転職記

はじめに

2000年9月30日で会社を退職.次のことは何も決めず(考えず),ばっさりと辞めた.さっぱりした.

とはいえ,働かないわけにはいかない.と言うことで,転職活動を始めるのだか,甘い予想に反して簡単には次の会社には入れなかったわけだ.

これは,退職してから13ヶ月間の(と言っても前半は遊んでいたので正味半年の),転職活動の記録である.なお,社名と詳しい日付は伏せることにした.

最初の会社に応募するまで

正直に白状すると,遊んでいた.親に食わせてもらいつつ失業保険をもらう優雅な生活だ.自転車に乗ったり,山に登ったり,泳いだり.ウェブも公開した.「空白期間は短い方が良い.決してプラスにはならない」という友人(転職の先輩)からの忠告を聞き流しつつ,三食昼寝付の生活を満喫.

暖かくなってきたし,そろそろ本格的に転職活動をはじめようと思い始めたのは2001年4月下旬のこと.それまでシステム開発を生業としてきたので,今度もその分野での会社を探し始める.

A社

面接まで

職安で求人を見つけて応募.失業保険の認定のついでに求人票の検索だけはしていたのだが,初めての応募である.

応募書類(履歴書と職務経歴書と作文)を先に送ってほしいと言うことだったので送付.後日,人事の方から電話がある.が,電話口でいきなり「何ができるんですか?」は失礼じゃないか.送った履歴書や職務経歴書では私のできることがわからなかったのなら,改善の要ありだが,理由も何もなくいきなりこの言葉はないと思うぞ.

応募書類に指定しておきながら,同封した作文の存在は忘れているし,無礼にも程がある.面接の日時は決めるが,どんな結果になってもこの会社には絶対行かないと決意.

面接(2001年6月上旬)

社長と人事の方の計2名と面接.先日の電話でのやり取りで,この会社の印象は最悪.結果の如何によらず,この会社には行かないつもりで面接に臨む.システムエンジニアを募集していたけど,システム開発のことは良くわからないようで,会話がちぐはぐ.応募書類のひとつだったので提出した作文は,全く読んでいなかったことも判明.

その後

不採用の通知がくる.採用だったとしても行かないけどね.今思い出しても腹が立つ.

B社・C社

面接まで

首都圏の会社の面接を受けるために人材紹介会社に登録し,職務経歴書の書き方等の指導を受ける.その後,転職コンサルタントの方から会社を紹介していただく.両方とも東京の会社なので,東京へ.

B社面接(2001年7月上旬)

そもそも,LANやサーバの構築をやっているこの会社が,システム開発をやりたい私の経歴に興味を示した理由が良くわからない.

まず技術試験.こんなものがあるとは聞いていなかった.電気回路なぞ見せられても全然わからん.

総務の方とリーダクラスの方3名の計4名と面接.適当に話を合わせて面接をこなす.面接自体は楽しかったが,分野違いであることは隠せるものではなかった.

C社面接(2001年7月上旬)

総務の方と部門長クラスの方の計2名と面接.「君のやりたい仕事はすぐにはできない.やりたければやってもいいけど会社のサポートは無理」と断言される.ある意味さっぱりした.私の経歴にも問題あり.「これまで携わってきた業種が多種多様で,特定の業務分野に関しての知識があるとは思えない」と言うことだ.

面接の後,適性試験.

その後

2社とも不採用.面接での話の通り,業務・技術知識共に魅力を感じないということだ.

D社・E社・F社

面接まで

転職コンサルタントの方から「システム開発だけでは求人が少ないので,パッケージ販売にも範囲を広げたらどうですか」という助言を受ける.モノを売るよりはモノを作っていたかったが,紹介をお願いする.

大阪・東京・東京と3社の面接を受ける.

D社面接(2001年8月上旬)

総務の方1名と面接.面接自体は淡々と進んだ.大きな失敗はなかったと思うが,印象に残る話ができたかどうかが不安.

E社面接(2001年8月上旬)

総務の方2名と開発部門の方の計3名と面接.仕事はシステム開発なのだが,基本的にマネジメント.ひとつのプロジェクトは1~3人で1~2ヶ月.マネジメントだけの仕事はやりたくないなあ.

それにしてもだ,面接の最中,しかも私が話している最中に携帯のメールを読み始めるなんて,興味がなくなったからかもしれないが,失礼じゃないか?

面接後,適性試験.適性試験は間仕切りのある打合せコーナで受ける.近くの打合せコーナでは学生アルバイトへの説明をしていた.「様々な求人情報誌に求人広告を出していますが,それは定着率が悪いわけではありません.業務が拡大しているためです」.・・・気になって仕方がない.

F社面接(2001年8月上旬)

総務の方とリーダクラスの方が2名の計3名と面接.質問が厳しい.多分まともに答えられた質問はなかったと思う.

