境界
 

  超えたいけれど超える事が出来ない
 
  超えた先が見えない
 
  目に見えない物は不安を誘う
 

  ヒトは不可視を嫌うもの
 

  保証があるなら踏み出して踏み越える
 
  突き崩す
 

  横たわる壁
 

  壁というよりはレンズ
 
  加工の掛かった特殊な見え具合
 

  オレはそれを変えたいと思った
 
  昔はきっとそれで合っていた
 
  お互いをそれで通して見ていれば良かった
 

  ただ成長するにつれ
 
  自分に今までのそれが合わなくなってしまっただけだ
 
  
  それはレンズ
 
  レンズの先の世界を見せる
 
  自分に見やすいように
 
  都合の良いように
 

  今までのレンズはもうオレには合わなくなってしまった
 
  取り替えるか
 
 
  棄て去るか
 

  レンズは関係
 
  関係でもって相手の位置づけを決める
 

  相手への意味を、変える
 

  レンズを変える
 

  関係を変える
 

  位置づけを変える
 
 
 
  変えたい
 
 
 
  人は予想のつかぬ事を懼れるもの
 
 
 

  変えた先にあるものがわからないから
 
 
 

  変えられない
 
 
 
 
 
  愛して
 
 
 
  今までにアンタがくれた『愛』を変えて
 
 
 
  違った形(イミ)のそれが欲しい
 
 
 

  愛して
 
 
 
 
 

  【4】
 
 
 
 
 
用があるからと、名残惜しげに二人の子供が陸に戻っていった。
街に走っていく後ろ姿に大きく手を振れば、それを感じ取った訳でもないのに大きく振り返される。
時間がおしていると本人達もわかっているのに遊び場を離れがたいらしい。
 
彼らが抜けた直後、急に子供達が静かになる。その場がしらけたのではないが、この中の歯車であった二人が抜けて稼働がうまくいかなくなった、という感じか。
そのうちまた普通に彼らの空白を埋め合わせて騒ぎ出すに決まっている。
 

  ここまでするのはやばかったっすかねえ……
 
濡れに濡れた白いシャツを掴む。海水を思う存分吸った布はこれ以上吸うことができないまでに重くなっていた。
少し濡れてもいいか、とは確かに思っていたがここまで濡らすというのは限度を超えているかもしれない。
自分で洗う、と言い張っても宿屋に戻れば小言が来そうだ。自分を同じく海を愛するワッカはともかく、例の口うるさい彼から。
 
顔をしかめたり、妙に納得したものに変えたりと忙しくしていると誰かがそばにいることに気付く。俯いてシャツに注いでいた視線を少し上げれば栗茶の髪に行き当たる。
 
「何?」
 
一対の瞳は自分に注がれていた。自分の一体どこを見ているのかといえば、辿り着いた先は髪、だった。髪などを凝視されるとは思わなかったから少し面食らう。
 
「あ……うん、にいちゃんの髪、見てたんだ」
 
そんなに珍しい物だろうか、と一房前髪をつまむ。濡れそぼったそれは触れただけで水を滴らせる。
金色、という髪色はアルベド族に色濃く見られるが別にそれに限った話でない。今までに旅した先でも見たし、この大都市であるベベルでも何人か見かけた。確かに数多くの保有者がいるとは思わないが、そこまで希少な物ではないはず。
 
「そりゃ金髪っていうの…始めて見たってワケじゃないけど、そういう色は初めて、だと思う」
「ふーん?」
 
ティーダ自身、幾度かそれに似た言葉をもらったことがある。本人としては意識をしないのだが、そんなに違う物だろうか。
見慣れた髪の一房を、改めて見つめる。言われてみれば、リュックのような蜂蜜色の金色とは少なくとも違う。少し弱い赤みがかかっていると断言されるとそうだともいえなくもない色あい。
 
「けどオレさあ、昔は全然違う色だったんだぜ?」
「え?じゃあ染めたんだ?」
 
スピラでも髪を染めることは出来るが、染料は高価である。一時の変装だけでなく定期的に使うとなると馬鹿にならない金額を消費することになるのだ。部分的というのならまだぎりぎりで考えられなくもないが、頭髪全体の規模に至れば無理がある。
 
