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圓窓五百噺ダイジェスト

(あいうえお順)
鰻屋厩火事おはぎ大好きお花半七・上お花半七・下お見立て音曲長屋火事息子甲府い後生鰻五百羅漢子褒め権兵衛狸三年目三方一両損写経猿洒落番頭十徳銭たれ馬粗忽の釘そば食い地蔵ぞろぞろ幇間腹だくだく茶の湯町内の若い衆鼓が滝道灌錦の袈裟ニ十四孝二番煎じ寝床半分垢武助馬普段の袴ほうじの茶万病円胸の肉妾馬柳田格之進湯屋番留守小坊主六尺棒  


圓窓五百噺ダイジェスト 43[二番煎じ(にばんせんじ)]

 ある町内の火の番小屋。夜回りの番太郎が雇われていたのだが、頼りにならないの
で、町内の旦那衆が火の用心の夜回りをすることになった。
 その晩、集まった人数を二つに分けて交代で回ろうということで、最初の組が回っ
ている間、後の組は番小屋で休むことになった。
 先の組は謡の先生、町内の頭(かしら)、三河屋や川口屋の旦那、駿河屋の番頭(
惣助)など。懐手のまま拍子木を打ったり、金棒を引きずったり、謡や新内の調子で
火の用心の声を出したりでまとまらなかったが、町内の頭は昔取った杵柄で乙な喉を
聞かせてなんとか恰好がついた様子。
 ともかくも一回りして番小屋へ戻り、後の組と交代し、冷えた体を炭火で暖める。
 謡の先生が「実は娘が、『寒いでしょうから』とお酒を持たせましてくれまして」
と瓢箪を差し出すと、三河屋の旦那が「ここは番小屋ですから、酒は飲むわけにはい
きません。見回りの役人に見付かったらえらいことになります」と苦言を呈するが「
土瓶の中に入れて、煎じ薬としてならいいでしょう」と、飲むことになった。
「だったら、わたしも一升持ってきた」「あたしも」「あたしはつまみ物を」「イノ
シシの肉をもってきました」とそれぞれがそのつもりだったようだ。中には「あたし
は箸だけですが」なんという人もいる。
 しかし、「ここは番小屋だから鍋がない」。ところが、「そうだろうと思って、鍋
を背中に背負ってきました。その上から着物を着て」と惣助さんが言い出して盛り上
がる。
 鍋も煮え、酒の酔いも回ってくると、もう宴会気分。しまいには都々逸まで飛び出
す始末。
 そこへ見回りの役人が戸を叩いたので、一同、見られてはいけない物を隠すのに大
慌て。
 役人に土瓶を見とがめられたので、「みな風邪を引いているので、煎じ薬を煎じて
いました」とごまかすが、役人は「みどもも風邪を引いている。その煎じ薬を所望し
たい」言い出す。
 仕方なしにこわごわと差し出すと、「良い煎じ薬だ」と言って飲みながら、「鍋の
ようなものを隠したな」と。
「煎じ薬の口直しで」とごまかすが、「それも所望いたす」と。
 煎じ薬を何杯もお代わりをするので、自分たちの飲む分がなくなってしまう。「煎
じ薬はもう切れましてございます」とやんわり断わると、
「さようか。拙者、一回りしてくる間に、二番を煎じておけ」


(圓窓のひとこと備考)
 先代可楽のこの噺が印象に残る。師の風貌、声から冬の寒そうな江戸の街を想像で
きて、聞いていて嬉しさが込み上げてきたものだ。役人に詰問されるたびに、みなが
責任を転嫁するため、ことごとに「惣助さんが」「惣助さんが」と言うその間と惣助
さんの困惑顔は他の噺家の追従を許さなかった。
2003・2・8 UP





圓窓五百噺ダイジェスト 42 
[三方一両損(さんぽういちりょうぞん)]

 神田白壁町に住む左官の金太郎が往来で財布を拾った。中には書付けと印形と三両
の金が入っている。書付けから所がわかったので、訪ねて返しに行った。
 落し主は神田竪大工町の大工の吉五郎。ところが、「書付けと印形は自分の物だか
らありがたく受け取るが、金は俺のだという証拠もねぇし、お前にやるから持って帰
ってくれ」「礼金貰いたさに届けにきたわけじゃねぇんだ」「持って帰れ」「お前こそ、
受け取れ」と、とうとう殴り合いの喧嘩になる。
 そこへ長屋の大家が止めに入って、「今日の所は」ということで、金太郎は帰って
くる。
 自分の長屋に戻ると、自分の大家に会ってこの一件を話す。
 わけを聞いた大家は「いいことをして殴られていては長屋の恥」と奉行所へ訴える。
 いよいよ、南町奉行大岡越前守様のお裁きになる。
 大岡様は喧嘩をした両人の正直を褒め、「金は奉行が預かり置くがどうじゃ」
 二人は「そうして下さい」と素直に従う。
 そこで大岡様は「改めて、両名に褒美をつかわせるが、どうじゃ」
 同じく二人は「ありがたく頂戴いたします」
「ならば、預かった三両に奉行が一両足して四両とし、両名に二両ず褒美をつかわそ
う」
「それなら、いただきます」
「この裁き、三方一両損と申す。なぜなら、吉五郎は届けられし三両を受け取らず、
 褒美の二両を受け取り、一両損したことになるの。金太郎も礼としての三両を受け
取らず、ただ今褒美として二両受け取り、一両損しておる。それに、このような正直
からの騒ぎから、奉行も一両出して損を致した。三人がそれぞれ、一両ずつ損をした
勘定になる。そこでこの裁きは三方一両損と申す」
「さすが、名奉行」
 というわけで一件落着。
 そのあと白州で、奉行は両名に食事をご馳走した。
 二人は大喜びでパクパクと食べた。
 奉行も心配をして、
「腹も身の内である。たんとは食すなよ」
「へえ、多くは(大岡)食わねえ」
「たった一膳(越前)」


 と演ったのが、今までの[三方一両損]
 本筋と離れた駄洒落の落ちはいただけない。
「いや、落語的な愛敬があっていいじゃないか」と弁護する論もあるが、「悪いもの
は悪い」とはっきり言う論もなくてはいけない。
 そこで、あたしは食事場面を削除して、話の筋に則った落ちを創作しました。


 このお裁きが江戸中の評判となった。
 源兵衛と平蔵という小悪党が二人でたくんだ。
 二人が一両二分ずつ工面して三両こしらえた。それを源兵衛がわざと落とすと、平
蔵がそいつを拾って届けて、前出の二人のような喧嘩をする。
「奉行所に訴え出れば、大岡様が『またもや正直な二人じゃ』てんで、俺たちに二両
ずつくださる。と、二分っつ儲かるてぇわけだ」
 そして、奉行所に訴え出る。
 大岡様は「これは狂言臭い」と判断して、お裁きに入った。
 二人は「この三両はいりません。三両のことは忘れました」と胸を張って言い放つ。
 大岡様は二人に「忘れるとは感心じゃ。先は三方が一両の損をする裁きであったが、
 この度は一両ずつ得をいたす。三両の内から双方に一両ずつつかわす。忘れたので
あるから、一両ずつの得である。奉行も一両貰って得をいたす。三方一両得である。
どうじゃ」と言った。
 二人は損をしたので、しどろもどろ。
 奉行から「この奉行より二分ずつ騙しとろういたす不届き者。よって、双方の髷を
切り落とす」との申し渡し。
 クリクリ坊主にされた二人「もう毛(儲け)がなくなった」


(圓窓のひとこと備考)
 大岡裁きは数多く伝わっているが、[白子屋裁き]以外はほとんどが作り話か、他
の人の裁き大岡の手柄にした創作である。
 しかし、この噺、うまく出来ている。
 だが、重ねて言うが、本筋とは離れた駄洒落の落ちはいただけない。
 他のどんな大岡政談にも付けられる落ちだから、便利と言えば便利。(笑)
 いっそのこと、そう利用して楽しむのもいいかもしれない。
 でも、飽きるだろうなぁ。
 と思って、落ちを変えたんだが、「それ、演らせてください」という仲間も現われ
ないから、評判は芳しくないのだろう。

[白子屋裁き]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/城木屋
2002・4・26 UP





圓窓五百噺ダイジェスト 41 [権兵衛狸(ごんべえだぬき)]

