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誰かが自分を呼ぶ声がした。

アーロン。
目を覚ましてアーロンと。
幼い声と、静かな声が自分を呼んでいるのが分かった。

そっとしておいて欲しかった。
魔物にやられた傷のままで死んでしまいたかった。
何も見ずに、何も考えずにいたかったのだ。
けれど…。
自分を呼ぶ声は止まなかった。
訴えかけるその声がアーロンの意識を呼び覚ます。

目を覚ますんだと。
起きて…と、呼びかける二つの声。

その声で…アーロンは再び、深い意識の底に沈んでいた自分を浮上させたのだった。



「穿たれた刻印〜独白〜後編」




暗い闇の中に沈み込んでいた。
目の前さえ見えないくらい、一筋の光すら届かないような暗闇の中に自分が漂っているようだった。

時折、まるで閃光が走るように映像が目の前を通り過ぎる。
優しい両親の笑顔。家族の風景。暖かな日常、日だまりと団らん。
自分を慕ってくれる幼い手があった。無邪気な笑顔。柔らかなお日様のような髪に触れるのが好きだった。

けれど映像は優しい物だけを見せてくれるわけではなかった。

耳をつんざく獣の咆哮。自分を庇い、傷を受けて倒れる両親。
恐怖に恐れおののき、何も出来なかった自分。泣くことすら出来ずにただ震えていただけ。
獣が…魔物が自分を壊していく。
家族を、自分の大切な人たちを次から次へと奪っていく。
見るもおぞましい姿。しゃがれたような、声とも咆哮ともつかないそのうなり声。鼻につく異臭。畏怖と憎悪。恐怖と嫌悪の存在。

それが自分を切り裂いていく。

魔物が…自分を押しつぶす。



両親を奪い、自分の日常を奪っていった魔物達。
そんな自分を救ってくれた逞しい手。
彼に救われ、彼の元で新しい生活と家族を得た。
そこで出会った少年。あの子が…自分の新しい生き甲斐となった。彼といるだけで心が癒された。あの子の笑顔を見ているだけで、心が温かくなっている自分を感じていた。

それなのに………。

魔物が全てを壊していく。

ジェクトが魔物に剣を振るい、立ち向かっていく。
魔物の爪に切り裂かれた自分。体が壊されていく。
心が…壊される。

魔界の穴が足下に広がり、自分を飲み込もうとしている。
暗い穴から伸びる無数の死者の腕。足をつかみ、黄泉の国へと引きずり込もうとしていた。
必死で足掻く自分。恐怖に喉がひりつき、声すらも出ない。
暗い穴底から誰かが自分を呼んでいる。

誰だ?と問いかける。

お前もこいよ…と誰かが呼んでいる。
魔物に胴を食いちぎられ、腑をだらりとぶら下げながら彼が自分を手招きしていた。

目をこらしてみる。

あれは…ジェクト?!

こいよアーロン。
俺はお前のせいでこんなになっちまったんだぜ。
お前もここに来て、俺の苦しみを味わえばいいんだ。

ジェクトが無惨な姿を見せつけるように晒しながら、アーロンを…自分を呼んでいる。

声をあげようとした。
だけど喉からは掠れた声しかでなかった。

ジェクト!
許してくれ。俺の…俺のせいでお前が…。

そうだ…と、ジェクトが自分の傷つけられた体を手で指し示す。
俺はお前のせいで死んだんだ。
お前のせいで…。


無惨な姿を晒しながら、ジェクトが自分へと近づこうとしている。
思わず後ずさる。意識しない悲鳴が出てしまう。
あぁぁぁぁぁぁ!



