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聴衆からのレポート

大分県竹田市「生涯学習まつり」

 生涯学習の風をみんなに

記 念 講 演 : 三遊亭 圓窓

テーマ「 笑涯楽習に 変えよう 」
                     主催:竹田市教育委員会社会教育課
                     日時:2001・3・10(土)
                               午後1時〜5時
                     会場:大分県竹田市文化会館大ホール


感想記:社会教育課 菊池恭子

落語に触れられたことに感謝

 桜の花があちらこちらと膨らみはじめ、いよいよ春本番***
 圓窓師匠には公私とも大変お忙しい中、生涯学習の記念講演会においでいただいて
まことにありがとうございました。
 師匠の話し方、落語の間合いの取り方、落ちのおもしろさ、等、色々と感動させら
れっぱなしの一日でした。


 空港にお迎えに行って車中で少しでもお話できたことは、私にとって宝物になって
おります。重ねてお礼申し上げます。ありがとうございました。
 さて、師匠からいただいた課題については「任せてください」とは言ったもののか
なり動揺しておりまして、今頃の返事になって申し訳ありません。
 ほとんど感想で申し訳ないのですが、少しだけ打たせていただきます。


 落語の世界はテレビ番組の「笑点」しか触れたことがなく、それもとても難しい高
尚な芸道としてのイメージが強く、「笑点」も最後まで画面をそのままにしていたこ
とはありませんでした。
 三遊亭・・・、竹田高校の卒業生が落語家になり真打ちになったと情報が入り少し
身近になった時期もありましたが、それも今はっきり名前を思い出せず恥ずかしい次
第です。
 そこで、圓窓師匠をお迎えするに当たり、自分なりにインターネットを通じ情報を
仕入れさせていただきました。
 さすが、師匠のホームページにはあふれるほどの内容があり、どれをプリントアウ
トして良いかずいぶん迷いましたが、とにかく[胸の肉]と[ぞろぞろ]の流れを押
さえさせていただきました。
 この内容を落語で語ったら言葉の調子、間合い、等どうなるのか興味津々でした。


 講演が始まり、少しでも落語に触れたく、落語家の方の話し方に触れたくて、ステ
ージ下手で仕事の合間に聞かせていただきましたが、声、迫力、聴衆を魅了する感性
等に驚き 衝撃のあまりに口をポカンと開けたまま立ちすくんでいた自分を思い出し
ます。
 長年の経験と師匠の努力の結晶だとは思うのですが、とにかく感動しました。涙が
あふれ、せっかく楽屋でご一緒できていますのに胸がいっぱいになって「だくだくく
らぶ」の話を少しだけさせていただくことで精一杯でした。
 教科書もいただき[ぞろぞろ]がどんな風に教材になっているのか、読ませていた
だきました。
 これだけの内容を子どもたちに伝えるためには小学校の先生方がしっかり落語を聞
き、その感動を自分のものにした上で、さらに体験・感動・創造、そして学習へと発
展させることが大切と思いました。
 講演の冒頭にありましたが、今の学校教育の中で「感じる心があって、想像力豊か
な子どもたちが育っていくことを実際に受け止める事ができているのであろうか?」
と心配にさえなってきました。
 私には娘がは4人います。2人はドイツ語とドイツ文学に夢中、1人は舞台芸術家
を目指して大学とバイトで体験学習中心の日々、残りの1人は剣道をしたくあこがれ
の中学校に転校し、どの子も自分の可能性に向かって挑戦中です。
 母親としてはそれを底辺の部分で支えることだけしかできませんが、周りの方への
感謝の気持ちを忘れずに、責任ある行動をとることの大切さはいつも話して育ててき
ました。
 その中から心の豊かさが生まれてくること、日本人に生まれてきたことを誇りに思
う事を期待しているのです。
 これから先、必ず直面していく文化の大切さについても話しておりましたので、早
速、師匠の話をmailして「落語を聞いてみること」「母親のように途中で逃げな
いこと」を言って聞かせました。
 その内容の奥深さを感じ取ってくれたら、こんな幸せなことはありません。
 本当にすばらしい刺激を私に、そして間接的ではありますが娘たちにも与えてくだ
さいまして感謝の二文字です。


 竹田市教育委員会社会教育課には、「楽笑くらぶ」や「近代芸術研究会落語くらぶ
」に属している工藤隆浩という職員がいます。
 彼こそが圓窓師匠のすばらしさを我々仲間に紹介してくれた人物です。(師匠に謝
辞を申し上げた者です)
 彼のコメントを少しだけ紹介します。師匠が高座で即席にやったご当地落語[十六
羅漢]を聞いての感想の一コマです。
「びっくりした!」
「すばらしいことは知っていたが、『16やかん』の落ちで 目から鱗が落ちた」
「なんて方だ!」
「よく、あれだけの竹田市に関わる名前をすらすらと言えるもんだ」
「さすが! としか言いようがない」
 と。


 私は今回、再度述べますが、落語の世界に少しだけですが触れられた事を本当に感
謝しております。
 師匠、気さくに声をかけてくださり、ありがとうございました。
 まとまりのつかない文面でお見苦しいとは思いますが、ご勘弁願いましてお礼の文
とさせていただきます。


 今、竹田市では岡城桜祭りの準備に取りかかっております。
 岡城は、春はひらひらととても優しく、夏はそよそよと涼しく、秋はずんずんと美
しく、冬ははらはらと悲しく(あくまでも私のイメージです)、色々なドラマが繰り
広げられていきそうなはかなげでそして強い史跡です。
 どうか、また竹田市においでいただけますように、落語を聞けるチャンスをいただ
けますように、切に祈りながらmailを閉じさせていただきます。


   圓窓からの返信: 菊地さんへ。
            感想文、ありがとうございます。
            過分なるお褒めの言葉でうれしくなりました。
            工藤さんにもよろしくお伝えくださいませ。
            近々、HP「だくだく」に載せますので、よろしく。

2003・5・5 UP




第22回 ふじ市民大学後期講演会

” 講師 落語家 三 遊 亭 圓 窓 ”

テーマ「 話す・聞く・思い描く 」
2002年11月7日(木)
19時〜20時30分
ロゼシアターホール



『 大変に勉強になりました 』

文責 白壁 智


 先日は、お忙しい中の富士市への訪市、ありがとうございました。
 主催者(市民大学担当)だけでなく、一個人として圓窓様の御講演内容に大変勉強
になりまして、お礼を伝えたくHPを拝見させていただきました。


 私も2人の子供を持つ親として、子育ても含めて今までの生活の中でどれだけ「話
す・聞く・思い描く」という、人として成長していく上で大切なことを見失っていた
かを痛感しました。
 今の子どもたちに「読み・書き・そろばん」といった戦後復興期から現代まで続い
ている教育方針が、本当に良いものか見直し、自分なりに「話す・聞く・思い描く」
の大切さをいろいろと伝えていきたいと思いました。
 また、これからの生活の中にこの「話す・聞く・思い描く」の大切さを意識してあ
らたに頑張っていける自信をもてる機会ともなりました。


 これからもこのすばらしい日本伝統芸能文化でもあります「落語」をはじめ、昔か
らの日本特有の文化に関心をもって日々の生活を頑張っていきたいと思います。
 本当に貴重な講演をしていただきありがとうございました。
「笑涯楽習課」の名前を推奨したい公務員の1人 白壁 智


    円窓より返信:やぁー、白壁さん。ありがとうございます。
           これから「生涯学習課」から「笑涯楽習課」への名称変更運
           動を展開させてください。(笑)
            白壁さんのこのメール、圓窓サイト〔だくだく〕へUPし
           たいのですが、いかがでしょうか。





『 毎晩 子どもに[ぞろぞろ]を聞かせてます 』

文責 白壁 智


 先日は、私どものお礼(乱文乱筆でありましたことをお詫び申し上げます)の言葉
につきましても、わざわざ先生よりお返事をいただき、大変うれしく思います。
 あの日(講演会)の思いを、今の生活に少しでも取り入れていこうと日々試みてい
ます。
 最近では、子どもが眠る前に先生の[ぞろぞろ]を私なりの表現になっていますが、
話して聞かせています。
 いつも途中で、すやすや眠りについてしまうので、なかなか終わりにたどり着きま
せんが、子どもから「今日も[ぞろぞろ]のお話をして!」とリクエストをもらって
いまして、うれしいです。
 これからも自分なりに「話す・聞く・思い描く」大切さを大事にして子育て、仕事
等に役立てていきたいです。


 先日のお返事をいただいた内容で、圓窓先生のHP上へのUPとのことですが、私
どもの内容でも差し支えがありませんでしたらお願いします。
 また、先生のHP閲覧が楽しみになりますので。
 そして、子どもたちにも見せて上げたいと思います。
 よろしくお願いいたします。


 先生もお体にはお気をつけて、これからのますますのご活躍を楽しみにしておりま
す。
 また、子どもの成長ぶりも合わせてご報告したいと思います。
私なりの子どもへの[ぞろぞろ]完結報告も出来るように頑張ります。

