川崎~山口自転車旅行記

ことの始まり

それは,9月いっぱいで会社を辞める決心をしたことから始まったのでした.

次の仕事を決めているわけではない.住んでいる寮からは出ないといけないが,次に住む場所のあてがあるわけでもない.でも,会社は辞める.この無計画な状態から,「とりあえず親のところに帰るか.寝るところと食べるものには困らないし」という(安直な)結論を導き出したわけです.

この時はまだ自転車で帰ろうなどとは思ってもいませんでした.これまでの生活の中で,特に自転車に思い入れがあったわけでもありません.私と自転車との付合いを振返ってみると・・・,

小学校1~2年の頃
仮面ライダー自転車(補助輪付).ブザーがビービーなるのが面白く,鳴らしまくっていたら3日で電池がなくなった.電池がなくなった頃飽きてた.
中学
自転車通学となる.当時流行っていたスーパーカーライト自転車.ライトが動かなくなるまでにそう時間はかからなかった
高校
中学の時の自転車を乗り継ぐ.風雪に耐えた自慢のスーパーカーライトは,照射方向の調整ができなくなり,あさっての方向を照らしていた.ライトを点灯しないと先生に怒られたので,点けるだけは点けて走ってた.
大学
普通免許と一緒に中型二輪の免許を取り,バイクに転向.
社会人
電車に乗り,人並みの通勤形態をとる.一時,会社の先輩から譲ってもらったママチャリに乗り,30分ほどの自転車通勤を楽しむが,勤務地が遠くなり自転車にも乗らなくなる.

人並みだと思います.

8月末に上司に辞意を伝え,親に話すタイミングを図っていた9月初め,母方の祖母が亡くなりました.金曜日に山口に戻り葬式に出席.日曜日,川崎に戻るため新幹線の駅に向かう車の中で,会社を辞めて山口に戻ることを親に伝えました.このときもまだ自転車で帰るつもりはありませんでした.

特にトラブルもなく9月末での退職が決まり,仕事もなく暇な日々を過ごしていた9月中旬,「自転車で帰ろうかな」と思うようになりました.振り返ってみても,こう思うようになった理由はさっぱりわかりません.そういえば,夏に一度バイクで帰ったことはありました.夏の暑さの中16時間走り続け,死にそうになった記憶があります.

9月下旬になると,秋風の中颯爽と自転車をこぐ姿が私の頭の中にちらつき始めました.そして,何度か行ったことのある近所の自転車屋に出向き,自転車を購入したのです.「山口まで走りたいので,自転車をくれ」という私の注文に,自転車屋のおじさんはさして驚きもせず,「マウンテンバイクがいいんじゃないの.丈夫だし,他のに比べてパンクも少ないよ」と冷静な判断を下してくれました.さすがプロです.話を聞くと,そこの自転車屋にくるお客さんの中にも,遠くまで走る人はいるそうです.おじさんはこんなアドバイスをくれました.

  • 1号線を西へ,大阪についたら2号線を西へ向かえば道に迷うことはない
  • 旧東海道が走れるようなら走ったほうが良い
  • 箱根は避けて,熱海か伊東から山を越えたほうが楽

「2週間ぐらいでしょうか」という私の疑問に「大丈夫,大丈夫.10日ぐらいで走れるよ」.おじさんの言葉に気を楽にするのでした.

「山口まで1000km.1日100km走って10日.時速15kmで8時間走って120km.なんとかなる」こんな腹積もりでした.しかし,実際はとんでもないことになったのです.

2000.10.5(前日)

引越しです.前々日から大急ぎでつめたダンボールを,手際よく業者の人たちが運んでいきます.1時間足らずで部屋の中は空っぽになりました.「こんなに広かったんだなあ」感傷に浸りながら,その日は何もなくなった部屋でごろ寝しました.

必要な荷物はリュックに入れ,自転車は自転車屋に預けてあります.ちなみに,荷物はこんなものです.

着替え1日分
コインランドリーで洗濯・乾燥すれば1日分で大丈夫
地図
ツーリングマップル3冊(関東・関西・中国四国)
全国ビジネスホテルガイド
泊まるところを探すためです
その他
洗剤,工具(ドライバー,六角レンチ,パンク修理キット),薬箱,折畳傘等

準備は全て整いました.

2000.10.6(初日・川崎~藤沢)

カーテンのなくなった窓から差し込む直射日光で目を覚ましました.昨晩コンビニで買っておいたパンとジュースで朝食をすませ,出発です.

