止というものであった。
1978年6月25日にデビューだから、今年で節目の活動30周年。10周年、20周年、25周年と効果的にニュースを提供してきたサザンの「4度目」のそれは、今までとは明らかに違うニュースであった。何度かサザンの活動が休止になったことがあり、再開するたびに「ああ、またやるんだ」ってな感じで観ていたのであるが、無期限となると多少話は違ってくるのだろうか。
いや、それほど悲観的には見ていない。ほとんどの楽曲をメインヴォーカル・桑田佳祐氏(以下「桑田氏」とする)が作詞・作曲していることから、「サザン=桑田」「桑田=サザン」(以下「桑田氏」とする)というイメージが焼きついている私としては、桑田氏がサザン活動休止の合間合間にソロなりユニットなりで活動しているから、「サザンが活動休止しても、桑田氏の音楽はいつでも聴ける」みたいな感じで、ショックだという感じはないのだ。ギタリストの大森隆志氏が、2001年に突如サザンを脱退し、その後クスリで逮捕されて芸能界から姿を消し、6人のオリジナルメンバーでの活動が事実上不可能になったことは残念ではあるが、大森氏には申し訳ないけど「所詮、脇」なわけで、桑田氏が死なない限りどっかで「無期限活動停止? あ、そっ」ってな楽観視をしているのが正直なところである。

サザンの本格的なファンになったのは、時代が平成になってからであるが、もちろん昭和の時代もサザンの存在は知っていた。何かの記憶と混同しているかもしれないが、最初の記憶はTBSの音楽番組「ザ・ベストテン」初登場で歌った「勝手にシンドバッド」のような気がするのだ。当時5歳になるかならないかだから、混同の可能性大だが、妙にあの画面がデジャブのように焼きついている。あの画面に映っていたノリノリの客はすべて“サクラ”なんですよね……で、その次が日テレの「ザ・トップテン」で歌った「チャコの海岸物語」。これは確実に覚えてます。こんときは小学生でしたからね。
その後、しばらく中学受験を目標に勉強していたから、日本のミュージックシーンからは遠ざかっていて、次に桑田氏に触れたのは1986年。キーボーディストであり桑田氏夫人の原由子氏が出産するなどしてサザン最初の長期活動休止となり、桑田氏がKUWATA BANDで活動していたころだ。シングル「BAN BAN BAN」「スキップ・ビート」「MERRY X'MAS IN SUMMER」「ONE DAY」、いずれも名曲だが、ギリギリオンタイムで触れTられたのは「ONE DAY」だけ。まだ、このときはJ-POPというやつにさして興味がなく、聴いてせいぜいおニャン子クラブ止まりだったので、積極的に聴くことがなかったのである。KUWATA BANDは期間限定ということでこの年限りで解散。翌1987年、桑田氏はソロに活動の場を移している。
初めてサザンのアイテムを買ったのは、さらに翌年の1988年だから今からちょうど20年前。サザンにとって、デビュー10周年で最初の長期活動休止からの復活シングルとなった「みんなのうた」である。CDでなくレコードで買ったのだ。実家にまだあるだろう。「そんなにいい曲かな?」と思いつつも、すでに国民的人気バンドの地位を確立していたサザンに初めて「オンタイムで触れられた」ことを実感したエピソードだが、まだこのときもサザンというバンドは、自分にとってあまり身近な存在ではなかったのである。