 山里の床屋の主の権兵衛。夜は近所の人が集まって四方山話で過ごす。
 みんなが帰ってそろそろ寝ようかと思うと、表の戸をたたき「ごんべえ、ごんべえ」
と呼ぶ声。
 戸を開けてみると誰もいない。
「さては狸のいたずらか。今度きたらつかまえてやるべ」
 しばらくすると、「ごんべえ、ごんべえ」ときたから、権兵衛はそーっと戸に近付
いて手をかけてタイミングをうかがった。
 狸が戸をたたくときは、背中を戸に付けて後向きになって後頭部で叩くそうで。
 それを知っている権兵衛が叩いているところをさっと開けたもんだから、狸が後向
きに倒れ込んできた。それを捕まえると縛って天井に吊した。
 翌朝、村の衆が来て狸を見て、「皮を剥ごう」「狸汁にしよう」と相談ごと。
 権兵衛は「今日は父親の命日、殺生はしたくねぇ。ちょいとお仕置きして放してや
るだ」と、鋏で頭を丸坊主にして逃がしてやった。
 と、その夜また、戸をたたく音。今度は「ごんべさん、ごんべさん」とさん付けで
呼んでいる。
 カンカンになって怒った権兵衛が「なにしに来ただ!」と戸を開けると、昨夜の狸
が「親方。今晩は髭をやってください」


(圓窓のひとこと備考)
 ほのぼのした民話調の噺だが、「髭をやってくれ」という落ちはいかにも落語。
 蕪村の句にも「戸を叩く狸と秋を惜しみけり」という名作がある。
2002・4・5 UP





 圓窓五百噺ダイジェスト 40 [甲府い(こうふい)]

 ある朝の江戸の豆腐屋。店頭の卯の花を盗ろうとした若者がいた。
 主人が咎めると「昨日、甲州から出てきて、スリに財布を盗られてしまった。腹が
へって、悪いとは知りながら卯の花に手を出しました。すいません」と詫びる。
 人柄が良さそうなので、主人は「うちで働かないか」と優しく言う。
 喜んだ若者(猪之吉)はその日から住み込みで働くことになった。
 主人から教わった通り「豆腐〜ィ 胡麻入り〜ィ ガンモド〜キ」の売り声で外を
売り歩き、陰日向なく実によく働いた。
 あっと言う間に三年がたった。
 この豆腐屋の一人娘のお花が、どうやらに猪之吉に惚れているらしい。二人を添わ
せて店を譲ることにした。
 また二年たったある日のこと。猪之吉が「実は江戸へ出るとき、途中に身延に寄っ
てお祖師さまに五年の願掛けをしました。その願ほどきをさせていただきとう存じま
す」と申し出た。
 豆腐屋も宗旨は法華宗なので喜んで「お花も一緒に行って来い」と赤飯を炊いて送
り出すことにした。
 出立の朝、長屋のかみさん連中から二人に声がかかった。
「ご両人、どちらへ?」
 猪之吉が売り声の調子で「甲府〜ィ お参り〜ィ 願ほど〜き」


(圓窓のひとこと備考)
 堅物の田舎者(猪之吉)が落ちのところでいきなり洒落を言い出すのはどう考えて
も不自然だ、と稽古をしはじめてすぐ気が付いた。
 このことを仲間に話すと「落語だからそれでいいんだよ」と軽くいなされた。
 落語という話芸はいわば虚構の世界であろうが、虚構の中にもそれなりに理屈はあ
る。
 この噺の落ちはそれからはみだしているような気がしてならないのだ。
 そこで、あたしは、豆腐屋の主人に「猪之吉よ。堅いのはいいが、堅すぎるのはよ
くない。商いのときに洒落の一つも言えるようになれ。たまには落語を聞け」なんと
いう小言をいわせている。
 その効果が現われたか、猪之吉が赤飯を食べて「もう入りません」と箸を下ろすと、
豆腐屋が「立って二、三遍はねてみろ。上のほうに隙間ができるから」と言うのだが、
すかさず猪之吉が「茶袋じゃありませんよ」と返す。豆腐屋は「洒落がわかってきた
な」と喜ぶ。
 そんな場面を挿入して、落ちへ継げるという演出をして、不自然さをカバーしてみ
たのだが、また仲間から「すぐにそんないい洒落が言えるわけがないよ」と皮肉を言
われたこともあった。
 話芸という虚構の世界は難しい。


[甲府い]の関連は、評判の落語会/各地の定期落語会/含笑長屋/圓窓独演会
2002・4・5 UP





圓窓五百噺ダイジェスト 39 [粗忽の釘(そこつのくぎ)]

 女房はしっかり者だが、粗忽者の大工の八五郎。
 引っ越しをしようと、背負えるだけの家財道具を大風呂敷に包み、ドッコイショと
引越し先を目指したが、迷子になり、どこをどう回ったのか、戻ってきたのは元の長
屋。
 その間、女房は人の手を借りて大八車で荷物を運び、疾うに引っ越し先へ。
 空き家でぼんやりしているところへ大家がきて、やっと、引越し先まで案内しても
らう始末。
 八五郎は女房に脅かされてペコペコペコペコ、小さくなるばかり。
 女房に「箒を掛けるから長い釘を打ってくれ」と言われ、うっかりと長い瓦釘を壁
に打ち込んでしまった。
 女房に「釘の先がお隣へ出ているといけないから、様子を見ておいで」と言われ、
外へ出たが、路地を隔てた向こうの家へ入って「釘の先はでておりませんか」と言う
粗忽。
 今度は落ち着いて、左隣りの内に入る。 落ち着こうとばかりに煙草を一服やって、
女房の惚気まで語り出す。
「なにしにいらしたんですか」と言われ、我に返り「実は釘の先が」とことの顛末を
話し始める。
「一度、お宅へ戻って、釘を打ったところを叩いてください。見当をつけてみますか
ら」と言われ、その通りすると、「わかりました。すぐこちらへ来てください」との
こと。
 再び来て案内されて見ると、仏壇の阿弥陀様の頭の上に釘の先が出ている。
「困ったことになった。これからいちいち、ここまで箒を掛けに来なければならない」


圓窓のひとこと備考)
 丁寧に演ると、とても長い噺になる。
 演者によってはこの落ちの先もあって、「お前さんは、本当にそそっかしい。家族
は何人?」と聞かれ、父親を前の家に忘れてきたことを思い出す。
「父親を忘れるとは粗忽な人だ」
「いや、父親はおろか、ときどき、我を忘れます」
2002・4・5 UP





圓窓五百噺ダイジェスト 38 [洒落番頭(しゃればんとう)]

 さる商家の主人、老妻に「うちの番頭は洒落番頭と言われるほどの洒落の名人です」
 と聞かされたので、番頭を呼んで「洒落をやって見せておくれ」言う。
 番頭が「では、題をいただきます」と言うので、「庭の石垣の間から蟹が出てきた。
あれで洒落を」と主人は頼む。
 番頭は即座に「にわかには(急には)洒落られません」という。
 洒落のわからない主人は真面目に受けて「できないなら、題を替えよう。孫が大き
な鈴を蹴って遊んでいる。あれでどうだ」と言う。
 番頭、すぐに「鈴蹴っては(続けては)無理です」。
 主人は「『できません』『無理です』って、なにが名人だ!」と本当に怒ってしま
う。
 番頭は慌てて、部屋から退散して、「主人の前では二度と洒落はやるもんか」と独
り言。
 主人は老妻にその話をすると、老妻は「それは洒落になってます」。
「『できません』『無理です』って断わるのが洒落かい。」
「洒落になってますよ。番頭は洒落の名人なんですから、番頭がなんか言ったら、『
うまい、うまい』って褒めてあげなさいよ。それを怒ったりして、人に笑われますよ」
「じゃあ、番頭を呼んで謝ろう」
 呼ばれた番頭、主人に謝られて盛んに恐縮する。
 主人「機嫌を直して、もう一度、洒落をやっておくれ」
 番頭「いえ、もう洒落はできませんで」
 主人「やぁ、番頭。うまい洒落だ」


(圓窓のひとこと備考)
 原話は小咄の[庭蟹]であるが、古い速記本にそれを膨らませて[洒落番頭]と題
した作品があったので、それを脚色したのが、この[洒落番頭]。
 主人の洒落のわからなさぶりは、演者の呼吸、聞き手のセンスで受けたり受けなか
ったりする難しい話でもある。
 狂言に〔秀句傘〕という曲(作品)があるが、これがまさに[洒落番頭]。

2002・4・5 UP





圓窓五百噺ダイジェスト 37 [後生鰻(ごしょううなぎ)]

 隠居の毎日の楽しみは神社仏閣をお詣りして歩くこと。その道すがら生き物が殺さ
れようとしていると、どんなことをしても助けていた。
 浅草の観音さまの帰りがけ、鰻屋の前を通ると、親方が鰻をまな板の上へ乗せて包
丁を入れようとしているところ。
 慌ててこれを言い値で買って「これ、鰻よ。これから先は決して人につかまるとこ
ろで泳ぐんじゃないよ。わかったかな。南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ」と言って前
の川へボチャーンと放り込み、「ああ、いい後生をした」と晴々とした気持ちで帰っ
た。
 翌日もお参りの帰り、鰻屋の前を通り、同じように鰻を買って放してやる。
次の日も同じ。何日も続いた。
 その度に鰻屋は隠居の足元を見て値段を吊り上げるから、隠居も「金が掛かりすぎ
るわ」と悩んで、ここしばらく、鰻屋の前を通らずに帰るようにした。
 そんなある日、鰻が切れて鰻屋は商売を休んでいるところに、隠居がやってきた。
 鰻屋は一儲けしようとするが、肝心の鰻がない。生き物ならなんでもいいだろうと、
発作的に赤ん坊をまな板の上に乗せて、頭の上で出刃包丁を振り回した。
 これを見た隠居は店へ飛び込んできた。
 金を払って赤ん坊を引き取り「これ、赤ん坊や。こういう家に再び生まれてくるん
じゃないぞ、わかったな。南無阿弥陀仏、なむあみだぶつ」てんで、前の川へドボー
ン!


