主題講演者紹介
川原 啓美 氏(かわはらひろみ)
JCMAの会員の皆さまに改めてご紹介する必要はないかと思いますが、今回名古屋で開催する総会での主題講演をお引き受け下さいましたので、ご紹介させていただきます。
1928年、長野市にて出生。戦争中にもキリスト者として学び、22歳の時に受洗されています。最近聞いた話で、この戦争中に右か左の防空壕に待避するときに、選んだ方は被爆せず、反対の方は被爆して友人の方も含めて多くの方が亡くなられた経験をきっかけとして、信仰を確信されるようになったとのことです。
名古屋大学医学部に在学中に、キリスト者医科連盟の第1回の集まりに参加され、日野原重明さんや佐藤智さんとの交わりを始めておられます。当時の大きな問題であった肺結核の治療に専念することから、1959年、米国ニューヨーク州アルバニー医科大学胸部外科で研修されています。
アジアに対しての思いも強く、1976年、日本キリスト教海外医療協力会より短期医療協力のためネパール王国に派遣されました。その時の経験は大きく、1980年、アジアの人々の健康の推進を目指したアジア保健研修所の設立につながっています。同時にこの組織を支える者として1981年、愛知国際病院を設立され、その後は高齢者の健康のため1992年、老人保健施設愛泉館を設立、また在宅医療を進める中、1999年愛知初のホスピスを開設し現在に至っています。現在も老人保健施設愛泉館施設長として働かれています。
1983年には、「神いやし 我ら仕える」という主題のもとに第35回総会会長として働かれ、このJCMAの名古屋での働きを支えてくださっています。今回、「貧しい者は幸いである」の主題を思うとき、いつもアジアの人々のことを考えあゆんでこられたこと、また病んだ方とともに、また最近は高齢者の方と共にあゆまれていること、また長く闘病生活をされた伴侶である川原暁子さんとのあゆみなどを通してわたしたちが教えられたことは多くあります。そのような川原さんのあゆみを知るものとしてこの総会の主題講演をお願いいたしました。(太田信吉)
<主著>
『アジアと共に』(キリスト新聞社)
『私たちのホスピスを作った』(日本評論社)
『ひとすじの道』(ライフ企画)
《主題発題》
貧しい人々を通して知る自分の貧しさ
名古屋堀川伝道所牧師・愛実の会理事長 島しづ子
昔、教会で「よきサマリア人」のように、困っている人を助けること教えられました。また、マタイ福音書25章31節以下の『お前たちは、わたしが飢えていた時に食べさせ、のどが渇いていた時に飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ。』の言葉に従って、苦しんでいる人を見過ごしてはいけないと考えてきました。そこには自分自身が問題を抱えて、助けを必要としている人間であるという意識は薄かったように思います。
障がいを持つ娘と歩んだことから、ラルシュ・ホームの創立者ジャン・バニエさんに出会いました。ジャン・バニエは軍人、哲学の教師を経て、知的障がい者に出会いました。1964年に、それまで病院に閉じ込められていたラファエルとフィリップを迎えて共に住み、共に生きる中で、真実を発見して行きました。そこはラルシュ・ホームと名付けられ、今、全世界にラルシュ・ホームは広まり120余となっています。1987年にお会いした時、彼は言いました。「この人たちに耳を傾けたら、世界は平和になる」と。それまで、知的障がい者である娘や娘の友人達を見ていて、「知恵って何だろう、彼らは知的作業は苦手だけれど、周囲の雰囲気、こちらの内面まで声の調子でわかっている。こちらの方こそ、目に見えるもので左右され、言葉でごまかし、ごまかされ、知恵が無いではないか」と、思ったものでした。しかし、バニエさんが言うほど、彼らの声が世界を平和に導くとも思えませんでした。それでも20年前、重度の障がいを持つ娘を前に「どうやって生きていけばいいのだろう」と途方にくれていた私にとって、バニエさんの言う、「障がいを持つ彼らは助けを必要とするばかりでなく、私たちを助けてくれる存在なのだ。」という言葉は、希望を与えてくれました。通う場所の無い重度の障がいを持つ子どもたちのために、デイサービスを始めようとしたとき、バニエさんの言うその言葉に賭けてみようと思いました。その言葉には、娘たちの尊厳を認め、彼らの存在を肯定的に受け止める響きがあったからです。
暴力的な世界
