死語の世界

単枠指定
 枠番連勝式では一つの枠に複数の馬(選手)が入ることになります。仮に8枠16頭立てとして
として16番が出走取消となった場合8−8の組み合わせは買い戻しとなりますがその他の組
み合わせは買い戻しの対象となりません。さらに17頭立てになると16番が出走取り消したと
しても8枠には15番と17番の2頭が存在することから買い戻しは発生しません。
 仮に16番が人気馬だったらどうなるのか・・・。同枠取消問題と呼ばれたこの問題を解決す
る為の手段として単枠指定と友引がありました。ここではJRAが採用していた単枠指定を。
 極端に人気が予想される馬に対してその枠番には1頭しか入れないようにし出走取消の際
のトラブルを回避しようという方法です。JRAでは「その馬の単勝売上が全体の3割以上を予
想される場合」が目安だと説明していました。必然的に3頭までしか単枠指定は出来ません、と
いうより9頭以上が出走しそのうち3頭の人気馬が3割以上を占めること自体まずあり得ないと
思うのですがこの詭弁を利用して、というより人気馬が取り消して騒ぎになるのを怖がり必要
以上に(重賞のみならず準メインの条件特別戦まで)行っていました。そして昭和63年の有馬
記念ではタマモクロス、オグリキャップ、サッカーボーイの3頭が単枠指定された。JRAの本音
としては4番人気のスーパークリークまで指定したかったところだろうがさすがに自重したよう
だ。結果としてこの4頭が上位を占めている(スーパークリークは3位失格)以上文句は言えな
いか。
 さてこの単枠指定の欠点として枠番抽選の際に最初に単枠指定馬の枠番を抽選するシステ
ムになっており仮に1枠をひいてしまったら最内の1番に、8枠をひくと大外(16頭立てなら16
番)になってしまうという公平さを欠いた枠番決定になってしまうことであった。
 馬番連勝式の登場に伴いこの単枠指定制度は廃止された。馬番連勝式は高配当を期待す
る為に生まれたものではなくこの同枠取消問題を解決する為に生まれた方法なのである。事
実、馬番連勝式導入を検討する際には枠番式を廃止しこの馬番式一本にしようとしていたとい
う。枠番式を併売することになり「同枠取消問題は解決していない」と主張するマスコミもあった
が馬番式が売上の大部分を占めるようになりいつしかそんな声も消えていった。


友引
 地方競馬やオートレースで見られた同枠取消問題解決方法が友引です。(競輪に同様のシ
ステムがあったかどうかは思い出せない。というより競輪で出走直前に取り消す要因は少ない
か)
 複数の馬、選手がいる枠の片方が出走取消となった場合もう一人の馬、選手も強制的に出
走取消となるシステムです。そうすることによりその枠に関する全ての投票券を買い戻すことに
より問題を解決しようとしました。強制的に出走取消となった選手や馬にどういった補償がされ
ていたのかは知りませんが売上や出走頭数の少ない地方競馬、オートレースだから出来たの
でしょう。JRAにこのシステムが無かったのは当時の日本ダービーのフルゲートは28頭でした
ので1つの枠に4頭が入ることもあったからでしょう。ましてや賞金額も高く馬主が納得すると
は思えません。
 とはいえ疑わしいレースも存在します。ある年の大レースで3頭の馬が出走取消となりまし
た。原因はインフルエンザでこの後大流行し開催中止にまで追い込まれるのですがこの3頭の
うち1頭は出走取消した人気馬と同枠に入っていたこともあり賞金を補償するから取り消してく
れ、となったのではと噂になりました。
 この友引も馬番連勝式の発売、一車一枠制の導入に伴い廃止され死語の世界入りとなりま
した。