「あー、そんなわけじゃないんすけど、いつのまにかこうなったんだよな」
「まじで?」
「おおまじで」
 
ここで詳しくその経緯などを述べる気にはならないが、一気に色調が変わったのでなく数年で徐々に変わっていつのまにかここまで変わってしまったことだけ言っておく。
 
「昔……お前より少し年下の時まではさ、お前みたいな色だったんだ」
 
そんなことはこの少年に出逢うまでは忘れていた。みたいな、どころか同じ色そのものだった。
アーロンがもし過去の自分を意識して少年を目で追いかけていた、というのならそれも納得できる。過去の自分を投影したのなら。
自分など過去どころか現在までも投影できる。所詮他人は他人で、全くの一致があるわけでないことも、同じには成りえないことも理性で受け止めているのだが。投影して自分の現実に立ち返ったとき、通り抜けるむなしさを知っている。
 
「ふーん?」
 
背の高い少年が身じろいで髪を揺らすたびに、太陽の煌めきが散布される。煌びやかすぎて逆に人工的に感じる輝きではけっしてないその様子を、少年は興味を覚えるのかしばらく見上げていた。
 
 
 
 
 
 
それじゃあまた明日。
 
そんな言葉を掛け合って、一人二人と子供が散っていく。
底知れない、けれど澄んだ青色だった海は傾いた太陽のもとに少し暖色を混ぜている。
もう少しすればはっきりとあいまいな色合いもはっきりと変化を示すに違いない。赤色の被膜を全てが被っていく光景は美しいが、どこか寂しさを掻き立てる。胸が締め付けられていたたまれなくなる、というのは安っぽい感傷に浸りすぎているだけか。
 
笑顔で伸び上がるように手を振る子供達を、手を振り替えして気長に見送ってやる。
それが契機だったのか、次々に子供達は街に戻っていく。その最後から四人三人二人目の背中が遠くなった。
残る最後の一人といえば。
 

「お前は帰んなくていいのか?」
「別に……そういうおにいちゃんこそいいの?
 彼女の一人ぐらいいるんなら、こんなとこで時間を喰ってないでデートでもしとかないとアイソ尽かされるかもよ?」
 
ティーダがこの場から去ろうとしないのは、自分が動こうとしないからだと思った。
「自分はいいから帰れば」と暗に含めているのだが、内心誰かがそばに居ることを感じるだけでずいぶんと安らぐ。雑踏の中で赤の他人とすれ違って感じる存在感でなく、自分を認識してくれている相手だとしての存在感。
いやに大人びた、それが背伸びして無理を重ねて生み出したにしても、遠くを見る少年の横に腰を下ろした。自分にも憶えのある思いだったから、ティーダにはわかった。
しばし逡巡したが、ためらいがちに古典的、かつ姑息な方法で問いかける。それ以外の手段を瞬時に浮かべられるほど、ティーダは器用でなかった。
 

「帰りたくないのか?家族も心配するっすよ?」
 
「家族」、のところでさすらうような表情に亀裂が入る。ただの勘でしかなかったが、先程の少年の「姉」に対する反発から何か起因する物が見つかるのでないかと狙ったのだ。
暗くなるほど、魔物の出現率は高まる。しかも人気の少ない場所ほど出没しやすいものだから、この今居るところは危険を覚悟しなければならない。
ティーダとしては、そんなところに子供を放ってはいけない。自分もずいぶん予想の他長く宿から外に出ていたので、かなり前から残してきた人達は心配をしているに違いない。
 
  アイツはどうなんだろう────                                            
 
ふ、と一人の姿を赤い光景に重ね合わせかかって、慌てて取り払う。
 
「わかってるよ。心配、してるんだろうけど……」
「お前の姉さんだって怪我のこと心配してたから、今頃居ても立っても居られないんじゃんねえの」
 
危険を承知で放り込んだ単語に、反応はちゃんと食らいついてきてくれた。
だが、猛烈な反駁を予想していたティーダにとっては拍子抜けするものだった。
 

「……わかってる……『弟』のこと、心配しないはずないんだからさ………」
 
はしゃいでいたのはそんなに前のことでない。なのにそれが無かったのでないかと疑るほど、その姿は重さを感じる。
何かを覚悟して、少年が唾を飲み込んだ。まだのど仏の出る気配もない細い喉が動く。
 
「あのさ、おれとさっきの……おれの、………『姉ちゃん』……」
「『血が、繋がってない』。だろ?」
 
未成熟の肩からこもっていた力が抜け落ち、幼い少年は足を投げ出した。
長い睫毛を伏せて赤い空を見上げる。
 
「気付いてたんだ……」
「なんとなく、なんすけどね」
 
少年にならって防波堤に腰掛けて上を向く。肌を撫でる風は少し気温より温度が低くなってきていた。
確信はあったのだ。根拠もなく、飛躍しすぎて妄想寸前の結論だったが、彼と自分とは『同類』なのだと嗅ぎつけてしまったのだ、きっと。
 

