おねがい*ティーチャー SS (before story)

「すべてのはじまり」  − 船外作業・減速前段 −


結局、姿勢変更は5時間程かかった。
地球に状況を報告して、荒れ狂う磁気嵐の中、まともな指示が返ってきたのは更に5時間後。
地球側の対応に時間がかかる事を見越して、大佐が順番で休憩時間を設定したのは正解だった。少しだけだが休めたのはうれしい。
非常事態なのに、そういう事を指示するのが大佐のすごいところだ。

その後再び、全員でラウンジに集まった。
地球から言って来た事をまとめるとこうだ。

1、マストが欠損した部分で、下舷太陽電池を切り離して投棄する。(3の時点で強度不足が想定されるため)
2、残存パネルで発電した電力で、減速噴射を開始する。推力が足りない分は噴射開始日時を早めて対処する。
3、それでも最終的に減速が足りないので、再度姿勢を反転してランダーのメインスラストを最終減速に使用する。
4、火星を焦点とする楕円軌道に入り時間をかせぐ、主推進で徐々に減速して、先行タンクとランデブー。先行タンクに積んである推進剤の予備を移し変えて火星へ降下する。


太陽電池の有効面積が減る→発電電力が低下する→水を加熱するためのレーザーの出力が落ちる→噴射速度が低下して推力が減る→火星にランデブーする時までに減速が間にあわない
という事が今回の問題だ。

ハルモニアの設計者も、こんな事になるなんて思ってもいなかったに違いない。
僕もまさか最終減速にランダーの主エンジンを使うとは考えなかった。
これはケロシン・液体酸素エンジンで、エネルギアロケットのブースターの設計の流用だろうとチョフォフから聞いたことがある。推力は最大で約68tだ。
ドッキングポートが、それを支える強度に作られているのが奇跡に思えてきた。

他にも、ランダー側の(主として火星滞在中に使う)太陽電池を使えないかと考えたが、レーザー発振器が要求する大電力にはまるで足りないとか、それだけの電力を流す経路が作られてないとか、エンジン側の配線は母船の維持系統とは別になっているとかで、無理と判った。
欠損した配線を繋ぐのも、そんなことを想定していなかったので資材がない。
あちこち回路図や構造図を広げていたハリスがぼやいてたっけ。
「だれだ?こんな設計した奴。うらむぞ」


太陽電池を投棄する場合、コンピュータに船長がパスワードを入力して、爆発ボルトでマストを切り離すという手段を取る事になっているが、これでは上下の全面積を投棄してしまって後が無い。
一応、訓練でやったことはあったが、これは船体構造投棄の階層メニューの一番底で、主エンジンとランダーが同じレベルにあったぐらい重要なブロックだ。
生きている部分を残すという今回の事態に対応する方法として、船外作業でマストの連結ボルトを外すという手段が指示された。
これは僕の出番だ。
さすがに、長時間の連続作業でミスが起こっては困るので、”翌日”に行うことに決まった。色々なことが一度に起こりすぎて、いそがしい・・・。


翌日。船外活動に向けて、少しだが休めたのでかなり楽になった。
エアロック前室で、冷却機構付きのインナーウェアを羽織ってから、壁に固定してある宇宙服の下部と上部の間に滑り込む。クリスが上下の連結部の組み合わせ、無線機と生命維持装置、気密状態のチェックをしてくれる。向こうではチョフォフがハリスのサポートで装着している。
『どう?ケイ。ちゃんと聞こえる?』
「ぞくぞくするくらい良い声だよ」
『うふふ、うれしいわ。じゃ、がんばってね』

エアロックの気密ドアをくぐれば、そこは宇宙にあと1歩。遅れてチョフォフが入ってきた。
『ミスター。君の腕前に期待してるよ』
「奥の手がありますからね」

ロッカーに格納されている機動ユニットを背後に背負う。無重力空間だから壁に押し付けてセットするような格好になる。最初の内は位置が決まらずにアタッチメントに余計な傷が増えるだけだったが、もうそんなことはない。
宇宙服と接続して、電力が機動ユニットからに切り替わる。手元にあるミニモニターに電力、移動用窒素ガス、INSすべて異常無しの表示が出た。
チョフォフもユニットの装着が終わった。指サインでOKを示す。
本船側のドアの完全閉鎖を確認した後、減圧を開始、空気が抜けて行く音が聞こえているがそれもすぐに聞こえなくなった。内圧で宇宙服が膨らんでゆく。やがて船外ドアのサインが変わって開錠されたことが判った。
無線に話す。
「ただ今より、船外活動開始します。ドアを開放します」
『了解した、充分に気をつけるように』
スイッチを操作すると、ワンテンポ遅れてドアがゆっくりと内側にずれ、横にスライドし始めた。