(圓窓のひとこと備考)
 タイトルにある"後生"とは、死んでから極楽に行くために、この世で人助けなど
のいいことをすることだそうだ。
 この噺は考えようによっては残酷な話である。
 廃業して落語協会の事務員になった三遊亭市馬が「これでは赤ん坊が可哀想だ」と、
猫にして演ったがほとんどうけなかった。
 確かに実際に赤ん坊を買い取って川に投げ込むような人がいたら、誰だって許さな
いだろう。だが、落語の世界でこれを演じると、聞き手は隠居のなしたことを許すわ
けではないが、「馬鹿なやつがいるもんだ」と笑って、どこかで優越感を味わってい
るのかもしれない。
 猫ではそこまでいかないのであろう。やはり、残酷のようだが、赤ん坊でなければ
いけないのだ。
 残酷であって、残酷でないという妙な噺でもある。
2002・4・5 UP





窓五百噺ダイジェスト 36 [お見立て(おみたて)]

 圓 吉原の喜瀬川花魁の許へ、春日部から杢兵衛大尽がやってきた。
 客としてとりたくない花魁は顔を出さず、若い衆の喜助に「花魁は病気だ」と言わ
せる。
 杢兵衛は「それなら病気見舞いをする」と言うので、花魁は面倒なので「本当は死
にました」と喜助に言わせる。
 すると、杢兵衛は「それなら墓参りに行くから案内しろ」と言う。
 仕方なしに、喜助は花魁と相談の結果、杢兵衛を山谷へ連れて行き、適当な寺へ入
り、墓石の字のわからなそうなのを「これが花魁のお墓です」と偽って、花や線香を
手向ける。
 それが百年前の墓であり、杢兵衛が怒り出す。
 喜助は慌てて「間違えました。お隣りでした」と花、線香を移すが、子供の墓。
「じゃぁ、こちらです」と移すと、軍人の墓。
 激怒した杢兵衛、
「喜瀬川の墓ァいってえ、どれだ!?」
「ずらり並んでおります。よろしいのをお見立てください」


(圓窓のひとこと備考)
 商品(接客をする女)である花魁たちは店のウインドウ(格子内)にずら〜りと並
んでいる。
 呼び込みの若い衆は店の前に立った客に「ずらり並んでおります。よろしいのをお
見立てください」と誘いの声を掛けたという。
 この「お見立て」は廓用語といってもいいであろう。
 落ちになっている喜助の台詞はそれを踏まえたもの。

2002・4・5 UP





圓窓五百噺ダイジェスト 35 [音曲長屋(おんぎょくながや)]

  音曲(三味線や歌や踊り)の好きな家主がまた新しい長屋を建てた。
 入居者は「芸の心得のある者」という厳しい条件をつけ、今日はその手見せ(オー
ディション)が開かれた。
 踊り、義太夫、落語、手品、物真似と芸の持ち主がやってきては、うまいのやら、
ひどいのやらを披露した。
 その一人ひとりに「いいですな、是非とも入ってください」「お前さんはこの長屋
に入るのは五十年早いな」などと批評しながら入居者を決めていった。
 最後の男が都々逸を唄ったが、その声のいいのなんのって。
「結構ですな。あなたは店賃はいりません。その代り、毎日、あたしの所へきて都々
逸を聞かせてくださいな」
「いくらなんでも毎日聞いてたら、飽きやぁしませんか」
「あたしは家主。空家(飽きやぁ)は禁物です」


(圓窓のひとこと備考)
 これはあたしの創作落語である。
 平成13年11月中席の国立演芸場の公演で、これを舞台落語にアレンジして[色
迷間借店・貸さねえ(いろまようちょっとかりだな・かさねぇ)]と題して披露した。
 あたしの演ずる落語の中から楽屋連中の踊り・歌・物真似が飛び出す歌舞伎仕立て
の構成で、あたしはこれを舞台落語と命名した。
 舞台落語になったものは、他に[夢の枕屋][ほうじの茶][音曲質屋]


   [音曲長屋]の関連は、寄席集め/国立演芸場/[色迷間借店・貸さねえ]/音曲長屋
[夢の枕屋]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/夢の枕屋
[夢の枕屋]の関連は、圓窓五百噺全集/創作落語/舞踊落語/寄席舞踊夢枕屋
[ほうじの茶]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/ほうじの茶
[ほうじの茶]の関連は、寄席集め/国立演芸場/[夢現実焙茶湯煙]
2002・4・5 UP





圓窓五百噺ダイジェスト 34 [火事息子(かじむすこ)]

 質屋の若旦那の藤三郎、火事が好きで臥煙(がえん)の仲間に入ったがために、親
父から勘当された。
 ある、風の強い日。近火があり、番頭が蔵の目塗りをすることになった。
梯子で上に登って、主が下から投げる目塗りの土を受けようとするが、片手でこわご
わするのでうまく行かない。
 すると、屋根から屋根へひょい、ひょい、とん、とーんと、やってきた臥煙が番頭
の帯を蔵の壁の釘に引っ掛けて両手を使えるようにしてくれたので、なんとか目塗り
もすんだ。
 火事も無事に収まり、番頭が主に申し出る。
「実は、私を助けてくれたのは、勘当なさいました若旦那です。お会いになって下さ
いまし」
 主は「息子は親類一同協議の上の勘当した者。他人様だ。他人に会うこともなかろ
う」と厳しい返事。
 番頭は「他人ならば、なおさら会ってお礼を言うべきです」と諫言。
 この一言に折れた主は、台所の隅で小さくなっている息子に、よそながらに意見を
言う。
 息子が短めの詫び言をいって帰ろうとするので、番頭はおふくろ様に会わせようと
主に薦めるが、主は意地を張って会わせようとしない。
 ついに番頭が大声でおふくろさんを呼ぶ。
 息子を見た母親は嬉しさのあまり、「お前はいい子だ、いい子だよ」泣き出す。
 主は「そうやって甘やかすから、こういう息子になっちまったんだ」と怒り出す。
 母親はもう我慢はできないとばかりに「あなたも若い頃から火事好きでした。半鐘
がなると、この子を負ぶって火事場へ駆けつけました。この子に纏のおもちゃを買っ
てきたのは誰です。秋葉様のお札を剥がして、近くに火事があればいい思っていたの
は誰です」と半ば訴えるように狂乱気味に言う。
 もう父親には返す言葉もない。
 母親はなおも「虫干しのたびに息子の着物を見て、辛くてつらくて……」
 父親「辛いもんだったら、捨てちまいな」
 母親「捨てるくらいなら、この子にやってくださいな」
 父親「捨てれば、(息子が)拾っていくだろうから、さっさと捨てろ」
 母親はやっと軟化した心に、「箪笥ごと捨てましょう。お金は千両箱ごと捨てまし
ょう」と喜びを表す。
 母親「この子に黒羽二重の紋付の着物に羽織、仙台平の袴、白足袋に雪駄を履かせ、
小僧を付けて出かけさせたいですね」
 父親「こんなヤクザ者に、なんだってそんななりをさせるんだ」
 母親「火事のおかげで会えましたから、火元へ礼にやります」


(圓窓のひとこと備考)
 圓生のこの噺には、どう贔屓目に見ても許せないクスグリがある。
 母親が倅と会う場面だ。
 火事騒ぎで猫好きの母親は「猫が縁の下に駆け込んで、万が一にも焼け死んだら可
哀そうだから」とずぅっと抱いていたのだが、倅が来ていると知らされて、「本当か
い!」と、猫を放り出して「猫なんざ、焼け死んでもいい」と言い放つのだ。
 猫好きでなくとも、これを聞けば不快になるクスグリである。「圓生には残酷な部
分がある」と思うのはあたし一人ではあるまい。もちろん、あたしはいくら弟子でも
このクスグリは演らない。


