おねがい*ティーチャー SS (before story)

 「すべてのはじまり」  − 序章・召集 −


空が青かった。木陰の外は夏の日差しが眩しかった。湖を渡ってくる風が頬に心地よかった。
(ケイ・・)
水面の輝きが(ケイ)
桟橋の向こうで(ケイってば!!)

「!!」

びっくりして飛び起きた。
その拍子に、寝袋を固定していたマジックテープがはがれて、向かいにいる彼女の元に飛び込んでしまった。
「わっ! いきなりどうしたの? わるい夢でも見てたの?」
「いや、故郷の風景だったんだけど・・」
「??」
僕を受け止めた彼女の顔が疑問の表情に変わる。
あ、そうか。日本語で返事していたんだ・・。
僕は自分の居る場所を思い出した。
ここは地球から約4光分も離れた虚空を飛行中の、火星探査船『ハルモニア』の中だったっけ。


「ごめん。故郷の風景の夢を見ていたところだったんだ。夏の綺麗な湖のほとりで遊んでいた子供の頃の・・・」
「なあに、ケイ。もうホームシックにかかったの?」
笑いながら彼女は僕をケイと呼ぶ。ホームネームのKazamiの最初の”K”から”ケイ”と呼ぶことにしたらしい。出身地のドイツ語なら発音が違ったと思ったけど・・。
尋ねた事は無いけど、なんでだろう? まあ、いいや。

「そういう訳じゃないんだ。ただ思い出していただけさ」
少し、強がりだった。発進式から110日、行きの行程の8割以上を過ぎたとは言え、およそ2年強の全行程からみれば始まったばかり。もうこんな夢を見ているとは・・。
気持ちを悟られないように腕時計を目の前に持ってくると、通常のシフトよりは4時間も早いことに気が付いた。
「それより、もう交代の時間? じゃないな…、なにかあったのかい?」
「地球から悪い知らせが一つ。大佐が全員の召集をかけたの。10分でラウンジに集合して」
「悪い知らせ? なんだい、そりゃ?」
「太陽フレアの直撃が来そうなんだって」


有人火星探査。古くは火星人が居ると信じられた事もあるこの星を目指す計画は、当初順風満帆ではなかった。
21世紀初頭、新世紀は昔のアニメで見たような、素晴らしい世界にはならなかった。
冷戦終了によって世界が多極化した影響で各地で紛争やテロが頻発し、それを火種に戦争が発生した時もあった。
また、資材や人員を軌道上まで輸送する担い手のスペースシャトルが、大気圏突入時に空中分解し、機体と乗員が失われる惨事も発生した。
だが、そうした局面を乗り越えた後の人類は、今まで厄介事に向けていた力を束ねる事によって目ざましい計画の進展を実現し、この時期に人類を火星に向けて出発させる程にもなっていた。
昔に見た映画では、2001年には木星に人類の手が届く描写をしていたけれども、遅れ気味ながらやっと火星に手が届く所まできたんだ。そんな事を思いながら身支度を整えて6分後にラウンジに行くと、既に僕以外の乗組員は集合していた。

「済みません、遅くなりました、大佐」
「時間内だ、構わない」
ラウンジと言っても、狭い宇宙船の中、そんなに広い空間ではない。操縦室とランダー(火星着陸船)へ向かう通路の一部にやや広めの空間が設定されているだけだ。無重力だからみんな思い思いの場所に浮かんでいる。

正面中央、主操縦室の入り口を背に、左手でバーを掴んで身体を固定しているのが今回の有人火星探査の隊長である船長のバーナード・E・スミス大佐。アメリカ空軍の出身で、冷静沈着を絵に書いたようだが、難しい人ではない。普段はそのまま”大佐”と呼ばれている。旧スペースシャトルの頃からの飛行士であり、宇宙滞在時間はともかく、宇宙船の飛行時間では現在最長記録保持者だ。

その左にいるのが主パイロットのボブ・ブラウン。陽気な黒人男性で、大佐とのコンビも長い。お互いに性格がまるで正反対なのに、うまく噛みあっているのが不思議というか、なんというか。”新型シャトルのシュミレータで宙返りをやらかした”といううわさ話があるが、本当のところは判らない。さすがにいくら操縦性が前シャトルより格段に上がったとは言え、リフティングボディの宇宙往還機でそこまでは無理だと思うが、超音速で4ポイントロールぐらいはやるかもしれない。一緒に乗っていたくはないが・・。

少し離れて右側にいるのが副操縦士・機関士のウラジミール・チョフォフ。
旧ソ連のスペースシャトル、”ブラン”が実用化されていたら、船長に一番近いところに居たはずの人物。かつてロシアが運用していた宇宙ステーション”ミール”の滞在歴もあり、この火星探査計画にも初期から活躍している。
なにせ、この船の中央部である居住モジュールは国際宇宙ステーションの居住モジュールのノウハウを使ったロシア製であり、またこの船に採用されたレーザー・蒸気推進機の実用化実験、1年を超える軌道上の船内閉鎖度試験に立ち会ったのも彼だ。更に、彼の操縦で火星着陸が行われる事になっている。

その右隣で、腕を組んだまま浮かんでいるのが、メカニック・副ナビゲータのイギリス人、ハリス・モーガン。彼の送り出すジョークは、今一つ訳が判らない時が多い。最近は聞かなくなったので不評を感じているのかどうか。空軍出身者が多い宇宙飛行士のなかで、かれはイギリス海軍出身だ。

