10時ちょうど、鹿児島空港着。ターミナルの端っこから端っこまで歩いて、屋久島行きの搭乗口に着くと、数人が待っていた。ふと、周囲に『ひかりのあめふるしま屋久島』(1/25のブログ参照)を持っている人を探した。本を読んでいる人はいたが、そのものを読んでいる人は見当たらなかった。
当初、機内の最終確認に時間を要しているとアナウンスされていたが、予定通り10時半、屋久島行きのJACは鹿児島空港を離陸。今回乗ったのは64人乗りの飛行機だが、搭乗していたのはわずかに4割程度。私の隣は誰も来なかった。拍子抜けするくらいに空席がかなり目立つ機内であった。人気の高い“世界遺産”の屋久島といえども、1月はさすがにオフシーズンということなのか。
屋久島までは30分ほど。薩摩半島を右に見ながら飛んで行き、やがて左手に種子島、それから間もなく右手に屋久島を見る格好になる。上の写真は、屋久島の北部にある中心地・宮之浦(みやのうら)あたりである。黒い刃物のように見えるのはプロペラ。ちょうど、プロペラ脇の席だったのだ。
11時、屋久島空港着。外は“厳寒”って感じではないが、本土でもごく普通に体験する寒さである。標高の低いところは亜熱帯の植物が見られるという屋久島だが、あくまで「亜熱帯の植物が見られる」ってだけで、「実際に亜熱帯ではない」ようだ。
空の玄関口は、島が世界遺産になっても、5年前と変わらずこじんまりしている。いや、世界遺産になってヘンに人に多く来られて“観光肥大化”して、島の本来の在り方が失われるよりは、この程度のほうがバランスを保てて、案外いいのかもしれない。
レンタカーを予約しているオリックスレンタカーのおじさんが、私の名前のみ書かれたボードを持ってロビーの出口で待っていたので、声をかける。パッと見た限り、どこの会社も迎えるお客は1人のようだった。電話をすれば迎えに来るとかメールには書いてあったが、特に何もしなくても迎えに来てくれて助かった。
というのは、「空港から1分」ということで、誰もいなければ自力で行こうと思ってはいたのだが、なになに結構距離があったではないか。うーん、「空港から1分」とは「すっ飛ばして1分」ってことだったのか。
翌日の午前11時半の飛行機で帰るので、車はそれまでの24時間利用となる。ホントはもう少し高いのだろうが、今回宿泊する「鶴屋」という宿とのタイアップキャンペーンで6825円と安くついた。旅の相棒となるのは三菱「コルト」。残念ながら、カーオーディオはCDしかついていなかったが、地図(ラミネート加工。要返却)とカーナビは完備されていたので、「嵩張るから余計なガイドブック類は持っていかない」という作戦は、まずは成功だったと思う。
行く場所はすでに決めていた。白谷雲水峡(しらたに・うんすいきょう。以下「白谷」とする)だ。ジブリ映画「もののけ姫」に出てくる森のモデルとなった鬱蒼と苔生した景色があるところだ。もっとも、そこまではけもの道をかなり潜り抜けていかなくてはならず、よって重装備でもしていかないと行けない。そこまでするつもりはないが、車で白谷まで行くには、入口の宮之浦から山道をトコトコと時間をかけて上がっていかなくてはいけない。行きづらい場所から先に行くのが、私流の短い旅の鉄則だ。ドライブはまず、島の1周道路を東に位置する空港から北の宮之浦へとコルトを走らせることで始まった。
とはいえ、時間は11時を過ぎている。朝5時に朝食を取ったので空腹である。腹が減っては戦はできぬ(?)ってなわけで、白谷に行く前にどっかで飯を食いたい。宿で出る夕食は、どうやら地元食材を使ったラインナップというから、おそらく和食であろう。はて、何を食するか……。
そんな中、道中で見つけて思わず入ってしまったのが、1/26のブログでも紹介した宮之浦近くの「ピザ・ラ・モナ」だ。左上の写真のように「お弁当」とあったので、あるいは何かお弁当でも買おうと思って入ったのだが、弁当はどうやら朝早く山登りする人たち用で、昼間はピザ専門店になっているようだ。中にいたのはおじいちゃん1人。風体が飄々とした感じでどこか“やる気なし男”っぽく見えたが、注文すると「ハイ!」と元気よく答えて下さり、きびきびと厨房に向かっていった。持ち帰りもできるようだが、そばに2〜3人掛けのイスがあって、誰もいなかったので店内で食べることにした。
