12月の「今日の出来事」
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プーケット島での津波の体験を綴ってみました。思いつくまま、書いてみました。時間が経って落ち着いたら、新たな記憶が蘇るかもしれません。その時はまた、書き加えたいと思います。
犠牲になったたくさんの方々のご冥福をお祈りいたします。
| 12月31日(金) マツケンサンバ 気がついたら大晦日でした。年末やろうとしてたこと(大掃除・年賀状書きなど)すべてキャンセル。こんなんでお正月を迎えられるんでしょうか?いいんでしょうか?と思いながらも今年は仕方がない。と諦めモード。。。 でもご飯は作らなきゃ。「年越しそば」?・・・そばはないのでうどんで我慢。友達が差し入れしてくれた「おせち料理」 (筑前煮や田作りなど)を大晦日に食べてしまうことにした。。。私は大急ぎで「黒豆」だけを圧力鍋で煮ました。これも今日食べてしまうかも・・・。突然、パパが「天ぷらも食べたい!」と言うので天ぷらも。と言っても「さつまいも」くらいしかないので「いもの天ぷら」のみ。。。少々淋しい・・・・。でも、全部おかずを並べてみたら結構豪華になった! そうこうしているうちに「紅白歌合戦」が始まり(日本より1時間早く)、テレビでは見たこともない歌手ばかりが歌っていた!!誰?誰? 「ジュピター」を歌っていた人、初めて見たけど、うまいねぇ。。。中島美嘉もよかった!葉加瀬太郎さん、相変わらずルックスはビミョーですが、バイオリンは最高です! そしてそして今日の一番のお楽しみ、「マツケンサンバ」。初めて見ました!テレビに釘付け!楽しかったです。一緒に見ていたけんけんから、衝撃的な言葉が・・・「マツケンサンバだ。けんちゃんしってる。ようちえんでおどる」 エ〜!けんけんは知ってたのかい???幼稚園で踊ってたのかい? |
| 12月30日(木) コバちゃん ずっと前からシンガポールに遊びに来る約束をしていてくれた「コバちゃん(パパ友人)」が来てくれました。ほんとだったら26日にはプーケットから帰国し、いろいろ準備をするはずでしたが予定が大幅に狂い大慌て。コバちゃんは私たちがプーケットに行くことを知っていたのでものすごく心配してくれたそうです。パパの職場にまで安否確認の電話をしてくれたとか・・・。(他にもたくさんの方が安否確認をしてくださったそうです。皆さん、ありがとう) コバちゃんは一年の3分の1を上海で過ごしてます。中国語もペラペラで私たちの結婚式で中国語を交えてスピーチしてくれたくらいです。シンガポールは中国語も公用語なのでコバちゃんにとっては「朝飯前」です。いいなぁ。 一緒にナイトサファリに行ったり、食事をしたり楽しかったです。ゆうゆもけんけんもコバちゃんとすっかり仲良しになってしまいました。 |
| 12月29日(水) 帰国 シンガポールへの飛行機が午前便だったので、朝7:00前に朝食を食べ、プーケット国際空港へ向かいました。空港は相変わらずごった返し、たくさんの人で溢れかえってました。3日前と同じく、食べ物や水、生活雑貨などを無料で配っていました。ケガをした人も大勢いて、(骨折をしているのか)車椅子で移動している人は患部がぶつからなように慎重に移動していました。椅子は全部うまっていたので、疲れた人は床に座るしかなく、私と子どもたちも思わず床に座ってしまいました・・・。23日に到着した時と同じ空港とは思えない様変わりでした。。。 ダイヤは大幅に乱れ、臨時便も飛んでいるのか、搭乗ゲートもコロコロ変わってしまい皆あたふたしていました。それでも一刻も早く自国へ帰りたい、プーケットから出たい一心で皆黙々と列に並んでいました。重苦しい雰囲気に必死に耐えているようでした。。。 40分程遅れて離陸。飛行機の中で初めて新聞を読み、津波の被害の大きさを知りました。この時点で犠牲者は5万5千人。日々、万単位で犠牲者が増えていくようでした。 途中、飛行機の外でピピ島が見えたようですが、海を見る気分にはなれずそのまま新聞を読み続けていました。 