2003・2・10 UP






生 涯 現 役

テーマ:『小学四年の教科書に落語が載った』


主催:横浜市金沢区 生涯現役会
日時:2001・3・24(土)午後15時
会場:横浜市金沢区 金沢公会堂
講師:三遊亭 圓窓


<< 聴 講 感 想 その1 >>


『 思い出に残る一夜でした 』
文  齋藤良智


 先日は素晴らしいお話をありがとうございました。
 私は、講演会はよく行くのですが、落語家の講演を聞くのは初めての経験でした。
 若いころ浅草の寄席にときどき行ってましたので、今日、着物姿の師匠が登壇した
ときはつい落語を期待してしまいました。今日は高座ではなく講演会だというのはわ
かっていたのですが、つい、もうそろそろ落語が始まるという錯覚から抜け出すこと
ができず、講演の終わり頃になって笑わせて貰ってからようやく落ち着いた気分にな
りました。
 勿論、師匠の人生体験や、その中に織り込まれた様々な蘊蓄や、「聞く」という情
景を思い描く作業の大切さなど、レベルの高いお話も大変参考になりました。
 ただ、私はその話を聞きながら、ときどき隣の席を気にしていました。
 隣に並んで座って聞いていた妻と小学六年生、一年生の娘が一体この話に耐えられ
るだろうかと。
 案の定、妻はじきに、あの師匠の大きな声をものともせずに居眠りを始め、子供達
はしばらくはおとなしかったのですが、30分を過ぎたころから「いつ終わるの?」
と言い始めました。
 妻はさておいて、私は子供がどこまで耐えられるか、会場の外に出したものかと悩
みながら様子を見ていましたが、なんとか最後まで出て行くとも言わず聞いてくれま
した。あの日の師匠のお話に、成人式で話を聞けない若者のことがありましたが、幸
い我が家の娘達は騒ぐことだけはしなかったので助かりました。
 帰りの車の中で講演会のことを妻と話していたら、上の子が「ホワイトボードのペ
ンでその市の財政状況が分かる、と言ってたね」、そしたら下の子が「ありとか、な
しとか、言ってたよね」と言い出したので、つまらなそうにしていたけどそれなりに
聞いていたんだと知ってほっとしました。
 そして途中の山の中の鎌倉霊園のそばを通った時は、先程、師匠から聞いた「話を
聞きながら情景を描くことの大切さ」を思い出し、皆で恐い話を披露し合って迫力満
点でした。
 そういう訳で、あの円窓師匠の講演会の夜は、ちょっと違った我が家の思い出に残
る一夜となりました。
 素晴らしい夜をありがとうございました。


<< 圓窓からの返信 >>


圓窓「教科書に載った落語はこれなんですよ、ということで落語[ぞろぞろ]を
  演るつもりだったんです。ところが、あたしの話の最中に、第二部の準備の
  ためなんですか、控え室からジャズの練習の音がステージにも会場にも流れ
  てきたので、予定は中止しました。とても演れる状態ではありませんでした
  ので。
   あたしの話が下手だったのか、母子にどうしても寝なくてはならない事情
  があったのか、いずれゆっくりと話し合いましょう(笑)
   娘さんが騒がなかったのは立派じゃないですか。もう一つは回りに騒いだ
  人がいなかった、ということも言えるかもしれませんね。
   帰り、皆で恐い話を披露し合ったそうですが、早速、活用してくださって
  嬉しいです。そういうことは続けてください。
   それにしても、ステージと客席の間に広い大勢が踊れるような空間があっ
  て、話にくかったですよ。両者がもっと近付くような会場のほうがいいです
  ね。次回からはそうするように、意見を届けてくださいね」





<< 聴 講 感 想 その2 >>
「 師匠から『お嬢さん』『妹さん』と言われた 私65歳 」
文  南雲喜久枝


 司会役の私は、予め新聞やラジオなどで見聞したことを参考に、師匠のプロフィー
ルを次のように紹介させていただいた。


「名古屋での含笑寺で続けてこられた〔圓窓五百噺を聴く会〕がついにゴールイン。
32歳でスタートして、達成に28年かかりました。
 趣味のパソコンで各地のメール仲間に呼びかけて、昔話や民話を送信してもらって
作り上げた噺もたくさんあります。
 体調の悪いときに『芸てぇもんは、砂山を歩くようなもんだ。投げ出しちゃぁいけ
やせん』という亡き圓生師匠の言葉が頭をよぎり、最後は『体力!』と注射を打って
新幹線に乗られたこともありました。
 更に、先日のNHKラジオ放送で、ご自分の性格を@無口A無愛想B不精であると
言われたそうです」


 600席のホール、演題と客席の間には7、8mもありそうなフロア。
「どうも、向う岸の人に話しているみたいで……」と皮肉を込めながらも、演壇を前
にして立って、90分きっかりの大熱演。
「今、なぜ小学校の授業に落語が必要であるのか」などについて、とてもわかりやす
く、楽しく、時には厳しく話された。
「テレビやゲーム機などから作られた音と映像の氾濫で、一方的な情報が思考する間
もなくどんどんとび込んでくる日常では、相手の話をよく聞いて、その場面を頭に思
い描く」という原点が崩壊寸前なのである。今こそ、脳の活性化のためにも想像力を
広げ思考力を高める落語教育が必要である」と訴え続けてこられた。
 そこで、昨年度から教育出版鰍フ小学校4年用の国語教科書に[ぞろぞろ]が取り
入れられたとのことであった。
 歯切れよく、リズム、テンポの美しい師匠の話を聴いているうちに、私はこれまで
歩んできた生活の一コマ一コマが次々に思い出されてくるのであった。


 次女が高校生のとき、学校の文化祭に出かけたときのこと。
 見慣れない着物姿で机の上に敷かれた座布団に座って落語を演じていたのを見て、
びっくりした。
 めくりの寄席文字には「まなこ亭しろめ」と書いてあった。
 当時、志村けんが白眼をして笑わせているテレビ番組があったが、娘はそれをまね
るのが上手だったらしく、友達に請われる度に白眼をしていたらしい。
あとで聞いたことだが「眼家白眼」にするか「眼亭」にするか悩んでいたそうだ。
 そう云えばその何日か前、学校にあわてて出かけた朝、何やらむずかしそうなこと
がいっぱい書いてある紙を玄関に落としていったことがあった。
 勉強に必要な暗記文だったら困るだろうなと思いつつ、拾ってみると、「ジュゲム、
ジュゲム・・・」と以下びっしり書いてある。
 その時の私の気持ちは、「オヌシ、ヤルナ〜!」
 文化祭当日は器楽部発表でバイオリンを弾き、聖歌隊の合唱では指揮者、コーラス
部の発表では司会者、そして二重唱、更におなじみの曲を「たんたん狸の変奏曲」と
題してのピアノ二重奏。
 最後にチャペルで礼拝が始まるというので、私は座席で黙祷していたら、急にあた
りがざわつきだし、そのうちにぎやかな笑い声!
 何かと思って目を開けると、ナント娘が司会をしようとしているではないか。まだ
一言も話していないのに爆笑のウズ。
 その昔、柳家金語楼という落語家が、よく「私はまだ何もしゃべってはおりません
……」と言って更に皆を笑わせていた様子をラジオ等で聞いたことがあったが、急に
それを思い出してしまった。
「コラ! フェリス女学院の伝統をけがすな!!」と、怒鳴りつけてやりたかったが、
時すでに遅く、私は恥ずかしさに負けて沈黙。
「皆さん、礼拝です。お静かに」の先生のおかげで、救われた。
 その娘は小学校の教師になり、今は進学塾の国語の講師をしている。
 その娘の娘、つまり小学校2年生の孫が、先日、「寝る前にママとシャレ飛ばしご
っこをしたんだけど、あたし、ぜんぜん作れなくって。くやしいからふとんをけっと
ばして、"ふとんがふっとんだ"。おばあちゃま、これって面白い?」ときた。
 やぁ、みんなで大笑い。


 私は幼い頃から空想性低能児とか、連想性低能児、また夢見る夢子等とよく言われ
てきた。
 超貧乏の学生結婚だった私は、厳しい現実の中に笑いをたくさん取り入れていかな
ければ生きてこられなかった。
 痩せ我慢して、万葉集から「苅薦(かりこも)の一重を敷きてさ寝(ぬ)れども君
とし寝れば寒けくもなし」と書いたワラ半紙を壁にはりつけながらも実際にはせんべ
い布団にガタガタ震えて寒さをこらえていた。
 時にいろいろな場面を頭に描きながらシンデレラになったりかぐや姫になった気分
で、オメデタくも笑って暮らすことを心がけていたように思う。
 笑うと副交感神経が優位になり、身体はリラックスし、免疫能力が高まるという。
体内にはガン細胞を排除するNK細胞(ナチュラルキラー)があり、それが増えてガ
ンの進行も防ぐ。つまり、笑うと体の中に幸せホルモンがあふれてくるのだそうだ。


 この度、前人未到の五百噺を達成した三遊亭圓窓師匠の講演を間近に聴く機会に恵
まれたおかげで、私は忘れかけていたさまざまなことを懐かしく思い出すことができ
た。
 そして、それら思い出がこれからの私に新たなエネルギーとなってくれるような気
がしてきた。
 ピンピン元気で生きてコロッと死ぬ「ピンコロ人生」を目標に掲げている私は、こ
れからもNK細胞を生産させながら、よい人生を締めくくりたいと思っている。
私の名は、南雲喜久枝(なぐも きくえ)。イニシャルは、NK。(これって、全く
関係ない???)