ドアの外は真空の宇宙空間だ。瞬かない星が視界一杯・・・、という訳にはいかない。
地球大気が無い分、太陽光線は強力で紫外線、X線、γ線まで含まれている。
結局のところ、目を守るために金を蒸着した色の濃いバイザーを通して見ることになるからだ。
ドアの外に出て、船尾方向を見ると赤い星が浮かんでいるのが見えた。まだ地上で見える月の大きさには届かないが、不気味に赤く光っている。

最初の仕事は下舷マストを下る(感覚的には登る)事になった。窒素ガスを噴射して進んで行く。
パイプの破断部より先端の太陽電池の回路を遮断しないと、作業中に感電する可能性があるからだ。チョフォフと手分けで、およそ10m毎に区切られたブロックのサーキットブレーカーを順番に落とす。

全ての回路が遮断されたのを確認した後、切り離し作業に入った。
まず、マスト先端から船体前後に張られたテンションワイヤーを緩めて外す。
これは地球軌道離脱時に付けていたブースターロケットの加速Gを支える役目をしていた物だ。本来、もうそんなGをかける事も無い予定だったのだけど、ランダーのエンジンで減速することになって必要性が出てきた。まあ、電力線が無事なら最後でそんなに急減速しなくて済むのだから、欠損したパイプとワイヤーでも充分もつことが計算されてたのだけど・・。

母船側の操作で、前後のワイヤーの張力のバランスがとられて緩められて行く。
最後に、ウインチからワイヤーを切り離すのが人力で行う作業だ。
問題無く、アルミコーティングされたケブラーアラミドの高張力ワイヤーは外れ、切り離し部分の太陽電池パネルに巻き付けて処理された。

次はマストの切り離し。
該当する箇所のパイプの接続部はフランジ形状になっていて、計12本のボルトで繋ぎ合わされていた。これを緩めて切り離す。
無重力空間では、力を入れるのにふんばりが効かない。安定した大地は無いし、体重をアンカーとすることも出来ないからだ。片手を支えにして(足がかけられるようなポイントはない)、もう1方の腕で万能スパナを回す。
こんな作業を本来は行うことは考えられていないので、専用に特化した工具を用意してはいない。手間のかかる事は予想された。

そこで使う僕の特殊技能はこれ、文字通りの”奥の手”。
僕の機動ユニットには、左右1対のロボットアームが増設してあり、それにともなってコントロールスティックも増えている。
”両手”のアームで連結部のフランジ部分を掴ませると、身体の固定が効く。
両手を使ってナットを緩める方向に回せば、小柄な僕でも充分に力が使えて効果的に作業が出来るのだ。
一度ゆるんでしまえばこっちの物、右アームを動かしてボルトを掴ませ、左に回転させる動きを操作する。これを記憶させて、更に速度を上げて実行すれば作業は早い。
このアームのお蔭で、何度か作業時間短縮で感謝された。
今回の火星探査に入れたのも、この技術のせいかもしれない。ただ、他の飛行士がこのアイデアを使わないのは何故なのか判らないけれども。

結局、チョフォフの倍の本数のボルトを僕が外してしまった。あとは、配線を切断してマストを放り出すだけ。
無重力とは言え、慣性質量は残っている。およそ800Kgと予想されたマスト先端側の投棄部分を、機動ユニットの噴射でゆっくりと動かす。
隙間が出来たところで、カーボンのワイヤーソーを使う。
何でこんなものが積んであったのかは知らないが、ハリスに言わせると、
「火星でキャンプする時に、木を切ってキャンプファイヤーでもするんだろう」
やっぱり、よく判らないな。

後は、船体から離れる方向に勢いを付けて放り出すだけ。
『ミスター・カザミ。用意はいいか?』
パイプの向こう側にいるチョフォフが声をかけてきた。
「OKです」
『では、行くぞ。3、2、1、それ!』
足を基台側に乗せて、2人で声に合わせてフランジの隙間に入れていた手を持ち上げる。
ゆっくりしとた速度でマストは離れていった。これで後戻りは出来ない。
巨大なゴミを宇宙に投棄してしまった事は問題だが、仕方がない。
何百年か未来に、宇宙ゴミ処理業者が拾って行ってくれるのに期待しようか。


その後、2日前に問題のあった噴射管の確認作業(やっぱり、僕とチョフォフの仕事になった)をしたが、やはり異常は見られなかった。内部配管やバルブかもしれない。こういう症状はとても困る。
活動時間も限られているので、今回はこれで帰還という事になった。

シャワーで汗を流して一息付いた頃、磁気嵐の治まりつつある地球からスケジュールが送られてきた。発電々力の低減率が実際の処、想定値である為に細かい数字が抜けていて、かなり大雑把な物だったが。
まあ、どうしようもないか・・。


<続く>
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