現在の神道界を問う
是非お読みいただき、ご意見等お寄せ下さい!

第三次神道改革の時代

=知・智の定義が変った=
◎宗教改革の歴史
 人類6千年史を省みるとき、各地で宗教改革が起こっている。
 エジプト8千年史では、多神教時代から太陽神を唯一絶対とする時代もあった。しかし、此の太陽神は一地方神であった。ある部族は「ラー」と呼び、ある部族は「アメン」と呼んでいた。その中で、「アメン=アトン」を崇める部族がエジプトを統一して太陽神を唯一絶対とした。一種の革命だが、それは長く続くことはなかった。西紀前14世紀のことである。

 そうした、大きな揺らぎを見せるエジプトに移住していた「セム族のヨセフ」が英知を以てエジプトの宰相となって治めるようになり、多くのセム族がエジプトに移住した。だが、しかし「ラー(王)の圧制」が発生した。その時、ラーの王女に養はれたセム族王子(モーゼ)が助け出して、カナンの地に「イスラエル王国」の基礎を造った。此の「モーゼ」は「アブラハム・イザク・ヤコブ」らの崇めた神・エルシャダイを唯一絶対(後にエホバと呼ぶ)を立てて忠誠を誓った。唯一神教の発生である。

 此の「イスラエル=ユダヤ」がバビロニアに征服され、多くの民がバビロンに捕虜として移された。その時代にユダヤ教改革の手を入れ、モーゼが信じた「エルシャダイ」に、唯一神エホバの神格を与え、エホバの出現にふさわしい「神話」の体系をバビロン神話から取り入れ、「旧約聖書(トーラ)=創世記編」を作り、モーゼの受けた「十戒」を軸に、ユダヤ人が復権できる道を確立した。まさに「ユダヤ教の大改革」である。その改革の指導書(人生の指針書)を「タルムード」と呼ぶ。これが現在まで「ユダヤ人の基礎的生活原理」となっている。

 インド8千年史を眺めても、インド西北部(現パキスタン領 = インダス川下流域)の「モヘンジョダロ遺跡」に住んでいた人々の消息(宗教・食生活)が不明である。それは北方から来た「アーリアン人種」に攻め込まれて滅亡したからだ。
 それまでにも「インド半島(?)」には、北方から入り込んだ幾種かの民族が、重層的に南方に追はれ、今、インド教(ヒンヅーウ教)と呼ばれる宗教になっているが、その聖典に「五種のヴェーダ(奥義書)」がある。

 そこから生まれた「階級社会」を
  (1)ヴァラモン (僧侶・学者階級)
  (2)クシャトリア(王族・士族)
  (3)ヴァイシャー(庶民)
  (4)スウードラ (奴隷階級)
 に分ける。此の外「不可触賤民(achut)」がある。 「ハリジャン」ともいう。
 この「ヴァラモン族」が編集した「ヴェーダ」から「バラモン教」が生れ、その流れの中にインド各地の土俗神を吸収して、「インド教」が生れた。その中から「改革派の仏教」が生れた。

 翻ってみれば「バラモン教(4千年史)」をみると、千年単位で大改革があることが見えてくる。近世だけでも「シャカ仏教の変貌(大乗仏教化)」と共に、現代の「ヒンヅー教」へと変貌した。今もなお、オドロオドロしたものを抱えているが「ラーマクリシュナ〜ヴェーカーナンダ」のような“万教同根”の思想を説き、それは「神を愛し、人を愛することで、神との接心に入る」とした。まさに「世界平和の原理」である。

 前述の「古代ユダヤ教=パリサイ(司祭)教」を改革し「信仰による神との接心」を説くイエス・キリストの出現により、全く異なるものへと変身を遂げた「新ユダヤ教としてのキリスト教」の出現があった。
 しかし、そのキリスト教(ローマ・カトリック)が堕落した。そのとき「マルティン・ルター」と呼ぶ改革者が表れ、「儀式によらず信仰による回心」が説かれ、「プロテスタント派」が生まれた。