心の痛みが体を切り刻む。
後悔なんて軽い言葉で言い表せないくらいの苦しみ。

許してくれジェクト。
ジェクト!
すまない。

何もかも…俺のせいなんだ。

俺が…。
俺のせい…。



「うわぁぁぁぁぁ!」

「アーロン?」


自分の悲鳴で目が覚める。


真っ先に目に飛び込んだのは自分を心配そうに見つめる瞳。
それから白い天井。白い壁。
体から伸びた数々の医療機器の線。

「…ここは?」
優しそうな人が自分を覗き込んでいるのが分かった。

彼は…いったい誰だった?
頭が朦朧としていた。
知っている顔のような気がするのだが、名前が出てこない。
考えようとしたけれど、酷く頭痛がして考えがまとまらないのだ。
男が自分の肩にそっと手を置いた。
そして嬉しそうに…でも、とても悲しそうな瞳を向けながら話しかける。
「よかったよ。やっと意識が戻ったんだねアーロン。あのままもう駄目かなと思いかけたところだったんだよ。実際…酷い傷だったからね。でも…意識が戻ったんなら、もう大丈夫だろうね。本当に…よかった」
心なしか、彼の目が潤んでいるようにも見えた。
彼は…自分の知り合いなのだろうか。
そして…自分の名前はアーロンというのか…。

ぼんやりと焦点の定まらない自分を見て、彼が何かを気づいたのだろう。
落ち着いた表情を取り戻しながら、彼が言う。
「まだ意識も体も万全ではないのだろうね。でもいいよ。君だけでも助かってくれたのなら。早く…元気になってくれればいい。私も…そして、ティーダも君の帰りを待っているんだからね」


ティーダ。


その言葉にアーロンは自分を思い出す。

自分が何者なのかを。
そして何があったのか。
どうして自分がここにいるのかを。

「ティ…ティーダ………」

何とか言葉を発しようとする。
だけど、妙に言葉がもつれて口が回らなかった。

ブラスカがそんなアーロンを優しい瞳で見つめていた。
「無理しなくてもいいんだよ。君は殆ど死にかけていたようなものだったんだから。今はまず、自分の体を治すことを考えればいいんだ。何も考えないでいい。今は…まだ…」
まるで何も考えるなと言外に言っているようなブラスカの言葉。

だけどアーロンはこれだけは言わずにはいられなかったのだ。
「ジェクトは…?」

ブラスカの表情が一瞬強張る。
何かを言いかけようとして、口を開きかけ…それから一転して堅い表情を見せてアーロンに語りかける。
「ジェクトは…彼は…もういない」

それだけでアーロンは全てを悟ってしまった。

ではやはり、彼は死んでしまったのか。
自分の愚かさのせいで。

「すみません。俺のせいで…」
ブラスカがいいやと頭を振る。
「君のせいじゃない。君のせいでジェクトがいなくなってしまったわけじゃないんだ」
どんな優しい言葉も、今のアーロンには彼の上を通り過ぎるだけだった。

「すみませんブラスカ様」

アーロンが虚ろな瞳のまま言う。

彼の瞳からはもう…涙さえ出なかった。

もしろブラスカのほうが傷ついた目をしているくらいだった。
多分、今のアーロンにはどんな慰めの言葉も通じないのが分かってしまったから。
だからブラスカはこういうしかなかったのだ。

「ティーダが君に会いたがっていたよ…」と。
その言葉だけが、今の傷ついたアーロンの表情を揺り動かす。
彷徨うような視線を向け、躊躇いがちに言葉を紡ぎ出す。
「ティーダは…どうしています?」
ふっとブラスカが息を吐く。
「君とジェクトがいなくなってしまっただろう?彼女はあんな状態だし…取りあえずは私の家にいてもらっているんだがね…。家に帰りたがって困ってるんだ。今のところは言い含めているのだけど、あの子はあれで気の強い子だから。いつまでもおとなしくしてくれるかどうか…」
常に穏やかな態度を崩さないブラスカが、珍しく困った顔を浮かべていた。
「そう…ですか」
取りあえずはでは、ティーダは一人ではないということかとアーロンは思い、安堵する。
そのままぐったりとベッドの上に横たわり、目を閉じる。
ブラスカの声が目を閉じたアーロンに掛けられる。
「また来るよ。君の目を覚ましたことをティーダにも伝えておくからね。あの子も随分心配していたから」
ブラスカの言葉に、アーロンは何も反応しなかった。