生き難い日々を重ねている彼らと歩んで、気づかされたことの一つは、この世界の暴力性です。弱いものにシワ寄せし、八つ当たりし、弱いものを踏みにじるこの世界の仕組みです。平等で誰もが大切に扱われる時はいつ来るのでしょうか。彼らも私たちも楽に息ができて、心穏やかに生きられるために。
私たちが弱者に癒され、導かれる一方、彼らの傍に居つづけて自分の無力感と怒りに戸惑います。ジャン・バニエは1994年に書いた<あなたは輝いている 一麦出版社>の中で「しかし、貧しい人を理想化すべきではない。貧しい人の内には、多くの傷、失意、怒りがあります。・・・彼らの欲求はあまりにも大きすぎて、必ずしも期待に答えることができず、怒りが爆発することもあるのです。」(255ページ)と記しています。私や心やさしい筈の援助者達は、弱い立場の人の傍に居つづけて、自分の暴力性に呆然としています。反撃できない彼らに腹を立て、踏みにじってしまう自分を発見することは見たくないことです。しかし、認めざるを得ません。詮方なくなって神に叫び、自分もまた助けを必要としている弱い存在であることに気がつきました。無防備な弱い立場の人に導かれて、自分の弱さ、貧しさに出会わされてきました。鎧を着て、自分を立派に見せようとして無理をしてきた自分から解放されてきました。イエスが語った「貧しい人は幸いである、」は「貧しい人のために何かするあなたは幸い」ではなく、「この貧しい自分が幸いである」と味わうようになりました。
違いを生きる
弱い立場の人と一緒に生きることを選択した、友人や同僚との間にも葛藤があります。志は一緒でも、価値観、行動の仕方、倫理観が大きく或は微妙に違います。これは争いの元にもなりますが、苦しみと共に私たちを成長させ、豊かさにしてくれています。違う価値観、違うやり方の人と如何に一緒に歩むのかという工夫や話し合いは忍耐の連続です。その結果、自分のやり方の相対性に気づきました。世界は今どこの部門でもこの相対性、多様性に聴きながら、自分を絶対化せずに歩むことが平和への道の模索に繋がると思います。ラルシュ・ホームの歩みは、ハンデイを抱える人を援助することから始まりました。その歩みを通して、すべての人に共通する願い「ひとつになる交わり、友になる」ことが大事であることを発見しました。
カトリック教徒のジャン・バニエがプロテスタントの私たちに対して「お互いの伝統を大切にしながら、尊重しあいましょう。」と語ったことがあります。違った存在、違った思想、違った国の形を生きる他者に対して、耳を傾けること、互いに話し合うこと。そこからこそ、平和な歩みは始まるのではないでしょうか。価値観の違うイエスがこの世に来られて、私たちの傍に留まって下さった、この神秘に希望を与えられて歩みたいものです。
島しづ子さんプロフィール
キリスト者医科連盟総会では島しづ子さんを改めてご紹介する必要はないくらいです。名古屋部会ではことあるごとにご協力を頂いています。特に1993年の第45回総会では、百日咳脳炎により重症心身障害児となられた長女陽子さんと共に参加下さり、参加者は陽子さんの生きる力に励まされたのでした。2001年の第53回総会では、2回の早天礼拝と聖日礼拝の3回のメッセージを頂きました。ですから、名古屋部会ではいつも何かあると協力を依頼し、お忙しい中にお引き受けいただいていました。今回は、長野での総会の企画の中でラルシュ・ホームのことを取り上げたときその中心的役割をお願いする予定でした。それが名古屋部会と信州部会との合同ということになり、また名古屋での総会でお働き頂くことになりました。
障がい者が地域で暮らして行くことを考え、NPO愛実の会理事長、みどりファミリーの代表者として共にケアにあたられています。フランス・トロリー村のラルシュ・ホームに何度も行かれておられ、またこの3月23日から26日までのキ医連を対象としたジャン・バニエさんのリトリートにもご参加下さり、色々な教えを頂くと共に、様々な楽しい島さんの人間性も知ることができました。また、夫と娘さんを病で天に召された中でも、医療者に対しては、いつも「お疲れでしょうに」とやさしく、思いやりを持って接して頂いています。現在も、名古屋堀川伝道所牧師としてのお働きも続けておられ、他にも女性差別問題、平和の問題に深く関わられ、カトリックの研修会にも呼ばれる数少ない牧師の一人です。今回も、キ医連名古屋部会の顔として、主題発題だけでなく、総会を通して全体にかかわっていただいており心から感謝しています。(太田信吉)