 笑いの中にも多くのことを学ばせていただき、実に楽しい心豊なひとときでした。
 師匠はあたくしにまず、「噺家になって初めてオジョウサンに紹介してもらった」
と、講演後、私が歌唱のためドレスを変えた姿に、「オヤ? 妹サンかと思った」な
どともおっしゃり、当然オセジとは知りながらも、65歳の私には実に幸せなことで
した。
 娘一家が浅草三丁目に住んでいますので、いつも浅草演芸ホールの前を通って行き
ます。
 いつか最前列で大笑いさせていただきたいと思っております。
 ただ一つ残念でしたこと、それは私の「サントワマミー」を聴いていただけないこ
とでした。


 ここで、知人などのお声などを……。


●落語大好き医師
 堅いテーマなので1時間半もつのだろうかと心配したが、さすが大看板。最後まで
楽しく聞かせてくれた。
 古典落語の伝統の良さと現代の事情をうまくとりまぜていたのに感心した。という
のは、現在のさまざまな問題を真剣に考え、よく勉強しているからだと思う。
 古典落語そのものだけでは、もう古いと思う。
 話のテンポがちょうど良く、声も良かったので、耳に快く聞こえた。
(南雲注:彼は台湾、アメリカ、日本、それぞれの国で学位を取得された耳鼻咽喉科
の名医。時に画家、牧師、随筆家としても超一流)
●ご夫人
 口調がしっかりと快く、内容も充実していてわかりやすく、すばらしかった。
●元全日空の主席パイロット
 すばらしい講演。話し方がとても参考になった。同じ年頃なので親近感が沸いた。
お互いによくがんばってきたなぁと、努力を称えたい。
(南雲注:ご自身も昨年リタイア後、今は航空安全に関する研究所でご活躍中)
●ご夫人
 あっ、もっと10年、いや20年前にこういうお話を聞きたかった。本当に考えさ
せられる、ためになる、いいお話だった。
●画家
 とても楽しく有意義な話で、時間を忘れた。
●その他の人々
 テレビ漬けの亭主に聞かせたかった。
 脳がこれ以上破壊されないように、テレビをつつしまなければ……
 いい声だわネ。でも歌はうまいのかしら?
(圓窓注:歌わせてごらんなさいよ(笑))


 ということで、私がチラリと見せていただいたアンケート用紙にも「大変よかった」
が圧倒的でした。
 皆様、どうもありがとうございました。

2002・6・25 UP







都立文京高校 創立60周年記念式典
記念講演 三遊亭圓窓
(昭和34年 11期卒)

テーマ:「小学校の教科書に 落語が載った」

主催:文京高校記念事業委員会
日時:2000・10・7(土)午前11時
会場:文京高校 講堂
講師:三遊亭 圓窓





聴講後の感想

「話を聞いて 風景が浮かんだ!」

1年E組 伊藤 妙
三遊亭圓窓さんへ。
 こんにちは。
 10月7日の式典では、講演を聞かせていただき、ありがとうございました。
 実は私、このあいだの講演まで、落語家の方のお話をきちんと聞いたことがありま
せんでした。そのせいか、落語は単に笑い話を語るものか、と思っていました。
 しかし、実際に目の前で三遊亭圓窓さんのお話を聞いて、「一般人とちがう!!」
と、まず思いました。
 それは当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、落語家の方の話し方をよく知
らない私には衝撃でした。落語ではない普通のお話でさえ、その話し方にはとても引
き込まれてしまいました。何の盛り上がりもない話をずらずらと聞かされると、つい
「たいくつだ」と思ってしまうことがある私ですが、三遊亭圓窓さんのお話はその話
し方だけでも人をたいくつさせないすばらしい力を持っていると感じました。あんな
話し方をする人と出会ったのは初めてだと思います。
 また、三遊亭圓窓さんのお話しを聞いていると、なぜか頭の中にその風景が思い浮
かんだことも印象に残っています。三遊亭圓窓さんが「言葉を聞いて頭にその様子を
思い浮かべることが大切だ」というような内容のお話をしていたので、無意識のうち
に思い浮かべていただけかもしれません。しかし、私には、これも落語家さんの持つ
”力”なのではないかと思えました。
 落語はただ単に聞くだけかと思っていましたが、そんなことは無く、耳でその話し
方を聞いて頭でその様子を思い浮かべるという作業をすることで、一つの映画を見る
ように楽しめるものなんだということがわかりました。
 三遊亭圓窓さんが「耳で聞くだけでは、その様子を思い浮かべることのできない人
が増えている」というような内容のお話をしていましたが、落語は聞くだけで風景が
浮かんできます。だったらもっと落語が広まれば、そんな人も増えないのではないで
しょうか。小学校の教科書に落語が載ったことも、落語をもっと広めるきっかけの1
つになるかもしれませんね。



伊藤妙さんへ お礼の独り事
三遊亭圓窓より

 妙さんの感想文を読んでびっくりしました。
 なぜって、話を聞いての観察力といい、また、それを文字にした文章
力といい、とても高校一年生とは思えないからです。
 ここだけの話ですが、先生や父母の中にだって、これだけのセンスを
持った人はいないんじゃないかな。(笑)
 あたしは在校中も含めて、母校に関したことで感激したことはほとん
どありませんでしたが、妙さんのこの筆力には感動させられました。
 あたしの訴えたかったことを適確に掴んでくれましたね。とても、嬉
しいです。
 余談になるかもしれませんが、文京高のOBにはもう一人の噺家がい
ました。あたしの二年先輩にあたります。テレビの売っ子として名をな
したのですが、深酒をやめられず、とうとう若死にしました。マスコミ
と酒に溺れたと言っても過言でないでしょう。つまり、名が売れたとい
うときから、もう自分の本分を忘れてしまったとも言えます。
 あたしは落語家として修行しながら、名人たちのその落語の芸の深さ
の魅力に感涙の日々を過ごしてきました。同時に、「今、あたしに出来
ることはなんだろう」と思い悩んだ日々でもありました。
 結局、悩みは尽きないのですが、「名を売ることより、自分を磨くこ
と」を心がけて仕事をしております。それが、「落語とはなにか」「落
語は世に必要なのか」などの自問自答になり、現在、講演のテーマの如
く、小学四年の国語の教科書(教育出版)に落語を載せる手助けが出来
たわけです。
 このことを掴んでくれた妙さんの感想文を読み返して、泣かずにはい
られません。
 妙さんはこれから社会へ出て、好きな人と出会って結婚することでし
ょう。子供が出来て、その子が大きくなったら、落語の載っている教科
書を使っている小学校へ入学させてあげてくださいね。
 あたしはこの文京高校と同じ豊島区に住んでいますが、豊島区の小学
校では落語の載った教科書は使用してないのです。豊島区のレベルがわ
かりますね。(笑)嘆かわしいですよ、まったく。(笑)
 ですから、妙さん。
 今から、こつこつと、教育関係者に「学校で落語の勉強をしましょう」
と呼びかけてください。
 そうすれば、全国の大人が落語に目覚めて勉強を始め、いずれ、日本
も大きく発展することでしょう。

        



講演の短縮掲載文

文京高校PTA広報誌「むらさき」
平成13年3月発行

「小学校の教科書に 落語が載った」

三遊亭圓窓氏(昭和34年11期卒)


 今、人の話を静聴できない若者がふえている。各地で開かれる成人式でも、そのこ
とが問題になり、毎年話題にのぼる。
 そのような現象の理由の一つに、テレビ・テレビゲーム等視覚からの刺激が余りに
多く、耳から聞いたことを心で反芻し、頭に思い描き理解するという体験は逆にあま
りせずに育ってしまったことによるのかもしれない。
 落語には三百年の歴史があり、人間生活に大切な智恵が多く含まれている。『噺』
を耳から聴く事で情景を頭の中に描き理解するという、今の子供に欠けている体験を
させることができる。
 この度、落語『ぞろぞろ』が小学校の教科書に載ったが、子供たちが授業を通して
「描く」能力をおおいに身につけ、将来につなげてほしい。
 落語[ぞろぞろ]梗概
 浅草観音裏に小さなお稲荷さんがあった。茶店のおじいさんが、ころがっていたお
稲荷さんののぼりを返し、お参りをすると、あら不思議。店に来なかった客が来るよ
うになり、一足しかないはずのわらじが売れるとすぐに天井から、ぞろぞろ下がって
くる。店はぞろぞろわらじで評判になった。その話を聞いた床屋のおやじさん、さっ
そくお稲荷さんをお参り。家に帰ってみるとお客がぞろぞろ・・・。ヒゲをあたると
ヒゲもぞろぞろ・・・。
2000・11・12 UP








名古屋市千種区・更正保護婦人会における圓窓の講演

テーマ:「子供には落語が必要」
主催:千種区更正保護婦人会
日時:2000・5・12(金)午後2時
会場:東山会館
講師:三遊亭 圓窓
文責:副会長・書記 加藤和子

 平成12年5月12日(金曜日)に、名古屋市の千種区更生保護婦人会が開催しま
した年次総会で、三遊亭圓窓師匠に記念講演をしていただきました。
 近ごろではほとんどなじみの少ない古典落語の噺家の世界に、はたしてついていけ
るかと、少しばかり心配でしたが、師匠は女性一色の会場で瞬間的に察知してくださ
ったのか、話の冒頭に「女学校?の入学式みたい・・・・・・」と緊張をほぐして下
さいました。まさに、女学校と言われて笑う年代なのです。
 本題の中では、現代のメディアが「人の不幸は密の味」とばかりに、悲惨で悪いニ
ュースを頻繁に取り上げ、見る者の心をくすぐっていると指適され、自分たちもそう
した風潮に慣らされていると反省しきりでした。
 また成人式の講師に招かれた体験から、辛抱ができず、人の立場にたてない若者と
その親たちの姿を紹介されましたが、未来を託す子供達の教育が、いかに重要である
かを痛感いたしました。
 そして師匠は、同じ轍を踏まないために、「話を聞いて描く作業」を取り入れた教

