8月23日
2024年(金)
腕の痛みが引いたと思ったら,背筋が痛い.何かやった訳ではない.原因が分からずに痛くなり,いつの間にか直るを繰り返している.
2023年(水)
MRJ計画失敗、技術者が「謙虚さに欠けていた」 元社長が激白 破綻の原因はたった1枚の書類.
違うな.日本を代表する会社の社長だったら,こう言わないと.「こんなことをやっているなんて,全く知らなかった」.
2022年(火)
ユリオカ超特Qとの共演はあるのだろうか?9月10日23:30.テレビの前で正座して待つ.
2021年(月)
市長選で白票7012票、知事「大きな意思表示…市長は重く受け止めて」.
「投票したい人がいなかったら,白票を入れよう」そんなことを言っている人達へ.どれだけ白票を入れても選挙結果には何の影響も与えないよ.せいぜい,知事が一言言う位.それがやりたかったことなのかい?
2020年(日)
立川志らく 「江戸しぐさをデマ扱いするバカがいるが存在したかはともかくあったはず」.
- 細い路地で譲り合うと言った思いやりの文化はあったと思う → セーフ
- 思いやりの文化はあったと思うから,それらをまとめた「江戸しぐさ」と言うものが実在したかのように歴史を作り上げよう → アウト
- 「江戸しぐさ」はデマかもしれないが,思いやりの心は大切なんだから,史実として教科書に載せよう → アウト
- 「江戸しぐさ」がデマだと言う人達は,思いやりの心はいらないと言っている身勝手な人達だ → アウト
- 「江戸しぐさ」がデマだと言う人達は,日本人は思いやりのない人達だと言いたい反日だ → アウト
- オレの言ったことに文句を付けるヤツはバカだ.オレは間違ってない → アウト
2019年(金)
立憲民主と国民民主 衆参両院で統一会派結成で合意.小沢一郎や前原誠司とまた一緒にやるつもりなのか.枝野正気か.ついでに党名も「希望の党」にしたらどうだろう.
2018年(木)
台風20号接近.風はおだやかで,雨も降っていないが,電車が動くうちに早めに会社を出る.山陽本線は普段より弱っている.
結局運休することはなかったが,まあ良しとしよう.
2017年(水)
世界最初の被爆都市広島は沈黙することで政府の方針を全面的に支持.ちなみに,今年の平和宣言にはこんな一文があったりする.
特に、若い人たちには、広島を訪れ、非核大使として友情の輪を広げていただきたい。
「非核大使としての友情の輪」は
- 広島に訪れお金を使うこと
- 政府の方針に反しないこと
この二つが大前提ってことだね.「政府の方針に反しないこと」ってのは,「政府の方針に反対して,沖縄みたいに補助金を減らされては困る」ってことだろう.
2016年(火)
オバマ政権が検討している核兵器の先制不使用政策について、安倍晋三首相が反対.
広島市長は「抗議」など具体的な動きには言及してない.抽象的でどうとでも解釈できる「被爆者の思い」なんて表現.政権の機嫌を損ねずに,保身を図ったってことだね.問題が起きてから「被爆者の思いはそんなんじゃない」って後出しで言い出すつもりだろう.
2015年(日)
殺人事件の「被害者」の実名や個人情報が報道されることでどんな社会的メリットがあるのか、本当にさっぱり理解出来ない.警察 or 警察を操作できる権力が,存在しない被害者をでっち上げて,犯人を作り上げることを防ぐことじゃないか.「誰を殺したのかは言わないが,こいつは殺人犯だ」ってことで社会的に人を殺すことができる.殺されるのは犯人とされた人だが.
2014年(土)
氷水は要らない、パトリック・スチュワートが魅せる"正しい"ALSアイスバケツチャレンジ.こう言う考えの転換ってのは格好良い.最後の笑顔が何とも言えず良い.
2013年(金)
はだしのゲンが小中学生に閲覧禁止なら,広島原爆資料館への小中学生の入場も禁止じゃないか.原爆資料館には,はだしのゲンの描写よりもはるかに悲惨で残酷な資料が閲覧できる.
「米軍による原爆投下」が「悲惨さ」ではなく「平和をもたらした」に繋がらないと困る人達がいるってことかね.原爆投下の日に平和記念式典やって,「世界中に原発(核エネルギー)を輸出するんだ」と息巻いている首相を選んだ国だし.
2012年(木)
社宅手続きと派遣事業所登録,サーバのアクセス不可の三つが重なり,どれも終っていない.「やりやすいもの」から手を付けるので,進捗ははかばかしくない.
2011年(火)
気ばっかりあせって仕事が手につかない.やらないといけないことは目の前に山積みなのだが,前に進んでいない.どうにも落着かない.
今日の体重:83.0kg.
2010年(月)
帰りの電車の中で,4人がけのボックスシートにだらしなーく浅ーく座り,半分寝転がったような見苦しい格好で週刊誌を読んでいるオヤジ.スーツについている社章バッジは“ノエビア”.“美と健康の創造”には程遠い.
今日の体重:79.4kg.