「そうなんだよな、おれと姉…ちゃんは最近姉弟になったばかりなんだ
 それでかな……まだそれが受け容れられないのかああなっちゃうっていうか」
 
  戸惑っているっていうか……
 

元気のない笑みに、それだけが理由の全部でないと見抜いた。
 
  そんだけじゃないだろ
 
体の内で呟いたはずの言葉は、しっかりと音声となって伝わってしまった模様だ。
瞳を見開いたが、一度瞬いて、今度は細く海と空の境界を見つめる。
顔を傾けて伺って、誤魔化す、と思っていただけにティーダにはその反応が意外だった。
 
「にいちゃん、変に鋭いよな?けどそのとーり
 いきなりさ、その前日までは他人だった人間がさ、一日を超えたらいきなり『家族』、だったんだぜ?
 ……おれんとこさ、母親、いないんだよね
 んでオヤジと二人でやってきたんだけどさ、ある日いきなり『サイコン』するとか言って相手連れてきた
 相手は夫さんなくしてあちらも母子の二人暮らし
 オヤジが誰選ぼうと構わないって思ってたんだけど……どうしてかなあ……
 ベベルっていっぱい人がいてさ、そんなかにたくさん夫をなくしたって人はいるのにさあ…
 よりによって『サラヤ』の母親だったんだ、連れてきたの」
 
途切れがちなのは、苦しい胸の内を辿るからか。独白のように、変声期を通過していない声が海鳥のもの悲しい声に被る。
 
「手が届くような存在じゃないって思ってたから……すごい驚いた
 憧れてて、そんな近くにいれるようになれるなんて思ってなかったから、初めは良かったんだと思えたんだけど
 ………やっぱダメだなあ」
 
憧れとその他が入り交じった想いを抱いていることは自覚していた。だから戸惑いはあったが近い繋がりを持てることを素直に喜べた。他の友人達からの羨む声に、子供らしい優越を抱きさえしたのに。
憧れだけに留まっていなかった想いを切り出してしまったのがきっといけなかった。
 
「変だよね……『家族』をそうでない意味で『好き』でいるなんて……」
 
「別に……変なんかじゃないんじゃねえの」
 
聞き流しておけば良い物を、余計な言葉を付け加えてしまう。
 

「それって、よくわかるよ」
「いいって、変だって言ってくれたって
 誰だっておかしいっていうだろうし、」
「違うって、オレだって『そう』だからさ」  
 

あまり深入りをするなと何度も釘を刺されてきた。ちょっとしたことで流されて、他人に関わってしまうこの性格は厄介ごとに否応なく飛び込んでいくことになるからだ。
最近になれば、いくら注意を喚起したところで、もはや無駄なことだと心配してくれているらしい彼も悟った。
 

「オレもさあ、好きな人がいるんだけど……『家族』、みたいな関係なんだよな
 あー、『家族』っていうのもおかしいのかあれは?『家族』?『知り合い』?しっくりくる言葉が見つかんねえや」
 
口元に手をあててしばらく言葉を探したが、的確に言い当てた単語が自分の語彙の中からは取り出せずに最後の方はもぞもぞと口の中で消えた。問題の本質となっているのはそんなことでないのだから構わなくともいいだろうか。
 
「オレのも似た感じなんだけどさ、こっちの方は一緒に住んでから『好き』が変わったんだ」
 
初めて逢ってから、共に暮らすようになって無償の庇護を甘受していた。自分が寄りかかっても許してくれる存在だと自意識に刷り込んでいたのに。親代わりの保護者に近い『特別』の存在なのだと位置づけていたのに。
年月を経て、成長を重ねるにつれ、変貌していってしまった。そこだけが年齢差こそあれ、二人の少年の差異。
けれど抱えた苦い、なのに殺しきれない想いの苦しさはとてもきっと似ていた。
 
「結構昔から一緒に住むようになって育ててくれて、初めは『憧れ』とか『目標』とか悔しいけど『尊敬』だとかそんなんだった
 今だって無くなってない。でも……それだけじゃなくなってしまったんだよなあ
 時間が経つにつれてさ、『あれ、なんかおかしい』とか少し疑問に思うようになって、考え始めたらどつぼにはまっちまった
 おかしい理由はとっくに見つかってるくせにさ、諦め悪く認められなくて……」
 