お昼過ぎにシンガポールに到着。イミグレを出る前に偶然近所の知り合いに会い、びっくりされました。「無事で、よかったですね!」と喜んでくれました。なんと彼はこれからプーケットに行くそうです。1年前から日本の友達と予約をしていたそうで・・・。さすがに奥さんと子どもはキャンセルしたそうですが。バンタオビーチなので、きっとホテルも被害はないでしょう。お気をつけて! 出口では友達が数人迎えに来ていてくれました。待ちかまえる報道陣を避けるように私たちを安全なところへ連れていってくれました。「あの大惨事の中、身も荷物も無傷なのが信じられない」と驚いていました。お陰様で4人とも元気で帰ってきました! その後は帰国の電話をしたり、メールをしたり。パパはすぐに職場に向かい報告。夜まで慌ただしい一日でした。 |
| 12月28日(火) 予感 昨夜から、ゆうゆは高熱を出しました。もともと神経質なところがあるし疲れと緊張もたまっていたのでしょう。持っていた薬を飲ませ、冷やすくらいしかできませんでしたが・・・。そういえば今回の旅行では行き先がタイだったこともあり、万が一のことを考えしっかりした海外旅行保険に入ってきました。妙に気になり(何か予感でもしたのかな?)、出発の2日前にわざわざ旅行会社に出向いて入ってきました。今回の地震&津波でつくづく、何が起こるかわからないなぁと実感しました。ちなみにけがもしなかったので保険は使うことはなさそうです。ゆうゆも、発熱くらいでは受診できません。。。今、きっとプーケット中の病院が大混乱しているでしょうから。。。 今回の旅行は日程・飛行機などもいくつかの選択肢がありました。まずは日程。「23日から26日」というコースや「24日から28日」「25日から29日」などでした。ゆっくり滞在したい気持ちはありましたが、5泊するとさすがに長いかな?(宿泊料金も高いし・・・)と思い、4泊のコースでしぼっていきました。そして、飛行機はシルクエア(SQの子会社)かタイ航空か。。。これもなんとなくシルクエアが良くて、シルクエアでウェイティングしてました。そしてたまたま運良くシルクエアのキャンセルが出て23日からの日程で決まったのです。もしも23日からの日程がとれなくて、24日や25日からの旅行だったら・・・間違いなく津波にのみこまれていたでしょう。。。 24日にピピ島へ行っていたことも幸いでした。23日の夜、たまたま近所を散歩していたときに通りかかった旅行会社(地元の小さなお店です)で、何気なく予約しました。私は「到着した翌日じゃなくても・・・」と思ったのですが、パパは「明日行こう!」と。。。もしピピ島に25日に行っていたら、26日は朝からパパとゆうゆはたぶん海釣りに行っていたでしょう。そして、津波の直前、波が引いて魚やカニが見えたら・・・・ゆうゆは大はしゃぎをして捕まえたにちがいありません。。。 私たち家族は、何か不思議な力で幸運へ導いてもらったような・・・守ってもらったような気がしました。誰だかわからないけど・・・ほんとにありがとう。。。 |
| 12月27日(月) 翌日 真っ暗闇で過ごした一夜はなんと長かったことでしょう。途中、「あっもう朝かな?」と目を覚ましたら夜中の12:00でした。月明かりが明るかったので朝かと思ったのでした。子どもたちも何度も起きてしまい(けんけんは夜泣きをしました)、そのたびに水を飲ませたり背中をトントンしたり。夜明けが待ち遠しかったです。 朝になると、昨日と同じ場所で朝食を食べさせてもらえました。食堂の掲示板には「Missing(行方不明者)」の名前が張り出されていました。年齢が「3歳」という子どももいました。やりきれない思い・・・・・・。 朝食後、ホリデーイン周辺とビーチも行ってみることにしました。昨日に引き続き、デジカメに現場の状況をおさめることにしました。非常事態宣言は解除になったのかな?昨日はビーチは立入禁止だったそうです。「危険」というよりうちあげられた遺体が多すぎて、遺体の回収作業に追われていたとのこと。 ホテルの中で、 昨日と変わったことにひとつだけ気がつきました。