[火事息子]の関連は、評判の落語会/各地の定期落語会/岐阜落語を聴く会
2002・4・5 UP





 圓窓五百噺ダイジェスト 33 [鰻屋(うなぎや)]

 酒を飲みたいが、金が無い男二人。
 一人が「いいところがある」と言い出した。
「先日、ある鰻屋へ入ったところ、酒はくるのだが、注文した鰻がなかなか来ないの
で、文句を言うと、『鰻さきの職人が出掛けているので、今日は酒は無料にしますか
ら』と言われた。さっきその店を覗いたら鰻さきがいない様子だから、そこへ行こう」
 二人が行ってみると、今日は主人が鰻を裂くという構え。
「鰻をお選びください」と言われ、これをと指定するが、主人は鰻も満足に掴めない。
 掴んだ鰻がするすると、主人の指から頭を出して逃げようとするので、前へ前へ歩
き出す。とうとう店を出てしまうので、
「どこへ行くんだ?」
「前へ回って鰻に聞いてください」


(圓窓のひとこと備考)

[素人鰻]を簡略化したような噺である。落ちはまったく同じ。
[妾馬]の落ちも同型で、鰻が馬に変わっているだけのこと。歴史的には素人鰻は明
治になってからの創作だから、妾馬は真似された側になる。
 あるいは、この手の小咄があったのか、知りたい。


[素人鰻]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/素人鰻
[妾馬]の梗概は、圓窓五百噺付録袋/圓窓五百噺ダイジェスト/妾馬
2002・4・5 UP





圓窓五百噺ダイジェスト32[そば食い地蔵(そばくいじぞう)]

 北海道小樽の近くの古平の外れに沢江の地蔵を信仰するばあさんと、「お参りなん
ざ、やなこった」というじいさんの二人がやっている、的場屋というつぶれそうなそ
ば屋。
 ばあさんが風邪をひいて寝込んでしまったある日。見知らぬ若い男がかけそばを食
べにきた。
 じいさんは自慢そうに薬味の葱をどっさり添えて、かけそばを出した。
「かけそばなのか、かけ葱なのか、わからないね」と男は冗談を言いながら、ばあさ
んに見舞いの言葉もかけて帰った。
 翌朝、じいさんが戸を開けてみると、店の前に地蔵が立っているので、びっくり。
 ばあさんも起き出して、見てびっくり。
 じいさんは「どうせ、酔っ払いのいたずら」と思ったが、ばあさんは「お地蔵さま
がそばを食べにいらっしゃった」と言って、そばを供えるやら、坊さんに経をあげて
もらうやら、大騒ぎ。供養のあと、大勢で地蔵を沢江へ運んだ。
 これが評判になって、店は大繁盛。
 地蔵が来たこと、店の繁盛、ばあさんの床上げなどを喜び、「かけ葱をもう一枚」
などと洒落を言いながら四枚たいらげて引き上げた。
 そのあと、ばあさんが気がついた。男の座っていた所に、赤いよだれ掛けが落ちて
いるではないか。
「あの方は人間に姿を変えたお地蔵さまに違いない。店の前に立っていたお地蔵さま
も、酔っ払いのいたずらではない。お地蔵さま自ら、おいでになったのだ」
 ばあさんはそう思ったが、じいさんは「そんな馬鹿な」と言って信じない。
「ならば、沢江へ行ってみましょう」とばあさんはいやがるじいさんを引っ張ってや
ってきて見ると、立っている地蔵、よだれ掛けをしてない。
「ごらんなさい、おじいさん。お地蔵さんが店にきて、落として行ったんですよ」
「そんな馬鹿なことがあってたまるかい」
 じいさんがぶつぶつ言いながら、地蔵によだれ掛けを付けようとする、
「ああ……、葱の香り……」


(圓窓のひとこと備考)
 原話は北海道の昔話研究家の阿部敏夫先生の再話として〔北海道昔ばなし道央編〕
に載っている昔話。これを北広島市のステージで、役者の青坂章子さんが朗読、あた
しが落語にアレンジした物を続けてやったのが初演だった。
2002・4・5 UP





 圓窓五百噺ダイジェスト 31 [妾馬(めかうま)]

 妹のお鶴が、お駕篭でご通行中の赤井御門守の目に止まり、支度金をいただいてお
屋敷に女中奉公に上がり、殿のお手がついて懐妊。目出たく男の子を産み、お世取り
をもうける。
 お鶴の願いにより、兄の八五郎がお屋敷にお呼び出しになり、殿と対面することに
なった。
 このことを大家が八五郎の母親(おきん)に知らせに行くが、八五郎は吉原へでも
遊びに行っているようでいない。
 母親は「ほとんど家にはいません。いただいた支度金があることをいいことに遊び
呆けて、お金がなくなると馬(借金取り)を連れて戻ってくるんですよ」
 大家もあきれ果てたが、昼過ぎ、八五郎が「馬を連れて戻ったら、おふくろに『早
く大家さんのとこへ行け』って。『吉原へなんぞ行くんじゃないよ』って」と大家の
家にやってきた。
 大家にいろいろ言われて、勝手の違ったお屋敷に上がった八五郎のドタバタぶりに
回りも大いに戸惑う。
 大家に言葉は丁寧にと言われているので、なんでも上におの字を付け、しまいに奉
るを付けて喋る。「即答をぶて」という三太夫の言葉にそっぽうをぶてと聞き間違え
て、三太夫をぽかりと殴る。殿に「朋友に話すように」と言われ、ざっくばらんな話
しをするが、殿にはなかなか通じない。
 そのうちに酒と料理が並び、ご老女のお酌でご馳走になる。
 ふと、お鶴が坐っているのに気が付いた。
 八五郎は涙ながらに、母親の言った「孫ができても、身分が違うから見ることも抱
くこともできない」という言葉を伝える。
 八五郎も「おふくろに言ってやったよ、『俺がおふくろの分まで赤ん坊をあやして
くるから』って」とまた涙ぐむ。
 赤ん坊を抱かせてもらい、あやして泣かしてしまうが、酔った勢いで殿に都々逸を
聞かせて喜ばれる。
 肉親愛に感動した殿は「愛い(うい)やつじゃ。士分に取り立ててつかわす」と言
う。
 感極まった八五郎、立ち上がった途端に足を滑らして倒れて、そのまま高鼾で寝て
しまう。
 大勢に担がれて、他の部屋に移され、一夜を明かす。
 翌朝、目を覚ました八五郎、約束通りに刀を大小貰い受け、供を付けてもらって馬
に乗って長屋に帰ってきた。
 驚いた大家はおきんさんに知らせに行った。
「八五郎が馬と一緒に戻ってきたぞ」
「やっぱり、吉原へ行ってたんだ」


(圓窓のひとこと備考)
 本来の落ちは、
「馬に乗った八五郎、馬がいきなり走り出したんで、その首っ玉にしがみついて悲鳴
をあげた。これを見た人が「どこへ行くんだ?」「俺にはわからねえ。前に回って馬
に聞いてくれ」
 というのである。
 まったくもって[鰻屋]と同じ落ちであることに、不満の持っていきようがない。
(笑)
 で、本文の落ちはあたしの作。
 ”八五郎が遊びから馬を連れて戻ってきている”ということをしっかりと仕込んで
おけば落ちになるはずと、確信を持って作ったのが'70年頃かな。


 圓生の物はたいそう長い。一時間はある。しかし、落ちまで演らないため[八五郎
出世]というタイトルにしている。
 あたしも圓生以上の時間をかけて演ったこともある。もちろん、自作の落ちまで演
るし、また、あたし自身にあまり出世志向はなく、出世という言葉も好きではないの
で、[妾馬]と題した。
 母と娘、母と息子、兄妹の家族愛が流れていて、古典落語の中では異色な名作であ
ろう。
2002・4・5 UP




圓窓五百噺ダイジェスト30[柳田格之進(やなぎだかくのしん)]