横たわるアーロンの痩けた頬。落ちくぼんだ目。見た目の焦燥以上に彼の心は病んでいるのだろう。
目を伏せ、ブラスカは病室を後にしたのだった。


ジェクトはいない。
なのに自分は助かってしまった。


残酷な現実がアーロンの胸に重くのし掛かる。
どんなに悔やんでも悔やみきれない。今、こうして息をして動いている自分自身さえ、厭わしかった。

なぜ…助かってしまったのか。
どうして自分はここにいるのだろうか…。

俺は…と、アーロンは深く息を吐く。
ティーダに何を言ってやればいいんだろう…と。



生きたいと強く望まなくても、元々が頑強なアーロンの体は日増しに回復に向かっていった。
一時は医者さえも先を危ぶむくらいの怪我を負っていたのにもかかわらずに、その医者さえも感嘆するくらいにアーロンの怪我の回復は早かった。

日増しに良くなっていく体ではあったが、ただ一つだけ元通りにはならないことがあった。
アーロンの体を見てくれた医者が沈痛な面持ちで告げた言葉は「君の右目は…もう…直らない」と、言ったのだった。
あの時、魔物に体を切り裂かれた。
真一文字に穿たれた傷はアーロンの体に深い傷痕を残し、彼の右目を永遠に潰してしまったのだ。
顔の右側に走る、深い傷痕。
この後一生、開くことのない右目。
自分がおかした罪がこの右目なのかもしれない。

命と引き替えに失った右目なのか…と、暗い思いのままにアーロンはその事実を静かに受け止めたのだった。


アーロンがこの病室で意識を取り戻してから、毎日のようにブラスカは顔を出していた。
元から面倒見のいい人ではあったのだが、足繁く病室へ通い、アーロンの容態を気に掛けてくれていた。

完全看護の上に、24時間体勢の個室にいるアーロンの容態が急変することはないのだが、彼なりに心配だったのだろうか。
普段冷静な彼がと訝しく思うくらいに、ブラスカはアーロンの元を訪れていたのだ。

後になって思えば、あの時ブラスカはアーロンの容態を気に掛けていたのではなくて、彼の心の方を心配していたのではなかろうかと、アーロンは考えてしまうのだ。

毎日のようにブラスカは顔を出してくる。
ただ…体の方は日毎に回復に向かってきてはいたのだが、気持ちはそれについていっていないようだった。
魔物に体を切り裂かれたとき、心までも傷付けられたように。

ブラスカが話しかけても生返事しか返ってこない。どんな話題を振っても、彼の目は遠くを見つめているだけだったのだ。

それでも…話題がティーダの事に及んだときにだけ、アーロンの瞳が動くのだ。

「ティーダは元気でいるんですか?」
今のアーロンをこの世に繋ぎ止めているのがティーダだけなのか、彼はその事だけには関心を向けるのだ。
アーロンの問いに、ブラスカが笑顔で答える。
「ああ、もちろん元気だよ。あの子はああ見えて強い子だからね。人前では絶対に悲しい顔を見せないんだ。うちに来ても、我が儘も言わずに健気に君の帰りを待ってるよ。ちゃんと良い子にしていたら、アーロンが帰ってくるんだと言ってね。君が家に戻って来るのを待っているみたいなんだ」
ティーダの話題の時にだけ、アーロンの目元が和らいだ。
「そう…ですか」
ティーダが元気でやっているとのブラスカの言葉に、アーロンがホッとしたような表情を見せていた。
「ティーダは君の帰りを待ちわびているんだよ」
そう続けたブラスカに、アーロンは何も答えなかった。

辛そうに顔を歪ませ、疲れたような表情を見せて、またベッドに体を横たえる。
まだアーロンの心は現実を受け止める事に向き合えない。
それを感じ取っているからこそ、ブラスカもそれ以上何も言うことも出来ずにいたのだった。

ベッドに目を伏せて横たわっているアーロンに「また来るよ」と声を掛けて、ブラスカは病室を後にした。

ブラスカが察するとおりに、アーロンの心はまだ現実に向かい合うことが出来なかった。
傷ついた心は、ほんのちょっとした事にすら耐えきれないでいる。
治りかけた傷口は容易く血を流し、新たな痛みをその心に与えるのだろう。