寮の掃除をしてくれていたおばさんに挨拶をし,自転車屋のおじさんから自転車を受け取りました.まず,会社に寮の鍵を返さなくてはなりません.30分ほどの距離です.リュックの重さが両肩にずっしりと感じます.荷物を欲張りすぎたかもしれません.そんなことを考えつつ,会社に到着.鍵を返却しました.もう帰るところはありません.

ここまで来て自転車の異変に気がつきました.ハンドルについているシフトレバーが左右逆のような感じがします.他の自転車を見てみますが,やはり左右が逆です.付近の自転車屋に持ちこんでみると,やはり左右逆でした.「買った自転車屋に持っていったほうが良いよ」ということだったので,来た道を逆戻りです.

シフトレバーを付け替えてもらい,再出発.すぐ横浜,と思いつつ昼食はまだ川崎で食べていました.

川崎での最後の食事を終え,1号線を小田原に向かいます.バイクに乗っていた頃何度か通った道,アクセルを開け苦もなく上がった坂道です.今日は汗だくになって自転車を押して上がります.すでに自転車に乗って坂道を駆け登る力はなくなってました.日頃の不摂生と,何ら体力作りをしなかったことが悔やまれます.

保土ヶ谷付近で横浜新道(自動車専用)に突き当たり,1号線を見失います.自転車で小田原に向かうには,小田原方向の1号線ではなく,横須賀方向の1号線に入らなければならなかったようです.

線路と街中の案内板を頼りに,住宅街の中をさ迷います.すでに持っている地図では自分の場所がわからなくなっていました.1時間ぐらい迷いつづけ,やっと1号線に復帰.すでに16:00をまわっていました.小田原を目指しつつ,ビジネスホテルに電話です.しかし,どこも満室です.やはり,予約をしておかないとだめなのでしょうか.

あたりが暗くなってきたため,小田原を諦め藤沢で泊まるところを探すことにしました.まず目に付いたビジネスホテルをたずねます.ここも満室でしたが,フロントのおじさんが別のホテルを教えてくれ,そこに泊まることができました.1泊8431円.

リュックの重さで,肩甲骨のあたりがひりひりします.薬箱・折畳傘・工具は宅配便で送ることにしました.ここで,そもそもリュック自体が重いことに気が付き,ちょっと後悔.

走行時間:約4時間.走行距離:約33km.

2000.10.7(2日目・藤沢~熱海)

7:00起床.ホテルをチェックアウトして,近くのマクドナルドで朝食.小田原を目指します.

西湘バイパスと並んで走る太平洋自転車道を走ります.西湘バイパスは何度か走りましたが,隣にこんなものがあるとは全く気がつきませんでした.舗装もしっかりしていて,爽快です.

道に迷うこともなく,昼頃小田原到着.小田原城により,国道1号線から135号線に入ります.箱根を避けて伊豆半島の付け根を越えるため熱海に向かいます.海岸線を走るので,135号線は起伏は少ないだろうと思ったのが大間違い.坂道が多く,自転車を押して上がります.伊豆半島恐るべし.

ひたすら自転車を押して歩くと,バイパスに突き当たりました.自動車専用道のようです.平行して走っていそうな脇道に入ります.途中で石橋山古戦場を見つけました.源頼朝が平家追討の挙兵をした地だそうです.石段を登っていくと塚があり,隣に神社がありました.神社で一休みして,再び自転車を押して坂道を上がります.やっと坂が緩やかになってきました.結局1時間ぐらいは押していたでしょうか.見晴らしのいい場所で湘南の町並みを眺めます.

15:00頃熱海到着.熱海で一泊するか,このまま熱函道路を越えて三島を目指すか迷いながらとりあえず熱海駅に向かいました.熱海駅が見えてきた頃,車道と歩道の段差に前輪を取られて転倒.左眉の上から出血.幸い,降りていた自転車に乗ろうとした時だったため,スピードは出ていませんでした.自分では傷の状態がわからず,そばにいたタクシーの運転手さんの勧めもあり,病院へ.良く見ると,転倒したのは病院の斜め前でした.内出血だけのようですが,左眉の上のほうがかなり膨らんでいます.保険証がないため,治療費7680円は全額自己負担.傷も財布も痛い.

熱海に泊まることにしてホテルを探します.観光地だけあって,立派な旅館ばかりです.道のそばにいた旅館案内のおじさんに,ビジネスホテルを教えてもらいました.一泊5040円.

