監督雑感
 ここの所、代表の監督の進退問題があわただしい。マスコミも、さるもので前監督の岡田監督にコメントを求めた。岡田監督もさすがで、その立場にないときっぱり突っぱねた。ただ代表の監督というのはクレイジーなポジションであることは間違いないとコメントしたらしい。
 ジョホールバルで日本代表がはじめてワールドカップの切符を手に入れたとき、ひで(中田)以外は監督も含めてみんな喜びを満面の笑みで表していた。そんななかで、カズと中山の喜び方は印象に残るものがあった。たぶんドーハの悲劇を一緒に味わった盟友同士だったからだと思う。
 あの時私は一週間落ち込んで、街で浅黒い中東の人を見かけたりすると平常心ではいられなかった(笑)彼らはプロだから、一晩で吹っ切って、もう次を考えていますとコメントしていたが、その悔しさは私の悔しさなど比べものならないもだったと思う。
 そのカズを! スイスまで連れて行って日本に返すという冷徹なまねをあの岡田監督をして、させたというのは、代表監督が、いかにクレイジーなポジションにあるかという証明になるかもしれない。その後の報道で、岡田監督の人柄を知るにつけ辞任後、自分の冷徹な決断に愕然とする岡田監督を想像するに容易い。勿論、プロだし、あの時はそれがベストと考えて決断したことに後悔はしていないだろうが。情に流されやすい私などは、到底出来ない仕事だ。そう考えると野球の長島監督の采配がさえないのは情に流されやすいんじゃないかと思ったりする。しかし、勝つために必要な要素として、モチベーションというのもあるし、情というのも、それほど無視できるものでもない。そうなると情というものを論理的に操る野村監督というのはやっぱりすごいのかもしれない。あれ、サッカーの話してたのに。
 最後に、やりたいようにやらせてもらえないで、結果を出せと迫られる代表監督に大いに同情したい。最後の仕上げをしないまま評価されることにも同情する。トルシエの事だ。私は、せめて五輪までは彼にやらせてあげたいと思う。それは、選手のためでもあると思うのたが、どうだろうか。(may.2000)