それは、匂い。。。昨日は海水が流れ込んだことを証明するように「磯の香り」程度の海の匂いが充満していました。ところが今日は「腐った魚の匂い」。。。打ち上げられた魚が死んでしまいこのような匂いをまき散らしているのでしょう。ホテル全体がこの匂いに包まれている・・・という感じでした。強烈な匂い。日にちが経てば経つほど、匂いは強くなり、消えにくくなるのでしょう。。。 ホリデーインのプールサイド、中庭、メインロビーは相変わらずめちゃめちゃでした。ビーチから100m〜200mほどの距離といっても、これらは全て外壁の中。つまり壁を乗り越えて押し寄せた海水の威力がこれらを全て破壊してしまったということ。 昨日、私たちが朝食を食べていたプールサイドのテーブル・イスは全て押し流されてなくなっていました。4人で座っていた席のすぐ近くには大型トラックが横転していました。(このトラックはいったいどこから来て、どのようにプールサイドに入ってきたのだろう???)。プールの周りの大きな椰子の木はかなりの数が折れ曲がり、ブーゲンビリアや蘭の花はみんななくなっていました。プールの中にも車が1台浮いていました。。。 25日のランチを食べたプールサイドのレストランも屋根まで崩れ、崩壊。割れた食器やガラスの破片があたり一面散らばりとても危険でした。ホリデーイン周辺のお店もほとんど破壊されてました。お店のガラスは全て割れ、中にあったであろう品物は押し流され、なぜかほとんどのお店に車が突っ込んでました。水で流されてきた車はとどまることを知らず、お店の中か電柱か垣根でしか止めることができなかった・・・という感じでした。 ビーチはパラソルや植物、何かの瓦礫が転々としていましたが、波はいたって静か。何事もなかったような海の姿でした。海岸沿いの壁や階段はことごとく壊れ、巨大なコンクリートの固まりと化していました。昨日、食事の時聞いたドンドンという音は、最初の津波が壁に当たった音だったのです。たぶんその直後ホテルに水が流れ込んできたのでしょう。。。 このままホリデーインにいても、電話・電気が通じないのでシンガポールと日本に連絡ができない。ということでチェックアウトして一度空港へ行ってみることにしました。すぐにシンガポールへは帰れないだろうと覚悟はしていたものの、「もしかしたらキャンセルが出るかも?」とわずかな望みも持って。。。 空港は予想通り大混雑でした。けがをした人もたくさんいて通路は簡易医療センターになっていました。パパがカウンター前で並んでいる間、私と子どもでウロウロしていたら空港の職員さん?がサンドイッチとお水を分けてくれました。被災者に無料で配っているようでした。ベンチで座っていたら、「ピピ島から帰ってきた」という外人さん(おじさん)が二人いました。彼らはダイビングをしていたときに津波が来たそうです。自分たちはなんとか助かったけど、ピピ島では400人くらいの人が亡くなったり行方不明になったりしているそうです。おじさん達も足にたくさんケガをしていました。ケガをしている人はみんな足に切り傷や擦り傷がたくさんありました。波にのまれて珊瑚礁にたたきつけられたか、漂流してきた物にぶつかったか、逃げる途中(裸足で)けがしたか。もちろん、ここにいる人たちは軽傷の人たちです。重症の人たちは皆病院へ搬送されているのでしょう。 結局チケットは3日後の29日の午前便しかとれないとのこと。それまで、カロンビーチの方へ避難することにしました。パトンビーチの少し南にあるカタビーチ、カロンビーチはほとんど被害がないようでした。カロンビーチのホテルに着くと電話が通じたので、とにかくシンガポールと日本へすぐに電話をしました。どちらも大騒ぎになっていたようです。 でも私たちはこの時点では、情報が全くなかったので自分たちの周りで何が起きているのかほとんどわかっていなかったのです。。。皆さま、本当にご心配をおかけしました。。。 何もわからなかった私たちは「スマトラ島で地震が起きた」と聞いたとき「シンガポールだって近いから大変なんじゃない?!津波で沈んでるかも?!」って心配していたのです。