ビジネスホテルなので温泉はありません.フロントのおばさんが教えてくれた,マリンスパあたみに出かけます.市営の温泉施設で温水プールもあるそうです.目当ては温泉だけなので,90分以内の短時間利用700円で中に入ります.1日使える一般利用だと1300円です.浴槽は二つですが,すいてました.プールには結構人がいるようです.

走行時間:約8時間.走行距離:約57km.

2000.10.8(3日目・熱海~静岡)

6:00起床.夕方暗くなる前に目的地に着けるように,早起きを始めました.普段の生活では考えられない心掛けです.セブンイレブンで朝食を購入し(これは普段の生活通り),7:00に出発しました.熱海から函南へ,いよいよ伊豆半島越えです.

上り坂がきつい!熱海の街を抜ける前に既に自転車を押して歩いてました.やがて建物も少なくなり,山の中を果てしなく続く坂道を登っていきます.まさか10月初旬の山の中で,Tシャツ一枚で汗だくになりながら自転車を押すことになるとは.数メートル進んでは立ち止まり,数メートル進んでは立ち止まるを繰り返します.「このカーブの向こうは下っているに違いない」,いえ,延々登りでした.

へとへとになりながら自転車を押すこと約1時間,やっと下り坂になりました.登りがきつかった分,下りは爽快です.熱函道路は車も少なく,右手にうっすらと富士山を見ながら,自転車はどこまでも走っていくのでした.

三島・沼津を昼頃通過.国道1号線は自動車専用道路になっていました.持っている地図が古く国道の番号が合いません.周りの人に道を尋ね,道路標識を頼りにしながら,旧1号線(らしき道)を走ります.うかつでした.国道の番号が変わることは全く考えていませんでした.地図は新しく買いかえるべきでした.

1号線について混乱したまま富士市へ.富士川で富士山を眺め,静岡を目指します.

15:00頃,荷物をいっぱい自転車に載せたおにーちゃんに出会い,しばらく並走しました.同じように1号線に混乱していました.「なすび」似で,20代前半でしょうか.曲を作るため,バンドのメンバと沖縄を目指しているそうです.先に出発した自分以外のメンバは,すでに三重辺りを走っているとか.彼は清水で一泊するらしいので,途中で別れ静岡へ向かいます.

辺りが薄暗くなってきました.静岡まであと10km.この10kmが遠い.ペダルを踏んでも踏んでも,ミミズが這うようにしか距離が縮まりません.足もケツも痛い.足が痛いのは覚悟していましたが,サドルとの摩擦でお尻に「ケツヅレ」ができました.これが予想外で痛い痛い.

17:00頃,静岡駅到着.今晩の寝床を探さなくてはなりません.大きな街ですし,泊まるところはたくさんありそうです.「全国ビジネスホテルガイド」を調べ,一番近くにある割と大き目のビジネスホテルに飛び込みました.空室あり!一泊7875円.

走行時間:約10時間.走行距離:約85km.これまでの最長距離です.1日100kmも夢じゃない,とこの時は思ってました.

2000.10.9(4日目・静岡)

6:00起床.ところが雨.今日の移動は諦め,フロントでもう一泊をお願いします.ホテルでもらった無料のパンフレットを片手に,雨の静岡市街へ.

さ迷い歩いた後,映画館を見つけました.10:20からのU-571を観賞.感想は・・・,言わないほうが良いでしょう.

昼食を食べようと再び街中を散策します.幸い,雨もやみました.チェーン店やファミレスに入るのは面白くありません.ということで,少し怪しげな雰囲気のするレストランに.中から,フリフリのついた派手な格好をしたおばさんが出てきました.「いらっしゃ~い」.うっ,やばいかも.逃げるわけにもいかず,ハンバーグ定食を注文します.「ハンバーグ定食,作ってね~.お願いね~」,厨房への連絡も独特です.「雨がやんで良かったね~.はい,これ新聞」.・・・やばいかも.

出来合いのハンバーグ(まさかレトルト?),目玉焼き,サラダ,ご飯,味噌汁,缶詰のパイナップル.量はありました.ハンバーグよりもおばさんのほうが良い味出してました.「ありがとね~,また来てね~」.また来ても良いかも,そんなおばさんの変わった店でした.

ゲームセンターを見つけ,ダービーオーナーズクラブ2000.持ち馬「ヤメチャル」は静岡で初の1勝.獲得賞金が1億円を越え,G1出場可能馬となりました.

駿府公園に足を伸ばします.徳川家康が晩年を過ごした駿府城の城跡です.城跡といっても,それらしいのは櫓と門ぐらいで,中は公園でした.

公園の中の生垣は珍しいものではありません.しかし,何やら立て看板が・・・.お茶の生垣はお国柄ということでしょうが,公園のお茶の新芽を摘むとは.恐るべし静岡人.