普通競走
 現在行われている競輪はすべて「先頭固定競走」です。車券の対象外である「先頭誘導員」
が風除けとなって審判の指示によりペースを作っています。(ヘルメットにレシーバーが付けら
れている)ではそれ以外の競走があるのか。その一つが普通競走です。廃止されたわけでは
ないのでしょうが「車番連勝単式を発売する場合普通競争を行わない」という規則がある以上
現在は行えなくなっています。
 では普通競走とはどういうものだったのでしょうか。要は先頭誘導員がおらず出走選手の中
で最も格下の選手(トップ引きと呼ばれた)が風除けを勤め選手自身の判断でペースを作って
いました。競輪創成期はすべてこの形で行われていた模様です。当然ながら周回中風を受け
て走っていた選手に勝負できる脚力は残っておらず今思えば車券を売る方が不思議な感じで
す。かって千葉競輪で2連勝単式で220万円という配当が出たことがあり長らく全公営競技の
最高配当でしたがこれも7人が落車しゴールしたのはトップ引きとその同枠の選手だったという
事情が絡んでいます。(スポーツ版裏町人生 寺山修司 角川文庫より)
 私が競輪を始めた15年ほど前では既に先頭固定競走が殆どでしたが第1レースのB級一
般戦はたいてい普通競走でした。トップ引きをすると手当てが出て5着賞金とほぼ同額の金額
が手に入るということで引退間近のベテラン選手は一期間トップ引きをして辞めていくというの
が通例のようになっていました。平成7年から一部競輪場で車番連勝式の発売が始まりこの
頃からまだ発売していない競輪場でも普通競走は消えていったように思います。


スプリント
 15年程前に行われていた競輪の一つです。6車立ての2周回で行われるレースでした。(打
鐘は残り1周回で行っていた)どういう意味があって行われていたのか全く分かりませんが力
勝負で決まることが多く競輪を始めたばかりの私には当てやすかったことを覚えています。(そ
のかわり配当も安かった)競走得点に加算されないということもあり選手も本気になれなかった
のかもしれずいつのまにか無くなりました。私自身2回しか見たことがありません。(向日町と
甲子園)
 この競走がある日は1日12レース制で単にレース数を増やして売上を増やそうという手段だ
ったのかもしれません。


名前付きモーター
 かってびわこ競艇ではモーターに番号ではなく京都や滋賀の地名がついていた。「祇園」「蒲
生」「瀬田」「四条」など親しみのある名前で無機質な番号と違い特徴があれば覚えやすくなか
なか楽しかった。多摩川競艇でも同様でこちらは施設会社が西武鉄道系の会社ということもあ
り西武鉄道の駅名がつけられさらにJRの駅名もあったという。
 全国発売に伴いわかりやすくするという名目で両場とも他場と同様に番号に変わってしまっ
た。復活することは考えにくいが他の名前を付けるのも楽しそうである。例えば鳥の名前にして
「やっぱりハヤブサは超抜だな」「ツバメは直線は速いけどよう曲がらん」なんて会話が場内で
繰り広げられたら面白いじゃないか。


消えたレースの理由
 名称が消えてしまったレースはたくさんある。理由は「○○(新レース)に発展解消」ということ
が多くこれは正式な文書にも記載される。「地区対抗競艇(現在の笹川賞)」あたりが代表か。
それから何時の間にか知らないうちに・・・なんてのも多い。JRAの「クモハタ記念」や「トキノミ
ノル記念」はいつごろなくなったかなあ。あとは「牝馬東京タイムス杯」みたいに協賛の会社が
協賛しなくなった、倒産したなんてのもありこのあたりになるとちょっと特殊である。夕刊紙は最
近姿を消したものが多く小倉競馬の「フクニチ杯」も今は無い。
 いちばん不名誉な消えかたは「秩父宮妃杯競輪」だろう。悪天候の為日程が順延され缶詰に
なっていた選手が宿舎内で博打をしていたのがバレて皇室の名前を汚してしまったとして賜杯
を返上したのである。

