父との別れ(3)
ー書ききれない思いー
 文章を書こうと思う動機には、何かを伝えたいという思いが先に来る場合と、とりあえず書くことによって自分の思いを確認しようという場合があります。今回の『父との別れ』という文章は後者にあたるわけです。しかし、結局のところ何を言おうとしているのか分けのわからない文章になってしまいました。
本来、こういう文章は自分の為に書くもので人にお見せするものではありません。にもかかわらず公開を前提に書いたことで、体裁を繕うことに神経を使う事になってしまって、かえって分けの判らないものにしてしまったような気がします。でも、後悔はしていません。公開したことによって、こんな文章でも大勢の方が読んで下さった上に真摯なコメントを下さいました。そんな皆さんとのやり取りの中で忘れていた事を思い出したり、改めて確認できたことがあったり、新たに気がついたことがありました。ありがとうございました。

 父は、まだ病気の兆候もない頃、私の子供達と過ごしながら、「こいつらが俺の事を覚えていられる歳まで生きていたいなぁ」と、よく言っていました。その時はまだ元気でしたし何を馬鹿な事を言っているんだと思っていましたが、父の病が判ってからはこの言葉は棘のように私の心に刺さってちくちく痛みました。父は自分の病気が癌かもしれないと思い始めてからは幼いフックンや、てっちゃんを前にして一度もこの事を言いませんでした。それは父にとっても辛い現実だったからかもしれません。
 今、会話の上手でないてっちゃんには確認するすべはなく、フックンには時々、おじいちゃんと過ごした時間を思い出させては記憶をつなぎとめておくように仕向けていますが、それでも確実に記憶は薄れていっています。心がちくちく痛む瞬間です。でも、そんな時、友人の「具体的な想い出は忘れてしまっても、おじいちゃんから受けた優しさや愛情は、ちゃんと子供達の心の中に残っているはず」と言ってくれた言葉が救いになっています。
 
 園遊会が終わってからは、日に日に衰えていくのが目に見えるようで、気晴らしにと、いろいろ勧めても、そっとしておいてほしいようでした。その頃になると孫のビデオさえ見てくれませんでした。父が私の為にしてくれた多くの事を考えると、私が父にしてあげられる事はますます少なっていました。せめて私が父を大切に思っている気持を伝えたいと思いました。
できる限り会いに行きました。行けない日にはfaxで思いを伝えました。「気持はいつも側にいる」と・・・
 父は「死ぬ事は怖くない」と言っていました。実際そんなに恐れているようなは見えませんでしたが、それでも、漠然とした不安はあったはずです。私が会いにいくと「よく来たな」と言って涙ぐみました。心細い思いだけはさせたくありませんでした。家族の絶対の愛情を確信して穏やかな気持で旅立たせてあげること。これが最後に私ができる唯一のことだと思っていました。

 親との死別なんていう経験は誰にでもいつかはある事で、ましてやいい年の大人がいつまでもこんなふうに、こだわっているのはおかしいのは、よくわかっているつもりです。また、ある意味でそういう普遍的なテーマは書いても書いても書き尽くせるものではないのかもしれません。結局のところ私も、これだけ書いても、外堀がやっと埋まったぐらいにしか思えません。

 こんな、まとまりのない文章に最後までお付き合いくださって本当にありがとうございました。 (Oct.2000)