確かに,OracleとSQLServerの技術的な違いがわかるような仕事はしてきてないし,プロジェクト進行の工夫も何も,「スケジュールが遅れるのは残業が足りないからだ」という環境だった.そういう力仕事が嫌になったのも,前の会社を辞めた理由なのだが.まあ,泣き言を言ってもしようがない.

それ以上に根本的なこと「これまでシステム開発をやってきて,今度はパッケージ販売をやってみたいと思った理由は?」という質問に十分答えられなかった.

その後

3社とも不採用.大体理由は同じ.

  • 転職意識(入社意識)が感じられなかった.
  • 適切な仕事が社内にない.
  • パッケージ販売よりシステム開発を希望しているように思えた.

うーむ.さすがに3社連続で落ちると落ち込むぞ.

G社

8月下旬,リクナビから応募.履歴書と職務経歴書を送る.後日,書類選考落ちの連絡がくる.更に落ち込む.

H社

面接まで

転職コンサルタントの方から紹介を受ける.事前に会社の概要を調べようと,ウェブサイトにアクセスするが,エラーとなる.メンテナンス中らしいが,Not Foundになるのは無茶じゃないのか.何かあったのか思った.東京へ.

面接(2001年8月下旬)

総務の方と部門長の方の計2名と面接.私のやりたいことは話せたし,わかってもらえたと思う.後半ちょっとしゃべりすぎたような感じはしたが,これまでの面接の中では中々良い出来だと思う.

その後

不採用.

  • マネージャとしてみると,本人が希望していない.
  • コンサルタントとしてみると,得意な業務分野がない.
  • エンジニアとしてみると,これまでのプロジェクトは小規模で技術的に魅力を感じない.

うーむ.確かにその通り.ぐうの音も出ない.私が認識している弱点がそのままここにある.面接は良くできたと思っていたので,なお一層落ち込む.

I社

面接まで

転職コンサルタントの方から紹介を受ける.東京へ.

一次面接(2001年8月下旬)

東京で面接.部門長クラスの方と面接.結構よくしゃべる方で,主導権を握られてしまった印象.相手の話を聞くのが6割,私が話すのが4割と言う感じ.もっと積極的に話ができればよかったと思う.

後日,一次面接通過の連絡を受ける.転職活動初の一次面接通過.

二次面接(2001年9月上旬)

再度東京へ.人事担当者の方と面接.退職理由等一通りの話をする.内々定と言うことになり,年収の提示を受ける.1週間を目処に諾否の返事をすることにした.

その後

一次面接の時から感じていたのだが,前にいた会社と似た匂いがする.仕事ができるかできないかはとりあえず考えずに仕事を取ってしまう.その後,力技でつじつまを合わせてしまう.せっかく内々定をもらいながら,入社を決心できない最大の理由はそこにあった.昨今の就職事情を考えても,これだけの条件を出してくれる会社はそうはないと思う.

散々迷った結果,辞退を決める.後日連絡.

J社

面接まで

職安で求人を見つけ応募.

面接(2001年9月上旬)

所長と担当者の方の計2名と面接.持参した履歴書と職務経歴書を元に,一通りの質問に答える.採用は山口だが,東京勤務となる可能性が大きいとのこと.

その後

東京で働くのなら,この会社じゃなくても良い.辞退を伝える.

K社

面接まで

リクナビから応募して,履歴書と職務経歴書を送付.その後,メールをもらい,広島で面接と適性検査となる.

面接・適性検査(2001年9月下旬)

総務の方と部門長クラスの方の計2名と面接.退職理由や経歴等一通りの説明をする.

「退職してもうそろそろ一年ですが,その間は何をやっていましたか?」という質問.想定していた質問だ.予定通りの答をする.「退職をする際に次の仕事を決めずに辞めました.それは,前の会社の給料をもらいつつ転職活動を行うという点について,抵抗があったからです.もらった給料分はきちんと働いて,義務を果たすべきだと考えていました.退職後,こちらへ帰ったのですが,職安中心の活動となり想像以上に情報量が少なく,思った以上に時間がかかってしまったという印象です」.

部門長クラスのオヤジがなんだか横柄.自分の価値観を他人に押し付けてくる印象.「こんなにすごいプロジェクトを仕切っているんだ.恐れ入ったか」という変な自尊心が見え見え.私が一担当者として仕切ったプロジェクトと,K社が会社として仕切ったプロジェクトを比較して「こっちの方が規模が大きいんだぞ」と勝ち誇るのは違うんじゃないのか.このオヤジで会社の印象はずいぶん悪くなる.こいつの下では働けない.

「東京への転勤がありますかよろしいですか」という質問がくる.あのおやじの印象も悪いし,東京で働くのならこの会社じゃなくてもいいので「嫌です」と答える.

適性検査はまあ良くあるやつだ.

その後

不採用の通知がくる.そうだろうなあ.