公園の一角には銅像が.西郷隆盛ではなく,徳川家康です.

静岡を堪能し,ホテルに戻りました.天気予報では明日からしばらくは好天に恵まれそうです.明日は浜松へ.

2000.10.10(5日目・静岡~浜松)

6:00起床.良い天気です.浜松を目指して出発.

途中,旧東海道・宇津ノ谷にある明治9年にできたレンガのトンネルを通ることにしました.案内板もあり,迷うことはありませんでした.明治のトンネルは少し不気味です.灯りはありましたが中は暗く,不思議と漏水はありませんでした.重要有形文化財です.

案内板によると旧東海道が近くを通っているようです.自転車に乗って探しますが,なかなか見つかりません.同じ場所を3往復ぐらいした後,小さい案内板を見つけました.この案内板のまわりを探しますが,道らしきものが見当たりません.「まさか,この山道?」.その通りでした.旧東海道は狭い山道でした.昔の人はこんな道を通っていたのか・・・.この道を自転車で越えるのは諦め,車の走る1号線に戻ります.

ガリガリ君アイスにが妙においしい.60円という低価格も魅力です.コンビニに立ち寄りつつ,大井川を越え,順調に浜松に向かいます.

昼過ぎの麗らかな田園風景の中を走り,掛川の手前にたどり着いた時のことです.道端のコンクリートの出っ張りにペダルを引っ掛け転倒.幸い,右ひじ・右ひざの擦り傷程度ですみ,自転車もキズはつきましたが走行には支障はありません.それにしても,何であんなものにペダルを引っ掛けたりしたのだろう.落ち込みました.道端に腰掛けて少し休憩.

17:00頃浜松到着.2件目のビジネスホテルで空部屋があり1泊.6900円.絆創膏を購入.ケツヅレに貼れば楽になるかも.

走行時間:約10時間.走行距離:約64km.

2000.10.11(6日目・浜松~岡崎)

6:00起床,7:00からホテルで朝食,8:00出発.名古屋を目指しますが,100kmちょっとあるので難しそうです.当初の,1日100km走破という目標は楽観的すぎたと思い始めていました.1日60~70kmのようです.

浜名湖を越えます.この時,はたと気がつきました.私の地理の知識では,浜松の向こうは名古屋で,その次は琵琶湖でがあって京都・大阪です.浜松・名古屋・京都・大阪の間にある街については,位置関係も大きさも全くわかりません.地図があるとはいえ,これは結構不安です.

そのせいでしょうか.寄り道もせずひたすら名古屋方面に進みますが,思ったほど前に進めません.ベダルが重くて,太ももに力が入らず,休む回数が増えていきます.ギアを軽くしても同じ,脚をまわすことができません.少しこいで惰性で進み,少しこいで惰性で進みを繰り返しながら前に進みます.

名古屋のはるか手前,岡崎で一泊.5200円.風呂のない部屋(風呂のある部屋もある)だったので,大浴場に入ります.すいていて,私一人しかいませんでした.でかい風呂は気持ちが良い.

走行時間:約9時間.走行距離:約62km.

2000.10.12(7日目・岡崎~四日市)

6:30起床.少し寝坊しました.7:30からホテルで朝食を取ります.朝食をきちんと食べたほうが良い,そう思うようになり,コンビニやマクドナルドからホテルの朝食に切り替えました.出発時刻が1時間ほど遅くなりますが,朝の7:00から走り始める気力も萎えてました.8:30,名古屋に向けて出発.

桶狭間古戦場の看板を見つけ,寄り道です.史跡を表す石柱が立ってはいますが,中は小さい公園でした.案内図によると,様々な史跡が公園付近に点在しているようです.公園の中には,今川義元最期の地を表す石柱と墓が並んで残っていました.

京都に着いたら織田信長最期の地・本能寺に行こう,桶狭間でそう決めました.

昼は名古屋名物味噌かつ定食.ソースのかわりに辛い味噌のかかった普通のとんかつでした.

今晩名古屋で一泊するのなら,このまま国道1号線を,名古屋ではなく三重方面に向かうなら,国道23号線に移ったほうが良さそうです.名古屋で道に迷うかも,そう考えて名古屋を迂回,23号線で伊勢湾沿いを走ることにしました.

23号線はトラックの往来が激しい道路でした.歩道はありますが幅が狭く,脇を大きなトレーラが通ると吸い込まれそうになります.埋立て問題が出た藤前干潟(あいにく満潮),木曽川・長良川(遠くに見える河口堰)と大河を越え,伊勢湾を半周して四日市にたどり着き,ここで一泊.7623円.朝食840円.