でもシンガポールは全然大丈夫らしい。 それより、インドネシア・スリランカ・インド・タイなどが大変な被害に遭ってる、ということをこの時初めて知ったのです。この時点で犠牲者は12000人と言われていました。 カロン地区はほとんど損傷がなかったので、テレビも普通に見られました。ただし、ローカルとCNNくらい。ホリデーインではNHKが見られたのになぁ。。。 テレビは朝から晩まで「地震と津波」のニュースばかり。ほんとに大きな災害だったのでしょう。今更ながら気づきました。自分たちが遭遇した津波がいったいどんなものだったのかニュースにかじりついていたのですが、こちらの映像があまりにもストレート(?)過ぎて子どもたちには見せられませんでした。海から引き上げられる遺体、打ちあげられた遺体などの映像がありのまま放送されてます。日本では考えられない映像です。ニュースだけでなく新聞などもそうですが。。。モラルの違いなのか、文化の違いなのか、価値観の違いなのか・・・。とまどいました。。。 |
| 12月26日(日) その時・・・ 昨日・一昨日と遊び尽くしたゆうゆは、さすがに今朝は「あたまが痛い」と起きられませんでした。プーケット最終日だからのんびりホテルで過ごそう・・・とそのままみんなでゴロゴロ寝てました。8:00ちょっと前、地震がありました。大きな揺れではなかったけど、かなり長い時間(たぶん1分以上)揺れてました。 ゆうゆとけんけんを起こし、いつものプールサイドに朝食に行きました。9:30過ぎだったけど、満席。たくさんの人が朝食を食べ、プールで楽しんでました。朝食も3日目となると、どんな内容かだいたい把握できてしまっていたので、お好みの物、子どもたちの食べやすい物などさっさと運び4人でのんびり食べていたら・・・・・。たぶん10:00頃 突然、ビーチからたくさんの人がなだれ込むように逃げてきました。直後、ドン・ドンという爆音? ただごとではない状況に、朝食をとっていた人は全員、一斉に立ち上がり逃げ始めました。人間、本当に恐怖な状況に陥るとキャーとかワーとか叫べない。その時、私が聞いた音は立ち上がるときのイスやテーブルのガーという音だけだったような気がします。逃げてくる人も逃げるのに必死で声が出ない。出せない。 「何?何が起きたの?」と言いいながら、私はけんけん、パパはゆうゆを抱えて必死で逃げました。最初はテロが起きたのかと思いました。さっきの大きな音は何かが爆発したのかな?でもどうしてみんなそんなに遠くまで逃げるの?誰が追ってくるの?覆面をしたテロリストが銃を乱射する姿が目に浮かび、私たちはここで殺されちゃうのかな?って思いました。どこに逃げて良いのかわからず右往左往に走り回る人たち。ホテルの裏通路のようなところに出て階段があったので登ろうとしたら降りてくる人がいたので止めました。ホテルの女の人に「何が起きたの?」って聞いたけど「わからない」。けんけんを抱っこして走っている私を見て、ホテルの従業員さん(たぶん調理員さん)が手を引いてくれました。ホテルから山の麓まで逃げてきたとき、ようやく津波が来たらしいということがわかりました。何百人、何千人の人が山に向かって逃げていく。どうしてこんな遠くに逃げなきゃならないの?でも、みんながもっと上に上に、遠くに遠くにって逃げるので、一緒に逃げるしかありませんでした。山の中腹で疲れ果て、休んでいたら偶然、ホリデーインの日本人スタッフの人に会いました。矢継ぎ早に質問しても「わかりません。」「津波はプーケットでも初めてのことらしい」「情報を集めてきます」くらいしか答えてくれませんでした。その後、私たちは地元の人のトラックに乗せてもらい山の頂上まで行きました。トラックの中で初めて「スマトラ島で大きな地震があり、津波が来た」という英語が聞き取れました。私たちのように服を着て靴を履いて逃げられた人はまだましな方で、ビーチやプールから逃げてきたのか水着や裸足の人もたくさんいました。 「ここまで来れば、大丈夫だよね」と言いながら山で座っていたら、地元の人がお水やチョコレートをを分けてくれました。