 貧乏長屋に住み込んだ浪人の親娘。濡れ衣で藩を追われたという実直な柳田格之進
と素直で聡明な年頃のきぬ。
 柳田は碁会所で知り合った萬屋主人の源兵衛と意気投合し、萬屋に誘われてその離
れ座敷へ。新古の二つの碁盤があり、「古いほうがいい」「新しいほうが打ちやすい
」などと替えながら毎日のように夢中になって打ち興じた。
 ある日、二人が碁に夢中になっているところへ、番頭の徳兵衛がやってきて「ただ
今、水戸様から五十両入りました」と財布を主人に手渡した。碁が終わり、柳田が帰
ってから、番頭が主人に確認すると、「はて?」と。主人は番頭と記憶をたどるが、
どうしても思い出せない。
 番頭は「ことによると、柳田様の出来心ではないか」と、一存で柳田の住む長屋へ
 問いただしに行く。
 心外という柳田に番頭が「お上に届けます」と付け加えて言うと、柳田は困惑し、
「やむをえん。その五十両は拙者が用立てる。明日、昼過ぎに来なさい」と言って番
頭を帰す。
 翌日、番頭が来ると、柳田は五十両を渡し「後日、紛失の物が他より出てきたら場
合、いかが取り計らうや」と訊く。番頭は「主人と私の首を差し上げます」と言い切
る。
 番頭は店に飛んで帰り、主人に五十両を渡すが、主人は納得がいかない。「あの方
が盗みを働くわけがない」と主人は金子を返しに行くが、親娘は引越しをしてしまっ
た後であった。その後、柳田親娘の行方を探したが、手がかりなし。
 三年たった暮れの十四日の煤掃き。
 離れを掃除していた小僧が、長押の額の後ろから五十両の財布を見付け出した。
 主人は「あの折、厠へ立とうと部屋を出るとき、長押の額の後ろへ置いたんだ」と
思い出す。店中の者が柳田を探し回るが、行く先は杳としてわからないまま日は過ぎ
た。
 正月の四日。雪の中、年始回りの番頭は湯島切り通しの坂で柳田に会う。浪人の頃
とはうって変わって立派な服装の柳田は「冤罪であることが判明して、藩に帰参が叶
った」凛々しく言う。番頭は「紛失した五十両が額の裏から出てきました」と詫びて
打ち明ける。しばし絶句した柳田「明日、あの折の約束を果たすために萬屋宅へ伺う
」と申し付ける。
 翌日、訪ねてきた柳田に萬屋の主従は涙ながらに詫びる。
 柳田はどのようにして五十両の工面をしたかを語り始める。


{会場の照明が薄暗くなり、回想場面として演ずる}
 あの日、出す謂れのない五十両を「出す」と番頭に約束して帰した後、柳田はその
工面も出来ないので、腹を切る覚悟を決めた。
 それを悟ったきぬは「紛失した物はいずれ出てくるでしょう。なのにお腹を召して
は犬死。五十両は廓へわたくしの身を売って拵えてくださいませ」
柳田はきぬの孝心にうたれ、「すまぬ、すまぬ」と心ならずも従うことになった。
{会場の照明が元の明るさになり、回想場面は終わり、現実の萬屋の場面に戻る}


 五十両の工面を聞いた主従はなおさら「首を刎ねてください」と訴えるように言う。
 柳田は「しからば、首を頂戴する。エーイ!」と一刀を打ち下ろす。首が転がり落
ちると思いきや、床の間に置いてある古いほうの碁盤が真っ二つに割れている。
 柳田「こうなった諸悪の根源は碁に現を抜かしたからじゃ。碁盤を成敗いたしたわ」
 主人「娘さんは廓からすぐにでも受け出しますので」
 柳田「それには及ばん。苦界に身を投じた娘は風邪をこじらせのぉ……、あの世へ
旅立ったわ……」
 主従「それを聞けばなおのこと、改めて首を刎ねてくださいませ」
 柳田「うん。叶えてつかわす。エーイ!」
 床の間に置かれたもう一つの新しい碁盤が真っ二つに割れました……。


(備考)
 この噺、「柳田の人格からして娘が身を売ることを受け入れるのは理解しにくい」
と評する聞き手もいるが、「ああいう時代、こういうケースはよくあったはず」と解
釈すれば不自然ではなかろう。
 また、「柳田は帰参が叶っていい服装をしているのに、なぜに娘を廓から戻さない
のだろう」という疑問をぶつける聞き手もある。
 これについてのあたし(圓窓)の答えは、上記のダイジェストの如く、娘が死んだ
ことにしているので再読してもらいたい。もっと詳しく答えると、疑問を解消させる
ためではなく、既成のこの噺の如く「萬屋が娘を受け出して、番頭と夫婦にさせる」
という"目出た目出た的"なエンディングが好かないのが最大の理由。
 ついでに、五十両の工面の一件を結末の回想場面として演じたのは筆者の演出であ
る。ほとんどの落語が時間と平行にストーリーを進める手法を採っている。話芸だか
ら、過去に行ったり現実に戻ったりするとわかりにくくなる危険性を避けてきたので
あろうが、あたしは逆にミステリーの面白さを含ませようと思考して、回想場面を挿
入した。他にも、あたしは[ねずみ][藁人形]などで回想場面にアレンジして演っ
ているので、機会があったら聞いてもらいたい。
〔明治大正落語集成〕という本では、[碁盤割]という題で三代目柳枝の速記がある。
それには、柳田の妻も生存しており、父が娘に身売りを頼むことになっている。
 いずれにしても、人物の心理が複雑なので、この噺を聞き手に納得させるには相当
の実力が必要だ。
 先人が講釈から落語に移入したので、落ちのないまま今日に至っているのだが、志
ん生が「父親が囲碁に凝って、娘が娼妓(将棋)になった」とサゲていたと〔落語事
典〕にある。良質の人情噺だけに、いきなり言葉だけの将棋が落ちだけに登場すると
なると、単なる言葉遊びの感が免れないので、あたしは褒めない。
 所要時間も一時間以上はかかるので、あたしも寄席の普通興行では演った覚えはな
い。演るには独演会、特別会を狙うしかないだろう。
[柳田格之進]の関連は評判の落語会/各地の定期落語会/熊本落語長屋/柳田格之進
2001.11.21 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 29 [錦の袈裟(にしきのけさ)]

 町内の若者たちが吉原へ遊びに行くについて相談をした。
「質屋に何枚か質流れの錦の布があり、『なにかの時は使っていい』と番頭に言われ
ているので、吉原へ乗り込んでそれを褌にして裸で総踊りをしよう」と決める。
 ところが、数が一枚足りない。仕方なく、与太郎には自分で工面させることにする。
与太郎は家へ帰って、女房に話す。
「行ってもいいが、うちに錦はないよ。じゃ、檀那寺の住職にお願いしておいで。『
褌にする』とは言えないから『親類の娘に狐が憑いて困っております。和尚さんの錦
の袈裟をかけると狐が落ちる、と聞いておりますので、お貸し願います』と言って借
りてきなさい」
 知恵を授けられた与太郎、寺へやってきてなんとか口上をして、一番いいのを借り
ることができたが、和尚さんから「明日、法事があって、掛ける袈裟じゃによって、
朝早く返してもらいたい」と念を押される。
 承知して帰宅。褌にして締めてみると、前に輪や房がぶら下がり、何とも珍しい形
になる。
 いよいよ、みんなで吉原に繰り込んで、錦の褌一本の総踊りとなる。女たちに与太
郎だけがえらい評判。
「あの方はボーッとしているようだが、一座の殿様だよ。高貴の方の証拠は輪と房。
小用を足すのに輪に引っ掛けて、そして、房で滴を払うのよ」
「他の人は家来ね。じゃ、殿様だけ大事にしましょうね」
 てんで、与太郎が一人でもてた。
 翌朝、与太郎がなかなか起きてこないので連中が起こしに行くと、まだ女と寝てい
る。
与太郎「みんなが呼びにきたから帰るよ」
女「いいえ、主は今朝は返しません」
与太郎「袈裟は返さない…? ああ、お寺をしくじる」
 

(備考)
 昭和30年代までは、毎日のように演られていた、と言っても過言ではないくらい
に演られた廓噺。廓がなくなり、花柳界もなくなりつつある今日、演りにくくなった
ことは確か。必然的に口演者、また、その口演回数も減少してきたのは寂しい限りだ
が事実。
錦の袈裟]の関連は、評判の落語会/圓窓系定例落語会/圓生物語/四の巻/紐解記4
2001・11・17 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 28 [五百羅漢(ごひゃくらかん)]

