屋久島フィールドワーク講座を終えて

屋久島のフィールドワーク講座を終えて一週間以上たったが、まだ興奮さめやらぬ状態が続いている。
測候所の宿舎に着いたときは、なんてオンボロな建物だと正直びっくりした。パンフレットを見ているときは、きっと新設の快適な宿舎だろうと思い込んでいただけにギャフンとした。
しかしそんな思いもいつしか消え去り、そこで寝起きする仲間や先生たちとの生活がとにかく刺激的で心地よいものに変わっていった。
初日の授業、講義から活発に質問が飛び交い、なかなか意欲的な学生が集まっているじゃないかと内心嬉しかった。
前記の実習は人と自然班で、貴子先生、遊地先生にお世話になった。初日は賢至さんの案内をもとに廃村調査と称していたが、実質は山登りそのもので終わりの方にはさすがに疲れたけど、きつかったのはその初日だけだった。思わぬハードな工程をよそに賢至さんはヘロヘロな生徒たちに「だって鍛えられに来たんでしょ。」と笑ってとりあわない。そんな着いていくだけですっかり観察を放棄してしまった私達生徒を唯一はげましてくれたのが、清流のおいしい水だった。
初日はそんなこんなでさすがに驚いた。なるほど興味がたかいと、こうまで注意力が違うのだとずいぶん感心した。
また初日の実習のおわりのほうで、森の中に倒木に腰かけ、遊地先生がフィールドワークする者の心構えについて話された。フィールドワークスされる人たちの気持ちを考えること。そしてフィールドワークするということは、重い責任をかかえることになるのだということを静かな語り口で森の中をこだまするように、そのメッセージがスーッと自分の心にしみこんでいくのを感じた。
二日目は一湊の豊漁祭に参加し、漁船に乗ることができた。船先にへばりつく地元の子どもたちは元気がいいなと思った。午後は民家の大石さんのもとを訪ね、とうとうと語られる話を聞きいった。もし、鶴見俊輔さんが大石さんに会ったら、目を輝かしながら「個人が生きてるんだよ」とうれしそうに言葉を発するに違いないだろうな、とそんなことをボンヤリ考えながら、大石さんの奥さんが見ていた「西武の松阪の好投」というブラウン管からもれるアナウンサーの声音に気をとられていた。
三日目は、上屋久町の議員寺田さんに話を伺った。話を聞くと、やはり観光産業がこの島のメインになっていくことは間違いない流れだということを感じた。ただ寺田さんは「観光産業は大切だけれども、自分たちで食べるものは、この島でこれからも作り続けていきたい」という生活の話を強調されていたことが印象的だった。
いろいろな島の人に話を聞いて思ったことだし、ここに来ている仲間も口にしていたことは、やはりまず島の人たちの生活がいちばん尊重されるべきことだという実感だった。とかく世界遺産というイメージだけで屋久島をくくり、ああせい、こうせいという思惑が一方的にそそがれるが、それはとてもアンバランスだということを現地に実際に来てよくわかった。話のスケールが大きくなろうが遊地先生がいうフィールドワークする側、される側という視点がいつも生きてくるなと感じ入った。
観光という面で言えば、日吉さんも遊地先生も、中日に案内してくれた人も言っていたが、ガイドの役割がますますこの島で重要な立場になるであろうとこを予感した。山極先生がエコツーリズムの話をされたが、これからの屋久島の可能性を感じ取った。
中日について、感情論をいうと、縄文杉をボケーとながめに行きたかった。以上。
後期は丸橋先生のサル班で実習を行った。ヤクザルをスリリングに追い観察するのだと、てっきり妄想していたので、まさか三日間、たっぷりサルのフンと付きあうであろうなどとは想像すらしなかった。
丸橋先生はさすがに巧者だった。学生自らが動き考えるように、その人なつっこさで手綱さばきする。「先生うまいですねぇ」なんてことをうっかり口にしたって「なにをいうとる。わしはプロやで。ワッハッハッハ」とけむにまかれるのがオチであった。
やることなすこと新鮮でとてもおもしろかった。フン虫採取はゲーム感覚というと語弊があるが、土とまともにたわむれるのは小学生以来なのでもうとにかくウキウキして、毎日、土をほじくりホクホクした土の手触りに喜々とした。標本作りも初めての体験で科学者気分を満喫した。
もっともこんなことをいうと丸橋先生から雷をくらうかもしれないが、先生の遊び心をモットーにするエエカゲンさが小気味よかった。そんな先生のもとにいると必ずきれいな夕日に酔いしれたり、永田川で雄大な遊びの時間を味わうことができ、いつも食事の時間が大幅に遅れるおまけもついてくる。
焼酎好きな人は偉大な人やと身にしみた三日間だった。
そしてよもや最終日と思われた日、いろいろな人といろいろな話ができたことに、感謝したい。
しかし、解散するはずであった日に、台風が直撃し、足止めをくらってしまった。日程調整でヒヤヒヤされたれたが、内心でたとこ勝負てのはまさにこういうこっちゃ、と感心したりもして、みんなと結構おもしろがったりした。
そんなこともあり、ますます絆は強くなった気がして、話は花が咲くばかり。こんなに別れるのがなごりおしかったということは、それだけ、先生、仲間たちが意気投合しあった結果だと思う。
ありきたりな言葉に帰結するが、本当に屋久島に来れてよかった。動きから考えが生まれるとよく言われるが、フィールドワークでまさにそのことを実感したし、まず動きありきという姿勢が自分の肌にもぴたりと相性があうことを体感できた。
いろいろな先生が気軽に、あらゆる話をしてくれたし、可能性のある仲間に会えたことが新鮮だった。
ここで知りあった仲間とは必ずまたどこかで再開することだと思うし、そのことが屋久島になんらかのかたちで帰っていくはずだ。
今は、ここで早急に結論を出すのを避けて、これから徐々に発酵していく過程と、いろいろな人との新しいネットワークに期待しつつ、さらなる動きに歩を進めようと思っている。
これからも、あのオンボロな一湊の宿舎で、いっそうの出会いと発見がつむがれていくフィールドワーク講座の続行を願い、感謝の気持ちを噛みしめながら、ひとまず筆をおきたいと思う。
世話になった方々へ、本当にありがとうございました。

1999年8月8日  根津 朝彦


参加者の感想文に戻る
目次に戻る