おねがい*ティーチャー SS (before story)

 「すべてのはじまり」  − 最終減速・悪夢の瞬間 −


太陽電池の発電電力は、正常値の75%という処だった。
早めに減速を開始した分を使っても、最終的に秒速1キロ弱がスピードオーバーだ。
どれくらいの速度差かというと、時速に直して3500Kmを超えている。まあ、免許取消どころか、人生を棒に振るぐらいの差だ。なんてったって、火星の周回軌道に入れなくてあさっての方向に飛んで行ってしまうのだから・・・。

そこで、最後の最後で火星着陸船のエンジンを使う。これは着陸時の減速と、火星脱出時に使うための物だった。船首に進行方向と逆の方向でドッキングしてあるのでまた姿勢を180度反転させなくちゃならない。
太陽電池を投棄したり推進剤を使って少し軽くなったとは言え、ハルモニアの総質量は280t程だ。これを推力68tのランダーの逆噴射で減速する。最大で0.25Gの減速Gが予想された。

また船体を反転させる作業が行われ、人員が配置に付いた。
今回は主制御がランダー側で行われるために、大佐は向こうにいる。母船側には僕とボブ、クリスだ。
なんでも、重心が太陽電池パネルの投棄で推力軸と狂ってくるために、エンジンのジンバル機構でノズルを振って一致させなくちゃならないという事だ。
だけど、その姿勢制御プログラムはランダー単体の時用に作られていて(着陸時の制動噴射や、上昇中の時に使うだけで、こんな使い方は考えているはずは無い)、母船とドッキングしている場合の動作が確定的ではないし、姿勢を読み取るジャイロのデータは本船側から送る必要がある。
さらに、ランダー側でメインエンジンを点火している時は、ランダー側からの本船の姿勢制御系の噴射制御は出来ない(ドッキングする時にはそんな大推力を使う訳には行かないから、安全装置がある)。つまりみんなでよってたかって、時には手動で制御する必要があるという事だ。地球との通信時差は4分以上あるから、全てこちらで判断して行動しなくちゃならない。

こっちの母船操縦室では、ボブが最後の姿勢修正噴射を終えたところで喋っていた。
「何もこんなにややこしい事をしなくても、ワープエンジンが実用化されるまで待ってりゃもっと楽なんだ」
『今度作っておくよ』
ランダーにいるハリスがインターコムで答えた。
「今度って、いつだい?」
『そうだな、2063年かな?』
「?? 2063年に何があるんだ?」
『”スタートレック”で、人類初のワープに成功した年さ』
「あら? ハリスったらトレッキーだったんだ」
僕の左後ろで、地球からの最終チェックのパケットを受信していたクリスが会話に加わった。
『ああ、そうだよ。だからこんな処にいるんだ。みんなは違うのかい?」
「俺は”スターウォーズ”だな。ミレニアムファルコンを飛ばしたい」
ボブが答える。
「私もスタートレックは見たわ。それも一番最初のシリーズが好き」
クリスの、思いも寄らない発言がちょっと波紋を呼ぶ。
『じゃあ、なにか? そういう人材が集まって宇宙船を飛ばしてるってことか?』
『私は違いますからね。星を見るのが好きだったから、いつか星の世界に行ってみたいと思ってた。主人もそれを知ってて送り出してくれたんですから」
ドクターの話が少し救いになったような気がした。
「それじゃ、ケイはどうなの?」
「えっ? ぼく?」
『シロウは違うんじゃないか? ニホンはオタクの国だって言うし』
ハリスが余計なことを言う。
「僕はオタクじゃないぞ!!」
「じゃあ、なんなの?」
クリスの質問に僕は困った。
小さい頃はアニメもよく見てたけど、そんなにのめり込まなかったから一般人のはず。ここに居るのは人間の手がまだ触れていない未知の火星への思いと、学術的好奇心のせいだから、縁の無い事だと思ってた。
「僕は学者として、火星に行ってみたいと思ってるんだ」
「あ、そう・・」
なぜか、クリスが淋しげに言った。
「じゃあ、大佐は・・・」
『おしゃべりはそこまでだ。各自、自分の作業を確認。カウントダウンを継続』
「了解」
大佐は自分の事は話したくなかったのか、中断を命じた。
クリスの復唱が少し、残念そうに聞こえたのは気のせいじゃないだろう。
そういえば、会話に入らなかったチョフォフはどうなんだろう?
ロシアの方じゃこんな番組はやらないだろうし、こっちに来てから知ったかな?
よく判らないや。


