Maggie's J‐POP論
その32 私をコンサートに連れてってQ
 ―SUGIYAMA,KIYOTAKA Live Tour 2009 STEP BY STEP
 2009.2.14@中野サンプラザ―
  
 
名前には何度となく、「その逆バージョン」も含めて聞いたことがある中野サンプラザに、今回初めて足を踏み入れました。残念ながら、今回ホール内を撮影できなかったんですが(まあ、撮影禁止なんで「残念」も何もホントはないんですが)、ちょっと豪華な“市民会館”のホールで、ステージの中央に、フツーに楽器が置いてあるって感じでしたね。アリーナやスタジアムでのコンサートばかり観てきたんで、3000人規模くらいのホールがむしろ新鮮に思えました。
前に座った客がアラフォーならぬ「アラフォーティーファイブ」と自嘲していましたが、全体的に観客層は高かったです。“カップル”なんて甘い感じよりは、“夫婦”っていう響きがぴったりな。

18時5分開演。まずは、
「NOAH(虹の大陸)」「君の休日」の2曲を披露。終えて、杉山氏によるMC。後者は、1990年代後半、杉山氏が事情で音楽を作れない環境に置かれてしまい、失意から復帰後に、景気づけじゃないけど「そういうタイミングだからこそ、こんな曲を書いてみたかった!」という気持ちで書いたエピソードを披露。その後、杉山氏から着席を命ぜられ……って、別にヘンな意味じゃないけど、「まあ、リラックスしましょうや」みたいな感じでみんなしばらく着席しました。

杉山氏は、今年2009年で50歳であり、昨年2008年はデビュー25周年(「年が変わっても、今年3月までは25周年継続中」とは杉山氏)。そのときどきで、置かれた環境も違えば、そのなかで素敵な出会いがあり、辛い別れも経験する。杉山氏いわく「そのとき感じた思いを、音楽にすぐ昇華しようという悪い癖がありまして」とのことで、そうなると「取り組みたいテーマ」も違ってきて、結果的に「書きたい音楽/実際書いた音楽」も違ってくる――そんな25年の歴史と杉山氏なりの思いを辿るべく、以後は2〜3曲ごとにさまざまなテーマを設けて演奏する構成立てとなりました。

演奏順は不同ですが、以下つらつらと――「今になってみれば、昔の音楽にスポットを当てるのもいいんじゃないか?」と、ちょっとアレンジして新たな世界を見させた、デビュー年の1986年作品
「illusionを消した夜」、地元・横浜の人間との音楽を通じての出会いを書いた「Bay area kids」、美しい海岸の風景の裏で悲しい歴史が刻まれたことを実感したとき書いたという「1945」、闘病中の知り合いへのエールソング「港で待つよ」、そのほか「INSPIRATION」「由比ヶ浜。君と…」「in the ocean」ってのもやったけど……何がテーマだったか忘れました(笑)。
そのほか、当時離れ離れで暮らしていた娘さんへの思いをつづった曲とか、海から海、波から波へと移り歩き、サーフィンを通して世界のいろんな人たちと巡り合う人たちを、杉山氏いわく「旅人」とたとえて書いた
「旅人への手紙」なんてのもありました。あとは、一昨年と昨年、杉山氏いわく「いまや大先生」、かつては杉山氏と一緒にバンドをやっていたという音楽家・千住明氏とコラボして1970〜1980年代のAORの名曲をカバーしたコンセプトアルバム「FEN」シリーズからも2曲。

と、思い出せる範囲で思い出してみましたが、ほとんど聴いたことのない曲ばかりで(笑)。個人的な好みが、オメガトライブ時代と昭和時代のソロぐらいまでだったんで、平成に入ってからの曲とかやられても……って、悪いのは絶対オレだけどさ。
そんでも、そのオメガトライブ時代の曲である
「サイレンスがいっぱい」「ガラスのPALM TREE」「RIVERSIDE HOTEL」「アスファルト・レディ」と続くメドレー、そのあと演奏したCMソングにもなったノリノリの曲「LIVIN' IN A PARADISE」、個人的にはやってくれてうれしかった「DOUBLE RAINBOW」、アンコールでやったソロデビュー曲であり大ヒットシングル「さよならのオーシャン」は、場内タテノリ&総立ちで盛り上がりました。オーラスは、杉山氏が「現在いちばんのお気に入り」と述べていた「Heart of the sea」――。

最初の頃のMCで杉山氏が言っていましたが、オメガトライブ解散後は、また誰かテキトーにメンバーを募集して“次のバンド”をやるもんだと思っていたそうで、ソロデビューは当初聞いていなかった流れだそう。「契約書がそうなっていたらしい」からとはいえ、ソロだと「前で歌う人と後ろで演奏する人」という構図にどうしてもなってしまい、「一緒に音を作って一緒に演奏に回る」のが音楽の理想と信じる杉山氏には、戸惑うことも多かったとのこと。それでも、1990年代後半からはようやっとその理想の形での音楽制作ができるようになり、今回“バックに従えたバンド”は、音作りからライブ演奏までトータルで付き合える「理想の形」となって、もう数年経ったそうです。
私も残念ながら含まれざるを得ないですが、とかくそのときどきのヒット曲の存在で、音楽家の存在価値を決めてしまいがちな風土がいまだ根強い日本のミュージックシーン。その尺度でとらえると、杉山氏もまた「過去の人」ととらえてしまいがちです。杉山氏から出た「25年間、マイペースでいつも音楽を楽しめたし、これからも一歩一歩ずつそうしていきたい」というフレーズは、このコンサートのテーマにも通じること。ややうがった尺度でコンサートを観に来ていた私にとっては、ちょっぴり再考を促された印象的なフレーズであり、またそんな構成立てでもあったような気がします。20時35分、終演。
(おわり)


戻る