おねがい*ティーチャー SS (before story)

 「失われし日々」 〜 3・断絶 〜




”それ”は、人知れず生まれた。
いや、宇宙が時間を知る遥か以前に生まれた。

母親より産み落とされた”それ”は、ひとりで成長して行くだけの栄養と力を体内に蓄えていた。
あとは、何かのきっかけがあれば、”卵割”・”分裂”していき、やがて一人前になるはずだった。

ところが何かの偶然か、不可思議な出来事が起きて、”それ”は他の体内に再び取り込まれ、殻の中で永遠に休眠する事になった。


永遠のはずだった・・・


無限とも言える時間が流れ、だが一瞬だったのかもしれない。
無限小の大きさに閉じ込められた”それ”に、近付く物があった。
進路は交差し、やがて接触した。

”それ”にとってはその事は、何かに撫でられた事ぐらいにしか感じなかったにちがいない。だが、停まっていたプロセスを再開させるには十分な刺激だった。”
それ”は自らの戒めを解き放ち、内に秘められたその無尽蔵なエネルギーの開放を始めた。



まりえは”それ”が起きた事を察知した瞬間に事態の重大性を理解し、マスターの指示を仰ぐ事無くその〜膨張する空間〜を、船体の周囲の閉曲空間から切り取って、「出来るだけ遠いところ」に投げ捨てた。
だが、異質な”それ”は、こちらに予想も知れないダメージを与えていた。
空間が歪み・振動し、悲鳴を上げて取り乱していた。
まりえは必死に、暴れまくる空間方程式の手綱を引き、落ち着かせようとしていた。



聞き慣れない音がブリッジに鳴り響いたのは、通常空間に復帰する5分前の事だった。
まだ乗りこなしていない新造鑑故、全ての警告音を聞き分けている訳ではない。

「まりえ、現状報告! 最優先事項よ」
すかさず、はつほの声が飛ぶ。
普段なら間発入れずに表示されるレポートが、今回に限って一呼吸以上の間をあけた。
所々赤文字でフラッシュしているそれらを判読するな否や、はつほは即決した。
「まりえ、現時点でパラレルスペースから即時離脱!安全な近傍の通常空間に復帰して! 最優先事項よ!!」
「なぁぁ・・・」
まりえの反応に力がない事に気付く余裕がない。
「おかあさん、どうしたの?」
「変なのよ。この船の質量が増えたの。それも瞬間的に」
「??」


まほが問題を理解していないのは当たり前のことである。通常の事態ではこんな事は有り得ない。
別の船が、パラメーターを調整して空間の融合を行う事はあるが、非常事態のみに限定されているし、民間船はそれを行うだけの余剰出力と、空間整合を行う能力を持っていない。
軍艦、警察鑑、突入救助船にはその為の装備があるが、それさえ事前にこちらのセンサーによって感知出来るはずである。
これらにステルス機構が開発されたという噂も聞いていない。

まりえは2人が事態を理解していない事を理解しつつ、異質に変化した空間構造の保持と、通常空間への復帰命令を実行する為に、あちこちが不安定に振動している空間パラメーターの膨大な修正計算を始めた。



「3、2、1、通常空間復帰。障害物走査、位置計測スタート」
ぐらん!!
船が通常空間に復帰したとたん、異様な衝撃が船体を襲った。通常なら艦内環境は標準重力に保たれ、慣性制御技術と共に揺れや重力変動などとは無縁のはずだった。
「お母さん! なにこれ?!」
「まりえ! 状況報告! 再優先事項よ!!」
だが、それに対する反応は返ってこなかった。普段ならありえない事態に戸惑いながらはつほは、いつもなら前方に浮遊しているはずのまりえの姿を探した。
まりえは居た、制御パネルの隅の方で、力無く横たわって・・・。
「まりえ?どうしちゃったの? まりえ?? まりえ〜?!」
呼べども反応が無い。表情モニターはホワイトアウトしており、生体端末は見るからに機能を停止していた。
「お母さん!モニターを見て! なにか変なの!!」
はつほに追い討ちをかけたのは、まほが見ていた外周モニターの画像だった。通常空間に復帰しているのなら、輝く星たちと、目視出来る距離にナルフス星系の主連星ナルフス・ミル、ナルフス・タルの2つの姿が映っているはずだった。だが今、進行方向に見えるのは、まだらな色の光の固まりだけ・・・。
「なに、これ・・・? あっ! まさか、そんな!? スター・ボゥ?!?」
「スター・ボゥ?」
まほが、聞いたことの無い言葉を繰り返す。


はつほが自分自身を見失っていた時間は短かった。
船の制御は、その膨大な計算負荷でまりえが機能停止した瞬間から、安全機能によって船内搭載機器の制御に切り替わっていた。優先順位を考えて必要な表示だけをするはずの状況報告の空間投影ウィンドゥが、はつほの前だけでは表示しきれずに隣のまほの前まであふれてゆく。危険・重要項目を表す赤文字がかしこに踊っていた。
「まほ!、かまわないから方端から承認していって。急いで!」
「わ、わかったわ」
船の全ての制御が返ってきたことを完全に確認する間もなく、定格出力で運転していた主機を緊急出力である130%まで上げ、前方シールドの強度をリミッターをはずして200%まで上昇、重力勾配を船体後方に最大傾斜で設定し、船体の設計限界ぎりぎりの減速を開始した。もちろん救難信号を発信するのも忘れてはいない。

《どうしょうもなかったら、全部の安全装置を切って完全手動で危機を脱出するくらいやってみろ》
ふと、かつて研修で世話になった古い船の、老練の船長の言葉が思い出された。
(まさか、自分がこんな事になるなんて・・・)
一瞬、はつほは現実を忘れて苦笑した。

「お母さん、どうしたの?」
まほの言葉に現実に引き戻されたはつほは、真顔になってまほに向かった。
「いい?ちゃんと聞いてね。 まほ」
「う、うん」
普段は怒る時ぐらいしか見せない、(だが、笑いながら怒る時が怖い)母親の真剣な眼を見て、まほは無意識に姿勢を正していた。
「今さっき、この船はほとんど光に近い速度で航行してたの。見えた船外画像は星の光が光行差で前に集まって、速度による周波数圧縮で背景放射まで見えるようになったせいなの。」
「でも、通常空間復帰は普通、光速の10%以下になるようになってるんでしょ? どうして?」
「それはね、たぶん・・」
はつほは、右前のパネルの上に横たわっているまりえを見つめて続けた。
「さっきの異常でまりえが故障したせいかもしれない。そんな予兆はなかったんだけどね」
「・・・、それで、まほたちは助かるの?」
今にも涙を流しそうな表情になったまほが、はつほを見つめて聞いた。
「大丈夫よ、今、急ブレーキをかけてるから。このままなら4時間で通常航行速度まで落とせるわ。でも・・・」
かすかに明るさが戻ったまほの表情に、最後の言葉が陰りを作った。
「でも?」
「光に近い速さで動いていたから船内時間と船外時間の比率が物凄い事になっちゃって、こっちの1秒がもしかしたら外の時間では1日以上になっていたかもしれないの」
「え??」
「それにまりえがこんな状態だと停船出来たとしても、位置計測をしてまたウェーヴドライブで帰るのも無理ね、迷子になっちゃう。多分、管制局は送った航行計画からうちの船の暴走を見付けたハズだから、航路は追跡してると思うの。救難信号も継続発信してるし、こっちが停まれれば助けに来てくれる」
最後は自分に言い聞かすように、はつほは答えた。


<続く>
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