日・豪の夫婦とも知り合い一緒にいることにしました。高台から津波が見えるらしいのでパパが登ってみた。第1波はもうひいたのかな?しばらくして、もう大丈夫かも、家族と連絡が取れないので一度山を降りるという地元の人がいたので、みんなでトラックに乗って降りることにしました。中腹まで降りてきたとき、海水がここまで押し寄せてきた、という形跡がくっきりありました。なぎ倒された木々、たくさんの魚たち、流されてきたバイク。「こんなところまで波が来たの?」って驚いていたら、麓から再び逃げてくる人々。第2波が来たらしい。さっきのトラックにもう一度乗せてもらい、また頂上へ。 暑いので体力を消耗しては大変なので、木陰で座って休むことにしました。日・豪のご夫婦はホスキンさんご夫妻。奥さんはTさん。旦那さんはピーターさんと言って日本語も達者な方でした。ゆうゆ・けんけんとも遊んでくれ、飲み物もたくさん分けてくれました。別の日本人家族は、インスタントのおかゆを分けてくれ、ゆうゆとけんけんは夢中で食べてました。私たちは何も持たず逃げてきたので、皆さんからありがたく頂戴するしかありませんでした。。。 Tさんは海辺近くにいたようです。津波の直前、「潮が急激に引いていって魚やカニをみんなが取っていた」と言ってました。その直後、大きな波が突然押し寄せてきたそうです。水が腰の当たりまで来たそうですが、地元の人が引っ張り上げてくれて助かった、と言ってました。この時点で、「ビーチでは50人とか100人の人が亡くなっているかも」という情報がありましたが、正確なことはわかりませんでした。とくかく情報が欲しかった。タイ語は全くわからないので英語の情報を!近くに一人だけ、ラジオを持っている人がいて、みんな食い入るように聞いていました。 近くを警察のトラックや軍のトラックが走ってくるけど、何も知らせてくれるわけじゃないし。。。これから私たちはどうなっちゃうんだろう?どうすればいいんだろう?途方に暮れてました。。。 こんな時・・・「防災○○」とかがあればいいのになぁ。選挙カーみたいので情報を流してくれてもいいのに。。。なんて思ってました。 山は象さんのトレッキングツアーを行う場所でもあったのか、私たちの目の前をたくさんの象さんがのっしのっしと歩いていきました。 「今夜は山で寝る」覚悟もできていたけど、小さな子ども二人を連れて山で一夜を越すのは厳しいかも・・・。ホスキンさん夫妻と散々悩んだあげく、ホテルに戻ってみることにしました。(15:00過ぎ、山に避難して5時間後) もちろん、タクシーなどはつかまらないのでヒッチハイクをしました。親切な地元の人が私たち6人をトラックの荷台に乗せてくれました。ホテル(ビーチ沿い)に近づくと、悲惨な津波の爪跡に絶句。。。ホリデーインの裏手に出たのですが、最初自分たちが泊まっていたホテルとは信じられませんでした。押し流された大量のバイクの脇を歩いてなんとかメインロビーに到着。途中通った通路は、朝私たちが逃げるのに使った通路だったようですが、大量の水が流れ込んだ形跡があり巨大なコンテナやテーブルなども流されてきて歩くこともままならないほどでした。まだまだ水がたまっていて、おびただしい数の魚が死んだりはねたりしてました。1階部分は壊滅状態。全ての物が水に流され壊され、泥に埋まっていました。従業員さんが「3階で食事がもらえるよ」と教えてくれたので行ってみました。社員食堂のようなところでたくさんの料理や飲み物を分けてもらえました。そこで、ホテル側が宿泊者リストを使って生存確認。部屋番号と名前・人数を伝えました。この時点で私たちの生存情報が大使館に伝わったようです。夕方17:00からマネージャーより状況説明があるとのこと。それまで、部屋に戻ることにしました。ほんとだったら、今日チェックアウトして帰る部屋だったけど、もう一度泊めてもらえることになりました。停電してるので、ホテルの人に懐中電灯で部屋まで案内してもらい、部屋に入りました。2階だったので私たちの荷物は全て無事でした。電気・水道・電話が全て不通なので夜までにできることをある程度やっておきました。 