●御受難の正面●
●右の写真は御受難の正面と呼ばれるもので、御生誕の正面が着工された1883年頃から何度も設計変更を加えながら、最終案に到達する。この正面が決定されたのは1917年。
●着工はガウディ没後、18年たってからの1954年からで、現在もまだ工事は続けられている・・
●御受難の正面は、反対側の御生誕(降誕)の正面と同じく、3扉口構成で左から信仰、慈愛、希望の名を持つ。
●東正面(御生誕の正面)の喜びを表現している正面とは違い、御受難の正面は悲しみを表現しているものであり(キリストの受難と死)、この正面の性格を表現するため、壁面などに自然主義の浮彫装飾がなされず、装飾の幾何学面が採用された。
●御受難の正面見上げ●
●受難の正面ディデール●
●具体的なガウディの考えは、中央門(慈愛・愛徳の門)上部にキリスト磔刑
●足元に聖母と愛弟子ヨハネ、その右側に善人グループ(共に処刑された善なる罪人、ロンギノス、百人隊長、聖母の伴った婦人たち)
●左側に悪人グループ(共に処刑された後悔しない罪人、イエスの衣をはぎ、悪態をついた兵士たち)
●キリスト磔刑の上部に最後の晩餐、ゲッセマニの祈り
●その上部にキリストの復活、空の棺と3人のマリア(未着手)
●鐘塔中央下部に十字架(未着手)その上部にキリストの昇天(未着手)
●正面向かって右側(信仰の門)下部にエルサレム入城
●左側(希望の門)にエルサレム出城、十字架への道
●信仰と希望の扉口の上層には、キリストが捕らえられてから死刑宣告までの諸場面、たとえば、ヘドロの前とかピラドの前などの彫像群が飾られる予定
●正面右側上部に族長像、左側に預言者像(共に未着手)
以上のようにガウディはこの正面の構成を考えていた。
●しかし、実際にはガウディが構想していた構成とは異なっている。現実にはこちら側の正面も完成には程遠いようである。
●御受難の正面基底部●
●大正面(栄光の正面)●
●御生誕の正面及び受難の正面は主祭壇に対しては左右にあたり、主祭壇の正面入口は大正面(栄光の正面)と呼ばれる、実際にはメインの入口になるべき正面が予定されている。
●ガウディは1920年頃から大正面計画に着手するが、計画案が固まらない前に他界する。大正面の設計は聖堂完成にとって最大の難関として後世に残されている。
●大正面の中心テーマは最後の審判であり、その彫像群は中央扉口の最上部に計画された。その上方に天国が、広場を支える公道上のヴォールトに地獄界が描かれ、地階は死の世界に当てられた。
●聖堂内部の下層部ではサン・ホセを中心に現世が中間層では聖母を中心に聖人たちの世界が語られる。玄関廊の7つのヴォールトには、天地創造が描かれる。
●内部構成●
●ガウディがこの聖堂で天上の王国を象徴化しようとしたことは間違いない。
●翼廊交差部上方にその王国が吊り下げられ、また会頭部天井ヴォ―ルトには天上の父なる神がモザイクで描かれ、主祭壇には十字架上の神の子キリストが祭られ、両者の中間である内陣上方には、聖霊を象徴する照明器具が吊るされる。
●これら三位一体の象徴は大正面の扉口を入ると同時に、一望することができるよう計画された。
●御生誕の正面右方向●
●サクラダ・ファミリアに刻まれた文字●
●Sanctus・・「聖なるかな」
●Hosanna in Excelsis・・「天のいと高きところホザンナ」
●Veritas・・「真理」
●Mandatum・・「掟」
●Vita・・「生命」
●Via・・「道」
●このページの画像は 東京都 松坂 和子様より御提供 頂きました●
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