 これに対して「日本史(2600年史)」の中でも宗教改革がある。と、言っても、「日本の土俗(太古神道)に、陰陽道・神仙道・儒教・仏教が混入してきた」という意味で、太古神道は、いやおう無しに変貌していくのだが、これを
「古代の文明開化」とみれば、革命的な「神道改革」であったとなる。
 片や中国古代の宗教は既に「論理と儀式作法」を持ち、広汎域で共通の“儀式行事”を行い、精神の構造や霊魂の品質を説いていたから、日本の太古神道は、その文化に圧倒され、自らの持つ「勝れたもの」を論理的に解明するに、外来の思想用語を以てするしかなかった。

 この弱点を突かれて奈良時代に「神仏習合」の説が生じ、神道(神社)は仏教(特に真言・天台宗)の輩下に組み込まれ、「社僧」なる者がいて、朝夕に読経が献げられ、神社本殿には本地佛の像を鎮め祀った(というか祀らされた)のである。
 まさに「神道(神社)」の仏教への隷従であった。
 これをしも「神道の宗教改革」と名付けるなら、室町時代中期に出現した
「吉田兼倶(1434 - 1511)の神本仏従思想」は、沈没していた「神道(神社)の権威」を復興させて「神道の論理化」を図った改革となる。

 また、江戸時代末期に「僧契沖・賀茂眞渕・本居宣長」らの復古神道学派によって“純古の神道”が蘇生していくのであった。が、古事記や日本書紀のクローズアップに当って、その中に潜む「陰陽五行説の整理整頓」を怠った。それがため明治の国家神道は中途半端なものになった。と言うよりは「大切なものを捨てた」ようである。

 また中国古代の「暦法」が、陰陽道からきているのを嫌って、西洋のグレゴリー暦を採用し、京都の土御門家・江戸幕府の天文方が観測し、計算した「暦算」を完全に捨て去り、これらを「迷信」として無視した。
 だから、この「暦に秘められる哲理」も無視されたから、延喜式などに定められた重要祭祀の精神すらも捨られてしまい、ひたすら、形骸のみを追う「神道改革」に入ってしまった。
 当然、神道は禊祓の名によって「死体解剖」を受けるような解剖を受けて死んだ。
 あえて「明治の神道」を改革神道というなら、「文化の関連性を断ち切った」だけであって、「改革」とは言えない。まさに「外国文化に占領」され、それに隷従した結果の「変死」と同じであった。
 
 日本神道は、今こそ明治維新に「大改革」を与えないと、神道は全滅(絶滅)すると言っても過言ではなく、神道不振の状態を、昭和20年以後・極東連合軍(GHQ)の発した「神道指令」にありとする学者や神道家の思考は誤りで、その渕源は明治維新にあることを知らねばならない。

 確かに明治以後の「神社神道」に統一性は強く、地方に伝はる土俗性の中に 「生きた神道」があることを切り捨てた。その一例に、「神社祭祀の和魂社・荒魂社」などは、中央(京都)より地方に遺されている。

 ちなみに「伊勢神宮を、地方の土俗」と定義して眺めると、伊勢神宮の祭式や祭祀様式には古伝が多く遺っている。
 さらに「出雲の土俗の中」に、古伝神道が遺っているもので、京都や東京で「統一神道」を作って、全日本に流布させることの難しさ、怪しさを直視しなければならない。

 かくに「神道の大改革」は、中央と地方の摺り合わせから始めなければなるまい。ましてや「地方の習慣(風俗)を神道では無い」と極めつけ、古大社に伝はるものを「特殊神事」とするのは如何なものか? 即ち「社家神道」を見直すべきではないのか。

 明治以後の国家神道は、西洋キリスト教の真似をして、キリスト教の聖書に匹敵する「神道聖典」を作ろうとしたが、それらは悉く戦後50年で無視され、地方の土俗を拾捨選択したものに蘇生しようとしている。
 実は「地方土俗」こそ、全世界の人類に与え得る「料理の素材」のようなもので、東京中央で作った「神道」では、世界の知識人は見向きもしない。もし「神道を国際化」したいなら「沖縄の祭祀場(御獄)の岩場や全国各地の岩坐祭祀」を大切にしないといけない。これなら、いかなる民族も理解するだろう。

