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ネガティブな部分
 こんなことは、障害児を持った親にかぎたことではないと思いますが、そう、いつもいつもポジティブでいられるわけではありません。きようは、ちょと、ネガティブになってしまった時のお話しをしたいと思います。
 普通学級に入れると決めた時点で、さまざまな困難が待ち受けている事は覚悟していました。それでも毎日毎日、担任の先生から受ける、けして喜ばしくない報告は私の想像を上回るストレスになっていきました。てっちゃんの様子のほかに、それによってクラス全体が騒がしくなってしまったといった報告は、まるで「てっちゃんの存在は迷惑ですから、特殊学級に行くべきです」と言いわれているように聞こえたりしました。勿論それは私の被害妄想です。先生はただ単に事実を述べただけです。もし仮に意図があったとしても、それは迷惑だからではなく、本当にてっちゃんの為を思っての発言です。何故、そう言い切るかといえば先生がおっしゃった「でも、てっちゃん、可愛いんですよね」という言葉は真実だと思ってるからです。しかし、ストレスはそんな理屈とは無縁のところで貯っていきました。学校に迎えに行った帰り、てっちゃんと手をつないで五月の風に吹かれて歩きながら、このまま、てっちゃんと二人だけで誰もいないところへ行ってしまいたい。そんな衝動にかられたかと思ったら、涙が溢れてきてしまったりしました。ストレスがピークに近づくに連れて私は、パパに報告しなくなっていました。何故言わないのか?言わないのでなくて、言えないのです。
 私は子供のころから本当にダメージを受けると、とっさにそれを隠そうとします。そうやって自分を支えようとするので話題にする事も出来なくなってしまいます。でも、ずっと抱え込んでいられるほど強くもなくて、貯まりに貯まったころで突然弾けてしまいます。パンパンに張り詰めてしまっているので、きっかけはなんでもよかったりします。
 その時もそうでした。朝、忙しく食事の仕度をしながらの会話の中で、ほんの些細な事から私は突然泣き出してしまいました。 「子供の事は、みんな私がやらなくちゃいけないの?てっちゃんの事だって、毎日毎日、迎えに行って、よくない報告を受けるのが、どんなにストレスになるか解る? 病院だって、みんな私任せで。全部私に責任を押し付けて、私はもう耐えられない!」
 はっきり言って暴言に近いです。家事や子育てにこれほど熱心に協力してくれるパパはそんなにいないはずです。それでもパパは、泣いている私を黙って抱きしめてくれます。たぶん、驚きが半分そしてストレスが言わせているという理解半分という感じなんでしょう。
 その後、てっちゃんのパニックの原因がはっきりしてきたので、リタリンの量や先生の対応を変える事で、かなり落ちいてきました。そうなれば、私のストレスも増幅する事もなくなります。
 パパのおかげか、現実が改善されたためか、はっきりしないまま、今はポジティブな私です(笑)。 (may.2000)