まず、懐中電灯の確認、ミネラルウォーターと少量の食べ物(お菓子等)の確保、靴の準備。携帯は持ってきてはいたのですが、とても旧式な型なのでバッテリーがすでに終わりかけていました。。。 部屋のバルコニーから外を眺めたら、私たちの泊まっていた部屋のすぐしたがホテルの正面玄関前だったのですが 流されてきた車が数十台、その他瓦礫や植物、テーブルやイスが山になっていました。車は何台あるかは数え切れないほどでした。 17:00からのマネージャーの説明によると、「本日スマトラ島で大地震が起き、津波が来た。たくさんの人が亡くなり行方不明になっている。空港は閉鎖された。道路も非常に混んでいる。部屋番号と名前・人数を知らせて欲しい」 などが聞き取れました。 夕食を食べさせてもらい、外国人の人に携帯を借り、なんとか職場の人に連絡がつきました。そこから「職場」「日本」へ連絡して欲しいことを伝えました。とりあえず、無事の連絡さえ伝われば安心。今夜はホテルでゆっくり寝ることにしました。この頃になると、階段や廊下はホテルの自家発電で電気がつくようになりました。部屋へ帰るのに苦労することがなくなりました。 夜遅くまで、ヘリコプターの飛ぶ音、救急車や警察のサイレンが鳴り響き眠れませんでした。部屋の中よりも、外の方が月明かりで明るかった(満月に近かったのかなぁ?)ので、外でぼんやり座ってました。(一人で。) 外では、(夜になると戻ってくる)鳥がたくさん飛んできて鳴いていました。ホテルに滞在したのは4日だけだけど、そういえば昨夜は鳥が戻ってこなかったような気がする。。。23日も24日も夜遅くまで鳴いていたのに。昨日の夜は鳥がいなかった。。。野生動物は予知能力があるって言うから。この地震と津波を予知していたのかなぁ。。。 |
| 12月25日(土) ビーチ三昧 早朝からパパとゆうゆは海釣り。今回もMy釣りセット持参です。私とけんけんはゆ〜っくり部屋で寝てました。二人が帰ってきてから朝食を食べに出掛け、その後は4人でビーチに行きました。ビーチは既に人でいっぱい。パラソルを借りましたが、一列目(と言っても数10メートル続く列)は満席なので、二列目。子どもたちにやや目が行き届きにくいですが仕方がない。。。一列目が空いたら交代してもらうことに。 ゆうゆはすっかり海にも慣れて、一人でシュノーケリングをしにどんどん行ってしまいます。遠くに離れるたびに、ゆうゆを呼び、「迷子になっちゃうよ!」とたしなめてました。お昼近くまで遊んだ頃、けんけんが「おしっこ!」と叫んだのでホテルのトイレに行くことにしました。急いで戻ったのですが、耐えられなくなったけんけんは道路でジョォォォ。近くで見てた人は大爆笑でした。。。ホテルのプールサイドで体を洗い、そのままプールサイドでランチを食べました。 パスタやピザ、サンドイッチがとても美味しいレストランでした。プーケットはパンがとても美味しいなぁとずっと感じていました。どこで食べても美味しいの。すごくうれしい♪ けんけんは眠くなってきてしまったので私と部屋に戻り、ゆうゆとパパはこんどはプールで遊びました。ゆうゆってほんと体力あるよなぁ。全然疲れないんだもん。その後、なんと二人はビーチに戻り、水上ジェット(ボート)に乗ったそうです!えっあれって船舶免許もってなくても、運転して良いの???ゆうゆは大興奮だったようです。 (・・・・・・・・・・大惨事まであと24時間・・・・・・・・・・・) 今夜はプーケット最後の夜なので、パトンビーチ沿いのシーフードレストラン「サヴォイ」に行ってみました。ここは新鮮な魚介類を自分で選び好きな調理方法で調理してもらえます。とても大きなレストランですが、今夜はクリスマスでほぼ満席。ほとんどが欧米人でした。予約をしていったのですが、15分ほど待ちました。でもその間子どもたちは生きた大きなロブスターや蟹、魚を見たり触ったりできてご満悦。せっかくなので一番大きなロブスターを食べてみることにしました。エビはバターと醤油で、魚はお醤油とショウガで蒸してもらい、イカはさっぱりと焼いてもらいました。どれも日本人好みの味でとても美味しかったです。プーケットはすごく食べ物が美味しいところだなって思いました。 パトンビーチ沿いは小さなお店が建ち並び、夜になるとさらに賑やかになります。東南アジア独特の雑貨や生地は見てるだけでも楽しいです。今夜はもう遅いので、お土産は明日ゆっくり見つけよう。。。 (・・・・・・・・・・大惨事まであと12時間・・・・・・・・・・・) |