 陰陽師・安倍清明がブームを起こしているが、これは低級霊をどう扱うかの示唆となるだろう。ここのところを神社界は見直すべきである。

 もっとも、職掌分割の時代であった江戸時代、享和7年(1717年=将軍吉宗の世)に、吉田神祇官家は鈴鹿豊前守(家老)の名において、通達を発して、「社家陰陽師、不分明の輩これある趣、相聞候こと、天下国家の祈祷執行あるべく候こと」とあり、神社神職は「天下太平・五穀豊穣・〜(中略)〜・祈雨祈晴の祈祷を勤め、みだりに、僧侶や陰陽師らの行う、雑々たる人事のことに関与してはならない」とある。(島根県那賀郡旭町誌参照)

 このことは、明治の国家神道にも継承され、現今の神社神職に継承されているのだが、土御門家(陰陽師)無き今、人事のことは、民間の迷信に委ねられたから、その隙間をついて、幾種かの教派神道や祈祷師を輩出したことになるのであって、できうることならば、「神社神職」が、正しく陰陽道や他宗教のことを学び、神道の枠組みの中で、処理できる「人事の雑事」に、関与すべきではないかと思うが、如何なものであろうか?

 日本の「神道」に大改革を与えるということは「(1)国家神道の破棄、(2)日本の地方伝承の見直し、(3)地方郷土史家や神社の社家伝承の見直し」をするべきで、それにより、いかに、これらが「キリスト教以前の原始祭祀の遺跡と類似するか」を確認することで、日本の神道は、世界に認められるであろう。例えば、ユダヤ教の古代祭祀場などを比較する必要はある。
【下図はモーゼ時代のもの】

〔古代ユダヤの岩坐?〕
◎参考文献 :講談社刊  「聖書」 1980年初版
◎神職の学ぶべき仏教
 仏教を「大乗・小乗」に分けるとき「苦行の道=菩薩道」を行ずることを小乗と言い、ただ仏を信ずることだけで「安心立命」を与えることを大乗というとしたら、仏教ほど「安易な道=宗教」はないことになる。その中でも「浄土教」は大乗の最たるものとなるのである。

 そのいづれにしても「仏教」は人生を哲学的に思索する宗教であって、そこには当然「言葉」が重要な鍵となる。
 これに反して「神社神道」には「祈る」だけで思想的な思索はない。だから原始的な粗朴さがあるとはいえ、今、ナレッジ・マネジメントが叫ばれている大改革の時代に置き去りにされてしまう。

 しかし「神社」のように無限解放された宗教施設は世界中に存在しない。此の開放空間で「自由に個の中に鎮潜する内観」が許されるとしたら、これほど勝れたところは無いだろう。それこそ、誰もが邪魔しないのだから、しかも、こうした施設が全国に8万ヶ所もあるのだから、その意味では、日本という国はユニークな宗教国家ということができる。
 
 しかし「内観の法」について質問されたら、適切に答へられる神職が存在するのだろうか?
 問題はそこである。これからの「神職養成課程」に「心理学」とまではいかなくとも「心の世界」を分析した「知識・用語」ぐらいは教へる必要があろうかと思う。

 此の弊害は「神仏習合時代」からの名残りであろうが、神社神職のことを「神殿守」とか「祝詞職」と言い(蔑すみ)、社僧が神職の上位に達ち、神職は「拝み職」とて「神殿で祝詞」だけを奏上し、全てのこと(人生問題)は僧侶が扱っていた。
 明治以後も、それでよしとされ「政治・思想・学問」に口を出させなかった。まさに「口を?られた人形」であった。
 祖先を祀るにも僧侶が関与し、葬式は先ず「僧侶の引導」が終わらないと神職といえど埋葬できなかった江戸時代の史実を知れば、誰人もが驚くだろう。神道葬に開放されたのは明治以後である。