時代は平成に変わった1989年。私にとって運命のアイテムを手に入れることになる。4枚組全61曲入りの企画ものベストアルバム「すいか」(下の写真)だ。定価1万円。たしか、CDとカセットのみで、あわせて30万セットの予約限定販売だったか。今では中古ショップかネットオークションでしか手に入らないアイテムである。中古ショップでいつか見たとき、数万円の値段がついていたのを覚えている。
発売は7月20日。当時高校1年生の私にとって、1万円のCDを買うなんてことは大きな買い物。当初は買うかどうか迷っていたのだが、6月も下旬になるころ買うことを決意。当時よく通って買っていた川口駅地下商店街の小さなレコード屋「オスカー」で予約をすると、すでに相当な予約が入っているために入荷も順番待ちになっていて、いわく「1か月くらいかかる」という。はて、そんなにかかるくらいなら辞めてしまおうか。予約したら買わないってわけにもいかない。よその店に行ったところでどうなるってもんでもないし、ここは待つことを覚悟のうえで予約を入れることにした。
それから月日は経ち、7月20日の発売日。南浦和にあった学習塾に通っていた私は、塾に行く前にオスカーに寄ってみた。その後の様子を聞きに行こうと思ったのだ。店のおじさんからの回答は案の定「1か月待ち」のままだった。が、脇からその奥さん(と思う)が
「○○さん(予約していた人の名前)、取りに来なきゃいけないのに来ないのよね〜。いつも買ってもらっているし、じゃあどうぞ」
と言ってくれたのだ。
こうして私は、1か月待ちどころか発売日当日に見事手に入れてしまった。早く聴きたくて、塾の勉強なんて上の空だったな。家に帰って封を開けて、それからは「カセットにダビング」(もはや死語!)する日々。当時はCDウォークマン持ってなかったし…っていうか、まだなかったんじゃないか? 学校の夏休みの宿題に塾通いの合間を縫って、2〜3日かかったと思う。曲順のままだと片面の時間に上手く入らないから、適当に順番組み合わせて強引にカセットに収めたなんてことは、もはや遠い昔の話になるんだな……。
中でもいちばん聴いたのは「DISC4 1984〜1988」だ。もう、これしか聴いていないんじゃないかってくらい。大ヒットシングルはもちろん、アルバムの名曲、シングルのカップリングで未発表曲だったものまで、結構貴重な位置づけのアイテムなのだが、そういう部分には目もくれなかった。
DISC4というと、オリジナルアルバムでは「人気者で行こう」「KAMAKURA」からの選曲が中心で、私にとってのサザンの原点はこの2枚と言って間違いない。それ以前の曲も「栞のテーマ」「夏をあきらめて」など好きな曲はいくつかあるが、デジタルサウンドを交えてより音楽の幅が広がった頃のサザンをいちばん気に入ることになった。映画の名前は、たしか『波の数だけ抱きしめて』だったか。いかにもバブリーな映画で、サザンの曲が多く使われたタイミングもあったかもしれない。

「すいか」(1989)。すいか柄のカンカラボックス入り。一番上は特典のすいか柄トランクス&パンティ。今だから告白するが、パンティに一度だけ足を通したことがある(笑)。当時は今より10kgほどデブだったもんで、足を通しただけできつかったのではくことはなかった。トランクスもたしか入らなかったと思う。


サザンの企画ものベストアルバムでもう一つ、「happy」という1995年に発売された3枚組(全48曲収録)がある。「すいか」にも収録された楽曲に加え、1989年から1995年までにリリースされたアルバム・シングルを盛り込んであり、この2アイテムを買って、1990年以降リリースのオリジナルアルバムをすべて買ったおかげで、1998年のデビュー20周年にリリースされて爆発的に売れた企画ものベストアルバム「海のYeah!!」を、「平和の琉歌」以外楽曲がすべてかぶるという理由で買わなかったことが、心の中で自慢だったりするのだ。波柄の衣装は、ズバリタイトルにかけた法被だ。この年横浜で行われたライヴ「ホタル・カリフォルニア」で着用するために作られたものである。

以下は、各アイテムごとにつらつらと書いていくことにしよう。


「人気者で行こう」は1984年発売のアイテム。無論、オンタイムでは買っておらず、デビュー20周年の企画で再発売されたときに買った。前年発売の「綺麗」もそうだが、随所に散りばめられている“デジタルなサウンド”が、「ああ、このころはこういうのが“デジタル”だったんだ」と時代を感じさせてくれて、思わずクスリとしてしまった。「よどみ萎え、枯れて舞え」「メリケン情緒は涙のカラー」「Dear John」が隠れた名曲。


「KAMAKURA」は1985年発売のアイテム。これも「人気者で行こう」同様、デビュー20周年の企画での再発売で購入。個人的には、オンタイムで知らないにもかかわらず、サザンのアルバムでは最も名盤だと思っている。最初の長期休止前に出た2枚組アルバムで、「出せる力をすべて出し切る」と言わんばかりの気迫すら感じる。
全20曲、どれにも個性があって、いかにもサザンらしいもの、まったくサザンらしからぬもの、強引にサザンらしさに落とし込んだようなもの、さまざまだ。こんなアルバムを20年以上も前に作成していたこのバンド、やはりすごすぎる。原氏ヴォーカルの「鎌倉物語」は、私の鎌倉のイメージをすっかり固定してくれたくらいジャストフィットでキュートな名バラード。「古戦場で濡れん坊は昭和のHero」も、これまた古の鎌倉の歴史を想起させる楽曲で、あじさい寺と戦の後の荒野がなぜか思い浮かぶ。「欲しくて欲しくてたまらない」「吉田拓郎の唄」「怪物君の空」も好きだ。