 八百屋の棒手振りの八五郎が迷子(六つくらいの女の子)を連れて商いから戻って
きた。
 その子はかみさんが問い掛けても口を利かない。どうやら、先だっての大火事で焼
け出されて親とはぐれしまい、驚きのあまりに言葉を失ってしまったのであろう。
 とりあえず、まい(迷子のまい)という名前を付けて、親が見付かるまで手許に置
くことにした。
 翌日から、八五郎は商いをしながら、女房は外へ出て用足しをしながら、「こうい
う子を預かってます。親御さんを知りませんか」と尋ね回るが、一向に手がかりはな
い。
 四日目。かみさんは八五郎に言う。
「このまいは、いやな子だよ。薬缶を持って口飲みするよ」
「親の躾が悪いのかな。親が見付からなかったら、うちの子にしてもいいと思ってい
たのに……。手がかりがねぇんだから、探しようがねぇ」
「この子を旦那寺の五百羅漢寺へ連れってって、羅漢さんを見せたらどうだい? 五
百人の羅漢さんのうちには自分の親に似た顔があるというよ。それを見つけて、なん
か言おうとするんじぇないかい。それが手がかりになるかもしれないよ」
 翌日、五百羅漢寺へ行ってら感動の中の五百の羅漢さんを見せる。上の段の一人の
羅漢をじーっと見つめて、指差しをした。
「この子の父親はこういう顔か。これも何かの手がかり」と合点して、境内を出たと
ころで、住職とばったり。
 迷子のことを話すと、住職が「今、庫裏の畳替えをしているんだが、その職人が『
火事でいなくなった子供がまだ見付からない』と来る度に涙ぐむんだ」と言う。
 と、子供が庫裏を前の畳の仕事場になっている所へ駆け寄ると、小さい薬缶を持っ
て口飲みを始めた。
 これを見た八五郎「畳屋の娘だ! 躾が悪かったわけじゃねぇ。親と一緒に仕事に
行って、見てて覚えたのが、口飲みだったんだ」
 ちょうど庫裏から畳を運び出してきた職人が、子を見付けて「よしィ!」と絶叫。
 はじかれたように立ちあがった子が、「ちゃーん!」と声を出して、吸い寄せられ
るように跳び付いていった。
 職人は泣きながら、その子を両手で包むように抱きしめた。
 この様子を見ていた八五郎「やっと声が出た…。本物の親にゃ敵わねぇ…」
 住職も涙を拭きながら「畳屋に言って、お前さんに礼を言わせるから」
 八五郎も涙して「しばらく、二人切りにさしておきましょうや」
 二人が手をつなぎながら、親が大きな薬缶を持って口飲みをして、プーと霧を吹き
出すと、畳ほどの大きな虹が立った。子供が小さな薬缶で口飲みして、ぷーっ小さく
霧を吹くと、可愛い虹が立った。この二つの虹と虹の端が重なった様は、親子がしっ
かりと手を握り合って「もう離さないよ」と言っているようだ。
八五郎「こちらへ来てよかった。さすが五百羅漢のおかげだ」
住職「なあに、今は親子薬缶だよ」


[五百羅漢]の関連は、評判の落語会/単発の落語会/五百席達成記念落語会/ぷろぐらむ
[五百羅漢]の関連は、単発の落語会/圓窓五百噺達成記念落語会/客席からじっくりと
[五百羅漢]の関連は、単発の落語会/圓窓五百噺達成記念落語会/まどべの楽屋レポ
2001・7・14 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 27 [武助馬(ぶすけうま)]

 武助は呉服屋の奉公人だったが、役者になりたくて芝居の一座に身を投ずる。
 五年後、その店に挨拶に来た。
 所属の中村勘袋一座がこの町で芝居を打つことになったので、見に来てくださいと
のこと。
「役は?」
「一ノ谷嫩軍記(いちのたに・ふたばぐんき)の馬の後ろ足です」
「たとえ馬の足でも役者は役者だ」
と、主人は大いに喜んで、店の者、出入りの者、親類縁者を集めて総見することに
した。
 いよいよ当日。客席から大勢で武助に「待ってました! 馬の足!」と声をかける。
 後ろ足の武助は嬉しくなって、舞台を勝手に跳んだりはねたり。しまいに片足を高
く持ち上げて「ひ、ひひーん」といなないた。
 客席の主人はあきれ返って「前足が鳴くのなら我慢するが、後ろ足が鳴くやつがあ
るか!」と怒鳴った。

武助は馬から首を出して「最前、前足がおならをしました」


 [武助馬]の関連は、評判の落語会/単発の落語会/五百席達成記念落語会/ぷろぐらむ
[武助馬]の関連は、
単発の落語会/圓窓五百噺達成記念落語会/客席からじっくりと
 [武助馬]の関連は
単発の落語会/圓窓五百噺達成記念落語会/まどべの楽屋レポ
2001・7・5 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 26 [厩火事(うまやかじ)]

 髪結いのお崎が仲人をしてくれた旦那の所へ、亭主に対する不満を訴えにくる。
 そこで、旦那はお崎さんにある二人の男の話を聞かせた。
「唐土の孔子は留守中に愛馬が火事で焼け死んだことを知らされて『家来の者、みな
無事であったか』と尋ね、馬のことは口にしなかった。
 一方、日本の麹町のさるお屋敷の旦那は奥さんが瀬戸物を持って階段を落ちたとき
に『瀬戸物は大丈夫か』としか言わず、奥さんのことは一言も言わなかった。
 人間の本心はいざというときわかるものだから、本当にお前の亭主が女房のことを
思っているかどうか、試してみろ」
「どうするんですか?」
「亭主が大事にしている物は?」
「瀬戸物です」
「じゃ、亭主の前でわざと転んで瀬戸物を壊したように思わせてごらん。亭主がなん
と言うか。瀬戸物のことしか言わなかったら、お前の亭主は麹町。体のことを訊いた
ら、唐土だ」
 早速に帰宅すると、言われた通りわざと転んで瀬戸物を壊したように思わせた。
 すると、亭主は「体に怪我はねぇかい」と訊いてきた。
「お前さん。そんなにあたしの体が大事かい?」
「当たり前じゃねえか。怪我でもあってみねぇ、遊んでて酒が飲めねぇ」


[厩火事]の関連は、単発の落語会/圓窓五百噺達成記念落語会/ぷろぐらむ
 [厩火事]の関連は、単発の落語会/圓窓五百噺達成記念落語会/客席からじっくりと
[厩火事]の関連は、単発の落語会/圓窓五百噺達成記念落語会/まどべの楽屋レポ
2001・6・28 UP



圓窓五百噺ダイジェスト 25 [六尺棒(ろくしゃくぼう)]

 堅気の商人の若旦那(幸太郎)、夜遊びが激しく、今晩も深夜の帰宅。親父がうる
さいので、こっそり、番頭や小僧を呼んで家に忍び込もうとして、戸を叩く。
 あいにく、親父が起きていて、戸を開けてくれないだけでなく「幸太郎のお友達で
すか? よく訪ねてくださいました。『幸太郎は親類協議の上、勘当しました』と、
幸太郎にそうお伝え願います」などと、よそ事に言って聞かせる言葉の連続で一向に
家に入れてくれない。
 幸太郎は家に入れてもらえそうもないので『この家に火をつけてやる』という穏や
かでない発言。
 慌てた親父、六尺棒を持ってひっぱたきに飛び出てくる。
 幸太郎のほうが脚力があるから、どんどん逃げる。
 親父はとうとう捕まえることはできず、あきらめて家に戻る。と、戸が閉まってい
るではないか。
 幸太郎が先回りをして家の中に入って錠をおろしてしまったのだった。
 どんどん戸を叩くと、中の幸太郎はさっき親父にやられた通り真似をして「ああ、
親父のお友達ですか? よく訪ねてくださいました。『親父は親類相談の上、勘当し
た』と、親父にそうお伝え願います」などとやり返す。
 怒った親父が「そんなに俺の真似がしたかったら、六尺棒を持って、追っかけて来
い」


[六尺棒]の関連は、窓門会(後援会)/窓門会文庫/噺のような話/六尺棒
2001・6・28 UP



圓窓五百噺ダイジェスト 24 [普段の袴(ふだんのはかま)]

 上野広小路近くの書画骨董品の店へ入ってきたのが、馴染み客の武士。
 煙草を吸いながら鶴の絵掛け軸のを見て「良い鶴じゃ」と感心をする。
 店主「文晁(ぶんちょう)かと心得ますが、落款がございません」
 武士「文晁でなければかほどには描けまい。良い鶴じゃ、う〜〜ん」
 武士が煙管を咥えて感心すると、雁首の火玉がふわっと落ちて袴を焦がした。
 店主があわてると、武士は落ち着いて「心配いたすな。これはいささか普段の袴で
ある」と言い残して帰って行く。
 これを店の前で見ていた八っつぁんが「俺も真似てやってやろう」と、大家から無
理矢理に袴を借りて店にやってくる。
 文晁を文鳥と思い込んで店主とトンチンカンなやりとりをした挙句、やっと、煙草
を咥えて掛け軸を見ながら感心をして息を吹き込むが、煙管が詰まっていて何度やっ
ても火玉が出ない。
 いらいらしながら大きくプーッと吹き込むと、雁首から火玉が勢いよく飛び出し、
自分の頭へ落ちる。
 店主「火玉がおつむりの上へ」
 武士「心配するねぇ。普段の頭だ」
2001・6・27 UP




 圓窓五百噺ダイジェスト 23 
[町内の若い衆(ちょうないのわかいしゅう)]

