ぷりにーる計画


オートクリニック日産のプリニール 事の起こりは、1996年4月号のWAGONIST誌に載っていたオートクリニック日産のアベニールサリューでした。
アベニールサリューに、P−11プリメーラのエアロフォルムバンパーを付けている物です。
記事には、”ほぼ無改造”って書いてあったので、鵜呑みにしたのが永い闘いのはじまり でした。

人と同じ事をするのが嫌い、量産型が嫌い、流行が嫌い。
特注、世界に一つ、見た目のハッタリ、オーバースペックなんて言葉や物が大好きなのでそのまま真似をするなんて事はしないで、ワンポイントでもオリジナルな特徴を出すことを目標にしました。
アベニールと、アベニールサリュー。部品カタログや車両カタログを見ると同形式の物で、フロント回りはバンパー形状の変更関連しか違いはなさそうです。

翌年3月。やっと予算が確保出来てバンパーを買いました。
バンパー内部 アベニールのノーマルバンパーを外して合わせてみますがやっぱりそのままだと入りません。レインフォースの穴をずらして挑戦しましたが無理そうです。
仕方無くプリメーラの部品を手配します。
★P11プリメーラカミノ   リテーナー、Fバンパーアッパー 62290-3J110
勿論、そのままリテーナーが付く訳もなく、アルミのパイプ材とLアングルを使って位置を決めて変換ステーを製作しました。付けば見えなくなるから良いのだ。

バンパー下部サポートは、微妙に位置が違うので在庫のアルミ・プラスチック複合板で位置を変換します。両サイドの上下穴は、そのまま使用可能でした。
ですけど、このままだとフェンダーのホイールのアーチと繋がりが悪い事が判りました。
何かうまい対策は無いかと量販店を探したら、フェンダーリップという三日月型を伸ばしたような部品を発見。これを加工取り付けしてタイヤの曲率に合わせる事にしました。 後から付け足した感じにしたくないので、隙間をパテ盛り整形。これが不器用な素人には重荷でした。 盛っては削り、盛っては削り。半年以上ネチネチと作業。

また、ラジエターの奥行き位置と大きさが違うので、そのままだとバンパーとラジエター間が空いて、走行風が逃げたり地面が見えたりします。
ランエボ3号のインタークーラーぐらいなら、入りそうだなぁ・・
これも、アルミ・プラスチック複合板を切って曲げて、エアガイドプレートを製作。

パテを盛ったら塗装です。プライマー、下塗り、本塗り、クリア仕上、完全乾燥後に研磨。
同時に、NISMOのサイドスカートも塗ります。こっちはちゃんとアベニール用なので加工なしで取り付きます。(当たり前)

そのまま、年を越して1998年。とりあえず外見完成。
取り付けた直後の車庫入れで、歩道に乗り上げる時に早速下を摺りました。
はふ、ちょっとためいき。

走行するのが夜の田舎の峠道なので、ヘッドライトの照射能力だけでは不満があって、補助灯を追加するのがMiaの常です。 経験則で純正フォグランプは使いものにならない。遠くを照射しないと嬉しくないので、スポットランプを選択します。でも、悪天候時には黄色の灯火の方がコントラストがとれて便利。
昔はFETのM6デュアルを使っていたのですが、これだとフォグとスポットの光軸が独立して調整出来ないので妥協していました。
『ダクトの大きさもあるし、小型なら配光に有利な丸型が2灯入るじゃん』
スポットは、以前に買っておいたCIBIEのビサージュIIがあったのでこれで決定。
小型のフォグは・・、解体屋さんに隣接する中古屋さんに直行。
うろうろしていたらありました。FETのM160シリーズ。説明が無いので自分の知識がすべてです。
これは確か、スポット、ドライビング、フォグの3種類があったはず。レンズカットを見るにスポットでは無いの確定、フォグにしてはカットが粗いので、ドライビングらしい。
買ってきて試しに5V電源を繋げて見ると、ハイビームに近いスリット型の配光なので間違いなし。これにH3高効率型ゴールドバルブを入れて、下向き配光で使います。
ランプサポートブロック サポートブロックは、段ボールで位置決め試作品を作り、それから図面を製作。近くの鉄工所に持っていってその場にあった残材で作ってもらいました。4.5mm厚の鋼板で、牽引ブラケット固定部分にボルト留めなので、ブレとは無縁の強度です(自慢)。
さすがに、ハイビーム時にスポットを同時点灯すると明るいです。対向車迷惑には気を付けましょう。イエローのビームは、路面が濡れている時には有利です。ちょっとグレア光が多目なのが残念ですが。

かれこれ、ぷりにーるになってから8年経ちましたが、本で見たのが3台、実際に走っているのを1度見ただけです。(同じ事を考える人っているのね)
さすがに、フェンダーの曲率合わせの加工と、丸型補助灯4灯はMiaだけのようですが。
仕上がりの美しさはともかく、大半の製作作業を自力でやった事は自慢出来ると思います。

15年間ずっと乗り続けてマイナートラブルも出ましたけど、最後までちゃんと勤めてくれたのは感謝してます。


謎のぷりにーるの空間に戻る