を、と提言されました。話し言葉を聞くことによって、自分の頭に場面、状況、姿、
形を描くことが人間社会にもたらす様々な効果について具体例を示しながら話して下
さいました。
 それは、現在、流行っているコンピューターが描くところのバーチャルリアリティ
ー(仮想現実)よりも、効果があり、そして「話を聞いて描くこと」を取り入れた教
育が、不況の克服や、少年非行の防止策にもなり、内に閉じこもりがちな青少年の心
の扉を開く一つの鍵になるのではないか、と力説されました。
 こうしたユニークな持論を展開される圓窓師匠の古典落語[ぞろぞろ]が、今年の
小学4年生の国語<下>の教科書(教育出版発行)に掲載されるそうです。この教科
書は全国シェア20%だそうですから、これで日本の将来の20%は明るいと期待出
来ます。
 ともかく、相次ぐ青少年の悲惨な事件に心を痛めている私達に、大いなる希望に向
かう貴重な火種をともしていただきました。これを期に、小グループからでも、子育
て運動の一貫として「話す・聞く・描く」運動を始めたいという声が上がりました。
またお話を伺える機会に恵まれることが出来ますよう、今後ともよろしくお願いい
たします。
 まことに大変ありがとうございました。
2000・7・20 UP









東邦ガス(名古屋)常勤役員 朝食勉強会 " 圓 窓 の 講 演 を 聴 く "
2000年6月17日(土)朝8時
今池ガスビル ガス燈(朝食)・会議室(講演)


『 当社の役員勉強会に 落語家が来た 』


文責 佐伯 卓


 弊社(東邦ガス)では、毎月第3土曜日に、常勤役員の全員が集まって、朝食会を
かねた勉強会を開催しております。
 我が国でも週休2日制が普及し始めた昭和40年代終わりに、当時の社長が「休み
が増えたからといって、役員が遊んでいてはいけない!」と言って始めたのがキッカ
ケで、以降20年余にわたり、開催は200回以上を数えております。
 テーマは、ガス事業に関係の深いエネルギー問題、経済問題などから、文化、芸術、
科学等を織り交ぜて多岐にわたっており、講師の先生は、地元はもとより東京・関西
方面からもお越しいただきます。
 小生は平成7年からこの勉強会の事務局を仰せつかっておりますが、毎月途切れな
く時節に合ったテーマと講師をアレンジするのは、本当にシンドイというのが正直な
ところでした。
 そうした中で、ちょうど去年の初夏の頃、ロータリークラブでの卓話の講師手配で
同じように苦労されている大学の先輩から、同氏が名古屋で主宰されている経営研究
会にお招きをいただきました。
 そして、まさにその時の講師が圓窓師匠でした。
 演題は確か〔商人噺〕だったと思いますが、師匠の卓抜したプロの喋りもさること
ながら、日本の各地に伝わる民話を落語の題材に取り入れようとされるなど、幅広い
見識と一生懸命な姿勢には、ほとほと感服させられました。
 早速、後の懇親会で、弊社での講演をお願いしたところ、師匠は大変快く引き受け
ていただきました。
 双方の日程の関係で、師匠のご講演が実現したのは今年の6月になりましたが、も
ちろん、これまでに著名な落語家の先生に来ていただいたことなどありませんから、
メンバーは大いなる好奇心をもって参加したようです。
 当日は〔小学校の教科書に落語が載った〕という演題でお話いただきましたが、参
加メンバーの感想からいくつかを紹介いたしますと……、


「最初の出だしから、師匠の真面目な人となりが感じられた」
「血の通ったコミュニケーションが不足している現代で、教科書に落語が載ったこと
で、改めてその大切さを発見できた」
「さすが噺家、場の雰囲気を考えながらの話し振りで、最後まで楽しんで聴けた」
「〔当社の役員勉強会に落語家が来た!〕」(注:講演の演題をモジった洒落のよ
うです)

 など、うれしい感想がゾロゾロ。
 というわけで、事務局としても大いに面目をほどこした今回の勉強会でした。

 圓窓師匠、本当にありがとうございました。
2000・7・10 UP








 名古屋・中ロータリーにおける圓窓の卓話


テーマ:「小学四年の教科書に落語が載った」


主催:名古屋市中ロータリー
日時:2000・2・14(月)午後12時
会場:名古屋観光ホテル
講師:三遊亭 圓窓
広報用要約者:小島幸子





『小学四年の教科書に落語が載った』           落語家 三遊亭圓窓


 私が咄家になりましたのは昭和34年で、今からもう41年前になります。
 私は高校を出て18歳で入門したのですが、最初は前座です。
 当時、楽屋には明治生まれの名人・上手がゴロゴロしておりました。
 ある日、前座仲間の一人がある師匠をヨイショするつもりで「昨日、師匠の落語を
見ました」と言いました。
 すると、明治生まれのその師匠はムッとして「馬鹿野郎。落語は見るもんじゃねェ。
聞くもんだ」。
 この一言は未だに私の記憶にはっきりと残っているのですが、つい先日もこの言葉
を鮮明に思い出させてくれた出来事がありました。


 静岡市の市長だと思いますが、成人式の後の記者会見で「来年から成人式はもうや
らない」と怒りました。
 講演がありましたが私語花盛り。携帯電話をかける者、空いた缶を転がす者、誰一
人として話を聞かなかったためです。
 去年もそんなことがありまして、早大の吉村作治先生が仙台市の成人式で講演しま
したが、「もう2度と成人式では講演しない」と激怒しました。
 私は市長や先生の気持ちもよく分かりますが、講演を聞かなかった新成人たちの気
持ちも分かります。
 彼らは赤ん坊の時からTVを見、ゲームに熱中になって育ってきました。つまり、
ブラウン管を相手に大きくなったので、人の話を1時間も続けて聞くことなど経験は
皆無だったんです。彼らにとって全ては見るもので、聞くものではないのです。


 ところで「落語」という言い方ですが、実は明治時代になってからのことで、江戸
時代は「はなし」と言いました。要するに会話です。会話だから「聞く」ものなので
す。漢字でも「話」「噺」「咄」等がありますが、昔の人はこれらを上手く使い分け
ていました。
 話のついでに、先程、皆様とロータリーの歌をうたせて頂きましたが、その歌の文
句の中に「創ろう」というのがありました。この「創」という字には思ってもみない
意味があります。「キズ」です。「絆創膏」「満身創痍」という言葉に使われてます。
 私の考えですが、何か新しいことをやる、創造しようとするときには、必ずキズが
付くんだということなんでしょう。日本の上司たちは「前例がない」「失敗したらど
うなる」と言います。創ろうとする時、気づかないうちに「傷がつくからやめておけ」
という意識がでるのではないでしょうか。
 これを逆に、「創るにはキズが付いて当然なんだ」と、向かって行く了見を持つこ
とで、プラス志向になるはずです。
 家を新築するには材木を使いますが、この材木は山の木を伐って切り刻みます。樹
木を傷つけねば家は建たないのです。木に感謝とお詫びの心を持つようになれば、素
晴らしいですね。
 もう一度、「見る」と「聞く」の話に戻りますが、みんなが人の話をキチンと聞か
なくなったのは、1つにはTVの影響があるように思います。
 TVはただぼんやり眺めているだけでも何となく分かります。もう、画面に描かれ
ているからです。この時の脳細胞は刺激がなく、「オレはもう要らないのか」と自問
自答するそうです。「もうこの人の頭の中にオレは要らない」と判断した脳細胞は消
えてしまいます。
 ある研究ではこういう人の脳細胞は1日に1,000万個もなくなるそうです。こ
んなことを毎日続けていたら間違いなくボケます。
 しかし、人の話を聞く時は、ぼんやりできない筈です。脳細胞は活発に働き、話の
中味をよく理解できるよう努めます。TVを見て「分かった」と言う人より、人の話
を聞いて「分かった」と言う人の方が数倍レベルは高いと思います。
 只今、こうして私の話を聞いている皆様の脳細胞は大喜びです。「久しぶりの刺激
だ」って。
「見る」は、自分で思い描かなくてもいいのですが、「聞く」作業は自分で思い描く
必要があります。この違いは大変に大きく、私は子供のうちから「聞く」ことをさせ
ねばと思い、「落語を聞く教育を小学校の教室でやるようにしなければ」と寄席の高
座から落語のマクラで絶叫していました。10年前からやっていましたが、誰も真面
目に取り上げてくれません。それでも、私はめげずに訴え続けました。
 ところが、今年の小学校4年の教科書。「下」ですから2学期からでしょう、落語
を採り上げてくれたのです。教育出版というところの教科書ですが、まだ、全国で2
0%位の採用率でしょうか。愛知県でも使って頂いている筈で、いかに愛知県の教育
レベルが高いか、わかりますね。(笑)
 実は今までに中学校・高等学校の教科書に落語が載ったことはありましたが、小学
校はなかったのです。
 それで教科書に載ったはいいが、先生たちが落語をよく知らない。どうやって落語
を小学生に教えたらよいのか、困ってます。
 そこで、私が先生方に落語についていろいろ話をしたり、PTAの中に入って行っ
て、相談相手になっております。
 7、8年前、新潟の方の某高校の創立記念日に講演を頼まれました。講演時間は1
時間あるので、担当の先生に「落語の実演もしましょうか」と言ったら、「1人で大
丈夫ですか?」って言うんです。
 よく訊いてみたらTVの『笑点』の『大喜利』、あれを落語だと思っていたらしい
 教科書に載ったのは私の『ぞろぞろ』です。活字の他、ビデオやカセットも作って
います。子供のうちから教室で落語を聞く機会をもち、誰かが興味を抱いて自分でや
ってみたりすれば、他の子供も人の話を聞く習慣をつけることができます。
 よく「落語もいいが、昔話も」と言う人がいますが、考えてみると昔話には残酷な
ものが多いのです。
 その点、落語には恐ろしい話はありません。ひどい芸はありますが(笑)、ひどい
話もありません。落語は誠に健全な内容です。昔話より落語の方が相応しいと思いま
す。是非、皆様、もう一度落語を再認識して頂きたいものです。
                