| 12月24日(金) ピピ島 かなり前の映画ですが、レオナルド・デカプリオ主演の「ザ・ビーチ」の舞台になったピピ島に行きました。プーケットに行ったらぜひ足を伸ばしてみたいと思っていた島。ここはダイビングやシュノーケリングもできて、日本人にも人気の島です。プーケットから高速船で1時間半、最初はピピ・ドン島に着きました。そしたら、みんな船から降りてしまうの。どうして?ピピ・レ島は行かないの?って思っていたら、ピピ・レ島のマヤ・ベイ(ザ・ビーチのロケ地)は浅いので大型船では近くまで行けないとのこと。みんな、ピピ・ドン島で降りて小型船をチャーターしてマヤ・ベイに行くんだって!知らなかった!大型船に乗りつづけていた私たちは、マヤ・ベイでは浅瀬までは行けなかったけど、透き通った海で存分にシュノーケリングができました。ゆうゆとパパはこの日のためにシュノーケリングセットを買い、持参しました。けんけんも少し海に入れてみたけど、「こわいよぉ」と泣いたのですぐに止めました。私とけんけんは船の上でお留守番。1時間ほどシュノーケリングを楽しんだ後、ピピ・ドン島へ戻りました。 6つの小さな島から成るピピ島では唯一の有人島がピピ・ドン島です。ここで私たちはランチを食べました。普段辛い物は苦手な私ですが、ここのトム・ヤン・クンはとても美味しかったです。その後またビーチで遊びました。小さな湾のようなビーチでどこまでも続く遠浅な海は、けんけんのおへそくらいまでしか深さがないので、私はのんびりビーチに座って、子どもたちを眺めてました。波打ち際まで魚がたくさん泳いでくるので、ゆうゆは夢中になってシュノーケリングもしてました。海の美しさがプーケットの比ではないので、「来年はピピ島に(泊まりで)来ようか?」なんて話しながら楽しみました。 (・・・・・・・大惨事まであと48時間・・・・・・・) プーケットに戻ると、今日はクリスマスイヴなので、ホテルで豪華なクリスマスディナーが行われました。プールサイドから、中庭まできれいにテーブルコーディネートされ、クリスマス衣装のホテルマンさんたちが私たちを迎えてくれました。ものすごい量のお料理やデザートに目を見張る子どもたち。。。私も思わず、写真を撮ってしまったくらい。 けんけんは本物のお菓子でできた大きな「お菓子の家」に釘付け。これも食べて良いのかなぁ?入り口で家族ごとに記念写真を撮ってくれ、会場へGO!生演奏有り、マジック有りの楽しいひとときでした。私とけんけんは一足先に部屋に帰り休みました。サンタさんが登場するというので、パパとゆうゆはかなり遅くまでねばっていましたが、結局 来なかった(遅くなってしまった)ので、二人も部屋に帰ってきました。今日は疲れたね。ゆっくり休もうね。。。 (・・・・・・・・大惨事まであと36時間) |
| 12月23日(木) アンダマンの真珠 かねてから行きたかったタイ・プーケット島に着きました。シンガポールからは飛行機で1時間半強。機内食を食べ、ボーっと外を眺めていたら、着いてしまった。。。途中、エメラルドグリーンの海と島がたくさん見えました。プーケットに到着する15分くらい前に見えたのはたぶんピピ島。プーケット島は美しさから「アンダマン(シー)の真珠」と言われています。ほんとにきれいな海、島。 空港には添乗員さんが迎えに来てくれてました。パトンビーチ・ホリデーインまでは車で約40分。意外と広い島なんだ。。。つまりシンガポールより大きいということだ。。。夕方、早速子どもたちはビーチに行って遊びました。遠浅で静かなビーチで、ゆうゆもけんけんも大喜び。以前は海を怖がっていたけんけんも、ここではおおはしゃぎ。私はそんな子どもたちの笑顔をカメラに収めてました。。。 |