L社

面接まで

リクナビから応募して,履歴書と職務経歴書を送付.その後,電話をもらう.問題点は年収.希望より100万円ほど低い.会社側もその点を問題点と思っているらしく,もらった電話で率直に話をしてくれた.条件の違いを率直に話をしてくれた点は嬉しかったが「この年収で納得してもらえないのなら,面接をやっても時間の無駄だと思います.面接には取締役が出席するのです」と言う一言はいただけないな.求職者よりも自社の取締役のスケジュールのほうが大切か?

年収の問題はあるが,業務内容を聞かせてほしかったので,その旨話をする.面接と言う形ではなく,会社説明という場を作ってくれた.広島へ向う.

会社説明(2001年9月下旬)

部門長の方が説明をしてくれた.感じの良い方であった.会社のことを説明しつつ,私の職務経歴を聞くという形で進む.会社の体制がまだできていない点もきちんと話をしてくれた.仕事の内容はプログラミングが中心.

その後

仕事の内容と年収の隔たり,これは大きな問題.正式な面接は辞退の連絡を入れる.

M社

リクルート就職・転職フェア in 広島で話を聞いた会社.前の会社の社名を聞くと「こちらから改めて連絡いたしますので」と早々に説明を切り上げてしまった.その後,連絡もなかった.前の会社,そんなに評判悪かったんか?

N社

面接まで

リクルート就職・転職フェア in 広島で話を聞いた会社.その後,電話があり広島で面接となる.

面接(2001年10月上旬)

持参した履歴書と職務経歴書を渡し,社長・担当者の方2名の計3名と面接.携帯電話を使ったシステム開発を主力にしたベンチャ企業.就職・転職フェアで業務概要は聞いていたが,社長から改めて説明を受ける.ベンチャ企業の社長らしく,エネルギッシュな方であった.私の経歴を聞くよりも,自分の話をしつづける点になんか違和感をもちつつ,面接は進む.しかも,社内にいる社員が女性二人だけっていうのも気になる.

面接後にその場で内定を戴く.が,翌日O社の二次面接を控えていたので,その旨を説明する.内定諾否は改めて連絡するととする.

その後

新しい仕事をやり始めたN社とオーソドックスなシステム開発の仕事をしているO社.正直かなり悩んだ.結局,O社を選んだのだが,もうちょっと度胸があったらこの会社に行ったかもしれない.

O社

面接まで

職安で求人を見つける.募集年齢の上限を越えていたので,だめかもしれないと思いつつ窓口に問合せ.年齢は目安と言う話なので,応募.

一次面接(2001年9月下旬)

持参した履歴書と職務経歴書を渡し,取締役の方1名と面接.「まず,会社のことを説明を」と言うことで,話を伺う.

10/1で社名が変わる.社名だけじゃなくて,会社の方針も変わる.これまでは,プログラムを安く作る会社だった.これからは設計から手がけ利益の出せる会社にしたい.社内に設計のできる技術者が少ないので増強したい.

職務経歴書を中心に,これまでの仕事の内容や退職理由,やりたい仕事,希望年収等の話をする.どうも,求人票を出して以降,求人内容が変わったようだ.求人票にあった適性検査もなかった.

二次面接(2001年10月上旬)

社長・一次面接をした取締役・現場の責任者2名の4名と面接.これから先やりたい仕事等話をする.

内定と言うことになり,待遇の話を細かく詰める.

最後に

初心を忘れず,妥協を恐れず

何かやりたいことがあって会社を辞めたはずなのに,転職活動を長く続けるとそんな気持ちはどこかへ行ってしまう.年収だとか休日数とかそんなものではなかったはずなのに.

前の会社をスパッと辞めてしまえば,確かに気持ちが良い.会社に隠れて転職活動をするという引け目を感じることもない.しかし,仕事のない状態が半年・1年と続くと焦りが出てくる.いつの間にかそのやりたいことは二の次,とにかく再就職しなければ,と.

いったん会社に入って,改めて別の会社を探すのもやり方のひとつ.転職活動を続けるのもやり方のひとつ.でも,どうしたら良いのかわからないので,今のまま仕事をしないという道はない.

外部の人との交流を密に

前の会社で中の良かった友人,学生時代の友達との連絡はとりつづけよう.就職先を紹介してもらうためではない.第三者の何気ない一言にハッと我に返ることが多々あるし,現にあった.冷静にわが身を振り返る良いきっかけがもらえる.落ちた会社の面接内容でも,メールに書いて送ってみよう.

落ちても落ち込まない

4~5社と面接を落ちる続けると,さすがに落ち込むもの.自分の技術は世間には通用しないのではないかと,どうしようもなく情けなくなる.そんな時は,お気に入りのCDを聞いて一眠りしよう.

自省しよう

今になって思えば,前の会社では少し意固地になっていたかもしれない.辞めて良かったと思っているが,もう少し違うやり方を試してみるべきだったかも.

もし今度の会社でも前の会社と同じことをやると,同じ結果になるだろう.会社の体質が似ているからとかそういうことじゃなくてね.ただただ自分のやり方に固持するだけでは周りは説得できないだろう,ということかな.