『聴かせていただきました』
聴講者 深田正雄
 目の動きの大切さを、改めて、感じました。
 高座によって、視線を効果づける要素もあるのですね。
 これから、人に語りかけるとき、もっと、目を意識していきたいと思います。





『要約を褒められて、恐縮です』
講演の要約者 小島幸子

 先日、師匠からEメールでお褒め頂き、大変恐縮です。
 その言葉と言葉の端々から、相手に伝えようとするのが、”喋り”ならば、言葉そ
のもので、相手に伝えようとするのが”文章”。
 お陰で”喋った”段階でのニュアンスを写し損ねてしまったり、はたまた全く別の
ニュアンスに変わってしまったりと、色々と難しい面もありますので、そう仰って頂
けたことが、非常に嬉しいです。
2000・6・3 UP








平成12年 日本大学歯科部同窓会 埼玉支部新年会


『 三 遊 亭 圓 窓 記念講演 』


平成12年2月6日(日)
所沢市の「晨麓苑」
聴講・書き手 黒川 誠一(学24)



 立春も過ぎたということですか、暖かい晴天の当日でした。

 所沢市は埼玉県西部に位置し人口は328,576人(H12年1月31日現在)で、西武
ライオンズの本拠地として知られており、西武鉄道本社があります。
 また日本の飛行場発祥の地としても有名で、米軍基地の跡地に「航空公園」が建設
され、そこに日本初の国産商業飛行機「YS11」も展示されています。
 その隣には、日本全国の空の飛行機をコントロールしている「航空交通管制センタ
ー」があり、前もって予約をすれば見学も出来ますし、中に入れば各種航空機との交
信も傍受でき緊迫感を味わうことが出来ます。


 当日の出席者は御来賓を含めて約140名。
 例年のごとく講演会と新年祝賀会でした。
 講演の講師には中島拓治副支部長(学13)の中学時代の同級生ということで、「三
遊亭圓窓師匠」をお招きして「落語は子供の必須科目」ということで、1時間30分
の笑いの混じった講演でした。
 最近、学級崩壊という言葉がニュース等でよく取り上げられますが、やはり子供た
ちに笑いのある、又、自分で考えるコミュニケイションが必要であるということがこ
の講演会の要旨でした。
 最近、東京都の区立小学校ではこの圓窓師匠を講師に招いて子供たちに落語「ぞろ
ぞろ」を例にとって教育をしている学校もあるということです。
 この世に生まれて物心がついたときにはTVを見ているという現代の子供たちには、
家庭でも家族の笑いのある言葉のやり取りがあまりないといいます。
 この子供たちに耳から聞き、自分で物事を想像することの大切さを教えているとの
師匠のお話でした。
講演会に出席していた会員の先生も、自分の家庭にこのことを当てはめていたよう
な気がしました。
 
 講演会終了後、場所を移し新年祝賀会が始まりました。森健支部長(学5)の挨拶
が終わったところで、今回は臼田会長が日本歯科医師会会長選挙に立候補したという
ことで、急遽「臼田 貞夫日本歯科医師会会長候補を励ます会」に切り替えての進行
となりました。


 まず、森健支部長の激励の言葉に続き、岩田正(学3)日本歯科医師会代議員の温
和な、しかも「出たからには勝たねばならぬ」という力強い励ましの言葉がありまし
た。
 最後に、森支部長より我々会員の臼田会長への激励の意志である金一封が花束とと
もに贈呈されました。
 その後挨拶を戴いた学部長代理の森谷良彦教授、松戸歯学部同窓会の岩永克美会長
共々、臼田会長への激励の言葉に多くの時間を割き、まるで会場は臼田会長激励会に
乗っ取られたようでした。
 しかも、会場は水を打ったように様に静まり返り、出席者はおなかの空いたのも忘
れ、2時間の祝賀会が大幅な延長になりました。


 懇親会に参加してくださった圓窓師匠にも、会食はお預けにしてしまいまして、さ
ぞや、空腹感を多分に味わったことであろうと、密かに推察した次第です。


圓窓の独り言
  二十代、「産婦人科と歯医者へは絶対に行かない!」と豪語してい
 た時期があったが、なぁに、35歳を過ぎた頃から歯医者には通い出
 した。
  横浜の変人の先生のところには、長年に渡って通院した。なにしろ、
「俺は患者に堂々と名医を紹介できるから、その上の名医なんだ」と、
 盛んに冗談を振り撒いた先生で、落語大好き人間だったが、落語以上
 に酒が好きだったため、友人の通夜に行って飲み過ぎて、その晩に一
 緒にあの世へ逝ったというつわもの。
  今は、この講演会にあたしを紹介してくれた中学同窓の拓さんの許
 へ通っている。新座市あるので、自宅から車を転がして行くのだが、
 ゴルフをやめたあたしにとっては、唯一のハンドルとの触れ合いにな
 っている。

  懇親会にも出て、歯科医師会の会長選挙云々に接するという、貴重
 な体験をさせてもらった。
  あたしの所属する落語協会も社団法人として、会長、副会長の椅子
 はあるのだが、そのための選挙制度はとっていない。「そんなことを
 すると、揉め事が絶えなくなるから」という理由らしいが、最近では
「選挙制にすればいいじゃねぇか」という声も聞こえるが、それも楽屋
 でボソボソッと言う程度のもの。訴える声で発言する者はいない。
2000・3・15 UP







熊本県鹿本(かもと)町「生涯学習 推進大会」


記 念 講 演 会
主催:日出町教育委員会
日時:2000・3・4(土)午後3時
会場:鹿本町民体育館
講師:三遊亭 圓窓
テーマ:「学習を楽習にかえよう」





圓窓講演の聴講レポート

『1時間半、アッという間』

聴講・文責 高本賢治


 三遊亭圓窓様。
 高本といいます。
 3月4日(土)の熊本県 鹿本町で〔学習を楽習に変えよう〕という講演を聞きまし
た。講演の1時間程前に控え室で「師匠のホームページをみました」と言ったもので
す。
 まず、印象に残ったのは、「失敗したら、反省をする事」というのは、短い言葉
ですが、参考になりました。
 今、私もインターネット関係やコンピュータウィルスに対する仕事をやっています。
難しい仕事なので、失敗を恐れてごてごてになりがちな自分がみえたような気がしま
す。失敗を恐れず、失敗したら、それを反省して自分の糧にすればいいのだというの
がよくわかりました。
 それと、圓窓師匠のお話を聞いておりまして、テレビというのは想像力というもの
をなくすものだ、というのがよく分かりました。今の特に若い人たちには、想像力や
発想力というものが、あまりないように思います。
 私も落語に興味を出ましたし、人の話を聞いて、想像する事は、非常に大事という
のはよくわかりました。
 私は、よく知人のホームページを作ったり、地元の中学校のホームページを作った
り、会社では、インターネットの設計をしたりと日々、パソコンに向かい想像するよ
うな仕事をしております。素質がないので努力しかないですね。


 今までの講演会の中でも、あっという間の1時間半だったような気がします。
 すごく短く感じられました。それだけ、お話がためになり、有意義なものだったの
だと思います。
 私は、鹿本町の笑涯楽習で英会話を選択しています。
 ホームページも公開しておりますので、時間がおありになる時にアクセスしてみて
下さい。昨年の分は、本業が忙しくて作っていませんが。
                ( http://www.pp.iij4u.or.jp/~ken/keng.html

 また、世界的なピアニストの横山幸雄さんという方の後援会の公式ホームページも
作っております。
               ( http://www.pp.iij4u.or.jp/~ken/yokoyama.html

 圓窓師匠ともお会いできたのも、何かと縁だと思います。
 私のホームページリンク集に圓窓師匠のページをリンクさせて紹介させて頂きます。


圓窓の弾み心
  早速にEメールをいただきました。
  ありがとうございます。
  感想の「あっという間の1時間半だった」を読んで嬉しくなりました。
  また、HPを覗いていただいて、恥ずかしいのですが、パワーにな
ります。
  どうぞ、リンクしてください。
  木さんのも、覗きますので、よろしく。
2000・3・12 UP






大分県日出(ひじ)町 生涯学習フェスタ,2000


文 化 講 演 会
 主催:日出町教育委員会
 日時:2000・2・19(土)午後1時
 会場:中央公民館ホール
 講師:三遊亭 圓窓
テーマ:「笑う門には福来る」