僕の右隣にいるのが、さっき起こしに来てくれた、クリラッサ・マイヤー。NATOで通信オペレータをしていたと聞いたことがある。今は無重力で髪が散らばらないようにショートヘアにしているが、前に見せてくれた写真ではその黒髪がロングで、まるで別人のようだった。ナビゲータと、通信士を兼ねている。

左横、ボブの隣はフランス出身の女性ドクター、ジャンヌ・フィゾー。
このメンバーで数少ない既婚者で、スミス大佐とドクターの二人だけだ。フルネームは本当はやたらと長いのだが、(1回だけ聞いたことがあるが覚えていない、まるで落語の『寿限無』の様だった)実用上の問題とかで普段はこの名前で登録しているそうだ。さすがに、書類などの名前記入欄に書ききれないのは困るのだろう。
今回の探査計画では病気の治療の他に、無重力での長期間生活や、閉鎖空間が身体や精神に及ぼす影響を調査、カウンセリングする役目を負っている。

そして、僕。僕は風見志郎、日本人だ。まあ、容姿は金色に近い髪の色と赤目のせいで日本人ばなれしているが、どうやらこれは色素不全症(白子とか、アルビノともいう)のせいらしい。子供の頃は、その外見のせいでいじめられたりもしたが、突然変異というやつで仕方がない。地質学を専攻していて、”どうせなら他の惑星のサンプルがほしい”という単純な理由で火星探査計画に応募したところ、色々訓練やら教習やらシャトルの飛行やら選考を通り抜けてしまってここに居る。人生、どうなるか判らないものだと思う。
船外活動とメンテナンス全般が主な担当。このメンバーでは最年少の28歳だ。


「全員揃ったところで、今回の事態の説明にはいる。ミス・マイヤー、報告を」
「はい、太陽表面で大規模なフレアバーストが観測されたとの情報が、20分前、ケネディ宇宙センターから入りました。それによると規模はXクラス。今までに観測された中でも最大級の物です。ほぼこちらを指向しており到達予想時間は60時間後、継続時間は3時間程度と推定されています。尚、同時に発生した太陽放射線は既に通過し、こちらでも観測されています」

しばらくは無言が続いた。ここに居る全員はこの事態の深刻さが理解出来たからだ。放射線の被曝量は跳ね上がり、また60時間後には普段は穏やかな太陽風が突風となり、わずかな遮蔽物しかないこの船に襲いかかるのだ。
僕は運の無さを恨まずには居られなかった。太陽はおよそ11年周期で活動のピークが来る事が判っている。前回のピークは2000年だったから帰還時の方が危ないと思われていたのだが、それは先行して無人で火星に向かっている推進剤タンクや補助装備と一緒に積まれている遮蔽用の資材を使う予定で計画が立てられていたのだ。

「それで、対策はどうしろと?」
ボブがいつもの軽い調子で先を促した。クリスがうなづいて続ける。
「向こう(ケネディ宇宙センター)が言ってきたのはこう。船体の姿勢をZ軸周りに83度変更して船尾を太陽方向に向け、エンジンの構造と推進剤を遮蔽物とする」
「同時に、太陽電池パネルは劣化を防ぐ為に太陽風に対して並行にする」
「次に、全員で船首のランダー(着陸船)に移動する」
「あとは神に祈る・・・」
最後に付け加えたのは向こうの本音なのかもしれない。だれもこのような事態を乗り切ったことがないのだから。シャトルの飛ぶ低軌道なら、バン・アレン帯や地球磁場が守ってくれるのだが、ここにはそんな便利なものはない。

大佐がボブに聞いた。
「姿勢を変更するのに必要な時間は?」
「微調整も含めて、およそ2時間。太陽電池パネルの角度変更も含みます」
「ドクター・フィゾー、あなたの意見は?」
「こういった状況の被曝症例がないから確実なことは言えないけれども、かなり危険な事はたしかね。ガンの発症確率が上がるとか・・、でもそれは人によるし、一概に何パーセントとも言える物ではないわ。サイコロを振るような物」

全員を見回すと、大佐が問いかけた。
「他に、問題点は?」
主メカニックのハリスが右手を上げつつ発言した。反動で身体が漂いだす。
「太陽電池がその向きでは発電が期待出来ません。主推進機は使わないとしても、本船の維持をするための電力供給は燃料電池と2次電池のみとなります。通常使用でおよそ24時間、ぎりぎりに切り詰めて48時間強が限界になります」
「継続時間が3時間であるという予報を信じるしかない。あとはトラブルを起こさないだけだ」
「次に、通信途絶の問題があります。地球側も影響でひどい磁気嵐になっているでしょうし、姿勢をその様にするとメインのパラボラが首振り角度を超えます。サブの八木を向けますが、フレアの通過中は通信機にダメージを受ける可能性がある為、受信部を遮断する必要があります、そして」
「最後に、軌道上の衛星と同じで電子機器の故障確率が上がります。こればかりは後でチェックしてみないと判りません」

「判った。これらの事項は向こうでも検討中だろうが、こちらから先に意見を出しておくのもわるくない。ミス・マイヤー。これらをまとめて送信してくれ」
「了解しました、大佐」
「これにて一時解散、T−(マイナス)24時に飛行姿勢を変更するため総員直に入る。各自、地球より送信される手順を確認し、確実に行動するように。では」


<続く>
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