| 12月5日(日) 「カノウクン オヒサシブリデス」 (第48回 新選組!終盤場面にて・・・) 勇の微笑み、優しい眼差し。次の瞬間出てくるだろうなと思ったら出てきた言葉。。。同時に自分の死を意味する言葉であるのに、どうしてそんなに優しい笑顔でいられるの?落ち着いていられるの?ドラマだとわかっていても、香取慎悟クンがほんとに死んじゃう様な錯覚に陥って悲しくて悲しくて落ち込んでしまった。。。あ〜これは山南さんのときと同じ気持ちだ。。。 もう、結末はわかってます。三谷さん、どうぞ勇の最期は美しく、感動的にお願いしますね。残酷な最期はイヤですよ。新選組!あまりにもたくさんの人が死んでいきました。ほんとは殺陣とか切腹とかは苦手です。でも、三谷さんの心憎い演出が好きで(豪華なキャストも好きで)見続けてきました。来週、いよいよ最終回。剛くんも出るのかな? はっ!。ドラマを見終わった後、私ははたと気がついた。そしてパパに言った。 「じゃぁ、今の世の中って薩長が作ったの!!!???」 |
| 12月4日(土) けんけん、ステージ発表会 今日は日本人幼稚園、ステージ発表会でした。けんけんにとっては初舞台。パパ&ゆうゆも一緒に行きました。 けんけんはオペレッタ「てぶくろ」で「ぴょんぴょんがえる役」です。てぶくろは幼稚園でも読み聞かせをしてくれたし、先日の絵本の会「お楽しみ会」でもペープサートでやりました。家でも毎晩のように絵本を読み、台詞や登場人物もほぼ暗記してしまったけんけん。とっても楽しみでした。 準年少さんたちがステージにあがるだけで「かわいい〜♪」の歓声。色とりどりの衣装を身につけたチューリップ2組さん。ほんとにかわいかったです。けんけんは大勢の観客に少々驚いていたようですが、泣きもせず、淡々と踊ってました。けんけん、お疲れさま。。。 |
| 12月3日(金) 円高??? 今、もしかして円高ですか?SG$もUS$が基準になるので、だいぶ円高のようです、つい最近までSG1$は69円くらいだったのに、今は62円くらいらしいです。日本のカード引き落としで買い物したら、お得かも。日本円、換金しようかな??? |
| 12月2日(木) 英会話授業参観 ゆうゆ、英会話参観でした。(ちなみに明日もです)。今日は発音を中心に勉強してました。先生は常にテンションを高くして、子どもたちを盛り上げていました。「大変だなぁ」と思いました。さて、ゆうゆのクラスは「E-1」といって一番レベルの易しいクラスです。(E-7まであります。E-7はハーフの子や海外生活が長い子など・・・)。今日のお勉強は先生が発音する音を聞き取り、単語を書いていく。(なんかうまく説明できないけど・・・)フォニックスという勉強でしょうか? 例えば、「c」「a 」「t」(もちろん、シー、エー、ティーとは言いません。。。)を聞き取って、ノートに「cat」と書きます。 「b」「u」「s」は難しいらしく、「b a s」と書いてしまってました。。。その他、「pig」や「egg」など。 1年生なのに、すごいなぁ。と我が子ながら胸が熱くなってしまいました。ひらがながやっと書けるようになり、カタカナを最近教わり、漢字も習い始め、その上英語。。。ゆうゆ、えらいよ! E-1でもいいさ!がんばってるんだから。。。(←ママ) E-7の授業を見てみたい。。。(←パパ) |
| 12月1日(水) 寒くないけど12月、雪はないけどクリスマス! いよいよ12月に入りました。カレンダーも残り1枚。今年もあっと言う間に1年が過ぎようとしています。(こうしてどんどん年をとっていく・・・)。今日は「梅雨の間の晴れ間」という感じで、暖かい(暑いかな?)一日でした。暖かい12月もずいぶん慣れました。最初は変な感じだったけど。。。街もクリスマス一色。バスまでクリスマスバージョンでなんと大きなサンタさんの帽子をかぶってました。バスがですよ!バスが! 綿や発泡スチロールの「雪」を見ても感激している、けんけん。「ゆきだ!ゆきだ!」と駆け寄っていきます。 |