今のアーロンを救うものはもう…あの子しかいないのだろうか。そう…ブラスカは考えていた。


何も考えたくなかった。
全てのことに目を閉じ、耳を塞いでいたかった。
息をしているこの体すら煩わしいくらいだったから。

だからといって、ジェクトに救われたこの命をないがしろにすることすらも出来なかったのだ。
生きていくことが辛かった。でも生きていかなければいけないという、この現実。

ただ一つだけ、今の自分にとっての支えはティーダだけ。
あの子の事を考えているときだけは穏やかな気持ちでいられるのだ。


ティーダだけが今のアーロンをこの世に繋ぎ止めている、鎹なのだろうか。


それから数日。

ようやく寝台の上に起きあがり、点滴から普通の食事を食べられるようになったアーロンの元に思いも掛けない相手が訪れたのだった。

「アーロン!」
およそ病室には似つかわしくない、明るい声。明るい笑顔。
その小さな体を弾ませるようにアーロンの寝台の元へ駆け寄ってくる男の子。

それは今のアーロンにとって一番会いたい人物であり、またもっとも会いたくない人物でもあったのだ。

「ティーダ………?」

ベッドの上に起きあがったアーロンの元へと駆け寄り、殆ど抱きつかんばかりに近寄ってくるティーダ。
アーロンの顔を認め、弾けるような笑顔を見せてティーダが喋りだす。
「アーロン、僕ねお見舞いに来たんだ。アーロンが元気になったって聞いたから、ブラスカのおじさんにお願いして来たの。ねぇ、もう体は治ったの?まだお家に帰れないの?」

久々にアーロンに会えたのが余程嬉しいのか、矢継ぎ早にティーダは問いただす。
「まだお体痛い?ブラスカさんが、アーロンはとっても大変だったって言ってたよ。とってもおっきい怪我をしたからお家には帰れなくて、お医者さんのところで直してもらうんだって」
ここでティーダがアーロンの顔に走る大きな傷痕を見つめ、痛ましそうな表情を浮かべてくる。
「お顔に怪我したの?まだ…痛いの?ねぇ…アーロン」
ティーダに会っても何も答えずに、ただ辛そうな目をするアーロンにティーダが不安そうな顔をする。
「僕、煩くしちゃった?アーロン…何かお喋りして」
大きな目をさらに見開いて、ティーダがアーロンを見つめている。
何か言ってやらなければとアーロンは思うのだが、言葉が出てこないのだ。不安そうな目をしているティーダを安心させてやりたい、だけど何を言えばいい?
俺には…とアーロンは考える。
俺にこの子にかける言葉なんてあるのだろうかと。

何も答えずに押し黙るアーロンの様子に、ティーダが不安げな表情をみせている。
もしかしてまだ具合が悪いのかもしれない。それなのにいきなり大きな声を出して病室にやってきて、アーロンが怒ってしまったのだろうかと考えて。
「ねぇアーロン……」
大きな目が潤んでいる。
何か声を掛けなくてはいけないとアーロンは思う。
だけど、声が出ない。何て言えばいいのか分からない。

身動きが取れないアーロンの元へ、病室のドアの方から穏やかな声が掛けられる。
「大丈夫だよティーダ。アーロンの具合はもう大分良くなっているんだから。ただ…きっとね、いきなり君がやってきて驚いただけなんだよ。君が泣いたりしたら、かえってアーロンが心配してしまうよ。ねぇ…アーロン、そうだろう?」
ブラスカがドアからベッドの方へと歩いてくる。
そして優しい笑みを浮かべて、ティーダの柔らかい金色の頭を撫でている。
ブラスカの説明にティーダが問いかけるような瞳でアーロンを見上げてくる。
「そうなの?アーロン」
大きな青い瞳がベッドの上の住人を見つめている。
「…ああ、大丈夫だ」
それだけを言うのがやっとだという自分が情けないと思わざるを得なかった。

