死語の世界 2

28頭立て
 私が競馬を知った頃ダービー、オークスのフルゲートは28頭だった。もっと昔は32頭という
時代もあったらしいが映像では見た事が無い。VTRの無いくらい昔の出来事だろう。
 広い府中の直線の真ん中に端から端までゲートが連なり28頭が一斉にスタートするシーン
は見所たっぷりだったが安全性という面で懸念されるようになってきた。そして私が馬券を買い
始める頃には24頭に減らされ単枠指定が無い限り1つの枠に4頭が入るという状況はなくなっ
た。
 そして馬番連勝式の導入に伴い機器の都合でフルゲートは18頭となってしまいかっての三
分の二以下で行われるようになりダービー、オークスの出走権は非常に貴重なものとなってし
まった。
 安全性は高くなったのだろうが騎手の腕はどうなのか。武豊を脅かす存在がペリエ、デザー
モら外国人勢や地方から来た安藤勝己なのをみると非常に甘えた状況に思えるのである。


ふた、とう
 最近聞く事が少なくなってきたのが上記のような数字の言い方である。審判長の決定放送で
も「1着、ふたばん」なんて言い方が主流だったが普通に「にばん」と呼ぶことも増えたようであ
る。もっとも審判長による放送自体審議や失格などの時以外「重重しすぎる」ということで減らさ
れておりその流れかもしれない。
 配当金も「いっせんとびふたじゅうえん(1020円)」とか「ふたまんいっせんふたひゃくとうえん
(21210円)」という呼び方がテレビ、ラジオでも普通だったがJRAの馬番連勝の導入の頃か
ら言われなくなったような気がする。そういえばちょうどその頃から中継番組に素人に毛が生え
た程度の女性アシスタントが出演しオッズや配当金を伝え出したような気がする。
 かっての競馬中継は男ばかりの世界でそれこそ「プロ」の世界だったと思う。のちに競輪や
競艇中継にもこの流れは入り、さらに余計なゲストを招き・・・と何をしたいのかわからない番組
になっていったのである。


変則距離の競走
 かって住之江ではレース前に「第○レース!せんはっぴゃくめーとる、さーんしゅうー」と審判
長によるコールがあった。3周回しかないのになんで毎回3周っていうのかといえば私が競艇
をはじめた頃は優勝戦は4周回だったからである。オートレースでは現在もグレードレースの
優勝戦や準優勝戦では8周回や10周回のレースがあるが競艇も同様だったのである。創成
期には長距離レースというのも行われていたらしいがどちらかといえばアトラクションに近いも
のであろう。
 さて、この変則距離がなぜ消えたのかといえば周回誤認を減らす為に距離を統一した為だと
いう。選手自身が「競艇は3周」という認識を持っていれば周回誤認はないという考え方なのだ
ろうがそれでもたまに見かける。
 競艇の場合最初の1マークで1着はほぼ決まり、2マークで2着もほぼ決まるので何周回って
も同じだという考え方もあろうが3連単の発売で3着までが舟券の対象となりしかも3着をめぐ
るバトルは最終2マークまで繰り広げられることは珍しくない。それを考えたら4周回戦を復活
させてもいいのではなかろうか。競馬、競輪より競艇は3連単の比率が大きいがこれは2連単
では組み合わせが少なすぎオッズにうまみが無いだけでなく多くのファンは最後までわくわくし
たいという気持ちも持っているのではなかろうか。1マークを見て「出来た!」と叫んで払戻窓口
に並ぶ人だけが競艇ファンではあるまい。


ボート
 現在競艇は「競艇」という用語に統一されているがかっては「ボート」「ボートレース」も使われ
ていた。私が持っている各場の舟券によると唐津、福岡、若松、下関、児島、丸亀、尼崎、び
わこ、三国、常滑、津、蒲郡、浜名湖が「ボート」又は「ボートレース」表記で「競艇」より主流に
なっている。大村と江戸川も「ボート」だったような気がする。数年前にルールの統一を進めて
いた頃に用語も統一し、「競艇」「KYOTEI」のみを使用するようになったが最初は「ボート」の
方が馴染みがあっただけに少々違和感があったものである。
 そもそも「モーターボート競走法」に基づいているわけだから「ボート」の方が古い言い方では
ないかと思うのだが「競艇」はいつごろ出てきた言葉なのだろうか。その方が疑問になってき
た。

「ボート」表記のいまだに残る津競艇の無料バス


おつりは出ません
 死語となってよかったものの一つである。最近公営競技をするようになった人には信じられな
いかもしれないがJRAは別として馬券や舟券、車券を購入する際は予め両替所で両替しつり
銭のないようにして発売窓口で購入しなければならなかった。つり銭を出さない商売というのが
どこにあろう。そんな殿様商売を最近まで続けていたのである。
 ついでに言えば両替所も読んで字の如くでおばさんがいて手渡しで両替していたのである。
既に両替機が出回っている時代である。1万円札を出すと輪ゴムで束ねた1000円札10枚
を、1000円札を出すと100円玉10個を出してくれた。
 関東のほうではだいぶ前からつり銭を出すようにしていたらしいが近畿の各場、住之江や尼
崎でつり銭を出すようになったのはせいぜい2年位前からなのである。現在の各地の状況は
わからないが3連単導入を機に自動発売機を入れているところが多く必然的につり銭が出る
ようになったきたようである。21世紀にならないとこんなことも出来なかったのかと思えば情け
ない。

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