ランダーによる減速噴射1時間前に、船首フェアリングの投棄を行った。
母船と頭をつき合わせた向きにドッキングしているランダーのエンジン部分は、ハルモニア全体の船首にあたる。
ランダーのエンジンを微少隕石などからの衝突から保護する為に、カバーとしてカーボン、ポリカーボネード、ケブラー、チタンなどの複合素材のシールドが取り付けられている。
ランダーのコンピュータに大佐がパスワードを入力して、爆発ボルトによる切り離し。
微妙に指向性とタイミングをずらした爆発で、進行方向から外れて離れて行くのを船外カメラで確認した。ズームダウンすると背後にはもう、すぐそこに大きな赤い”半火星”が見えている。
(もうすぐなんだ)
はやる気持ちが不安を覆い隠す。

最終減速秒読み。
『各自、シートベルトを再確認。母船側は逆Gになるから気を付けろ』
「了解」
全員の復唱が見事に重なる
ランダー側にいるドクターのカウントダウンの声が、緊張を呼ぶ。
『10、9、8、7、6』
『最終シークェンス、確認』
「確認、正常」
『5、4、3、2、1』
『0』
『点火、推力50%』
ランダーのエンジンの噴射による減速Gが身体にかかってきた。無重力に馴れていた身体には微少Gでも腕が重く感じる。
「船体の姿勢が変化、Y軸周りに0.27deg/s2。ノズル修正値Y−0.8deg」
データはコンピュータで送られているが、ボブの読み上げは儀式のような物だ。
『ノズル修正Y−0.8deg。修正完了』
ランダーのチョフォフが答える。
「回転修正噴射。完了。姿勢正常位置へ」
回転と姿勢を微妙にカウンター噴射で修正していくボブ。微調整もうまいものだ。
宇宙船で車庫入れも出来るかもしれないなと、こんな時にふと思った。
『了解。フルスラスト』
「噴射時間は7分を予定」
船体が安定したところで全力噴射に入った。
僕は船体の状況監視をしている。
今のところ異常はない。最大の問題はテンションワイヤーの無くなった下舷マストの強度だけど、全長が半分以下に短くなったせいで、計算上は減速Gに対して160%の強度が確保されているそうだ。どれくらいの力がかかっているのかはワイヤーの張力から計算するように作られていたので調べようがない。上舷側の方はというと、環境モニターの後部ワイヤーの張力表示がイエローゾーンで多少上下しているが、まだレッドゾーンに入るまでは余裕があった。
噴射終了まであと3分。


だが・・。


”どぉん!!!”
船体に衝撃と、にぶい音が響いた。
直前に僕は、環境監視モニタの一部に赤の表示を見ていた。
ワイヤーの張力監視・船体上舷・後部。
張力88%の次の表示が0%
一瞬置いて今度は、”メキメキ バキ!”という音が響く。
直後、操縦室の通常照明がままたいて消え、非常用の赤照明に切り替わった。
『噴射停止しろ!チョフォフ。母船側、何がおこった?!』
不安定なモニタ画面の中で大佐が、慌てているイントネーションで聞く。
僕には最悪の事態しかイメージ出来なかった。
「テンションワイヤー破断!! 上舷マスト倒壊します!!」
『なんて事だ!!』
大佐の後ろではハリスが叫んでいた。
『緊急船長権限で太陽電池を全投棄する。パスワードを送る。ミスター・カザミ、君が投棄しろ』
「え?、そんなことしたら・・」
『したらどうなる? しなかったらどうなる? マストが船体を叩く方が余程被害が大きい。命令だ、投棄しろ!。シロウ・カザミ!』
「了解しました、大佐!!」
非常電源に切り替わって、コンピュータ系は最低限の動作が続いている。ランダー側から通常データで送られた大佐のパスワードを、こちらのコンピュータに入力し直す。

船体構造投棄メニュー
項目:太陽電池パネル
パスワード:*********

投棄認証
最終入力
1秒以上の間を開けて、ENTERキーを3回押す事を要求される。

1つ目。

2つ目。1秒が永く感じられる。
入力の瞬間に、またしても船体に衝撃があった。見上げた環境モニターに赤色表示が1つ追加された。
船体上舷・前部ワイヤー張力:143%

3つ目。
投棄実行。
”ばしゅ!! どん!”
まず、船体上下の補強ワイヤーを固定していたウインチ基台が爆発ボルトで切り離され、続いてマストの基部が旋回用のモーターごと投棄された。
これで本船側の発電は期待出来ない。ランダー側からの供給を使うようになる。
無人で先行して、火星周回軌道にいるタンクの維持用のパネルを繋げれば、生命維持も問題ないだろう。どうやって地球に帰るかだな・・・。

電圧異常でブラックアウトした画面の向こうの大佐が話す。
『よくやった、ミスター・カザミ。これでもう当座の・・』
だが、大佐の声は途中で遮られた。
「きゃあああ!!」
クリスの悲鳴に振り向いた僕の目に入った物は、電気火花を散らしながら船外モニターの視界に入ってきた巨大な銀色の棒・さっき破断した太陽電池パネルのマストだった。


<続く>
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