「バラッド2 83〜86」は1987年発売のアイテム。「綺麗」「人気者で行こう」「KAMAKURA」に入ったバラードを収録しているが、「BYE BYE MY LOVE(U are the one)」「あっという間の夢のTonight」といったアップテンポ〜ミディアムナンバーも入っている。新曲がいっさい入っていなく、何となくだが“場つなぎ”的な感がある。


「Southern All Stars」は1990年発売のアイテム。時計(写真右)つきの限定版を購入。時計は今はもう動きません。オンタイムで初めて買ったオリジナルアルバム。プロモーションがてらよく流された「YOU」も嫌いではないが、バラード「OH,GIRL〜悲しい胸のスクリーン」がより名曲。


「稲村ジェーン」も1990年発売。名義は「サザンオールスターズ&オールスターズ」で、全11曲中サザン名義は「忘れられたBig Wave」「真夏の果実」「愛は花のように(Ole!)」の3曲だけで、あとは同名の映画の監督をやった桑田氏とそのお仲間たちによるサントラ盤的意味合いが強い。同じ年に発売されたオリジナルアルバム「Southern All Stars」よりも売り上げが高いという不思議な現象も生んだ。必ずサザンの曲の中で好きな曲の上位になる「希望の轍」も、実はサザン名義の曲ではない。でも、それを除いてもなんで「希望の轍」がサザンの中で好きな曲の上位になるのか、いまいち納得できない。そんなにいいか!?


「世に万葉の花が咲くなり」は1992年発売。ベーシストの関口和之氏が離れていた時期だ。桑田氏のソロデビューアルバム「KEISUKE KUWATA」で共同プロデュースした小林武史氏が、このアルバムでもサザンと共同プロデューサーとなっている。小林氏らしい“打ち込みメロディ”が様々な場面で聴け、上記「綺麗」から「KAMAKURA」あたりと比べると、サザンの打ち込みサウンドの歴史みたいなものを垣間見ることもできる。


「Young Love」は1996年発売。前作とは違って、一転してバンドサウンドが前面に出た曲の多いアルバムだと思う。オープニングを飾る、CMで一部先行して演奏されていた「胸いっぱいの愛と情熱をあなたへ」がなかなかカッコいいし、月9ドラマで起用されてミリオンセールスを記録したミディアムナンバー「あなただけを〜Summer Heartbreak〜」も時を越えた名曲である。サザンのアルバムって、ところどころコアなディープな楽曲が必ず1曲は入っているもlんですが、いい意味でこのアルバムにはそういう楽曲がなく、とてもポップな仕上がりになっていると思う。


「さくら」は1998年発売。たしか、CDに収められるギリギリまで楽曲を詰め込んだというエピソードがあるアルバムである。こちらは前作からの反動なのか、逆にコアな楽曲が多い印象を受ける。


「キラーストリート」は2005年発売。プロモーションビデオで記者会見の場面、「7年ぶりのオリジナルアルバム」という文言を桑田氏が噛み噛みに原稿を読み上げていた記憶はまだ新しい。全30曲の2枚組アルバム。「もう何でも詰め込んでしまえ!」的に、サザンの曲のいろんな顔を見られるのではないか。「KAMAKURA」以上に時間をかけて出来上がった今のところ“最新アルバム”となる。これが最後にならないことを祈るしかないか……。

最後。8月に日産スタジアムで4日間コンサートが催されるが、何とかしてチケットを取りたいところだ。多分、ファンクラブ枠で相当埋められてしまうだろうから、取るのはものすごい至難の業になりそうであるが、これが最後…いや、最後にならないことを祈るしかないが、ともかく昨年桑田氏のコンサートを見た以上、サザンのコンサートを観ないままというのは、あまりにもったいない気がするのだ。上手くしてチケットが取れたら、はるか遠くの席で「水!」って書いたプラカードでも掲げようか(笑)。(おわり)

※コンサートには結局行けなかったのですが、当日のドキュメント(?)をブログに書きました。詳細はこちら


戻る