 ちなみに、日本の「ホトケ」に二種の意味がある。
 梵語の「ブッダ(Bubdha)」を、中央アジアでは「フト(Futo)」と訳し“覚者”の意味とする」とは広辞苑での紹介である。
 ブッダの漢字訳に「仏陀」があるが「仏の旧字体は、人と弗の合成字」で“弗”は「ほのか」の意。また「仏」は、ホトケを意味する古字で別系であるが、今は
「新字体」に採用されたと「角川の漢和中辞典」は述べる。
 また「弗」の篆字は「
(下図参照)」で「フツ」と訓じ、「あらず」と訳す。人と組み合わせると「人にあらず」となる。 
   『篆字の弗』
日本語の「ホトケ」は、解脱する「ホドケル」の名詞形が「ホトケ」である。
 日本語の「ホトケ」には死骸も含まれる。死骸は次第に腐敗して解体する。その姿を「ほどける」と解釈していた古代日本人は「ブッダ=覚者」は人生の迷=悩みを「ほどいた人」と理解した。そこに仏陀=仏菩薩も死骸も同じだと理解した。

 仏教でいう「ホトケ」が、祖先霊のことを指すとしたら、それは「神道が説く祖先霊」とは全く異なる者になってくる。
 先ず祖先霊は「罪悪深重の凡夫」であるから、地獄へ堕落して「苦吟の亡者」となる。少なくとも、仏教が庶民にまで浸透した鎌倉時代以前の祖霊は悉く「地獄の釜湯で」にあっていることにならないだろうか。
 だから「盂蘭盆会」が真剣に受け入れられて、真剣に盆供養を行うようになったのである。

 厳密に言へば「浄土教」が一般化するまでは、人間の殆どは「悟れない、救はれ難い存在であった」のだから、多くの亡霊は地獄に苦吟していることになる。はたしてそうか? これは「仏教の布教師が唱へる、一つのプロパガンダに過ぎない虚説であった。」とすれば、それを明解に論破できなかった室町〜江戸時代の神職の罪は、まさに地獄に堕ちるに値しよう。

 神道においては、「祖霊は悉く故山の霊界」に入り、子孫の生産労働を守護するカミとして、正月には「お正月様」となって、遠祖の明神と共に子孫のもとに帰ってくる。
 全ての祖先霊は、幾十万年前から存在する遠祖神霊に導かれて「清く気高く坐し坐して、透明体となり、多くの者が融合して、巨大エネルギーを発している」とする故に「祖先霊たちは神となっていられる」とするのが超古代の神道思想である。

 それらのことは、現世の人々に「現実証明」せよとて、できるわざでもなく、上手な仏教側のプロパガンダに迷はされて、地獄に堕ちた祖先霊に追善の供養をしないといけないとする仏教側の教訓に迷はされた多くの中世日本人は、仏教寺院の奴隷となって高額の「戒名料」を払わされてしまった。

 水戸黄門光圀が、ある山寺に幽霊坊主が出て
「勅題の下の句」を唱えては唸っていると聞き、訪れてみると、はたせるかな、出現した幽霊は、
「今宵の月は中空にあり」と言っては嘆いている。
 すかさず、水戸老公は、
「映すべき 池は氷に閉ざされて
           今宵の月は 中空にあり」

 と詠じたところ、幽霊坊主は、ハッと悟るところがあって忽然と消え去ったというお話。
 ここに、仏教の限界があるぞ。と、いう柔い「さとしの物語」がみえる。
 「己の論理と言葉」にとらわれて縛り付けられている姿が、此のエピソードにはよく出ている。
 自分の心を映す「池の面」は氷に閉ざされているが、真実の月は、中空に、自由に輝いていることを見失っているのである。
 先ず「地獄」を描いて、其処へ人々を押し込めて苦しめ、その後に「仏の救い」をさしのべることによって「人は救はれた」と錯覚する。まさに「言葉のマジック」である。

 中空にある名月の如く、日本人の祖先霊たちは、太古も今も「地獄に堕ちることなく」して、輝ける澄明の世界に導かれて、高級祖先霊達の導きに従い、より高度な学びの中で、「悟り」を開いて、新世界(霊界)での業務に精勤されているのである。このことを明解に知っていなければなるまい。

◎天照大御神は唯一絶対神ではない。
 神社には「明神とか権現の称号」がある。
 その一例が「稲荷大明神・三輪明神・大和明神・春日明神」とか「白山大権現・熊野大権現・富士浅間大権現・東照大権現」とかである。
 そのいずれもが「仏教」からくるもので、
「明神とは、神社の神の御威光を称えて言った尊称で、明王と対比させるものである。権現とは、如来や菩薩が権に現れたものであるとする。」

