小渕元総理が亡くなって
−父の事、政治家の資質−
 小渕元首相が亡くなった。皆さんは誰か亡くなったとき誰に感情移入するのだろうか。さぞかし心残りだったろうと、亡くなった本人に感情移入するのだろうか。それとも残されたパートナー、親、或いは子供。私は独身時代は本人や残された子供に感情移入することが多かったが結婚してからはパートナーや親のほうが多くなった。
 しかし、小渕首相に関しては娘さんに感情移入している自分がいた。心拍数が減ってきて、次第に冷たくなったいく手足をさすりながら、「パパ、パパ」と呼びかけたという最後の様子をニュースで聞いたとき、私は涙があふれてきてしまった。
 たぶん、昨年亡くなった父の最後によく似ていたからだと思う。父の場合はガンだったので最後まで意識があったが、やはり、だんだん冷たくなっていく手足を母と姉とで、さすりながら、呼びかけた。
 小渕首相と、父がだぶる理由がもう一つある。私の父もその昔、政治家だった。私が小学校低学年の頃、亡くなる30年も前の事だ。父は政治家には向かない人だった。真面目すぎたし、人がよすぎたのだ。 2期目の選挙は候補者も多く激戦だった。父はえげつない方法で票を集めるのを嫌った。結果は落選。勿論、本当の意味の政治家としての力があれば、何もしなくても当選するものなのかもしれない。父の落胆振りは目を覆うばかりだった。そんな姿を目の当たりにして私も泣いたのを覚えている。父は 3度目の選挙には、もう出るとは言わなかった。そんなことがあったせいか私は政治をする人が嫌いになった。政治家を続けられる人なんて、無神経で、ずうずうしくて厚顔無恥な人ばかりだと思うようになってしまったのだ。
 最近になって、そんな人ばかりでもないかもしれないと思い始めていた。特に小渕さんを見ててそう思ったわけでもないのだが、でも、優しそうで人の良さそうな政治家が一人、ストレスをためて早死にしてしまったことも事実だ。(may.2000)