それにしても…何故ここにティーダがいるのだろうと考えて、アーロンはブラスカを見つめる。
どう考えても彼が連れてきたのには間違いないはずだから。
そんなアーロンの問いかけるような瞳に、ブラスカがティーダの肩に手を置いたままで話し出す。
「この子がね、どうしても君に会いたいって言ってきかないんだ。今までは君の意識も無かったし、殆ど面会謝絶みたいな状態だったから会わせることが出来なかったけど、もう大分体調も回復しただろう?…この子もこの子なりに君の事を心配していたからね、一目だけでも会わせてあげればティーダも安心するだろうと思って。それでね…連れてきたんだよ」
ブラスカの説明に、ティーダが大きく頷いていた。
「だって僕、アーロンに会いたかったんだもん。それでブラスカのおじさんにお願いしたんだ。お見舞いにいきたいって。アーロンのお顔が見たいって。アーロン、まだお体痛い?」
くるくると良く変わる表情が、今は心配そうな目を向けてアーロンを見上げている。
本音を言えば、アーロンだとてティーダに会いたかったのだ。
孤独に押しつぶされそうになっていた自分を救ってくれたのが、彼の存在そのものだったから。真っ直ぐな瞳とくるくると良く変わる表情。お日様のような色をした明るい髪。その小さな体一杯で自分を慕ってくれる彼を、どうして思わずにはいられるだろうか。

誰よりも慈しんだ。
無くしてしまった家族の代わり。いや、それ以上に彼のことを思っている自分を知っている。
あの子を見守り、その側にいるだけで癒されている自分がいるのだから。

ティーダもまた、他の誰よりも自分に懐いていると自負していた。
正直、実の親であるジェクトよりも彼のぞばにいるのではないだろうかと思うくらいに。

自分を慕い、その小さな体一杯で愛情を注いでくるティーダ。

誰よりも大切で、誰よりも慈しみ愛したこの子。
そんなティーダの家族を…自分は死に追いやったのだ。

ジェクトは自分の為に、自分の身代わりとなって魔物の巣穴へ飲み込まれてしまった。
あの時、彼の言葉に耳を傾けていれば…。
ほんの少し状況を把握出来てさえいれば…と。

何もかも自分のせい。
若さ故の過ちなどと、簡単な言葉ですませられないほどの後悔の念に苦しめられている。
今は真っ直ぐに見つめてくるティーダの瞳にすら、心が痛みを覚えるほどに。

それでも…。
それでも自分は告げなければならないのだとアーロンは思う。
ジェクトのことを。
どうして自分がこんな怪我を負ってしまったのかということを。

挫けそうな心を叱咤激励し、何とか言葉を発しようとした。
「ティーダ…俺は………」
だけど、そんなアーロンの心情を知ってか知らずか、ティーダが僅かに悲しそうな顔をして告げたのだ。
「アーロン、まだお家に帰れない?僕ね、良い子でお留守番してるんだよ。でもね、あのおっきいお家に一人だと、やっぱり寂しいんだ。お母さんはお父さんが帰ってこなくなってから、またお体を悪くして寝たきりになっちゃった。だからご飯もいっつも一人なの。アーロンがいないと寂しい。早く、良くなってお家帰ろう。僕、毎日お休み前にお祈りしてるの。アーロンが早く良くなりますようにって」
無邪気な瞳を向けたままで語るティーダ。
健気な彼の言葉だが、その内容にアーロンは頭を傾げざるをえなかった。

あの家に一人?
母親が寝たきり?

それはいったいどういうことなのだろうか。
確かティーダはブラスカの家で世話をしてもらっているはずではないのか?

