おねがい*ティーチャー SS (before story)

 「すべてのはじまり」  − 停滞・最期の刻(とき) −


全ては悪い夢の様だった。

「大佐!! マストが!!」
『マストがどうした?』
「落ちてきます!!」
『?? なんだと?!』
冷静沈着なスミス大佐でも、言葉に焦りの色が混じった。
おかしなことだ、なんでこんな時にそんな事を感じられたのか・・・。

破断したマストは、切り離し直前の、前方のテンションワイヤーに引かれ回転して、事もあろうにランダーの中央居住部と、操縦室を分ける隔壁部分を目指して”落下”してきた。
その瞬間は、スローモーションのようにゆっくりと感じた。
最後の瞬間、ボブがすべての安全装置の制御を超えて姿勢を変えようとしたが、電力が不安定になっていために制御系が反応しなかった。
その、カーボン&チタンのパイプは皮肉な事に、設計者が考えもしないシュチュエーションで高強度を発揮した。
船外壁を切り裂いてゆっくりと沈み込んでゆくと、そこでまた破断して大量の破片と電気火花を散らした。
銀色に輝くアルミコーティングの破片が、吹き出す空気の流れにはじかれて飛び散るのが見えた。

「大佐! 大佐!!」
クリスが悲鳴になった声で呼びかけているが、暴風となった空気が起こす騒音がすべてを覆い隠していた。これは悪魔が我々に与えた、わずかばかりの慈悲かもしれなかった。
そこにいる4人の絶叫を聞かずにすんだのだから。
やがて嵐はおさまり、通信機を沈黙が支配した。ランダー側からの電力回路も切断され、非常灯の赤い明かりが照らす操縦室に船体の異様な鳴動だけが聞こえていた。


どれくらいの時間、なにも出来ないでいたのか?
僕が最初にやったのは、叫ぶ事だった。
「畜生!!」
電力が落ちて、なにも映さなくなったモニターを殴る。
液晶パネルが割れて、赤く薄暗い非常灯の明かりのなか、破片が飛び散った。
痛みを感じる余裕さえなかった。


ドッキングポートへ行ってみると、ハッチに赤く”LOCK”の表示が出ていた。
ハッチの両側の気圧差が極端にある場合に、機械的に施錠する仕掛けだ。シンプルである為、信頼性は高い。つまり、向こうの気圧は殆ど真空であるということだ。
ドッキング中では気密が保たれているはずのポートでさえこの状態だと、4人は絶望ということだった。マストが刺さった時にブロックが歪んだにちがいない、電力の供給も切断されている。
何も行動する気になれなかった。
ハルモニアはこのまま火星の周回軌道に入れずに、虚空に漂うだけになってしまう。
死刑を宣告されたようなものだ。
クリスがさっきSOSを発信していたが、方向の安定しないパラボラでは届いているとは思えなかった。


こんな時でも腹はへる。
電力がすべて使えないため、調理も出来ない。
何かないかと考えたら、自分の個人ロッカーの奥に隠しておいたポッチーを思い出した。
隊員に選抜された時の記者会見で、チョコレート菓子が好物だと答えたならば、日本のお菓子会社が開発して、宇宙食の認可をとってしまったという。
宇宙の過酷な環境に耐える耐熱、耐乾燥、対放射線、長期保存可能、無重力空間でも飛び散らない特殊製法といううたい文句を宣伝に使っていた。
一応、外箱には”NASA公認宇宙菓子”と書いてある。
火星着陸の時にみんなにも分けて、”火星まで行ったスナック”の称号を付けてもらおうかと思っていたのだが、それも叶わなかった。

操縦室に戻って、クリスにポッチーを差し出した。1パック取りながら、疲れた笑顔でクリスが答えた。
「ケイったら、そんな物隠し持ってたの?」
「大好物なんだ。火星着陸のパーティのときに振る舞おうかと思ってたんだけど・・」
「パーティじゃなくて、最後の晩餐になっちゃったわね・・」
「・・・・。ボブ、どうだい?」
「俺は要らない」
そういうとボブは膝を抱えて顔を伏せてしまった。
僕は言葉が見つけられなかった。
受け取られなかった箱を、僕は自分のポケットに押し込んだ。


船体が不安定に回転している為、時々窓から太陽の光が差し込むときがある。
僕が目覚めたのは、そんな強烈な光が当たったからだった。
あれからどれくらいの時間が経ったのかわからない。体内時計は完全に狂っていた。腕時計を見ると、2日と4時間といったところだった。
非常電源を直結で動かしていた環境維持の装置が止まったのは昨日。
気温はすでに氷点下だろう、はく息が白い。
二酸化炭素の濃度も高く、頭がすっきりしない。
ふと隣を見ると機長席のボブがいなかった。
(どこに行ったんだろう?)
振り向くとクリスは席で眠っていた。まだ息をしているのを見て安心したが、なにも解決になっていない事は明白だった。