注:「トキノミノル記念」は共同通信杯のサブタイトルとして残っているようです


水の日
 競艇では水曜日は「水の日」として開催できない事になっていた。現在もこの規則があるのか
どうかは知らないがかなり前から実際には水曜日も開催している。どうやら万博(もちろん昭和
45年の大阪万博)の協賛ということで特別に認められそれをだらだらとなし崩しにしてきた模
様である。それでも3年くらい前までSGやG1は火曜日を優勝戦にし水曜日には開催しないよ
うな日程になっていた。そして尼崎と住之江ではこの水の日を最後まで守っており出来る限り
水曜日に重ならない日程で開催し、重なってしまう場合、例えば日曜日から始まる5日開催だ
と日・月・火・木・金と水曜日を飛ばして開催していた。当然この水曜日も選手は宿舎に拘束さ
れ試運転やモーター調整も出来なかったという。宿舎内でどんな過ごし方をしていたのか非常
に気になる。
 ボートピア神戸新開地の竣工で尼崎、住之江両場の日程を出来る限り重ならないように調整
されそれに伴い最後まで残っていた「水の日」も死語の世界入りとなってしまった。


分割レース
 かってJRAでは1日11レースで組まれていました。それでも実際には12レース行われてい
ました。なぜ1レース増えるのか。その謎が分割レースです。
 11レース中特別戦を除くレースにおいて出走可能頭数(フルゲート)を越える登録馬がある
場合、そのレースは2レースに分割して実施できるという規則がありこれを分割レースと呼んで
いました。
 但し前日発売の重賞がある日は行われませんでした。したがってかってのG1レースは第10
レースや第9レースで行われました。
 実際には複数のレースで出走可能頭数を越える登録馬がありますが分割できるのはひとつ
だけで例え10レースで組まれていても2レースで分割は出来ませんでした。おそらく最も頭数
の多いレースが分割されたと思われます。分割に関してJRAでは「コンピュータで公平に」分け
ていると説明していましたが実際には有力馬が固まったレースと有力馬不在のレースになるこ
とも多く人為的な匂いが漂っていたものです。
 関東では分割のない日があったようですが関西では事前に調教師同士で打ち合わせし、特
定のレースに馬を集めわざと分割するようにしていたと言われており分割レースのない日は一
度しか覚えがありません。その日はラジオのアナウンサーが「今日はG1はありませんが11レ
ースです」と繰り返し放送していました。よほど馬がいなかったのか障害レースが分割の対象と
なり1日に2レース障害戦が行われたこともあります。
 前日発売の重賞が増えたこともあり現在は12レースで組まれ分割レースは特定の場合を除
きなくなりました。
 この分割でのもう一つの特徴は分割レースには当日の騎手変更を除き騎手も片方しか乗れ
ませんでした。分割レースが無くなったことにより12レース乗れるようになったのです。


出遅れによるカンパイ
 カンパイとは競馬においてスタートが正常に行われなかった場合再発走することですがこれ
は競馬創世記にイギリス人の審判が「カムバック」と叫んだのをカンパイと聞きまちがえたのが
語源と言われています。昔はスタートラインにロープを張りそれを跳ね上げてスタートしていま
したのでロープをくぐる馬がいたりで何度もカンパイが行われることがあったようですがJRAで
は現在のようなゲート式になってからはゲートが開かないといったよほどの事故がない限り見
られなくなりました。コース上に白い旗を持ってスタートするとコース外に走ってよけていく人が
いますがこの人はカンパイ時に騎手に旗を振って知らせるために存在します。
 しかし地方競馬では最近までたびたびカンパイがありました。地方競馬のゲートが故障しや
すいから、というのではなく大幅に出遅れた馬がいた場合スタートをやり直すことがたびたび見
られたのです。地方競馬はコースが小回りで出遅れが正常なレース運営に大きく左右する、と
いうのが主催者側の理由でしたが本音は単枠指定や友引と同様に人気馬が出遅れた際に騒
ぎ出す輩がいるから、ということでしょう。実際に「何馬身の出遅れの場合カンパイ」といった基
準は見たことがありません。
 数年前にJRAとの交流競走などが進みルールの統一が必要ということで廃止された模様で
す。というよりきちんとした基準で行われていたものなのか疑問ですが。

笠松競馬場にて

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