夜,親に電話をいれ,四日市にいると伝えました.答て曰く「広島まで帰ったか」.広島にあるのは五日市・十日市・廿日市.四日市はありません.

走行時間:約8.5時間.走行距離:約61km.

2000.10.13(8日目・四日市~甲西)

6:30起床,7:00ホテルで朝食.これが生活のリズムになりそうです.8:30出発.ケツヅレの痛みが軽くなりました.絆創膏は効果があったようです.しかし,貼っている姿は人に見せられるものではありません.

四日市の隣・鈴鹿を通ります.一度はバイクで来たかった場所ですが,自転車での通過となりました.鈴鹿サーキットの案内板を横目に,先へ進みます.

コンビニで休憩中,目の前に停まっていた佐川急便のトラックに目を奪われました.飛脚ではなく金太郎なのです.すぐに走り去ったため,運転手(セールスドライバーというのかな)に確かめることもできませんでした.由来(金太郎のようにも見えます),この車だけなのか,三重県全域なのか等謎のままです.

田んぼの中に突然のコスモス畑.転作でやっているのでしょうか.この場所でしばらく休憩.

鈴鹿峠を越えます.熱海と違い,登りは緩やかです.だからと言って軽やかに登っていけるわけでもなく,やはり自転車を押しながら歩いてました.やっと下り坂.ところが,下り坂にもかかわらず,こがないと自転車が進みません.自転車を降りて良く見ると,急な登りが緩やかな登りになっただけ,単なる錯覚でした.登りと下りの区別がつかなくなるとは.

「もうすぐ頂上だ.がんばれよ」.工事をしていたおじさんの声に励まされ,やっと鈴鹿峠を越えます.下り坂になりますが,ここ数日来,脚に力が入りません.数回ペダルをこいで惰性で進みつつ,草津を目指します.

草津まで後20km以上残し,夕方(16:00頃)となりました.明るいうちに草津に着くのは無理そうです.持っているビジネスホテルガイドには,この近辺のホテルは出ていません.暗くなっても仕方がない,草津にいかないと,そう思っていた矢先,道のそば,田んぼの中に5階建ての結構大きいビジネスホテルを見つけました.ここに一泊.5500円.朝食700円.

甲西町という所なのですが,近所に餃子の王将の巨大な店舗やパチンコ屋があるかとおもえば,最寄のコインランドリーまでは街灯のない田んぼのあぜ道を通らないといけなかったり,アンバランスなところでした.

走行時間:約8時間.走行距離:約70km.

2000.10.14(9日目・甲西~茨木)

6:30起床,7:00朝食,8:30出発.ホテルのフロントのおじさんの勧めで,国道1号線ではなく旧東海道を行くことにしました.1号線に比べ道幅ははるかに狭く1車線しかありません.しかし,生活道路であるため通る車も少なく,趣もあり走りやすい道路です.「史跡もあって,見て回るところが結構あるよ」とフロントのおじさんは言ってましたが,案内標識が少なく,すぐに1号線に戻ってしまいました.残念.

大津で琵琶湖を望みます.遠くに見えているのが琵琶湖大橋です.それにしても,海じゃないんですよね.これだけの量の真水というのが,どうも違和感があっていけません.

京都到着です.桶狭間で決めた通り,本能寺を探します.持っている地図でも場所はわかったので,すぐに見つかるだろうと思っていました.しかし,それらしきものが見当たりません.付近にお寺はいくつもありますが,本能寺ではありません.自転車を押しながら,鴨川付近をあっちこっちにうろうろしていたその時,目の前ある巨大なビルの名前が「本能寺会館」であることに気がつきました.まさかこれ?塀に囲まれた静寂としたお寺を想像していたのですが・・・.実は,本能寺会館のすぐそばに本能寺自体はあり,石碑も立っていました.なんか面白くないので中には入らず,先に進むことにしました.

国道1号線と171号線の分岐点に来ました.1号線を進めば大阪,171号線を進めば神戸です.1号線沿線のほうが泊まる所はたくさんありそうですが,距離が短い171号線を進むことにしました.その前に,1号線と171号線の分岐点の近くにあった,東寺を写真に収めます.重要文化財の南大門,目を引く五重塔.でかくて,古くて,京都らしかっただけで,何も知りません.

16:00頃,長岡京市に到着.ホテルを探しますがそれらしいものが見当たりません.高槻市まで行ってみることにしました.

