幼馴染の妊娠
ー罪の告白ー
 私とS子が知り合ったのは、二人とも自分を飾ったり
嘘をついたりとかそんな知恵をつけるずっと前の事だ。
ごく幼い時に私達は知り合い、気が付いた時には同じ
風景を見、同じ時間を過ごしていた。同じ保育園に通い、
同じ小学校に行き、同じ中学で学んだ私達は中学を
卒業するまで一年のうちで顔を会せない日は数えるほど
だった。しかし、一緒に遊んだのは小学生の時までで
その後は遊び友達でもなく、相談相手というのにもならな
かった。次第に私達は互いを強く意識しつつも別々の
方向に歩み始めていた。ひょっとしたら知り合うタイミングが
遅かったら私達は友達にはなっていなかったかもしれない。
それでも幼い頃から長い時を共に過ごした事で私達は
同じ感覚を持ち、深い部分で理解しあっていると意識する
事ができた。

 高校からは別の進路を歩み始めたこともあり、私達の
会う間隔は月単位となり、やがて年単位となっていった。
それでも会えば一瞬にしてその空白を埋める事ができる。
私達は少ない言葉でお互いの心の裏側まで感じる事が
できるのだ。叙事的に話す事柄も叙情的に受け止める
事ができる。意識の裏の無数にある引き出しを開ける
キーワードが私達は殆ど同じなのだ。

 その幼馴染のS子は結婚して10年になるが子供が
授からなかった。欲しい事は間違いなかったが、それでも
特に不妊治療をするでもなく彼女は現実をありのままに
受け入れ、夫婦二人の生活を楽しんでいるようだった。
そんな彼女のおなかに最近、小さな命が宿った。

 先月の始め、久しぶりに思い立ってS子に「会わないか」
というメールを送った。今思えば、おそらく彼女が妊娠を
確信して間もなくのタイミングのはずだ。私達らしい偶然である。
S子からの返事は「ちょっとびっくりした事があったので、
その事も話したいし是非ランチでも」 
はて「びっくりする事」とは? 私は「まさかM(共通の友人で
W杯ではイタリア代表の手伝いをしていた人物)がアッズーリ
の子を妊娠したとか?」なんて冗談ともつかない返信をして
みた。S子からの返信は「それなら、もっとびっくりだわ」 

 あれやこれやの都合で結局会ったのは最初のメールから
一ヵ月後の先日だった。その間、私は「びっくりする事」に
ついて考えた。なにげに思ったのは「S子の妊娠」。
「そうだったら良いなぁ」という思いは、なぜか、なんの
根拠もないのに会う日が近づくにつれて確信に変わっていった。

 その日、果たして待ち合わせに現れたS子のお腹は、
すぐにそれと判るまでに大きくなっていた。

 私達はS子がネットで探してくれた、南仏料理を出して
くれるお店でランチをとり、その後、喫茶店に場所を変えて、
おしゃべりをした。

 この時、私はある告白をしたのだった。

 もう、4年も前の話になるが、私は4人目の小さな命を
授かった。予定外であったし、パパは経済的な事も考えて
諦めるように私に言った。しかし、母親になる性に生まれた
私には、そんな簡単なものではなかった。私は「人殺しには
なりたくない」と抵抗した。私達夫婦は険悪になりながら
何度も話し合い、結局、パパが折れた。

 ところが、嬉しいはずのその決断は、私に現実の厳しさを
突きつけた。三人の男の子の子育てをしながらの妊娠は
私の体力では、無理があったようで、まもなく私の身体に
異常がおこる。妊娠継続を決めるまでの不安定な精神状態や、
決めてからも襲ってきた様々な不安が身体に影響したのかも
しれない。医師の診断では「出産まで絶対安静」入院する
必要があり、しかも、そうしていても、妊娠が維持される
保障はないという。赤ちゃんが成長してからの流産は母体の
ダメージも大きい。医師は堕胎を勧めた。

 ふっくんはまだ二歳。マーくんの小学校入学と、てっちゃんの
幼稚園入園も控えていた。子供にとっても大変な時期を
パパ一人に任せるのは無理がある。半年以上も母親の
いない生活を家族に強いるのは不憫に思った。
私は、三人の子達の事を優先した。目の前の家族の為に
小さな命を犠牲にする決断をしたのだ。

 当時、私はS子の事を思った。欲しくても授からない夫婦が
いる一方で、私には予定外の命が授かる。神様はなんて
不公平な事をするのか。しかも私はその命を私の意志で
絶ったのだ。その命を維持する最大限の努力をしないまま
殺してしまった。私は罪の意識をかかえて、ずっと家族以外
には誰にも話せないままでいた。

 私がこの話をしながら、こぼれそうになる涙を上を向いて
こらえ、再び視線をS子に移すと、S子の頬に涙がつたわって
いた。人目をはばからず涙を流してくれたS子を見たとき。
私の胸にある思いが浮かんだ。

 私が生んであげる事が出来なかった命が、
めぐりめぐって今、S子に宿っているのかもしれない。


 私は運命論者じゃないから、こんな事を言うのは気恥ず
かしいし、ましてやこんな言い方で自分の罪をごまかす
のは嫌なので、口に出しては言わなかったが、S子に
宿った命を我が子のようにいとおしく思う気持ちの表われで
ある事は確かだった。

 もう、私達の歳での出産は高齢出産の域であるから
リスクが多い。しかも初産である。これから出産までには
様々なハードルがあるかもしれない。無事、健康な子を
出産した後にもサポートは必要だ。私は4番目の子を
育てるつもりで、S子の子を一緒に育んでいきたい。

 帰路、電車の中でひとりになって、湧き上がるような
喜びに身を浴している自分に気付く。12年前、初めての
妊娠を病院に確認しに行った日の事を鮮やかに思い出した。
                        (Nov.2002)