ガラスの10代
 最近の10代の子の犯罪は人事とは思えません。我が家にもこれから難しい時期を迎える子が3人もいるからです。事件が報道される度に少ない情報の中から、犯罪を起こすような子にしないために私はどうするべきなのか考えます。
 きょうはテレビで、この前、金属バットで野球部の後輩を怪我させた後、母親を殺害してしまった少年と、20年前のやはり金属バットで両親を殺害してしまった青年の事件を比較して報道していました。20年前の事件は20歳の青年でしたが、共通点の多い事件だと言っていました。
 凶器に金属バットを選んだというのは偶然のように思えますが「強い相手への恐怖」の現われなのだそうです。 立派な両親に恐怖すら覚えるおとなしい普通の子、そして劣等感。これはキーワードのように最近のほかの10代の少年の事件に共通していきます。20年前の事件では父親の「ごくつぶし」という言葉が大きな引き金となったといっています。「たったこの一言」と感じますか? 
 私は中学時代、成績はトップクラス。自治委員などもして、スポーツもそれなりにこなしました。 しかし、がんばって入った進学校の高校では勉強も自治活動もスポーツも私より優秀な人たちが大勢いました。私はまったく目立たない存在になってしまったのです。前にも書いたように自意識の塊のような私にとって屈辱的な状況でした。登校拒否にならなかったのが不思議なくらいです。私は自信を無くし自分の存在そのものへの疑問を持つようになりました。そう、彼らのように・・・・ 自分を「透明な存在」といった神戸の少年。 自分の存在をアピールする為にバスジャクをしてしまった少年。思春期、自分の存在価値を自ら問う時期なのかもしれません。 しかし、私の場合、内的葛藤は彼らのように外に向かう事はなく、自らへと向けられました。自殺願望です。未遂まがいの事もしました。
それでも私を思いとどまらせたのは両親の愛情だったと思っています。当時、何かの話しから、たまたま私の口から「私は自信をもてるものが無い」という話しを母にしました。すると私の母は「おまえは今いくつだ、そんな若いうちから自分に自信を持ってる人間なんて、ろくなもんじゃないよ。これから努力して自信をつけていくんだろう。そんな若いうちから自信を持ってる奴なんてお母さんは嫌いだよ」ぶっきらぼうな母らしい言い方でこう言いました。当時の私には100%納得いく答えではなかったのですが、それでもそれから20年、その言葉を忘れる事がなかったと言う事は私にとって少なからず影響のある言葉だったのだと思うのです。父は別にして(父に可愛がられる事に当時あまり価値を見ませんでしたからね。女子高生の頃ですから)、母は大雑把な人で、きめ細かく子供の気持ちを考えてくれるような人ではなかってのですが、それでも要所要所で適切なアドバイスをくれました。そして私は根拠らしい根拠は無いのに、たとえ自分がどんな人間であろうと両親だけは自分を愛してくれてると思うようになりました。さらに言えば、自分で自分の存在価値を見出せなくても、そんな裸の自分でも愛してくれる人がいるというのは命そのものに存在価値があるのだという事を教えてもらったのかもしれません。
 彼らが、こんなふうに思う事ができたら、あんな事件は起こさなかったかもしれない・・・・・自分の存在を価値あるものに思えないで、人の命の大切さを感じる事は出来ないかもしれません。 
 私の子育てはまだ結果が出ていません。ここでどんなに偉そうな事を言っても説得力は無いでしょう。 それでも言わせていただければ、私は自分の子供達に、あなた達の存在そのものを愛しているのだと伝えていくつもりです。
 男のこの子育てと言うのは毎日朝から晩まで怒っているようなのですが、だからこそ必ず言っている事は「あなたの為に」ではなくて、「あなたが大好きだから」。「いい子にしているあなたが好き」なのではなく、「大好きなあなたにいい子にしてほしい」と言う事。 怒っている途中ものすごい勢いで「ママはあなたが大好きなのよ!」と、どなると、子供の顔つきが変わります。 どこまで私の思いが伝わっているか判りません。まだまだ試行錯誤の段階である事にも変わりありません。そして、いつか私たちも躓く事があるかもしれません。それでも、これだけは間違っていないと信じて、伝えつづけようと思っています。
あなた達がどんな人間であろうと、どんな生き方をしようとママとパパだけはあなたを愛しているという事を。
(July.2000)