好きまでの距離感〜バレンタイン編、十二〜

あいつの部屋を飛び出した俺の背中に、桂一郎の声が掛けられたような気がした。
だけど立ち止まることなんか出来るわけもなく、あいつの家を後にしたんだ。

階段を駆け下り、靴もつっかけたままで玄関を飛び出した。
門を抜けて自分家の玄関の扉に手を掛けたところで、「あっ」と小さく声を上げてしまった。

桂一郎のキスに慌てふためいて飛び出したはいいものの、あいつの部屋に姉貴から貰ったチョコを置き忘れて来ちゃったことに気づいたから。
「アホだ〜」
玄関に額を押しつけ、思わず声を出してしまった。
今更桂一郎の部屋にチョコを取りに戻れる事なんか出来ないから。

かといって姉貴から貰ったチョコをこのまんま桂一郎の部屋に置きっぱなしにも出来ないだろう。
あのきっつい性格の和音がそれを知ったら、絶対怒るに決まってるから。
人がせっかくチョコをあげたのに、ないがしろにするの?!あんた最低!!とかね。

ああもう。
何でこんな事になっちゃったんかな〜。
最初は真面目にお勉強してただけなのに。学生らしくさ。
なのに、なのに。
途中から桂一郎のアホたれが人の事触りまくって、そこへ和音が乱入してきてチョコを寄こして、あげくがキス。

だいたいが桂一郎が悪い。
あいつが人のことを触りたがるのが悪いんだ。二人っきりになると、すぐに体のあちこちを触りまくってくるし、挙げ句の果てにキスまで迫ってくるし。
あいつとつきあい始めてけっこうな年数になると思うのだけど、あんな奴だとは今の今まで知らなかったぞ。
どっちかというとクールで醒めていて、色事にも無関心派だと思ってたのに、実はただのむっつりスケベだったなんて反則じゃねぇか。
何かもう、騙されていたって気分がする。
あいつの見た目とか、態度にさ。
口が重いのは知っていた。必要な事しか話さないってこともね。
だけど、口が重い奴がいったん話し出すと、あそこまで手に負えないとは思いもしなかったね。
ほんっとにドスケベ野郎なんだから。

でもって更に悪いことに、俺があいつに抵抗しきれないってことも大問題なんだろう。
嫌なら嫌ってはっきり言えば、桂一郎も前にした約束もあるから無理強いはしないのだと思う。

だけど。
なんちゅーか。

あいつに押し切られると弱いっていうか、腰砕けになってしまうっていうか、変な気分になってしまうっていうか…。
桂一郎が全部悪いんだ。
「好き」って言えば、俺が何もかも許すと思っているんじゃねぇか?あいつは。

ま、まぁね。
そりゃああいつのちょい低めで耳に心地よい声で「好き」だとか「和に触りたい」とか言われちゃうと、どうしてか抵抗出来なくなってしまうんだから。
触られるとぞくぞくしてきちゃうし、体の力が抜けちゃうみたいな感じになっちゃう…し。
キスも、実を言うとそんなに嫌じゃなくなっているみたいな。今日のも、ビックリしたけど…なんか頭がぽぅっとなってきちゃったし…。

…って、あれ?
俺は今何を考えたんだ何を。
ちょっと待て、ちょっと待てよ俺。
ヤバイ、ヤバイです。
何だか今自分がとっても危ない方向へ考えが及んでいるような気がしないか?

んむむ。
落ち着け。落ち着くんだ和正。
これ以上考えちゃいけないような気がする。
あいつのキスの事なんか考えるな。考えたらヤバイぞ。
そう、俺はあいつの振る舞いに怒ってたはずなんだから。
間違っても桂一郎のキスにうっとりしていた訳はない。あれはあいつにお願いされて、嫌々やらされたキスにしか過ぎないんだから。
絶対にそれ以上でも、それ以下でもないんだ。
途中から妙な気分に陥ったとしても、そんなのは気の迷いでしかないんだ。俺はあいつのキスに感じちゃった訳はない。

キスなんて、キスなんて。
あれが気持ちいいなんて、あってはいけないんだからさ。

玄関にへばり付いたまま、自分の思考に陥っていた俺。
夜ともなればまだ寒い時刻。
それなのに薄い上着だけで外にいたもんだから、ちょっと体がぶるっとした。
「さむ…」
無意識の内に声が出ていた。

鼻もむずむずしてきたのを感じて、大きく息をついて家の中へと入っていく。
姉貴から貰ったチョコをどうするかは明日考えよう。
もう、今日は疲れたからさ。精神的に。そう頭を切り換える事にしたんだ。

明日考えよう。明日。
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