ボブを探して船内を漂った。ラウンジ、居室、エアロックが手動で開閉されたかどうかまで見たが、見つからなかった。
おかしいと思いつつ、右舷観測室を覗くと、彼はそこにいた。
すでに生きることを自分でやめていた。
室内には、ドクターの医療ロッカーから持ち出したらしい錠剤とその瓶が漂っていた。僕には薬剤の種類は判らないが、睡眠薬かその様な物かもしれない。
僕は漂っているボブを捕まえると、胸の上で手を組ませた。それぐらいしか出来ることはなかった。
苦しんだような形跡が無いことがせめてもの救いだった。


操縦室に戻ってくると、クリスが目を覚ましていた。
「どこにいってたの?」
「ボブを探してた」
「どうしたの?」
「自殺した」
「そう」

ごまかすような台詞が思いつかなかった。
もう、そんな余裕も無かった。
時間の問題だ。
せめて、彼女の最期は看取ってあげたい。そんな思いがした。

「ねえ、星を見ていたいの、一緒に来て」
「ああ、判った」
僕と彼女は凍える手でシートを離れ、観測室に向かった。
右舷観測室はボブの遺棺だから、僕たちは左舷観測室を開けた。

歪を無くすように、光学的精度で磨かれた高透明ガラスは、有害な宇宙線も同時に透過する。
しかし、すでに命の終わりを告げられた僕たちには関係の無い事だった。
最期の刻に、満天の星空と一緒になる。それはせめてもの贅沢だろう、そんな風に思った。
観測ドームの遮蔽板を手動で動かすと、地上では見られないほどの数多くの星々と、大きな赤い火星が姿を現した。

弱々しい声で、彼女が聞いてきた。
「私たち、あそこへ行けないのね。行けたら何をしたかった?」
「そうだな・・、タコ型火星人の風船でも持っていって、記念撮影でもしたかったな」
「ふふっ、ケイらしいわね、そんなところが好きだったんだけど。もしも無事に帰ってこれたら、・・・、貴方の故郷に行ってみたかった。この前、話してくれたでしょ・・」
「ああ、山に囲まれた湖があって、綺麗なところだよ。でも、なんで?」
「貴方と一緒に暮らしたかったの。綺麗な風景の湖のそばで一緒に・・、結婚して・・」
最後が涙声になって、途切れた。
そうか、彼女だけが僕を特別なニックネームで呼ぶのも、直接起こしに来るのも・・。
これは、宇宙一の鈍感さだな、僕は。
彼女に言わせてしまった。それもこんな先の無い最悪の状態の時に・・。
これは僕の罪だ。

僕は彼女の手を取ると、手の甲に口づけた。
騎士が、仕える者に対して取る最上の礼だと、昔聞いた事をなぜか今になって思い出した。
「シロウ・・・」
クリスが涙声で呼ぶ。
それに答える。
「クリス・・・」

船体が回転して、太陽が観測窓の視界に入ってきた。
光と暖かさがこれだけ離れたところにもやってくる。所詮人間は太陽の恵みと、地球の優しさに包まれていないと生きて行けないちっぽけなものなんだ。
星々の海を渡るのは、見分不相応の大それた事なのかもしれない。
星々が見守る中、僕はクリスを痛いほど抱きしめた。



神は僕の最後の願いを叶えてくれた。
クリスは最後に、僕の名前を呼んでくれた。それが最後の言葉だった。
さあ、これでおしまいだ、死神よ・・・。
体力はとうに尽きていた。精神力もこれで終わりだ。

目を閉じて凍えていると、最期には人生が走馬灯のようによみがえるって、本当だと思えてきた。
故郷の友達と雪合戦で大暴れしたこと、湖の対岸まで泳ぐ競争で負けたこと、東京の大学の友達と飲み明かしたこと、テレビで見たシャトルの事故、NASAの訓練でバテた毎日、ハルモニアに乗り込んでからの日々、クリスの笑顔・・。
今度の人生があったなら、こんなつらいことはないようにしたかった。
忘れたかった。忘れたい。こんなつらいことは・・・。
思い出したくなかった。思い出したくない。
ふと、黒髪の女性のイメージが消えていった。
あれ。だれだっけ・・・。
やがて、5,6人の外国人の顔が浮かんでは消えていった。
何か、狭い空間のイメージが消えて・・。
青い空と、湖が感じられる。
それすらも消えて・・
真っ白い
なにも無い
まったく何も
・・・

刻(とき)が停まった・・


<続く>
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