―2本の枝毛の行方 2008年1月29日(火)―
埼玉県川口市東部より流れ出て、同市と鳩ヶ谷市、同市や草加市と東京都足立区といった市境・県境を流れて、同区花畑にて綾瀬川に注ぐ一級河川・毛長川(けなががわ)。その昔、新里(現草加市新里町)に住んでいた女性が舎人(とねり、現足立区舎人)に住む男性と結婚したが、男性の実家と折りが合わず、新里の自分の実家に帰る途中に川に身を投げた。その後、長い髪の毛が見つかり、これを新里の神社に祀って、現在の毛長神社となった――これが由来で「毛長川」と呼ぶようになったとされている。
実家から一番近いところに流れている一級河川として、その毛長川の源流を今回探ってみることにしたが、今まで知らなかったことが分かって個人的には興味深い探索となった。上記の「2本の枝毛」というタイトルにもつながることなのだが、それは後述することにしよう。
スタートは見沼代用水東縁(以下「東縁」とする)にかかる観音橋。先日「祝・25周年」と称して乗車した「川07 川口駅―サンテピア」線で、「観音橋」バス停にて下車してすぐ(1/17のブログを参照)。ここから川沿いに西北に進んでいくと、毛長川と交差する場所に出る。毛長川源流探索のスタートは、その交差する場所からである。
東縁沿いを歩くのは、何年ぶりだろうか。記憶にないくらい昔のことだと思う。用がないから歩く機会がない。ただ、それだけのことである。右上の写真の奥には、2つ穴の水門が見える。
その2つ穴の水門。歩くこと10分、毛長川と交差する場所に到着である。上手く写真が撮れなくて悔やまれるが、毛長川が東縁の上を跨ぐ格好である。
東縁には、水量を調整する水門が、毛長川を越えてすぐの位置に設置されている。
いよいよ毛長川探索のスタート。上の写真でいうと、上方に向かって川沿いを歩くことにする。
早速ではあるが、2水鳥s on the ヘドロ。しっかし、川床汚いな〜。こんな写真載せてすいません。食事中の方は見ないでください。間違っても、サムネイルでアップになんかできないです(笑)。まあ、この川は最初から最後までこんな調子ですけどね。
住宅街の間を北上。行政区でいうと、川の右側が川口市赤井、左側が鳩ヶ谷市本町。すなわち、私は鳩ヶ谷市本町側を歩いていることになります。
途中、橋上駐車場がいくつも見られました。家の玄関も川に向かって設置しているところが多かったです。出入りするときは悪臭の中ですね。
交差する場所から15分ほど歩くと、「長寿橋」という橋に。橋の右側には、上記バス路線の終点でもある老人福祉介護施設のサンテピアがあります(1/19のブログも参照)。
この橋、何度となく車で渡ったことがあるのですが、改めて間近で見て驚いたことが。左上の写真、やってきた方向から見て右側は「毛長川」とあるのに対して、右上の写真、橋の左側の欄干には「江川(えがわ)」という文字。「いったい何?」と思ってさらに進むと、こんな事実が!
…って、大げさか(笑)。そうです。長寿橋のすぐ北側で川が2つに分かれていたのです。初めてこの事実を知り、さらに驚きました。冒頭で書いた「知らなかったこと」というのは、このことでした。後で確認したところ、左に分かれるのが江川、右が前野宿川(まえのしゅくがわ)という川とのこと。一説には、東縁との交差点より下流を毛長川とするものもありますが、おそらくは江川・前野宿川の合流点からが毛長川ということでしょう。だから、長寿橋のところで2つ表記されていたんじゃないかなと、個人的には解釈しています。
以後、せっかくということで、前野宿川と江川の両方をそれぞれ上流に向かって探索することにしました。タイトル「2本の枝毛」は、川が枝毛のように2本に分かれていくのと、川の名前に“毛”とつくことから、その2つにかけてつけてみました。ま、だからどうしたって感じではありますが(笑)。
(1)前野宿川
後述の江川に比べると、流路はそれほど長くなかったです。住宅街の中を東北に向けて縫うように進み(@)、県道鳩ヶ谷神明町線を斜めに横断して(Aが交差点の下流。Bがその上流)、そのまま北上していくと川口市立慈林小学校に出ました(Eの奥の建物)。慈林小学校に突き当たると東に流路が折れ(F)、やがて小学校の敷地の中へ暗渠となって姿を消しました(G)。
先を追おうとも考えましたが、さして先がなさげと(勝手に)判断し、これにて前野宿川の探索は終わりにしました。ちなみに、DはCの脇にある公園だが、地面が一段低くなっているので、あるいは調節池の役目も果たしているのかもしれないですね。慈林地区は、これまで一度も歩いた記憶がなかったので(車では通ったけど)、川探索があくまでメインとはいえ、歩いていて景色が新鮮でした。