 しかし「伊勢神宮」に「明神号」は贈られていない。そこに気づいた、幕末勅皇派の国学者は、明治以降に「唯一絶対神」としての神格を付与していった。これは「神道の迷信化」である。

 天照大御神は「唯一絶対神」ではなく、伊勢の「御師」らが広めた伊勢神宮は「日天さま」であり、農耕の守護神であった。
 その反面、支配者たちは「伊勢大廟」の称号を以て、皇室の祖先を祀る「みたまや」の認識をしていたから、支配者の伊勢参宮は無く、一般農民の参宮が多かった。

 明治新政府の枢要人物は、明治2年・東京遷都に当って「伊勢神宮への天皇の行幸(参拝)」を求めた。これは式年遷宮を定めて実施された持統天皇(西暦 692年)の行幸以来のことで、ここでも「大改革」があり、以後、大正・昭和・平成の天皇も行幸があるようになった。またそこから、全国神社を、伊勢神宮に帰一せしめる「唯一絶対化」が始まったのである。

 確かに「古事記・日本書紀」は、高天原の主神を天照大御神とする。系譜から言えば、イザナギ・イザナミ両神の御子神である。神社で言えば、近江の多賀大社や淡路の伊弉諾大社の御子神社である。
 ただ、御位を譲られて「只今、御当主」でいられる。

 そこのところを強調した明治の国家神道は、キリスト教の真似をして「唯一絶対の神」としたから、天地の創造主(エホバ)の輩下に、自ら成り下がることになり、第二次世界大戦の時、米国に対する「宣戦布告文」で苦労することになり、漢学者の作文した「天祐を保有し」と冒頭表記する詔勅となってしまった。これは誤りで、これでは「天照大御神」の御心に従うものではなかった。そこを突かれて、
「日本に固有の正義は無い。只の侵略者」であるとされたのである。

 第二次世界大戦の直前に「米国への宣戦布告文」の草案を依頼されて困った
「佐藤定吉(工博・東北帝大教授)・今岡信一郎(正則学園長=在東京)=何れもキリスト教徒」は、キリスト教聖典に勝る「大義名分」の聖典が無ければ、この戦争は緒戦で勝っても「世界の正義」に負け、全世界を敵にし、その後遺症は「千年の長きに及ぶだろう」と進言し、軍都の勇足を戒めたのである。

 まさに「漢学者」に押し切られた「国家神道」の怠慢と無知を露呈している。
 そこで、戦時中、神道家以外の知識人は「天之御中主神に造化三神(産霊神)の論理的考証と確立を求める声」がやかましくなった。しかし、それを確立する暇も無く敗戦となったのである。

 これに対し、中山忠徳卿は、吉田兼倶が説えた「大元尊神(大元霊)」を軸に立てるべきを提唱したが「古事記学者」からは、完全に拒否された。

 中央大学名誉教授中西旭先生(神社本庁教学顧問)は、「産霊の思想こそ神道の根幹である」とし、
 「無尽蔵の生々化育の根源が産霊神(造化三神)である」と主唱してきたが、
国学院大学を軸にする神道学者らには受け入れられることなく、神道の国際的承認を受ける「基礎的論理」の樹立をさまたげてきた。

 今まさに「神道は大改革の時」を迎へているのである。
 神社界は「氏子・崇敬者」を教育する「根拠の哲学」を明解にし、中西旭教授のいう
「八百萬の神は、産霊の神の体現者である。それを表現するものが日本各地の祭りである」とする視点に立ち「神道国際化」の基礎を確立するべきではないか?