18:00頃,高槻市に到着.ここでもホテルらしきものは見当たりません.茨木市まで行くことにしました.

19:00頃,茨木市に到着.駅前にあったビジネスホテルに空室があり一泊.5800円.朝食350円.

走行時間:約9.5時間.走行距離:約72km.

2000.10.15(10日目・茨木~明石)

6:30起床,7:00朝食.350円と言う値段にふさわしい朝食でした.8:30出発,国道171号線を西宮方面に向います.

西宮で171号線から2号線に乗換え神戸を目指します.この辺りになると知った地名が増え,ずいぶん気持ちも楽になります.

と進み始めた矢先,三宮(元町だったかも)で2号線を見失います.繁華街の人ごみの中,自転車を押して歩くことしばし.見つからないので,2号線探索は諦め,山陽本線にそって進むことにしました.線路にそって進めば合流するはず.地図ではそうなっています.上りと下りを間違えなければ,大丈夫なはずです.通り過ぎる電車の色を確かめながら,線路に沿って進みます.・・・2号線にたどり着きました.

楠木正成の墓のある湊川神社の前を通ります.かなり立派な神社だったので素通り.

右手に,義経の鵯越で有名な一の谷が見えてきました.と言っても,単なる崖なのでここも素通り.

目の前に大きなつり橋が見えてきました.明石海峡大橋です.この橋を見ながらふと思いました.しまなみ海道は自転車で通れたはず・・・.

17:00頃,明石到着.一泊6200円.朝食310円.いつものようにコインランドリーで洗濯をしていたところ,ちょっと目を離したすきに洗剤を盗られました.がっでむ.

走行時間:約8.5時間.走行距離:約61km.

2000.10.16(11日目・明石~姫路)

7:00起床,6:30起床のつもりが寝坊.7:15ホテルで朝食,8:30出発.姫路と岡山の間にビジネスホテルらしきものが見当たりません.今日は姫路泊りかも.

昼前,加古川到着.良い天気なので,川岸で一休み.

新幹線の線路の下を走り,14:00頃,姫路到着.とりあえず姫路城へ.

持っている全国ビジネスホテルガイドには姫路から岡山までの間(龍野・相生・赤穂・備前)のホテルは出ていません.電話ボックスを見つけ,タウンページを探してみますが,それらしきものは見当たりません.本屋に入り,観光ガイドを探してみます.赤穂は観光地らしく,旅館の案内は出ています.しかし,予約なしでは泊めてくれないでしょう.

まだ時間は早いですが,今日は姫路までとしました.一泊6930円.姫路から岡山までは少し距離が(80km程度)ありますが,早起きして走ることにします.

まだ時間があるので,姫路駅周辺をうろつきました.ゲームセンターにダービーオーナーズクラブ2000を見つけ,早速お金を投入.雨の静岡以来の勝負です.結果,持ち馬「ヤメチャル」は20戦1勝,獲得賞金1億4750万円で引退しました.その子供「サガシチョル」に活躍を期待します.ヤメチャルは逃げ馬だったので,サガシチョルは差し馬に育てることにしました.サガシチョルは4戦目で2位に入り,期待できそうです.

走行時間:約5.5時間.走行距離:約34km.

2000.10.17(12日目・姫路~岡山)

5:30起床.岡山まで距離(80kmぐらい)があるので早起きです.しかも,天気予報によると日中は曇り,夜から雨.出発を急いだほうが良さそうです.6:00出発.

相生で国道2号線から国道250号線に移ります.海沿いを走る250号線のほうが上下が少ないだろうと考えました.

その読みは外れ,赤穂の手前で道は上り坂となりました.天気予報も外れ,小雨が降り始めました.空は明るいので,本降りにはならないと思い,赤穂を目指します.ふと道路脇を見ると,真っ白いきのこが.辺りを見まわすと,他にも何本もきのこが生えています.取って食べるわけにもいかず,赤穂への道を急ぎます.

10:00.雨はやみそうにありません.赤穂をいったん通りすぎましたが,赤穂で雨がやむのを待ち,やまないようだったら泊る場所を探したほうが良いかもしれない,そう思い始めました.赤穂へ引き返します.播州赤穂駅手前まで戻った頃,雨が小降りになってきました.やみそうだ,そう思い,向きを岡山方面に変えます.しばらく進みますが,雨はやみません.再度赤穂へ向きを変え,来た道を引き返します.・・・雨が小降りになった感じがします.自転車を止め,空を見上げてしばし考えます.もう一度向きを岡山方面に変え,もう引き返さないことを心に誓います.

