釜本氏はトルシエが嫌いで憎まれ口を言うのかと思っていたが最近ふと、そうではなくて彼は誰にでもああいう物の言い方をする人なのではないかと思うようになった。人付き合いをスムーズに出来ないタイプということだ。
 腕はいいのに頑固で人付き合いの下手な職人なんていうのは昔からいくらでもいる。才能ある人がちょっと変わった人だったりすることもよくある。これは、てっちゃんのようなコミュニケーション障害の人の中に優れた才能を持った人が多いことと奇妙に一致する。人は誰しも得意不得意があってその能力がでこぼこしているのは普通の事だ。その差が小さいほど凡人で、より大きくなるに連れて変わった人とか才能のある人とか言われ、著しく差ができると障害者になってしまう。ちなみに、てっちゃんの言語療法の先生がてっちゃんの将来の話をした時に「このまま、訓練を続ければ、自立した社会生活はできるようになるでしょう。ただ、ちょっと変わった人になることは確かです。もっとも、変わった人なんて世の中にいくらでもいますからね」とおっしゃったことがある。
 あまり良い表現ではないが、「同じ馬鹿でも自分が馬鹿だと知ってる馬鹿は上等な馬鹿だ」という言葉がある。いまさらサッカー協会の人たちを馬鹿呼ばわりするつもりは毛頭ない。しかし、自分の短所を知ることで、それを補うことはできないだろうか? 彼らの多くは優れたサッカー選手であったが、必ずしも優れた指導者とはなっていない。どうか自分の能力をしっかり見極めて、今、現場でその才能を発揮しようとしている人たちの邪魔をしないでほしい。
 もうひとつ、現在、サッカー選手、或いは監督としてその才能を発揮しようとしている人たちが、その他の場面で失敗することがあっても、協会はそれをかばってやるくらいのスタンスをもってほしいと思う。 (Sep.2000)