諸行無常の・・・
 私の実家は駅の近くで洋品店をしていました。6年程前から始まった駅前の再開発で新しく建て替えるのをきっかけに年老いた両親は店をたたむ決心をしました。
 5年前、ふっくんの出産で実家に滞在したときには、もう裏の家は無くなり更地になっていて、斜め裏にある幼馴染の家をちょうど取り壊すところでした。産後の身体を休めるために眠ろうと思っても眠れなくて、その日の日記には、「ものすごい音と、振動で眠れない。でも一番私を眠れなくしたのは感傷だったかもしれない。諸行無常の響きだ・・・・」とありました。それから遅れること4年、とうとう私の生まれ育った家の取り壊しとなりました。幼馴染の家の取り壊しのとき、そこの家人は一人も姿を現しませんでしたが自分の住んでいた家の取り壊す時になって、その理由がわかりました。とても平常心では立ち会えないのです。その家は私が生まれた年に建てられた家でした。壁の落書き、柱の傷、いっぱい思い出の詰まった家です。
 私が中学の頃まで母の実家は、かやぶき屋根の昔ながらの農家作りの家屋でした。その家を取り壊して新築することになって、母は叔父に古い家の写真をもらってきました。その写真を見せてもらった時に私は母に「生まれ育った家が壊されるのって悲しくない?」と訊いたことがあります。母は「大人というのはいろいろな悲しみを胸の奥にしまい込んで生きているんだよ」と言いました。私は漠然と「私は、そんな大人になれるんだろうか」と思ったのを覚えています。今、大人といわれる歳になってみると、やはり自分は、とても母のような大人にはなっていません。
 取り壊しから一年間、仮設住宅で生活する間に父はガンで亡くなりまた。新しい家に入ることは出来なかったのです。母は気丈でしたが49日がすぎた頃から涙もろくなってしまいました。「大人というのは、いろいろな悲しみを胸の奥にしまい込んで生きているんだよ」と言った、凛とした母のイメージは消えつつあります。自分の親の老いを否応なく感じるときです。それもまた無常感として胸に迫る思いを隠すことが出来ません。 (Jun.2000)