5月31日(水) 香川県 詫間町 粟島 日和待ち
前線上を低気圧が北東進。瀬戸内海は一時的に強く降ることがあっても、降ったり止んだり、ほとんどが曇りか霧雨程度のはず。低気圧が頭上を通るので、通過のタイミングで東よりと北西、あるいは西よりの風が強く吹く恐れはありますが、カッパを着れば出港できるであろう天気・・・・・・・・・・・・・でもKasayan、臆病者なので、視界が悪くなったら備讃瀬戸の西で列をなしている本船が見えない、あるいは見てくれない、いたるところにある魚網
のブイが見えないのでは・・・・と考えてしまい、小さく美しい島で日和待ち。
昨夕、Kasayanが停泊している桟橋の隣に船を留めている漁師さんから「グチ?」という魚をもらいました。ぴちぴちとはねて、腹を抑えるとグーグーという泣き声を出すピンクの魚。かわいそうでしたが、Kasayanが包丁で一気に頭蓋骨割。桟橋でさばいて煮付けにしました。淡白な白身の魚で、全て二人に腹に納まりました。
この島には、見たところ、信号機など一つもありません。時折原付バイクが走っていきますが、誰一人ヘルメットなどかぶっていません。目の前に駐在所があるのですが・・・。お婆さんの多くは、昔の乳母車のような台車を押して荷物を運んでいきます。そして、発見!!!昔懐かしい、3輪の軽トラック「ダイハツミゼット」すでに廃車になっているようですが、懐かしさの余り、譲ってもらいたい衝動に駆られました。
また、島の中心地には、黒いかわらの立派な旧家がたくさんあります。この島は、かつて瀬戸内海から日本海を北上し、北海道まで行き来していた北前船の船主が80軒以上もあったところ。Y字型をした島は、いずれの方向の風からも船を守り、燧灘の西の重要な海上交通の拠点。多分、その時代、隆盛を極めた船主たちの家が残っているのでしょう。対岸の四国を眺めながら、北前船が白い一枚帆を揚げて西へ、東へ走っていく姿を想像していました。
朝食は魚肉ソーセージを使ったケチャップライス。魚肉ソーセージは、常温で保存が利き、そのままで食べても良し、肉の代用として使っても良しとロングクルージングの保存食としては非常に優れもの。昔、給食のサラダにほんのわずか入っていた魚肉ソーセージ。今でもKasayanの好物の一つです。
昼間は、キャビンで明日の航海計画。備讃瀬戸南、北航路の西の玄関口を横断。六島の東を通過、宇治島、走島の西にはつぼ網があるので、この二つの島の東側を北上、阿伏兎瀬戸に入ります。そのまま島の迷路、芸予諸島の水路を進み尾道か因島まで行く予定。条件次第では、芸予諸島の東の端、田島と横島の間の横田漁港に入りたいと思っています。ちょうど、4月号と6月号の「舵」誌の特集のあったところ。いよいよ、多島海としての瀬戸内海の中心部へ。ここ粟島でも潮の干満差は3メートル。潮が引いている間に絶壁になった岸壁に寄りかかった船の船底掃除をしている人も。
これからの急潮、干満差、そして迷路のような島の狭い水道を初めて経験するKasayan。少々緊張モードです。
昨日、高松から備讃瀬戸小槌島へ向かう途中に見た屋島の朝焼け
右はYBCのクラブ旗と金毘羅さんの海上安全旗。
とても綺麗だったので・・・・・・・・・・・
|