目を見張り、アーロンがティーダの背後にいるブラスカに問いかける。
「ブラスカ様…いったい、これはどういう事なのですか?ティーダはあなたの家にいるはずじゃなかったんですか?」
殆ど問いつめるようなアーロンの口調に、ブラスカが彼にしては珍しく気まずい表情を見せていた。
「うーん、それを言われると弱いんだ。実はねぇ…最初は確かにこの子は私の家にいたんだよ。何しろブラスカは消息不明だし、彼女は自分の事で精一杯の人でとてもティーダの面倒を見られないから、家で預かってはいたんだよ。ただ…始めの二、三日はこの子もおとなしくしていてくれたんだけどね、どうしても家に帰るって言って聞いてくれなくなったんだ。何を言っても分かってくれないし、そのうち一人で私の家を飛び出して自分の家に戻ってしまっていたんだ。連れ帰ろうとしても、頑として言うことを聞いてくれなくてね。アーロンも知っているだろう?この子がこうと決めたらてこでも動かないタチだってことを。…ここだけはブラスカの息子だと思わざるをえないと思うよ、まったく。どうして家に戻りたいのかの理由もまぁ、納得出来ることがあったしね。それで…なし崩し的に家に帰ってしまったんだ。ティーダは」
そう、ブラスカが続けた。
それにティーダが勢い込んでしゃべり出した。
「だって…だって僕、お母さんを一人にしておけなかったんだもん!」
「お母さんを?」
問い返すアーロンにティーダが大きく頷いた。
「あのね、お母さん、お父さんが帰ってこなくなってからもっと具合が悪くなったみたいなんだ。殆どお布団で寝てて、ご飯も食べなくなっちゃったんだ。お母さん、お父さんがいなくて寂しくて、それでお体悪くなったと思うんだ。だから僕、せめてお母さんがちょっとでも寂しくないようにお家に帰ったの。だって、あんな大きなお家に一人きりなんて寂しいでしょ?病気のときは誰かおそばにいてくれた方がいいと思ったんだ。僕だって風邪を引いたときに、アーロンが側にいてくれて嬉しかったから。だから僕だけでもお母さんの側にいたかったの。…それにね」
「それに?」
ここでティーダが一端言葉を句切って、上目遣いにアーロンを見上げてお日様のような笑顔を向ける。
「それにアーロンのお怪我が治って帰ってきたときに、お家に誰もいなかったら寂しいでしょ?だから僕がアーロンをお出迎えしてあげるの。お帰りなさいって」

小さいながらに賢明に人を思うティーダの健気さに、アーロンは胸を打たれる。

何よりも今のティーダの話にあった母親の状態がさらに悪いということを確かめずにはいられなかった。
「ブラスカ様、ティーダの母親の容態が悪いということは…いったい…」

アーロンの言葉に、ブラスカが沈痛な面持ちで答える。
「ああ…それは…いまさら隠し立てしてもしょうがないだろう。彼女の容態がここ最近急激に悪くなっているんだよ。まともに起きあがることも話すことも、食事さえとることすら出来なくなってしまったんだ。私がみるかぎり…生きる気力が無いようにも見えるようで」
「それはもしかして、ジェクトが戻らなくなってしまってから…ということですか?」
「いや…まぁ…。彼女が元から体が丈夫じゃないことは知っているだろう?あの人は精神状態がそのまま体に表れてしまう人だからねぇ。今は…取りあえずは…」
いつもは歯切れの良いブラスカが、いつになく曖昧に言葉を濁していた。
それはとりもなおさず、彼女の状態がそれくらいに悪いと言うことなのだろう。

彼女は誰よりもジェクトの事を愛していた。
体も弱かったが、心も弱い人なのだ。
そんな彼女がジェクトのあの状況を知って、平静でいられるわけがないだろう。愛する夫のいない世界を彼女の弱い心が受け入れることが出来るのだろうか。辛い生を送るよりも、安らかな死を望んでしまう人なのだから。
もしかしてジェクトの後を追いたいのか?
アーロンが考える最悪の結末がその先にまっていそうだった。

何もかも…俺の所為なのか?そう、アーロンは考える。

全ては自分の未熟さが招いたこと。
改めて自分の罪の大きさに苦しめられるのだ。

シーツを掴んだ手が震える。
どんなに辛くても、ティーダに伝えなくてはならないだろう。

自分のおかした罪を。
何故にこんなことになってしまったのかをだ。

からからに乾いた口を開き、絞り出すように声を発する。

「ティーダ…お前に…言っておきたい事がある」
「なぁに?」


無邪気に自分を見つめるティーダの瞳が今はアーロンには辛すぎた。





ご免なさい…まだ終わりませんでした。


NEXT


…さすがにここで終わらせようと思ってました。
いい加減、自分でも外伝ではなくて本編を書きたいし。
なのに…ご免なさい。本心からすみませんと謝ります。
また続きになってしまいました。

次こそは終わらせたいなぁ………←切実




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