 熊さんが、兄貴分のところへ顔出しをすると、生憎と留守でお内儀さんが相手する。
気が付くと、裏で建増しの普請の真っ最中。
「たいしたもんですね。この木口の高いときに普請とは。こちらの兄貴は働き者です
ね」
「いいえ、町内の若い衆さんが寄ってたかってこしらえてくれたようなものです」
 これを聞いて、一層感心した熊さん。家へ帰って女房にこの話をして「お前には言
えないだろう」というと「言えるよ。普請してみろ」という言葉が返ってくる始末。
 あきれ果てて、湯へ行こうと出掛けると八っつぁんに会ったので、一計を企てる。
「すまねぇが今、家へ行って、かかあに家の中のことを褒めて、『こちらの熊さんは
働き者だ』と言ってくれ。それで、かかあがどういう返事をするか、あとで聞かせて
くれ」と頼む。
 八っつあんは熊さんの家へ行って何か褒めようとするが、何もない。気が付くと女
房が臨月間近のお腹をしているので、
「この物価の高い時期に、子供をこしらえるなぞ、熊兄ぃは働き者だ」
「いいえ、うちの人の働きじゃありません。町内の若い衆が寄ってたかってこしらえ
てくれたようなものです」


[町内の若い衆]の関連は、評判の落語会/単発の落語会/五百席達成記念落語会/ぷろぐらむ
[町内の若い衆]の関連は、単発の落語会/圓窓五百噺達成記念落語会/客席からじっくりと

[町内の若い衆]の関連は、単発の落語会/圓窓五百噺達成記念落語会/まどべの楽屋レポ
2001・6・21 UP




圓窓五百噺ダイジェスト 22 [万病円(まんびょうえん)]

 傍若無人にも湯舟の中で褌を洗い始めた侍に、風呂屋の番台に座っていた者がおそ
るおそる注意する。
 と、侍は平然と言い返した。「男根陰嚢はつけたまま湯舟に入れるのに、それを包
む風呂敷にもあたる褌を洗ってなぜいけないのじゃ」と屁理屈。その上、湯銭も踏み
倒して悠然と湯屋を去る。
 そのあと、侍は餅屋に立ち寄り、たらふく食べて、ここでも理屈をこねて餅一個分
の値段しか払わない。
 次に古着屋に入る。店主が「ない物はない」と言うので、三角の座布団、綿入れの
蚊帳、衣の紋付きなどなど、変なものを聞いてからかう。
 ところが、古着屋も負けずに言い返すので、この店は早々に切り上げる。
今度は紙屋をねらう。ここでは「貧乏ガミ、福のカミはあるか」というヒヤカシに対
して、店主は散り紙を震わして出して「貧乏ゆすりの紙」「はばかりで拭くの紙」と
やり返す。
 ふと見ると、この店では薬も取り次ぎをしているようで万病円と記した張り紙があ
る。「これは万病に効く薬だ」と店主がいうと、侍は「昔から四百四病。病いの数が
万もあるはずはない」と責める。店主は「百日咳、疝気疝癪、産前産後」などと、数
の付く病いを言い立てる。
「それでも病いは万に足らんぞ」
「一つで腸捻転があります」


(備考)
 明治時代の速記本をみると、演題が「侍の素見(さむらいのひやかし)」となって
いる。
 本来の落ちは「一つで脹満(兆万)がございます」というのであるが、今では「脹
満」はわからないので、圓窓は「腸捻転」に変えた。
 江戸時代に「腸捻転」なんて言葉はないというお叱りもござろうが、まるっきりわ
からない「脹満」よりはいいと思っている。他によい改良の落ちが誕生することを願
ってやまない。


[万病円]の関連は、単発の落語会/圓窓五百噺達成記念落語会/ぷろぐらむ
[万病円]の関連は、単発の落語会/圓窓五百噺達成記念落語会/客席からじっくりと
[万病円]の関連は、単発の落語会/圓窓五百噺達成記念落語会/まどべの楽屋レポ
2001・6・21 UP




 圓窓五百噺ダイジェスト 21 [子褒め(こほめ)]

 八っつぁんは隠居さんを訪ねて、商人の褒め方、歳を若く言う褒め方、それに赤ん
坊の褒め方まで教わる。
「『失礼でございますが、このお子さんはあなたのお子さんでございますか。このよ
うなお子さんがおいでになるとは存じませんでした。昔から親に似ぬ子は鬼っ子なぞ
と申します。額の辺り、眉目の辺はお父っつぁんそっくり。口もと鼻つきは、おっ母
さん生き写し。総体を見渡したところは、先年お亡くなりんなったご隠居さまに瓜二
つ。長命の相がございます。[栴檀は双葉より芳し][蛇は寸にしてその気を現す]。
私もこういうお子さんにあやかりたい、あやかりたい』とでもおやり」と。
 早速、外へ飛び出した八っつぁんは往来で三河屋の番頭をつかまえると、商人の褒
め方をぶつけてみるが失敗、歳を訊いて褒めようとするが、これまた失敗。
 今度は赤ん坊を褒めようと、竹さんを訪ねて、生まれたばかりの赤ん坊を前にして、
褒め始める。
「失礼でございますが、このお子さんはあなたのお子さんでございますか」
「当たり前だ、俺の子だ」
「このようなお子さんがおいでになるとは、存じませんでした」
「知っているから来たんだろう」
「昔から親に似ぬ子は鬼ごっこをする」
「赤ん坊が鬼ごっこをするかよ」
「額の禿げあがってるとこ、眉目の下がっているとこはお父っつぁんそっくり。口の
大きいとこ、鼻の低いとこはおっ母さん生き写し」
「わるいところばかり言うなよ」
「総体を見渡したところは、先年お亡くなりんなったお婆さんに瓜二つ」
「婆さんはそこで昼寝をしているよ」
「お亡くなりんなったお爺さんに瓜二つ」
「爺さんはタバコを買いに行ってるよ」
「洗濯は二晩で乾きますか。蛇はスマトラで南方だ。私もこういうお子さんにあやか
りたい、首吊りたい」
「馬鹿なことを言うなよ」
「ときに竹さん、このお子さんはおいくつで?」
「生まれて七日目だ」
「ああ、初七日」
「縁起でもねぇこと言うな」
 赤ん坊の枕元に祝いの句を書いた短冊があって、「竹の子は 生まれながらに 重
ね着て」とある。
 八っつぁんは「これに下の句を」と言って付ける。「育つにつれて 裸にぞなる」


(備考)
 落ちはいくつかあるようで、「ときに竹さん、このお子さんはおいくつで?」「生
まれたばかり、一つだ」「一つとはお若い」「一つで若けりゃ、一体、いくつに見え
る?」
「どう見ても、タダだ」。あるいは「半分です」というのもある。
 しかし、今の満年令の数え方だと、ピンとこない落ちになる。
 落ちまで演らずに途中のクスグリで下りることもある。


[子褒め]の関連は、評判の落語会/単発の落語会/五百席達成記念落語会/ぷろぐらむ
2001・5・31 UP




 圓窓五百噺ダイジェスト 20 [半分垢(はんぶんあか)]

 贔屓の関取が上方巡業から帰って来たというので、町内の金さんが訪れる。
 関取は奥で休んでいるので、女房が応対に出る。
「関取はまた大きくなって帰って来たでしょうね」と言うと、女房は大いに喜んで、
「声は割れ鐘、顔は大屋根の上、戸障子を外して這って入った。顔は四斗樽、目は炭
団。飯は一石ペロリ。道中、牛を三匹踏み潰した」と調子に乗って答える。
 客が帰った後、起きて来た関取は女房に「こっちから『大きい、大きい』と言うも
のではない。帰りの東海道の吉原の茶店で『富士山が高くて立派だ』と褒めたところ、
茶店の娘が『朝夕見ておりますと、さのみ大きく見えません。半分は雪でございます』
と卑下して言った。それを聞いて改めて富士山を見ると、前より一層大きく見えた。
卑下するのも自慢の内という。やたらに『大きい、大きい』と自慢するものではない」
とたしなめた。
 そこへ、金さんから聞いたという熊さんが訪れる。
 女房、今度は「声は虫の息、お顔は煎餅の欠けら、目は砂っ粒。飯は一粒出したら
半分残しました」などと小さくなったという返事。
 関取は恥ずかしくなって顔を出すと、客が見て「おかみさん、関取はこんなに大き
いじゃありませんか」「いいえ、半分は垢でございます」


[半分垢]の関連は、評判の落語会/単発の落語会/五百席達成記念落語会
2001・5・31 UP




 圓窓五百噺ダイジェスト 19 [茶の湯(ちゃのゆ)]