注文した980円の「スペシャルピザ」は、20分ほどして出てきた。無論、1からのおじいちゃん手作りであろうが、冷静に見ると「これがスペシャル?」と思ってしまった。具材のラインナップも量も至って普通。決して不味くはないけれども、何と言うか素人が作った域を出ないのだ。「おじいちゃんが作ったんだ。えらいね〜」っていう域止まりなのだ。もっとシンプルそうなピザが安価であったようだが、そっちだとさらに……ま、夕食に期待しよう。さあ、これで白谷へ準備満タンだ。
思えば、5年前に初めて来たときも、最初は白谷だった。上記『ひかりの〜』で、筆者が初めて屋久島にやって来たとき、地元の人におすすめの場所を聞いたら、返ってきた答えは有名な杉の名前ではなくて、「これぞ屋久島の苔の森!」と評した白谷だったというエピソードがある。それに従って、地元の人とともにかなり奥のほうまで入り込んだようだが、出会った美しい森の数々は、予想をいい意味で裏切って、著者の心に大きな感動をもたらした。以降、著者も初めての人にはまず白谷を勧めるようになった――。
いわば、前回は私もこれに乗っかったわけなのだが、なるほど、私にとっても期待は裏切らなかった。入口からごく近いエリアの散策にとどまったのだが、杉はたくさんあった。たしかに有名な杉ではないかもしれないが、それでも屋久島らしい美しい森を十分堪能できたという感覚を持てた。今回時間があれば、前回行き損なった「有名な杉のあるエリア」も行こうとは思っているが、優先度はそれほど高くない。あくまでメインは白谷雲水峡なのだ。
宮之浦より1周道路と一旦別れて進路を南に取り、山深いカーブだらけの坂道をどんどん上っていく。一瞬心配したのは雪だ。屋久島は山頂付近では亜寒帯の気候が見られる。亜寒帯というと北海道のそれだ。無論、白谷から山頂までまだまだ標高の差は大きいだろうが、空港など海沿いの標高の低い場所でも、すっかり本土の冬の寒さである。ってことは、標高がそれなりに上がる白谷付近では、万が一雪の可能性もあり、路面が危ないんじゃないかと心配したのだ。実際、宮之浦の入口の電光掲示板には「凍結注意」の文字もあったのだが、幸い細かい雨がぱらつく程度で、路面こそ濡れてはいたが、昼時ということもあろうか、さすがに凍るほどではなかった。
5年前は、舗装こそされていたとはいえ、車1台程度の幅の道がほとんどだったと記憶しているが、今回は片道1車線のところが大幅に増えていたと思う。上の写真のように、新たに立派に橋を作るべく、はたまた道路を拡張すべく、工事中のところも結構あったが、大分すんなり行けたような気がする。
こんな感じで、宮之浦を見下ろす好眺望を楽しめる余裕もあった。余裕がてら写真に収めてみた。多分に道路事情によるところも大きいだろうが、個人的にはもう一つある。
それは、微々たるものであろうが、私のドラテクが上がったことである。実は、5年前も屋久島内をドライブしたのだが、私が沖縄奄美を始め都内でもドライブをするきっかけを作ったドライブだったのだ。それまで“ペーパーゴールド免許”だった私。初めての屋久島旅行も、当初は観光バスで周遊する予定だったのだ。ところが、バスの時刻が行き帰りの飛行機に上手く合わなかった。路線バスもあるにはあるが、とても乗り継ぎには役に立たない程度の本数しかない。
致し方なく、私はレンタカーを借りることにしたのだ。あのときは「屋久島空港レンタカー」って会社だった。事情はどうあれ、免許があれば借りられるのだ。2000年1月に福島県いわき市内の平坦な場所でちょこっと運転して以来、2年10カ月ハンドルを触っていなかった。その前も、1992年6月の免許取得以降、両手で数えられる程度しかハンドルを握っていなかった私が、よりにもよって久々の運転で、車1台分の幅しかないカーブだらけの山道にトライしたのだ。対向車にも何度か出会い、慣れないバックや幅寄せもした。相当慎重なハンドル&ペダル捌きをしたような記憶があるが、それでもそこは自己責任。誰かの言葉を借りれば「やるしかないねん」の気持ちで、何とか山道を上り下りできたのだ。とても大きい収穫だった。
そんな大きい収穫のドライブから5年。自信を持つまでには至らないが、山道もクランクも車庫入れも“ヒヤリハット”も、多少経験を積んだと思う。そのおかげか、難なく白谷に辿り着けた気がする。さあ、マイナスイオンの森は、もうすぐそこだ。(第2回につづく)
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