圓窓講演の聴講レポート その3

 『茶道も笑涯楽習で』

聴講・文責 大神 早苗


 謹んで申し上げます。
 19日講演頂きました、大分・日出町の者です。
 ホームページをお持ちとの事で恐れ多い事ながら、メールさせて頂きます。


 講演を3列目中央で拝聴させて頂きまして、私が今、楽習している「茶道」に笑涯
励んでいきたい、と改めて思った次第です。
「笑涯楽習」好きな言葉の1つとなりました。


 圓窓師匠の今後益々のご活躍とご多幸を、大分の地でお祈りしております。
ありがとうございました。


圓窓のはずみ心
  茶道をなさっているとのこと。
  落語にも茶道を扱った作品がいくつかありますので、茶会へ参加し
 て、いろいろと教えてもらったことがあります。
  日本独特の文化だということをしみじみ味わいました。
  知らないことを知るって、とても素晴らしいことだと思っておりま
 す。それも、笑涯楽習なんですね。
  今後とも、Eメールを通じて、笑涯楽習、お願い申します。
2000・3・12 UP








圓窓講演の聴講レポート その2

『まさか まさかの講演会でした』

聴講・文責 かわさき かなこ


 (注)これは講演録ではありませんので、真面目に読もうと思うと腹が立ちます。


 1月末、MLに師匠からのメールが入る。
「2月19日、大分県日出町に講演に行くけど、鹿児島からは遠いよね」


 自宅の鹿児島からは遠いです。でも、その前日、私、なんと泊りで福岡に行くん
です。
 福岡からなら日出町は3時間の行程。生(なま)圓窓を聞くという貴重なチャン
スに比すれば、たいした距離ではありません。
 何たる偶然、いえ、これは私の日頃の行いがいいからその報いでいいことがある
んでしょう。
 講演タイトルは私の大好きな言葉〔笑う門には福来る〕。
 きっと行きます。


 2月19日、福岡は朝から冷たい雨。
 福岡から別府市まで高速バス、そして列車という完璧な旅行計画がたつ。
 師匠の講演は13:00から。その1時間半前には日出町に到着するはず。
 会場の一番前の席に座るぞ。
 高速バスが出発して40分、いきなりの車内アナウンスが入る。
「高速道路が雪のため通行止めで、到着はかなり遅れます」と。


   うっそー。まっ、いいか。余裕のスケジュールではあるし。


 が、しかし、その10分後のアナウンス、
「大雪のため、大渋滞も予想されます。何時に到着するか見当もつきません。
 ご希望があれば、予定外ですが、途中のJR駅までお送りします。」


   どっひゃー! なんでも良いから、講演に間に合いたい!
   駅で降ろして〜!


 JRの駅。時刻表をめくりにめくって、これから走る列車に乗ったら、講演が終わ
る頃にしか到着できないと判明。


   こんな山奥の駅で、行くも帰るもできず、どうしたらいいの?
   あたしは何のためにこんなとこまで来たって言うの?
   いや、女は度胸だ。わずかの可能性に賭けて、とにかく目的地を目指すという
   バスに乗るしかない。講演が聞けるか一か八かだぁ。
   もう、涙が出てきそうだぁ。
   私が泣いたら、この誠実そうな運転手さんも泣いてくれるかも。


   ここで一句  「朝雪に 師匠とられて もらひ泣き」


   どっかで聞いたような句だが、まあいいや。


 道はものすごい雪景色。
 鹿児島県人の私が見たことのない猛吹雪。
 おまけに車の渋滞...


   ちょっとぉ、日ごろの行い、悪すぎるんじゃないぃ? 師匠の。
   それにしても、師匠だってこんな雪の中、定刻に到着できるのかしら。
   うまく到着しても、こんな天気で講演なんか聞きにくる人がいるんだろうか。
   聴衆は私一人だったりして。まさかね、池袋演芸場じゃあるまいし。


 なんだかんだの心配の後、12:30に当初の目的地とは違う駅で降ろされるも、
「予想外に早く着きました。幸い道が凍っていなかったので」と運転手さん。


   これで30分遅れくらいで会場に着くはず。
   賭けに勝ったり! 日頃の行いのおかげだ! 私の。
   JRもナイスタイミングで発車。やりぃ!


 13:30、講演当地の暘谷(ようこく)という駅に着く。
 会場まで「徒歩5分」のはず。1分1秒が惜しいけれどタクシーの姿はない。
 走るしかない、雨の中、傘さして。
 だっだっだっだっだっ、びちゃちゃちゃちゃ(足音と水たまりをはねる音)


   こんな長距離を走るのは久しぶりだワ。7年ぶりかしら...


〔日出町中央公民館〕   あったあった、ここだぜ。ぜーぜー。
 エントランスホールに講演風景が中継されてる。
 紛れも無い師匠の声。「教科書に落語が・・・」


   あーん、そんな大事な話、あたしのいないとこでしないでー。
   入場するべし。するべし。


   おっっとっと、会場、満席だよ。
   所狭しと並んだ折り畳みイス、詰まってるー。2階席まで。
   日出町おそるべし。
   しょうがない、壁に寄りかかって、拝聴しましょう。
   ここは手話通訳つきですか。いつもそうだといいですね。


 師匠の「落語は聞くもの」の話が続く。
 師「江戸時代は〔落語〕と漢字で書いて〔はなし〕と読んでいたんです」
 板書(ホワイトボード)をフルに使って、「〔はなし〕の漢字は〔話〕だけではあり
ません。他に〔はなし〕って、どんな漢字があるかご存知ですか?」
 会場より「くちへん・・・・」「新しい・・・」のささやき。


 師「私は〔生涯学習〕という漢字、嫌いなんです」
 で、「〔生〕と〔学〕に代わる漢字は何でしょう」という師匠の質問に、
 いとも簡単に「笑う」と「楽しい」と答える人たち。


 師「他に話芸はどんなものがあるか。ご存知ですか?」
「バナナの叩き売り!」と会場より。


   う〜ん、さっきから続々と見事な発言。
   日出町のおばちゃんたち、あなどりがたし。


 昔話と伝説の違いの説明の後、独演会のようなしつらえの立派な高座の上で[ぞろ
ぞろ]の口演始まる。
 私もそらで言えるくらいによく知ってる[ぞろぞろ]なれど、聞くのは始めて。


   見えますよ、見えますよ、師匠。
   お稲荷さんの旗に、まあるくてかび臭いハッカのお菓子。
   そして、ぞろぞろっと、出てくるわらじが、、、、


《日出町講演レポートは、若くてハンサムな日出町のお兄さんが書いてくださる(か
もしれない)ので、このへんで・・・》


 講演会は無事に終わったものの、師匠に一目お会いして帰りたいもの。
 控室の前でお待ちして、師匠の帰り道にお声をかけさせていただきましょう。
 でも、これってストーカーじゃないのかしら。自分で自分がちょっと恐い。


 マッチ売りの少女よろしく、冷たいエントランスホールで待つ私に、日出町のおば
ちゃんがお手製マドレーヌをくださる。ありがたや。
 そう言えば、お昼ご飯食べてなかった。帰りの列車の中でこれいただこう。


 それにしても、師匠、控え室でお話が盛り上がってるみたいで、出てこられません
ねぇ。
 あたしも何時間かかるかわからない帰路があるんで、失礼しようかしら。
 でも、この際だ、
内気な私「すみません。師匠のお着替え、お済みでしたら、控室のぞかせていただく
    ことできませんか?」
日出町人「付き人の方ですか?」
        (ちゃうわい! 付き人させてもらえれば喜んでやるけど・・・)
内気な私「いえ、ファンの者です」
日出町人「ちょっと、うちの上司と話してらっしゃるんで、、、」
                (そうですよねえ、、、今回はあきらめるかな)


 でも、親切なお兄ちゃんは上司の方に取り次いでくださったみたいで
「もうお時間がありませんから、手短にね」
 と。
 控え室のドアが開く。
 ありがとう存じます。


 ちょこっとだけ、師匠のお顔を見せていただいて帰るつもりで、帰路の話に。
 師匠は本日、東京へ帰られて、翌日、四国へ飛ぶ予定が、大雪の予想で急遽変更と
なり、このまま列車で小倉・岡山経由で四国へ行かれるという。
 私? 私は高速バスがとっくに大雪で運休が決まったので小倉経由の博多行き列
車。
 と、いうことは・・・


日出町人「じゃあ、師匠とご一緒に別府駅までお送りしますよ」
圓窓師匠「じゃあ、あたしたちは小倉までランデブーですね」


   ひえええええ。そんな夢みたいなことがあってもいいんだろうかぁ?
   ラッキーーーーー! やっぱり日ごろの行いがいいんだ、私。
   でも、師匠、「ランデブー」って言葉、あたしの世代じゃ、もう死語なんですけ
   ど・・・・


 日出町のお車に乗せていただき、クドウさんの観光案内をいただきながら別府駅へ。
 ありがたや、ありがたや。
 日出町の皆さんのご恩は、一生忘れません。
 車内から他の何よりも映画館を見つけて喜ぶ師匠。
 このところ映画にはまっていらっしゃるようで。


 別府駅の列車待ち時間。私が席をはずして戻ると、師匠は、、、


   ちょぃと師匠っ! 何やってんです! あたしの折り畳み傘なんか、畳み始め
   ちゃってぇ!
   もうびっくりですよ、そんなことしないでください、恐れ多くて傘の方も困っ
   ちゃいますよぉ。
   返してくださいっ、あたしの傘!


 列車は生憎の混雑。指定席もとれず、自由席もまぬけに取り損ねた私たちは列車連
結部に立つことに。


   あたしはいいですけど、師匠、、、ごめんなさい。


 師匠の買ってくださった駅弁を開く。割り箸を口にはさんで片手で割る音。


   エヘヘ。学生時代の彼氏とデートしてるみたいな気分。
   とっても楽しい。おしゃべりしすぎるでなく、沈黙に困るでもなく。
   映画の話、浮世床MLの住人の話、かねてよりの私の疑問質問、etc。
   し・あ・わ・せ!