 店は若い者に任せて、根岸の里にて余生を送ろうという隠居が何か風流なことをや
ってみたいと、思いついたのが茶の湯。
 ところが、茶の湯の心得は全く無い。
 小僧の定吉に相談して買いに行かせたのが「青黄粉(あおぎなこ)」。これにお湯を
そそいでかき回しても、泡が立たない。そこで、次に買いに行かせたのが「むくの皮」。
泡は立ったが、とても飲めたものではない。我慢して飲んだところ、たちまち腹下し。
 この主従はこの茶を近所の人を招いて飲ませることにした。
 何度も招かれて困惑している客は上等なお菓子だけを目当てにやってくる。
 やがて、隠居は菓子屋への払いがバカにならないのに気づいた。そこで、自家製の
菓子を作ることにする。芋を原料とし饅頭のようなものを作り、名も「利休饅頭」と
洒落るが、これがまたひどい味で食べられる代物でない。
 ある日、初めての客を招いて、「青黄粉」に「むくの皮」の「お茶」を飲ませてた。
客は飲もうとしたが、まずくて喉を通らない。あわてて「利休饅頭」を口直しに頬張
ったが、これまた、ひどい味で飲みこめない。
 便所へ行く振りをして中座し、その菓子を縁側から垣根の向こうの畠に向かって放
り投げた。
 その菓子は働いていたお百姓の顔にペタッとぶつかった。
 百姓は頬についた汚れをとりながら、「また、茶の湯、やってんなァ」
2001・5・31 UP




 圓窓五百噺ダイジェスト 18 [寝床(ねどこ)]

 大店(おおだな)の旦那が義太夫に凝りはじめた。
 今日もまた、店子(たなこ)の者を集めて店で聞かせようと言い出した。
 使いに出た番頭の茂造が長屋を回って帰ってきたが、辛そうに旦那に報告する。
「提灯屋は『大量の注文』、金物屋は『無尽』、吉田の息子は『商用』、おっかさん
は『風邪』、小間物屋は『おかみさんが臨月』、豆腐屋も『仕事が忙しい』、町内の
頭は『講中のごたごたで成田へ』というわけで、店子は誰も来ません」
 そこで、旦那は店の者に矛先を向ける。
 しかし、茂造は必死になって、それぞれが聞かれない理由を並べる。
「二日酔い、脚気、胃痙攣、神経痛、眼病のため無理でございます」
 と、旦那は「茂造、そいうお前、どうなんだ」と諦めない。
 訊かれた茂造は「私は因果と丈夫で」とか、「覚悟を決めておりますから、伺いま
しょう」なぞと、半ば居直りの形相。
 とうとう旦那も怒りを爆発させ「店子は明日十二時限り、出て行ってもらう」と言
い出す始末。自分はふて寝をしてしまう。
 これはおだやかでないので、茂造がもう一遍、長屋を回って「こういうわけだから、
何とか聞きに来てください。料理も出ますから」と頼んで無理矢理きてもらう。
 一旦は「やらない」と言った旦那を、説得するのも一苦労。
 やっと、旦那の機嫌もなんとか直り、義太夫が始まった。
 ところが、店子の連中は食うだけ食い、飲むだけ飲んで、みんなごろごろ寝てしま
った。
 それに気が付いた旦那はカンカンに怒ったが、そんな中で小僧の定吉だけは、起き
てオイオイと泣いている。
 旦那は自分の語った義太夫を聞いて泣いていると思って「どこが悲しかった?」と、
義太夫の外題(げだい)を挙げて訊くと、
「そんなとこじゃない、そんなとこじゃない」
「じゃァ、どこだい?」
「あすこでございます」
「あすこはわしが義太夫を語った、床(ゆか)じゃないか」
「あすこはあたくしの寝床でございます」


[寝床]の関連は、圓窓五百噺付録袋/噺のような話/No1[寝床]
2001・01・04 UP





圓窓五百噺ダイジェスト 17 [二十四孝(にじゅうしこう)]

 隠居のところに八五郎が「離縁状を二枚書いてくれ」と飛び込んできた。
 理由を聞くと、「魚を猫に取られた腹いせに、女房を殴り、母親を蹴飛ばしてきた。
二人に叩き付けるから状を二本」と、八五郎は理不尽なことを言い出す。
 隠居は八五郎に親孝行の道を説き、唐土の二十四孝の内からいくつか聞かせる。
 王褒(おうほう)は雷から母の墓石を守るために裸になって墓石にとりついたので、
孝行の威徳によって天の感ずるところがあって、落雷がなかった。
 王祥(おうしょう)は冬、鯉が食べたいという母親のために氷の上に腹這いに寝て
腹の暖かみで氷を溶かして鯉を得て、母に与えた。これまた「孝行の威徳」「天の感
ずるところ」
 孟宗(もうそう)は冬、筍が食べたいという母親のために雪の積もる竹藪で落涙し
て筍を得た。「天の感ずるところ」である。
 呉猛(ごもう)は母親が蚊に攻められないように、体に酒を吹きつけ、蚊を自分の
所に来るようにした。これもまた「天の感ずるところ」で蚊は一匹も出なかった。
 郭巨(かっきょ)は母親に女房の乳を飲ませるため、子供を犠牲にして穴埋めにし
ようとすると、掘った穴から金のカマ(延べ棒)が出てきた。
「このようにおっかさんを大事にすれば、私がお前に小遣いぐらいやる」と隠居に言
われた八五郎、さっそく、帰宅して聞いたばかりのモロコシの親孝行の真似をする。
 八五郎の母親は「鯉も筍も嫌いだ」と言うので、その線での親孝行はできない。唯
一いますぐ出来そうなのは、呉猛(ごもう)のしたという蚊追っ払い作戦。酒は体に
吹きつけても、おなかに納めても同じだろうと、がぶがぶ飲んで寝てしまう。
 翌朝、母親に起こされて体を確認してみると、なるほど、蚊に刺されたあとが全く
ない。
「ゆうべすっ裸で寝ていたが、蚊が一匹も食ってねえ。これが天の感ずるところだ」
「おれが夜っぴて煽いでいたんだ」


(備考)
 普段の寄席では時間の関係上、途中のクスグリで終えることが多い。
落ちはもう一つあって、王褒(おうほう)の真似をしようと父親の墓参りをする型
がある。と、墓の下の故人が喜んだか、墓石がグラグラッと揺れた。八五郎は「天の
感ずるところだ」とばかり、急いで家へ帰ってこのことを母親に告げると、「それは
よかったね。だけど、さっきの地震、どこであった?」


[二十四孝]の関連は、窓門会(後援会)/窓門会文庫/落語の中の古文問答/古文楽習教本・問答03二十四孝
2001・6・1 UP




 圓窓五百噺ダイジェスト 16 [十徳(じっとく)

 八五郎は隠居の家へ、隠居さんが着ている十徳の謂れを訊きに来た。
 隠居は「これを着て立ったところを見ると、衣の如く。座ったところを見ると、羽
織の如く。如く、如くで十徳だ」と教える。
 八五郎がたいそう感心をしたので、隠居は両国橋と一石橋の由来を聞かせる。
「下総と武蔵の二つの国に架かったから両国橋。お金後藤、呉服後藤という二軒の後
藤さんが金を出し合ってかけた。五斗(後藤)に五斗で一石だから、一石橋」
 またもや感心した八五郎は、これを他の者に聞かせようと、床屋へ乗り込んだ。
 ところが、橋の謂れはみんな知っていて、無駄になった。
 ならば、「十徳の謂れを教えよう」と始めるが順調にはいかない。
「これを着て立ったところを見ると…、衣のようだ。座ったところを見ると…、羽織
のようだ。ようだ、ようだで、やぁだ」
「なんだ?」
「着て立ったところを見ると…、衣…みてぇ。座ったところを見ると…、羽織…みて
ぇ。みてぇ、みてぇで、むてぇ」
「なんだ、そりゃ?」
「立ったところを見ると…、衣に…似たり。座ったところを見ると…、羽織に…似た
り。似たり、似たりで、これは、したり」


(( 勿忘言 ))十徳(じっとく)とは僧服の直綴(じきてつ)から転化したらし
く、江戸時代は儒者、医師、絵師などが外出着とし、形は今日の羽織に似ている衣装。
今日、なかなかお目にかかれるものではないので、その分、この[十徳]は演りにく
いのだが、語呂の面白さから、まだまだ前座噺としての価値はある。
 歌舞伎で登場人物が着用しているのに出っくわすことがある。岩波書店の広辞苑に
は絵入りで載っているから、読むといい。
 故柳枝(8)から圓窓が最初に教わった噺が、この[十徳]。圓窓も弟子にはこの
噺を最初に教えている。
 原話は〔お伽草〕(安永2年)に載っている。
2000・7・29 UP