
04年夏 自家末梢血幹細胞移植施行〜自宅療養
入院の記録 2004年3月 末梢血幹細胞採取
3月1日(月)くもり時々雪のち雨
今日から3月になった。はやいもので2月もあっという間に終わった。身体が改善中にもかかわらず、
天気もグレーだったからなんとなくけだるい1日だった。
外は真冬なみの寒さで、最高気温は2〜3度だったらしい。夜はよく眠れた。
3月2日(火)くもり
ドラマ「愛していると言ってくれ」に、はまっている。よかったせりふには、思い出は宝物だね。心の中で輝き続ける。
3月3日(水)晴れ ひな祭り(月日が過ぎるのは早いなあ)
部長回診あり。今日採取かと思いきや、まだ0ゼロらしい。本当に上がるのか不安になってきた。大丈夫かなあ?
グラン倍増になって5日目だけど、グラン倍増が早すぎたのか?
たぶん来週の月曜がピークだったのかもしれないなあ。
3月4日(木)
傷病手当申請と高額医療費申請(11月支払い分)を会社に申請した。
3月5日(金)
採取した。100ccぐらい採取できた。
3月6日(土)
採取した。114cc採取できた。今回で打ち止めかもしれないなあ?刺さっている管がとても気持ち悪いなあ。
3月7日(日)
休日だけど暇でしょうがない。外出とか何でもできればいいけどね。今日は何もない。
たぶん昨日で打ち止めだろうとの旨。(主治医談)火曜日には退院かなあ?
不覚にもサンダーバードの後に寝てしまい、変な時間に起きて深夜まで寝れなかった。
3月8日(月)
採取した。ほとんど採取できず。
3月9日(火)
身体がだるかったが、外泊許可がでたので自宅に帰った。
10日〜15日まで外泊(自宅療養)
3月16日(火)
再入院。マルクあり、ルンバールなし、キロサイト朝晩投与。4:30終了。
3月17日(水)
部長回診あり。 幹細胞採取の結果を聞いてガッカリした。
友人の次男が他界した話を聞いてかなりグレーな気持ちになった。
2回目も失敗したので気持ちが落ちこむ。治療は休みだった。
3月18日(木)68.5kg
体重が減った。昨日考えすぎたかなあ〜。キロサイト朝晩投与。会社の同僚が見舞いに来てくれて
午後からは楽しい時間を過ごした。(はやく社会復帰したい気持ちになった。)
3月19日 〜 21日(日) 68.0kg
キロサイト朝晩投与。血管はなんとか持ちこたえた。天気の悪い日が続きなんとなくブルーな気持ち。
このまま治療していて、はたして完治するのかという不安がおそってきた。
深く考えても仕方ないから、何も考えないようにして過ごした。
3月22日(月)
身体がだるくなってきて、夜は38度以上も発熱をしてしまった。すごく身体がだるくて、
食欲ももちろんなくなる。下痢ぎみになりダブルパンチっていう感じがした。輸血(赤血球)をした。早く効きすぎた感じ。
3月23日(火)
朝から昨日の発熱の続きで身体がだるく昼寝をした。抗癌剤が効いているみたい。
これでキズものの細胞が死滅(がん細胞)してくれればいいのになあ〜。
3月24日(水)
採血結果では、まだ1000以上白血球があり個室に入れるレベルではなかった。はやく個室に入りたくなってきた。
まわりのメンバーが悪すぎる、じいさんばっかりなのも辛いなあ。
3月25日(木)67.0kg
天気よくなく曇り空。なんとなく身体がだるいが、まだ下がってきてないらしい。まだ大部屋だから。
でもそろそろ個室に入りたいなあ。じいさん連中の部屋はいい加減あきた。
3月26日(金)
ようやく個室へ移動した。うれしい。ラジオがヘッドホンなしで聞ける。輸血になった。
しかし血管がつぶれて差し替えた。いい血管に入ったから輸血も不思議と痛くなかった。桜が咲いてるのが見えた。
枯れていた木々が桜の木だったとは驚きだなあ。
恋するハニカミが面白かった。
3月27日(土)〜28日(日)
ゆっくりした気持ちで過ごした。夜もよく眠れた。
雑誌を読んだり、ラジオやテレビを見て過ごした。砂の器最終回を見て感涙してしまい、のどが痛い。
29日(月)
赤血球、血小板の輸血がある。今日は点滴づけの一日になりそう。のどはまだ痛い。
30日(火)
雨が降ってて1日だるかった。。
31日(水)
うまくいくことを信じたい。
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