2009年(日)
古本屋で本を3冊購入.マンガを2冊,普通の(マンガではなく活字の)本を1冊.レジに持って行ってお金を払おうとすると,店員が1冊を手にとって一言.「これは文芸書で,マンガではありませんがよろしいでしょうか」.質問の意味が良くわからなかったが,マンガを3冊買うつもりで,1冊違う本を間違えて持ってきたと思われたのだろうか.
活字ばっかりの本だってたまには読むよ.
今日の体重:78.8kg.
2008年(土)
結合テストが終ったので,休日出勤してテスト結果を確認.テストケースが7万件もあるので,今週1週間がかりで確認している.テスト漏れ(そもそもやってない)とNGのまま放置を探す.50件ぐらい発見.
今日の体重:78.6kg.
2007年(木)
週末に向けてこれぐらいまでは体重は落ちる.しかし,土日で81kg台に増える.特に食べている量が増えているわけでもなく,体も動かしているのに・・・.
今日の体重:80.4kg.
2006年(水)
会社のファイルサーバを新しくしようとしている.もうすぐリースも切れるし,ディスク容量も厳しい.管理が簡単(らしい)NASにする予定.前任者(7月で退職)はiomegaを候補にしていたので,そのままリースにしようとした.ところが,リース会社とiomegaとの間に取引がなく,リースにしてくれない.
dellのNASになりそう.
今日の体重:83.0kg.
2005年(火)
“駒大苫小牧野球部長、6月と8月に部員に暴力 謹慎処分”.「選手はがんばったのに」という意見に一言.
選手はこの部長の暴力を知らなかったのだろうか.部長は,問題の生徒だけを他の部員の誰にも気づかれずに呼び出して暴力をふるい,その後,被害生徒は何事もなかったかのように部活を続けていて,他の選手は誰も気がつかなかったのだろうか.
つまり,他の部員も部長が暴力を振るっていたことは気づいていたのではないかとわしは思っている.現場に居合わせた部員もいるのではないだろうか.明徳義塾高校が喫煙や暴力で出場を辞退したにもかかわらず,そして自分達の学校でも暴力事件が起きているにもかかわらず,自分達が当事者であるにもかかわらず,口をつぐんでいたわけだ.「同じことをやっているけど,ばれなければ良い」そう考えて「はつらつさわやかな高校球児」を演じていたわけだ.部員の中で,誰一人声を上げる人間はいなかったわけだ.
同情の余地はない.
もし誰も気付いていなかったとしたら,それでも同情はできない.例えば,クラスにいじめがあったとしよう.当事者以外の生徒が「いじめのことは全く気付いていませんでした.だから僕達は悪くありません」と言ったら,納得できるだろうか.「気がつかなかったから悪くない」ではなく「どうして気付くことができなかったのか」を考えないといけないはずだ.
つまり,気付かなかったとしても同情の余地はない.
もし,高野連が暴力行為の有無だけをもって優勝の取り消し云々を議論するのなら,部長と学校の責任のみを追及して,部員の責任を考慮しないのなら,高野連に高校野球という教育を仕切る資格はない.
2004年(月)
福岡から取引先の人が来る.前回の打合せは台風で新幹線が止まり,九州から出ることができなかった.今回は,関門海峡は突破したが厚狭で大雨のため新幹線が止まる.13:30に福岡を出て,徳山に着いたのは16:00.
近所に落雷があったようで,会社の前の交差点の信号が消えている.おまわりさんがやってきて交通整理などやっている.片側2車線の幹線道路の真ん中で交通整理というのは,なかなかスリルがありそうだ.
2003年(土)
日中自転車で街中を走る.暑い.30分ぐらいしか走っていないのだが,汗が吹き出る.ママチャリに乗った中高生に追い抜かれるのは,致し方ない.あの時期はまさに,人馬一体だ.
途中で後ろのギアが切り替わらなくなり,自転車屋へ.ワイヤーを取替えて1500円.
2002年(金)
開所式.東京から親会社の社長が来たり,地元の第二地銀の頭取が来たり盛況なものだ.わしは欠席.仕事もたまっているし,浮かれた経営陣の姿を身のものなんかしらける.
みんなスーツを着ているが,わしだけはポロシャツ.だって欠席だもんねー.
わし一人しかいないので,ちょっとジュースを買いに外へと言うわけにも行かないのが難点だが,静かで仕事もはかどるってもんだ.負け惜しみじゃないぞ.
プロジェクト1週間遅れ.上のほうから理由を聞かれた.設計のできるSE(社員)をくれと言っているにもかかわらず,あんたらが手配したのは協力会社のプログラマだけじゃないか.これでどうにかなるとでも思ったんか.と言う話は,キックオフミーティングの時にも言ったはずだ.おまけに,突発の仕事に対応するため途中からどんどん人が抜かれ,気がついたら経験者が誰もいない.これで現場のせいにされたのではたまったものではない.月曜日に話をすることになる.
2001年(木)
面接を受けに東京へ.15:00から1時間ほど面接を受ける.面接は場数を踏まないとなかなか慣れないものだ.最初の頃に比べてずいぶん肩の力が抜けたと実感する.しかし,肩の力の入り具合と面接の合否には何の関連もなかったりする.
約1年ぶりに秋葉原へ.九十九電気がずいぶん増殖した感じ.時間が遅かったせいもあり,閉店間近の店を駆け足でまわる.