   でも、私の方は以前から師匠を一方的に存じ上げて心安いんですけど、
   師匠にとって私はほとんど見ず知らずの大年増。さぞや心持ちの悪いことでご
   ざいましょう。
   すみませんです。と、心の中でつぶやく。


   ん? なんだか、なんだか気持ち悪くなってきたゾ。
   この列車、妙な揺れ方をする、、、、ような気がする。
   列車に酔っちゃったみたい。ウソ、列車に酔う人なんているの?
   だめだ、師匠、ごめんなさい、立っていられません、、、、


 私がトイレへ駆け込む間に、なんと師匠は私の席を取りに行ってくださっている。
「ゆっくり休みなさい」と。


   そんなぁ。ご老体、もとい。
   "天下の落語協会理事さま"を連結部に立たせて、私が座ってるなんてそんな
   こと、できません!
   ああ、でも、動くとだめ。気持ちわりぃ。おえっぷ。
   立てない、振り向けない、口を開くことすらできません。
   わたくしとしたことが、こんな、、、なんでぇ?
   久しぶりに走ったから、いけなかったのかしら、
   お昼ご飯食べなかったのが、いけなかったかしら、、、、


   そこで一句  「追っかけは 体力つけて メシ食ってから」


   字余りだ。この際、まあよい。
   頭は冷静なんだけど、体が、気分が、悪すぎる。
   髪はボサボサ、化粧はマダラに剥げてるようだし、、、
   自慢の美貌が(これはウソ)台無しだぁ。とほほほほ。
   師匠とこんなに長い時間ごいっしょできる機会なんて、もう二度と無いのにぃ。
   ひどすぎるぅ。
   豆腐の角に頭ぶつけて死んでしまいたぃ〜。


師匠「この列車、横揺れするから。若い人ほどこんな揺れに酔うんですよ」
   と、ニッコリ。
 私「つまり、私もまだ若いってことですね」
   と、精一杯返しつつ、師匠のその微笑みに救われる心地がいたします....


 ついに私も小倉で途中下車。しばらく休んでから博多へ向かいます...はぁ。
 師匠はまだこれから3回の乗り換えと3時間のご乗車。
 お疲れのところ、益々お疲れ様でございます。


 私「どうぞお気をつけて」
師匠「それはあたしの言うことだ」


   ごもっとも。


 我が敬愛する師匠の後ろ姿を、もまともにお見送りできない情けない私。
 師匠にはとんだ道中になってしまって、本当に申し訳ございませんでした。
 わたくしとしたことが、一生の不覚なり。
 今、やっとわかりました。
 日ごろの行いが良くないのは、私の方でございました...


     「本当は三枚目じゃない」と、あえて主張しておきたい かなこ 文責


追記: 師匠に頼まれたレポートではありません。
    あんまり可笑しい1日だったものだから、
書かずにいられませんでした。
    長文 ごめんなさい。



圓窓の『読後ひとり語り』


 あたしも珍しい体験をさせてもらったよ。
 ことによると、途中下車して、救急車を呼んで、彼女を病院へ運び込む
ことにも……、てなことまで思案は巡ったね。


 そうなると、あたしはもちろん、救急車に同乗するね。このまま、帰れ
ませんよ、こうなったら。
 救急車の担架に横たわっている彼女の顔をジーッと見つめるね。頼まれ
たわけじゃないが、責務として見つめるね。
 車が大きく揺れたとき、腹の上にあった白くて細い手が担架から外へ、
ダラリ…、と力なく落ちる。
 あたしはその手をグーッと握るね。
 彼女の冷たい手に、あたしの手の温もりが伝わるだろうな。
 いいかな、こんなことをして。救急隊員、怒らないかしら。
 隊員だって苦労人だ。見てみない振りをしてくれるだろう。
 あたしは小声で言うね。
「かなこさん。大丈夫?」
 すると、彼女が目を空ろにあけて、
「師匠。すいません」
「なぁに、そんな心配、することありませんよ」
「あたしに構わず、早く四国へいらしてください。遅くなりますよ」
「そうはいきません。四国より、かなこさんの体が心配です」
 すると、彼女の瞼から真珠のような涙がジワーッと現われる。
 また車が揺れて、その真珠が目じりから枕へ転がるように流れ落ちると、
彼女は深い眠りに落ちた様子。
 あらためて、その寝顔を見ると、これがまた、色っぽいこと!
 よわったね、あたしは!

以上、名作落語[湯屋番]のパロディーでした。
2000・2・26 UP
[湯屋番]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/湯屋番





圓窓講演の聴講レポート その1

『山登りも笑涯楽習だった』
聴講・文責 高島 真寿幸


 圓窓師匠へ。
 始めまして。
 19日に日出町にて師匠の”笑涯樂習”を聞きました。とても感動しましたのでメ
ールを送らせてもらっています。
 私は44歳の会社員です。(日出町に会社が在ります)まだ自分では若いと思って
いますので生涯学習と言う物に興味を持てなかったのですが、”笑涯樂習”について
は感銘しました。
 家に帰り、早速この言葉を辞書登録しました。


 毎日の生活が会社、会社であり、趣味も思うようにできないこの頃の生活に自分で
も将来に対する心配がありました。
 定年になり仕事が無くなった時に自分は何を楽しみに暮すのだろう?
 と、考える事がありましたが、今日の講演を聞いて、楽しく習う事の大切さが少し
ではありますが、理解できた感じがします。
 今までは趣味は山登りと卓球と思ってましたが、忙しいのにかまけてそれからも遠
ざかっていました。しかし、楽しく習うのなら自分で時間を見つけて少しづつでも行
えると感じています。


 師匠は大変忙しくて、山に登る機会とは有りませんでしょう?
 大分は、手頃な高さの山が多く、自然に恵まれた環境の良い所です。野の草花を眺
めながらゆっくりと頂上に着いたら、遠くの眺望に感激して美味しいビールを飲みま
す。私にはこの楽しみがあったのです。
 いつか、師匠が大分に来られることがあったら、是非一緒に山に行きたいものです。


 今日の話の中で「最近の若者が聞く事ができない」との内容がありましたが、私も
同感です。
 自由とわがままを勘違いしている若者については、私も多くの憤りを感じています。
 しかし、それが日本の将来についての不安に感じた事は無かったのですが、今日の
話を聞いて、私も本当にこのような若者に将来の日本を託すと思えば、心配になって
きました。
 そのためにもしっかりした教育を期待しなければなりません。
 小学4年の教科書に載る落語が将来の日本を明るいものにしてくれそうですね。


 始めてのメールで、思うように今日の感動を表す事ができませんでしたが、感動を
有難うございました。



圓窓の『読後ひとり語り』


  ”"笑涯楽習”をパソコンに辞書登録をしてくだすったんですって!
 やぁぁぁぁ、これは嬉しいな。
 あたしの夢はこの文字を広辞苑に載せることですから、この運動も一歩電信
をしました。(笑)
 膝が悪くなって、好きなゴルフも断念をしたもんで、山は到底、無理でしょ
う。
 窓門会(圓窓一門の後援会)のメンバーの一人の70歳になんなんとする女
性なんですが、今でも山に上っているようです。その人も、笑涯楽習として、
山だけではなく、落語、歌舞伎などの観賞に夢中です。
 高島さんも、どんどん続けてくださいまし。
2000・2・26 UP






「都城・北諸県地域安全の集い」圓窓講演録


噺 家 か ら 見 た 地 域 防 犯

日 時:1999年10月14日(金)(鉄道記念日)
会 場:宮崎県都城市・サンビア都城
主 催:都城地域安全協会
テーマ:噺家から見た地域防犯
聴 衆:約300人かな?
文 責:カナコ

 
司会「それでは、本日最後のプログラム、三遊亭圓窓様の基調講演『安心して過せる
 暮らし”噺家から見た地域防犯”』を始めさせていただきます。まず始めに圓窓サ
 マの経歴をご紹介いたします」


 (幕が開く)


  カナコの胸中「ん…? あの講壇横の弱っちい机の上の座布団は……、もしかし
     て高座……?」


司会「三遊亭圓窓様は昭和15年10月3日にお生まれになり、--------------」


  カナコの胸中「あらあら、師匠のホームページの経歴と一言一句おんなじだわ。
      といって、経歴がいくつもあるわけはないか……。
       でも、どうして『当時は権威のあった真打ち』って言葉、省いちゃっ
      たんだろ。ホームページの経歴にはちゃんと書いてあるのに…。
       ウフフ、師匠、出てきた出てきた。拍手拍手!!!」


圓窓「半分忘れてたあたしの経歴、思い出させてくださってありがとうございました。
   あたしたち落語家には立って話すってことがありませんので、講演でこうやっ
  て立ってると不安で不安で…、今日は困ってるんです」


  カナコの胸中「うそうそ。師匠、落ち着いてらっしゃいますよ。いつもながらの
      いいお声」


 (夫婦喧嘩の話題)


圓窓「最近、特に強くなった女性に勝つには、男性諸君は一言いえばいい。これを聞
  いた女性は黙ってしまいますから。
   メモのご用意を。
   たった一言、『おれが悪かった』。(爆笑)
   夜9時から11時の間に家に帰ると、晩御飯つくってもらえないです。最近、
  毎日のようにテレビでサスペンスドラマをやってんでしょ。女房はあれが好きな
  もんで、テレビの前から離れない。
   しょうがないから自分で缶詰を開けて食べようと思ったら、女房は『それ、ね
  この缶詰よ』ってんですよ。あたしゃ驚きましたねえ。ねこの肉が入ってる缶詰
  だって思っちゃったんです。」