◎今、平成の大宗教改革がはじまる
 ヨーロッパの統合(EU)は、明治の日本統合に似る。EU12ヶ国で3億5千万人が「言語・習慣」を超えて統合し、「ヨーロッパ共同の家」を造った。これは「ヨーロッパ維新(EU維新)」と言ってもよい事柄である。

 当然「通貨が変わる。宗教が変わる。」
 通貨は「国家のシンボル」である。EUROは統一欧州のシンボルである。
 これに「IT革命」が加われば「公用語」を何にするか? となるが、英語は自然の成り行きで公用語の一語となる。
 今「ナレッジ・マネジメント」なる語が動いている。これは「1980年代まで通用していた知識が完全に役立たなくなった」ということで、情報通信革命(IT革命)を機に、知識の本質が変わってきた。言い換えれば全世界の宗教・思想・哲学が一変する。世界同時の知識革命が起こっている」ということで、
「新しい知識の創造・獲得・表現・移転・統合」が全世界に求められることを
「ナレッジ・マネジメント」と言う。

 この「創造の一例」が「ヒトゲノム(人の遺伝子解析)」の応用である。これにより、ガン・アルツハイマー病などを治せる薬が造れるというわけで、日米欧は、しのぎを削って大開発を急いでいる。しかもこれが“国家戦略”として競はれているのに日本の対応は遅れている。

 もちろん、これは「科学の一分野」であるが、これを「金融」という問題に置き替へると「株式相場」を張るゲーム(マネーゲーム)に無知な個人は、もう参入できない。

 一日に「数兆ドル」を動かす国際市場の動きは、日本を一呑みにできる力がある。それが「アジアの通貨を危機」に墜し入れたのである。
 この国際金融市場の主力が「ヘッジ・ファンド」のゲームである。中位の国家は、“3日”もあれば破綻させられる。

 日本の再生は「日銀法の改正」はおろか、行政の構造改革に至るまで“戦略”が無ければならない。その戦略には「敵の謀略」を防衛する力も充実させなければならない。その前に「日本型社会主義」によって作り上げられた“戦後55年”の労働観を完全に改革しなければ、今までの労働者は全て不要となる。

 もはや終身雇用を受け入れる企業はない。おそらく約1300万人が有期契約社員になる。実質上の失業者は2千万人以上となる。
正社員というのは「マネジメントに協力できる人材」である。

 このマネージャーとは、多くの情報を集め、四方八方に目を配り、戦略・戦術がたてられる人材のことである。

 宗教は、何時の時代も「社会・個人の指導原理」であった。その点からみると、今の神社界に、かかる指導原理を持つ人物は珍しい。まるで、そうした感性を備えることを「邪道」の如く心得ている者が多い。

 神道の実体は「神の霊に結びつく心の開発」をすることである。そこから「新しい儀式」も生まれてくるのである。
 それは「神が社会・大自然を経営されている存在である」の認識に立って「祈りのうち」に、姿(ミタマの実相)を透視できる能力を開発してくれる指導者が「神職の本姿」ではあるまいか。

 もはや「外なる神」を祀る宗教から「内なる神との対話」を促す宗教が「ナレッジ・マネジメントの時代」の宗教であろうと思う。
 「外なる神」を祀る儀式宗教は「参詣者に責任を押し付けた支配者側の戦略としての宗教」である。
 これからの時代は、個々人が「内なる心」の中に渦巻く「多重人格的な心」を整理整頓する「内観の道」を伝授できる指導者を持つ宗教団体でなければならない。そのことは日本の神社も例外ではない。まさに第三次の神道大改革の時代に入ったのである。

 また「神社」は、新しい時代が見える人材を育成する道場に変貌しなければ、神社の存在は完全に滅亡するに至る。もちろん、神社は、宗派不問、誰でも受け入れる「解放の場」であるから、特別に指導はしない。というのも一理あるが、次の世代は、それでよいのだろうか?

 今、世界は「内なる神との対話」に向かいつつあることを知るとき「神との接心」が、宗教であるとするなら、日本の神社は、その問題から逃避しているとしか言いようが無い。まさに「神職の怠慢」を問はれても仕方がない。

 まさに「ナレッジ・マネジメント」の時代に対応できる「日本神道」であるには、此の「内なる神との対話(接心)」をテーマに「神社の祭」を解説する神職の訓練が急がれる。まさに、「神道大改新の時代」である。
(平成14年2月23日記)

お読み頂き、ありがとうございました。
上記内容について、ご感想、ご意見等なんでも、斎宮あてメール下さい。



  

※無断転写・複製を禁ず。