いつ思い起こしても、口の中に苦みを通り越したえぐみが湧き起こる過去だ。
 
「『こんな想いを抱くのは間違ってる』『自分の馬鹿馬鹿しい勘違いだ』なーんて自己暗示掛けようとして失敗
 結局、二倍増しに突きつけられただけ」
 
冗談で済ませたいという意志の現れか、ほろ苦い笑みを浮かべながら言葉を吐き出してゆく少年。西日に赤く色づいた横顔は、どこか寂しげだった。
 
「うん……すごく…わかる……
 おれも、そんな感じでさ、『好き』だと認識してしまったら今度は『嫌い』になれたらって思うようになった……なろうと、したんだ」
「オレもしたした、それもムダだったんすけどね」
 

「好きになれ」と言われて人の事を『好き』になることは難しい。
ならば、「嫌いになれ」と言われて『嫌い』になることは逆に容易いことなのだろうか。
どうでもいい人間対象なら可能にも出来るだろう。ところが肝心のどうでも良くない相手となればこれほど困難極めることなどない、と思い知らされる。
 

「今まで遠くから見るだけの方が多かったから、『一緒に住んでたら短所とかが見えてくる』『たくさんの欠点があってゲンメツする』、なんて考えた
 でも……ほんとはそうじゃなかった……」
 
意外な癖を知った。大人からみればいい顔をされないだろうことを平気でやることもある。思っていたよりお淑やかではなかったり。裁縫が苦手だったり。
あと、たくさん。たくさん。
 
なのに、
 

「嫌いになるどころじゃなかった……どんどん嫌になるくらい好きになって、もっとずっと諦められなくて
 短所とか、長所とか、いろんな物をひっくるめていろんな物が見えてきて」
 

彼女のことを知れるのは、距離が近くなったからだ。欠点までも知れるほど、そばにいるのだ。
欠点を見つけられるから、逆に身近に感じられる。遠い存在のままだったのが、より距離が縮まる。
自分の手に届かない高みにいる存在なのでない、と。
完全無比の別次元の人間ではないのだと。
知れば知るほど、近くにたどり着ける可能性はあると錯覚する。
 
これなら、自分と遙か隔たった『憧れ』の存在であった方が想いは育たずに終わったかもしれないと思う。 
けれど現実はこれでしかなかった。
もみつぶすことの出来ないほど質量の増した感情を、やるせなく凝視させられる日々。
 

「離れようと思ったって同じ家に住んでるわけだし、出来るわけないし」
 

なにより、
 

「そんなことより離れられなくなってたんだ」
 
手遅れ。
足のつかないぬかるみだと半ばで気付いても、体を抜き出すことを躊躇った。
 
忘れることに、拒否反応が生じるほど、根深い。
焦がれるあまりに、相手の一欠片も自分の内から零すこともできない。
 

「ほんと、性に合わないことやってるって気はするんすけどね」
 
相似しすぎる互いの感情に、無意識に身震いをした。
 
性に合わない?
何を言っているのだろう、その臆病さは自分の本質そのものを体現しているではないか。
手を伸ばすことをためらう。
手に入れられなければ失うだけ、という落差の激しい未来に見る間に躊躇いは杭となり、深く背を向けられぬように縫いつける。
 
何より、この微妙な距離感のある関係は堪らなく辛いものがある。
 

「「『好きだ』って言って、どうしたらいいんだろう?」」
 
世間体として掲げられた関係を切り捨てて、後に何か残るのだろうか?
新しい物を、構築出来なかった結末は何だろうか?
 

それは今の繋がりを切り捨てる危険を冒すほどのもの?
 

そこまで思考を伸ばして一瞬、眉を寄せた。傍目には残光で描かれた光の文様にまぶしさを憶えたようにしか見えないだろう。
実際にはティーダが深層部に潜ったり、表層を這ったりと一カ所に留まらない思考。その思考が途中途中に何らかのひっかかり、もしくは違和感に時折触れたからだ。
 
何か、自分は見落としている。それとも忘れ落としたままにしている。
それは、何だろう。とても大切だった気がする、何か。
物質的な物ではない、何かの本質。
 
今まで触れたとしても鈍感に気付かなかったこと。
それがこの少年と話している内に浮き上がってきた気がした。
 

自分が、一人を想っていること?
 
それも、関係がありそうだけれどどこか違う。近い解答にも行き着いていない。
 
想いを返されないこと?返して欲しいと望むこと?
 
 
 
愛されたい?
 

そう、本音を言えば愛されたい。でもそうじゃない。そういった当たり前のことでなく。
たり前だけれど見落としている、ソレは。
 
 
 

「でも、一番きついのは想っていることが『赦されない』と言われること、かもな」
 
 
 
愛してはいけない。
 

一番、きっと辛いこと。
 
 
 
想うことすら赦されないというのなら
 
 
 
それほど哀しい過ぎることもない。
 
だからせめてこの想いだけは。