  カナコの胸中「なぜか、あたしだけバカウケ。やったぁ。
      後ろの席から『う〜ん、そんなこと考えたこともなかった』と妙に感心
     するどこかのおばちゃんの声あり」


 (ある師匠の訴訟の一件)


圓窓「で、あたしはあの事件、調べてみましたよ。落語を聞いてスヤスヤとおとなし
  く寝た客を摘み出すのは言語道断。客に訴えられて裁判になったという」


  カナコの胸中「きゃっほー! 私の好きな師匠の名セリフ。『落語を聞いて寝る
     のは当然です。落語にはマクラがある』って。
      でも、師匠。その意味のわかった人は、ここの会場にたくさんはいなと
     思いますよ」


  (テレビの見方)


圓窓「テレビはいけませんねえ。え?
   食べる場面では、ほんとにご飯をよそって、ほんとに食べちゃうんですよ。
   それじゃあ、見ている人も何にも考えなくても、ぼ〜っと見てるだけで、わか
  ったような気になっちゃいますよ。
   それに、暴力だの、人の悪口だの……。それに比べて落語はどうですか、この
  品のいいこと」


  カナコの胸中「おっ、話題は佳境に入ったか?」


圓窓「落語に泥棒はでてきますが、ほとんどみんな成功しないんです。
   いきなりブスッって人を刺すこともない。
   あたしは、落語は世界一穏やかな芸能だと思ってますよ、ええ」


  カナコの胸中「うん、よくぞ言い切った!」


圓窓「テレビを消して、人とコミュニケーションしてみてください。
   昨夜の交通事故のことを、話し手が『トラックと乗用車がぶつかって、ドカー
  ン!』ってことを話し、聞き手は見ていないのに見ているかのように頭の中で考
  えるじゃないですか。
   何にも考えないと脳細胞は毎日1千万(? 定かでない筆者の記憶)ずつ死ん
  でいくんだそうですよ。
   でも、話し手が事故現場の影も形も無い場所で状況説明して、聞き手の脳細胞
  が働いて、意味が伝わるんです。それがコミュニケーションなんです。
   どうです? これ。落語とおんなじじゃあないですか」


圓窓「あたしの落語[ぞろぞろ]が小学校の来年の教科書に載りますよ」


  カナコの胸中「いいですよねえ、その教科書を使う小学生は幸せです。小学校の
     教材って、意外に大人になっても覚えてるものです。
      おばかな筆者も小学校のだけははっきり覚えているものがいくつかある
     くらいです」
 

圓窓「寄席には犯罪者はでませんねえ」


  カナコの胸中「おっ、いよいよ今日の主旨、[犯罪]の話に近づいてきたか?」


圓窓「寄席の乗っ取りなんて聞いたことないでしょ?
   このあいだの飛行機の乗っ取り、あれは何ですか、ねえ。
   もし、寄席に乗っ取りがきて『おれにもやらせろ』と言っても、噺家は即こと
  わって、高座を死守しますよ、パイロットと違って。うっかり、やらせて噺家よ
  り巧かった、なんてえと、困っちゃいますからね」(爆笑)


  カナコの胸中「違った、犯罪の話じゃない」


圓窓「ねずみ小僧なんて、泥棒がいましたねえ」


  カナコの胸中「お、1時間経過。とうとう泥棒から[防犯]の話へ繋ぐのか?」


圓窓「義賊といわれた、ねずみ小僧は盗んだお金を全部貧しい人に与えたんでしょう
  か?
   あたしは全部というのが信じられませんねえ。で、また調べてみたんです」


  カナコの胸中「また違った」


圓窓「今日は、ねずみ小僧、辞世の句をお土産に覚えて帰ってください。
   いいですか、"い・ま・ま・で・に、ぬ・す・み・し・か・ね・は・・・"」


カナコの胸中「おっと…。後ろのおばちゃんが熱心につぶやきはじめたましたよ。
   『いままでに----------』だって。
    あたし、覚えました。
   『今までに盗みし金は多けれど 身に付く金は今の錆び槍』でしょう、師匠」


圓窓「落語は見るもんじゃありません。落語家を見るのはいいですが、落語は、聞く
  もんなんです」


  カナコの胸中「う〜ん、この一言を聞くために、今日はここに来ましたね、あた
     しゃ」


圓窓「では、そんなわけで、落語に入らせていただきます」


  カナコの胸中「と、師匠、椅子を踏み台にして即席高座。壇上から1メートルく
     らいの机の上の座布団へ。
      拍手拍手!
     でも、師匠。そのやわっちい机の上にほんとに上がっちゃうんですか?
     無茶しないでくださいよ。揺れてますよ、おっこちないでくださいね。ほ
     んとのラクゴシャになっちゃ、洒落になりませんよ」


圓窓「揺れてますけど、船の上でやってると思えばいいんです」


  カナコの胸中「ほんとはご自分も心配なんでしょう?
      それにしても師匠。座布団の上に座ったとたんにすっかり落ち着かれて、
     話し方変わりましたね。
      立ってる時もさすがお話し上手だと思っていましたが、明らかに違いま
     す。口が、より滑らかにツルツル〜ッと回っていくみたいです。
    『座布団の上に座ると21世紀まで話しつづける自信があるんですけど』の
     導入の師匠の言葉が妙に真実味を増す瞬間。これがプロの噺家なんですね
     え、しびれます。
      座布団の上で、高座、前座、マンダラなどの言葉が仏教と関係あるとい
     う話が続き、後ろのおばちゃん再び感動の模様」


 (民話落語[おはぎ大好き]始まる)


  カナコの胸中「この話、筆者は小学校の低学年の頃に読んだことがあります。小
      学館の[ママお話聞かせて]という本だったような気がします。ちゃん
      と自分で読みましたよ。
       全国的に有名な話だと思っていたら、熊本の民話で、宮崎県都城市の
      人もだれも知らないとのこと、ちょっとびっくり。
       それにしても、このお題が最高におかしい。[饅頭こわい][おはぎ
      大好き]、気づいた時、うそでしょ〜と、一人で笑いました」


圓窓「-------------あんこが落ちる!」


  カナコの胸中「パチパチパチパチバチバチバチ(拍手の音)」


圓窓「ということで、コミュニケーションしましょうという噺でした。ありがとうご
  ざいました」


  カナコの胸中「かくして1時間40分の私の至福の時に幕。
      地元の[地域安全のつどい]の来賓代表の都城警察署長が、『いつにな
     ったら[防犯]の話が始まるんだろう』と最後までハラハラしていたとか、
     いないとか。
      なんのなんの署長さま、奇しくも私の後ろのうるさいおばちゃんがつぶ
     いた言葉『こげなしは、わりこちゃしやらんとおなあ』。これを訳すと、
     『こんな人たち(師匠のこと)は、悪いことしないんですよねぇ』が、全
     てを物語っているのではないでしょうか。
      人とコミュニケーションをとることのできる人は犯罪なんか犯さないん
     です。相手の様子とか気持ちを、少し聞いてたくさん想像する力があるん
      ですから、大きな悪いことはできません。小さな悪いことはできるかも
     ……(笑)
      犯罪がなければ防犯も要らないじゃありませんか。これにまさる[防犯
     講演]はありません。
      実は、落語にも物騒な話やドロドロした話はあるんだそうです。落語を
     聞く人に悪人はいないというのも嘘だと思います。だって、筆者が落語は
     好きですが決して善人ではありませんから。圓窓師匠もほんとは悪い人か
     もしれないし。(笑)
      でも、筆者自身の感動なのですが、ある日、一人で寄席へ出かけ、終わ
     って歩きながら『ああ、楽しかった!』と独りごちてしまった時、ものの
     見方がぱ〜っと明るく変わったことが忘れられません。
      その時から、落語以外でもいろんなことが楽しいと素直に思え、そして
     そう人前で言えるようになりました。こんな気持ちを持っていたら、近く
     に行くだけでもワクワクする東京ハンズの前で人を刺してしまうようなこ
     とができたでしょうか。
      噺家の話ひとつひとつが私たち観客(聴衆?)の反応でどんどん変わっ
     ていくという、寄席での気持ちのキャッチボールの楽しさを知っていたら、
    「社会に腹がたって」駅に車でつっこんだりは、しないのではないでしょう
     か。
      筆者が落語をちょっとだけ知って感じた「楽しい」って気持ちと、「楽
     しい」とつぶやいてからの不思議な自信を、今、暗い顔してるたくさんの
     人がおんなじように感じられるようになるといいなあ。
      この楽しさを知ったらきっと変われます。みんなが、「楽しい」ってつ
     ぶやくことができますように。そのために、落語をもっとたくさんの人に
     聞いてほしい。そう思います。
      そして、芸の道はもちろんいろんな方面でたくさんの人が落語を聞くよ
     うに精力的に活動されている圓窓師匠を、心から応援する筆者であります。
      最後に、この講演を企画運営してくださった上に、市民税を払ってない
     筆者(あたしは鹿児島県人、主催は宮崎県都城)を快く入場させてくださ
     った都城市のみなさんと、前日も翌日も東北に行くという厳しいスケジュ
     ールのなかではるばる南国都城まで来てくださった圓窓師匠に、ありがと
     うございました。
      もっとたくさん話はあるんですが、筆者の記憶力とメール容量の都合に
     より(ほとんど前者の都合)、割愛させていただきました。
2001.7.5UP