赤穂の隣,日生まで来た頃,雨はさらにひどくなりました.このまま行けるところまで行こう,途中ホテルがあったらそこでやめよう,そう決心して進んでいるうちに雨はやみ,薄日がさし始めました.このまま天候が回復すれば,岡山まで行けそうです.

海沿いの道路を走り備前に到着.250号線から2号線に戻ります.後は2号線をひたすら進むだけです.

16:00,岡山到着.思ったより早く着きました.一泊6020円,朝食700円.夜は再び雨になりました.

走行時間:約10時間.走行距離:約96km.

2000.10.18(13日目・岡山~尾道)

6:30起床.夜降っていた雨は朝にはやんでいました.7:00ホテルで朝食,8:00出発.

地図を関西版から中四国版へ変えます.関西版は1/140,000でしたが,中四国版は1/120,000.国道だけでなく県道の番号も載っている優れものです.早速バイパスになっている国道2号線を避け,県道162号線を倉敷へ向います.

10:00頃,倉敷通過.国道2号線に乗り福山を目指します.

国道2号線が再びバイバスとなっていました.それを避け,県道60号線を走ろうとして道に迷いました.県道は標識が少ない上,数が多く入組んでいて,いったん迷うとなかなか抜け出せません.自分のいる場所がわからなくなると,地図は何の役にも立ちません.線路と川を目安にとにかく西へ向います.例え日本海に抜けたとしても,西へ向えば間違いはありません.鴨方付近で2号線を見つけ,一安心.

15:00頃,福山到着.駅の反対側を通ったので,見なれた福山城は見えません.速度を落とし,広い歩道の上をとろとろと進みます.

思えば,この街にやってきたことで,それからの10年間が決まってしまったわけです.当時,福山は九州にあると思ってました.回想しつつ,素通り.

16:00頃,尾道まで後10km.毎日のことではありますが,後10kmが遠い.17:00頃,尾道到着.一泊6350円.朝食850円.

明日はしまなみ海道を渡ります.近くの本屋に出かけ,観光ガイドを立読み.

走行時間:約9時間.走行距離:約66km.

2000.10.19(14日目・尾道~今治)

6:30起床,7:00ホテルで朝食.8:00出発.まず尾道渡船で向島へ渡りました.運賃110円です.船着場のそばの案内板によると,島内を走るサイクリングコースがあるようです.それにそって,向島を縦断です.サイクリングコースと言っても,普通の歩道に案内がついているだけでした.

因島大橋を渡ります.自動車の出入り口からは少し離れたところから坂を登り,通行料金50円を料金箱に入れます.係員の人はいませんが,防犯カメラ作動中です.そして,橋の上へ.

数分で因島へ到着です.橋を降りてすぐ,海を眺める恐竜がいました.まわりに何かがあるわけでもなく,正体不明です.それまでの環境に過度に適応し,巨大になりすぎたゆえ,新しい環境への変化に耐えられず滅んでしまった・・・一体どっちが恐竜なのでしょう.

サイクリングコースの案内にそって,因島を横断します.しまなみ海道は橋なんだから楽に通れるはず,事前のこんな思惑はものの見事に外れました.確かに,橋の上は平坦ですが,しまなみ海道は橋だけではなく島もあり,島には山もあれば谷もありました.海岸沿いを走らず横断しようとしたため,坂を押しながら上ることになりました.

生口橋を渡ります.歩道に出るため,再び自転車を押して坂を登り,通行料金50円を料金箱に入れます.因島大橋と違い,開放的な歩道でした.橋の上り口で休んでいた二人連れのおじさん−バリバリのロードレーサタイプの自転車とぴちっとしたレーシングスーツを着込んでいました−が軽い挨拶をして追い抜いていきました.

生口島にもサイクリングコースはありましたが,多々羅大橋に向うには遠回りです.と言うことで,サイクリングコースとは逆方向に走ります.島なので,海沿いに走れば道に迷うことはありません.

多々羅大橋が見えてきました.一つ前に渡った生口橋と良く似ているので,知らない間に島を一周してしまったかと驚きましたが,違う橋でした.再び自転車を押して坂道を登り,通行料金100円を料金箱に入れ,歩道に到着です.橋の上を進んでいると,生口橋で追抜いた二人連れのおじさんが,再び追抜いていきました.おじさんたちはサイクリングコースに沿って,生口島を遠回りしたようです.

大三島に上陸.県が広島から愛媛に変わります.いよいよ四国までやってきました.大三島橋を目指します.大三島橋への道は山道で,工事の多い道路でした.

大三島橋はしまなみ海道の他の橋とは少し趣の違うがっしりとした橋でした.通行料金50円を料金箱に入れ歩道を走ります.しまなみ海道の中で一番最初にできた橋なので,他の橋に比べて少しくたびれてました.

伯方島の西をかすめ,次の伯方・大島大橋を渡ります.通行料金100円を料金箱に入れ歩道へ.橋のすぐ下に島があり,茂る樹木を下に見て走ります.

しまなみ海道最後の島・大島です.海を左手に見ながら島を半周です.途中,村上水軍の本拠地・能島がありました.周囲数十メートルぐらいのびっくりするぐらい小さい島でした.

いよいよしまなみ海道最後の橋来島海峡大橋です.これまでの橋とは違い,ジェットコースターのような狭い通路を登り,歩道に出ます.かなり怖いです.橋の中間に料金所がありました.ここには係員がいて料金を徴収していました.大島から中間の馬島までが100円,馬島から今治までが100円,要するに200円です.

前のほうには,ママチャリに乗ったおじさん(地元の人?)と,レンタルサイクルに乗りカメラを持ったおにーちゃんが並んで走っています.反対側からは,走っている人たちがやってきます.案外日常的な橋のようです.

所々に休憩所があり,そこにはしまなみ海道の紹介がありました.かかっている橋や通っている島の紹介に混じって,「中国・四国双方に大きな経済効果があります」と言う旨の自画自賛の言葉が踊っていました.それほど自動車が走っているようでもなく,閑散としていましたが・・・.

来島海峡大橋の上から島々を眺めます.見なれた瀬戸内海の風景がそこにはありました.

しまなみ海道の各橋にはスタンプがあります.自転車か歩いて渡った時には,必ずもらっておきましょう.フェリーで渡った尾道大橋,取り損ねた因島大橋,伯方・大島大橋はありません.

17:00頃,今治到着.駅前のホテルに一泊.5400円.朝食730円.

走行時間:約9時間.走行距離:約68km.

2000.10.20(15日目・今治)

6:30起床.雨でした.天気予報大当たりです.7:00ホテルで朝食.その際フロントでもう1泊を依頼しました.

まず今治駅へ行き,観光案内地図を手に入れます.歩いて行けそうなのは今治城ぐらいです.堀に海水を引きこんだ城だとか.しばらく歩くと今治城が見えてきました.本丸から天守閣を見上げます.天守閣の中を一通り見てまわります.平日の午前中,しかも雨なので,人はまばらです.

櫓に今治出身の美術家の展示館がありました.今治出身の芸術家に知合いはいませんが,天守閣の入場券で観覧できる,言いかえれば天守閣の入場料金に含まれているので,見ないわけにはいきません.見ていたのが私一人だったためか,係員のおじさんがめぼしい作品を紹介してくれました.一通り観て歩いた後,そのおじさんと今治の芸術家の話や地場産業のタオル業の話,今治の景気や就職状況などしばし歓談.

今治城を見た後,行くところがなくなりました.商店街を歩いてみます.ゲームセンターはありましたが,ダービーオーナーズクラブがありません.本屋で時間を潰します.

17:00,ホテルに戻ります.

2000.10.21(最終日・今治~山口)

6:00起床,7:00出発.いよいよ最後の1日となりました.松山まで走り,松山港からフェリーです.

昨夜のニュースによると,今治港に咸臨丸(復元)が寄港しているそうです.今治港周辺をうろうろしますが,それらしき船は見当たりません.

咸臨丸はあきらめ,国道196号線を松山へ走ります.山越えの国道317号線もありますが,少し遠回りでも上下が少なそうな海沿いを走ります.この予想が外れることもしばしばですが.

幸い,196号線は海岸沿いの平坦な道路でした.良い天気で海がきれいです.所々で,海岸のすぐそばに停泊している巨大なタンカーやフェリーの姿を見かけます.なんとも不思議な感じがします.

道に迷うこともなく13:00松山港到着.思ったより早く着きました.切符(2350円+自転車280円)を買い,待合室で,少しそわそわしながらフェリーを待ちます.

13:20フェリー接岸.汚れたオフロードバイクに乗ったおにーちゃん,多分旅をしているのでしょう,に続いてフェリーに乗りこみます.

13:30出港.2時間30分後,旅は終わりました.

走行時間:約6時間.走行距離:約46.5km.

その後

川崎から一緒に走ってきた自転車は,日常の足として今でも一緒に走っています.しかし,私のお腹には少し肉がついたようです.